ずっと休んでいた後の学校。別に学校で何かがあったわけではないとはいえ、織葉は心配したのか教室の前まで送ってくれた。
「そこまでしなくていいのに……」
「する」
「端的に言うね」
「心配だからだ、悪いか」
「もー……」
なんでそうあっさりと、恥ずかし気もなく言えてしまうんだか。ちょっとだけ頬が熱くなったのを感じながら、一年二組の教室のスライドドアを開けた。
「おはようございまあす……」
ちょっとだけ緊張する。ドアを開けた途端、数人の女子がこちらを振り返って駆け寄ってきた。
「金沢さん!大丈夫だった?」
「もう具合悪くないの?本当に平気?心配してたんだよ」
「うん、みんなありがとう」
何故えりいが学校を休んでいたのか、知っているからこそ皆同情的なのだろう。真っ赤に染まった保健室のベッド、彩音の断末魔――忘れていたことを思い出しそうになる。あんなものを見せられたら、自分でなくてもショックで塞ぎこむことだろう。
「その、銀座さんは?銀座さんも一時休んでたって聞いたけど」
「蓮子ちゃんも一週間くらい前から来てるよ。蓮子ちゃん!」
クラスメートの一人が気を使って蓮子を読んでくれた。ちらり、とえりいは廊下を振り返る。織葉はまだそこにいた。どうやら、彼も蓮子の様子が気になっていたということらしい。
その蓮子はスマホを見ながら音楽を聴いていたようで、友人に肩を叩かれるまではえりいに気づいていなかったようだ。はっとして顔を上げると、イヤホンとスマホをポケットにしまってこちらに走り寄ってくる。
「金沢はん!良かった、復活したんやな!」
「う、うん。なんとかね」
えりいは少しだけ怖くなった。蓮子が、自分が思っていたよりずっと元気そうであったからだ。
本当は、彩音の死に自分よりもはるかにショックを受けていたであろう彼女。なんならえりいよりずっと復帰が遅くなっていてもおかしくないはずなのに、彼女は一週間前には学校に戻ってきていたという。
そして今は、落ち込みを一切感じさせないほど明るい表情だ。不自然、違和感――いや、あるいは、むしろこれは必然なのか。
明らかに、吹っ切ってしまってはいけないものを、吹っ切ってしまったかのような。
「銀座さんこそ、大丈夫?紺野さんは、本当に大切なお友達だったんだし……」
えりいが恐る恐る口にすると、彼女は笑って“大丈夫やで!”と返してきた。以前の彼女より、むしろ声が大きくなった気がするのは気のせいなのか。
「大丈夫、大丈夫。いつまでも暗ぁい顔しとったら、彩音はんに笑われてしまうわ。あの人に、心配かけたないねん。うちらは元気や、頑張れるわーってとこ、天国の彩音はんに見せたらんとな!」
「そ、そっか」
「それそうと、ちょっと話したいことがあるんやけど、ええ?夢のことで……」
「!」
来たか、とえりいは身構えた。もう一度廊下を振り向くと、織葉が廊下の影にそっとひっこむのが見えた。
それとなく盗み聞ぎしますよ、の合図。
言わなくても察してくれるあたりが素晴らしい。
「うん、わかった。……まだ人少ないし、廊下でいい?」
扉鬼については、クラスでもある程度話題にはなっている。しかし、そのおまじないを信じている者はそんなにいないか、現状は“私も実行しました”という話は聞いていなかった。
が、本当は既にやっていて黙っている人もいるのかもしれない。
もちろん実行したのに手順をまちがえていて失敗したなんて人もいるかもしれないが。
いずれにせよ、扉鬼を知らない人や信じていない人の前ではしづらい話だ。下手をしたら、えりいたちの頭がおかしくなったと思われてしまう。
「なあに、話って」
えりいは愛想笑いを浮かべて言った。
「何か、新しい情報見つかった?」
少し前の自分ならば、大郷のことも、他の推察も蓮子に話して情報共有しようとしたことだろう。でも今は、安易に知っていることを話すことはできない。彼女達が何をしようとしているのか、それを知ってしまった以上は。
本当は全て打ち明けて、やめるようにと説得したい気持ちでいっぱいだったが。
――大郷さんが隠れてたのに気づいてないなら……隠れてた人がいた、って言っても信じて貰えないかもしれないし。どっちみち翔真くんが疑われそうだから、駄目だよね……。
もちろん、蓮子が本気で星羅たちに加担するつもりではない、という可能性もある。
なんとか会話から、そのあたりの真意を聞き出せないだろうか。
「その、何か分かったとかやないねん。相変らず自分は、ものすっごく危険な目に遭ってないけど……でも、鍵とかそういうのは全然見つけられへんし」
ただ、と蓮子は苦笑いをする。
「思ったんやけどな。やっぱり、その……一人で探索するのって、結構難しいんちゃうんかなって」
「え」
「せやからな?なんとか、あの空間で合流できひんやろか。どうにも聞いた話やと、扉鬼の空間っていくつかエリアに分かれてて、長くいる人は探索が進んでるっちゅーねん」
「へえ……」
間違いない。そう語ったのは、あの胡桃沢星羅だ。
えりいは自分自身の顔が強張るのを感じていた。本来ならば、蓮子と協力して調査を進めるのが得策。ちょっと前なら一も二もなくOKしていただろう。だが、彼女の目的は、恐らく。
「合流するって、そんなことできるの?それに……その話、誰から訊いたの?」
えりいを、自分達の仲間に引き入れるため。
もしくは邪魔になるなら消すため、なのだろう。
もし蓮子にやましいことが何もないなら、今この場でその詳細を話しても問題ないはずである。
だが、もしもそうでないならば。
「どうしても相談したいことがあんねん。でも、現実では話しづらくて。……ある人がな、みんなでクリアするために協力しようって言ってて。うち、幸運にもその人に出会えてな。せやから金沢はんもどうかなって」
「それは凄いね。なんて人なの?どんな計画?」
「あー、それも合流してからにするわ。会えなかったら意味ないし」
「……そう」
何故この場で話さないのか。考えられることは一つ。夢の世界で相談した方が都合がいいから、だ。
翔真にしたのと同じ。みんなで取り囲んで脅迫するのが最も手っ取り早いのである。余計な人間に聞かれる心配は少ないし(まあ、今回の大郷はかなりレアケースだろう)、何より万が一交渉が決裂したらその場で“処分”することも可能。
ようするに。蓮子はいざという時はえりいを消すことも辞さないと、そういう選択をしたというわけだ。ここで胡桃沢星羅の名前を出さないのも、彼女に口止めされたからに他なるまい。名前さえわかれば今はネットの時代、検索するなり人に尋ねるなりいろいろと手が打ててしまうのだから。胡桃沢、なんてレア苗字なら尚更に。
――裏を返せば、その名前が本名である可能性が高いということ……。
蓮子は、自分が秘密の会合について知っていること、胡桃沢星羅や橙山大貴の名前を知っていること、彼等が作った地図を見たことなどをまだ知らない。
このアドバンテージは、大きいはずだ。裏を返せば、蓮子もえりいの名前を星羅に教えている可能性があるのが少し怖いが――。
「どんな人?怖そうな人じゃないよね?」
探りを入れる。何も知らないアピールをするえりい。
「ちゃうちゃう。リーダーは女の人やねん。ごっつ美人で優しそうな人やったで!まあ、彩音はんほどではないけどなあ」
ははは、と笑って手を振る蓮子。やはり、こちらが警戒していることには気づいていないようだ。
「で、ごっつええ計画やし、あんたにも悪い話やない。このまま扉鬼の悪夢の中をさ迷ってたって、ええことなんか一つもないやろ?最終的には閉じ込められたまま、怪物とかに殺されるかもしれへん。そうでなくても精神が耐えられなくて、壊れてしまう人もぎょうさんおるみたいやしな」
「そうだね。協力して脱出できれば一番だと思う。でも、合流するってどうやって?私、自分の現在地もわからないよ?」
これは本当だ。
そもそも昨夜まで、えりいはあの空間がランダムに形成された、歪んだ場所だと信じて疑わなかった。入ってきたドアがなくなることもあったし、さっきまでいたとはまるで違う空間に飛ばされることもあったのだから。
ゆえに、地図なんてものが作成可能だとはまったく予想しておらず、今朝驚かされることになったわけだが。
「さっきも言うたやろ。いろんなエリアに分かれとって、そのエリアに入るための方法ちゅーのがあるねん。ランダムな場所もあるけど、法則性がある場所もある。うち、あの人らにいろいろ聞いたねん!」
むっふーん、と蓮子は鼻を鳴らして胸を張る。
「せやから、今周囲の風景がどないなってるか、を教えてくれたら……うちらがそっちまで迎えに行くこともできるかもしれへん。えっと、うちらは今大理石でできた白い廊下とか白い部屋がいっぱいのエリアにおるんやけど、あんたそこ通った記憶はある?」
「ううん、多分一度も行ったことない、と思う」
「てことは、ちょっと遠い場所におるのかもしれへんな。周囲には何があったか覚えとる?」
「えっと……」
正直に教えたら、蓮子が星羅たちを引き連れてこちらに来てしまうかもしれない。そうなったら、自分も翔真のように脅迫される可能性が高いだろう。
そして、小学生だから翔真は人殺しを免除されていたが、多分自分はそうならない。武器の一つでも見つけたら、それで人を殺して回れと命令される可能性が高そうだ。
――人殺しになんて、なりたくない。私だって……。
考えた末、えりいは口を開く。
「なんか、お屋敷みたいな、ところ?でも真っ暗闇に入ってそこで朝が来ちゃったから……ひょっとしたら、そのタイミングで別の場所に移動しちゃったかも」
「あー、それはちょっとややこしそうやな」
「ごめんね」
完全に嘘ではない。自分がいたのが“屋敷の中”だったとは言っていないだけで。
この言い方ならばバレても言い訳して逃げ切ることができるだろう。闇の中に落ちてそのまま朝が来てしまったというのも本当だから尚更に。
「……ねえ、銀座さん」
これも尋ねておくべきか。彼女の行動原理であろう、あの人のことを。
「銀座さんって、紺野さんと本当に仲良しだったでしょう?……もし扉鬼の出口を見つけて、お願い事を叶えて貰えるなら……紺野さんを生き返らせてくださいって、お願いする?」
ただの友達というより、教祖と信者のようだった。
一体彩音の何がそこまで、蓮子に崇拝の念を抱かせたのだろうか。