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第45話

「俺、このおまじないやったの、面白半分というか冗談みたいなかんじで……全然信じてたわけじゃないんだけど」


 翔真は少し泣きそうな顔で、大郷に告げた。


「でも、もし叶うなら……一つだけ、叶えたい願いがあったのも確かなんだよ、ね」

「叶えたい、願いですか?」

「うん。……去年隣のクラスであったいじめを、なくしたいんだ」


 彼は今、小学校四年生だという。去年ということは三年生のクラスのことだろう。

 翔真いわく、彼は三年一組で、二年生の時仲良しになった親友は三年四組に在籍していたそうだ。教室が階ごと離れてしまったこと、翔真が三年生からサッカークラブに在籍して忙しくなったこともあってなんとなく顔を合わせる機会が減ってしまったそうだ。

 もちろん今のご時世、直接会わなくても連絡を取る手段なんていくらでもある。

 お互い小学生からスマホを許可されていたので、それでよくLINEでやり取りをしていた。むしろだからこそ、気づくことができなかったのだろう。

 文章の上での友達は、いつも通り明るく楽しく過ごしているように見えたから。


「でも、本当は……三年四組では、酷い虐めが起きてて。女王様みたいな子が、クラスを支配してて。みんな、その子に逆らったら“狼”って呼ばれていじめられるから、びくびくしながら従ってたみたいなんだ。少し機嫌を損ねたら狼はあっさりその子になる。自分が狼になりたくない人は、ひたすらその子に嫌われないようにしないといけない。でないと、女王様とその取り巻きにいじめられて酷いことになるからって……」


 友達本人から具体的ないじめの内容を聞いたわけではないという。物を壊されたとか、悪口を言われるなんてことは珍しくなかったとは聞いている。ただ、実際はもっと凄惨なものもあったと噂されているのだ。それこそ、男の子や女の子を全裸にして恥ずかしい踊りをさせ、それを動画に撮って脅す――とか。正直、小学生のいじめとは思えないほど陰惨なものもたくさんあったのではないか、と翔真は結論づけているらしい。

 事実なのは、三年の三学期から、その友達が学校に来なくなってしまったこと。鬱に近い状態になって、家に引きこもって出てこなくなってしまったというのだ。


「明るくて、一緒にいてすげえ楽しい奴だったんだ。俺、あいつとは……小学校卒業しても、大人になってもずっと友達でいたいって思ってた。二年の時クラスでも人気者で、きっとそういうふうに思ってたやつはたくさんいたと思うんだ。なのに……」

「変わってしまった、と」

「うん。どっかのクソ野郎が、全部ぶっ壊していきやがった。俺、マジでそれが許せなくってさ……!」


 女王様はあっさりと転校していって、学校からいなくなった。そして最終的に、自殺者が出るような事態にはならなかったという。でも。

 じゃあ、何もかも一件落着でいいのか?そんなことはないはずだ。少なくとも彼女の取り巻きだった少女達はまだいるし、心に傷を負って今も人に怯えている生徒は少なくないのだから。


「俺は虐めた奴も許せないけど……それを止めなかった奴にも腹が立ってる。先生だって、止めようとしなかったんだ!」


 ぎり、と彼はテーブルの上で強く拳を握りしめた。


「もちろん、いじめっ子に立ち向かうのは勇気があるってわかってる。逆らうのは、言うほど簡単じゃないだろうってことも。でも……みんなであの女に歯向かってたら、一致団結して抵抗してたらって、どうしてもそう思っちゃうんだ。本当は、何もできなかった俺に何かを言う資格はないってわかってんのに……!」

「翔真くん……」

「だから、嫌なんだ。自分が助かりたいからって、自分だけが安全なところにいたいからって、人を踏みつけにするようなことすんのは。それを肯定して、安全圏で眺めてるだけってのは!……いじめとは違うけど、今回のことはつまり、そういうことだろ。あの人達の殺人を見過ごしたら俺、自分で自分が許せない!」


 幼い少年の目には、確かな光が宿っていた。

 意志の強い瞳だ。――大人でも、こんな眼をした人間にはなかなか巡り合えないものだというのに。


「……つまり」


 大郷はどこかで安堵しながら、翔真に告げた。


「君も、納得していない。あの人達に従いたくない、そういうことですよね?なんだ答えはもう出てるんじゃないですか」

「……まあ、そうなる、かな」

「なら、話は簡単です。あの人達の目に触れないように逃げ続けるかもしくは……仲間になったフリをするか、でしょう」


 仲間になったふり?と翔真が鸚鵡返しに尋ねてくる。大郷は頷いた。


「はい。幸い、貴方は殺人そのものを命じられているわけではありません。ならば仲間になったフリをして誤魔化すこともいくらでも可能です。その上で、わたくしに情報提供をしていただけませんか?いわば、スパイ役のようなものです。彼等が今どこにいて何をしているか、その情報があればわたくしはわたくしの知り合いを守ることもできるし、裏で他の方々に注意を回すこともできましょう」

「え、でも……どうやって?」

「ここが夢の世界であることをお忘れですか?つまり……現実世界で接触が可能ということです」

「あ」


 翔真の目が見開かれた。どうやら完全にそこがすっぽ抜けていたらしい。

 この空間で下手に話し合えば、星羅たちに聞かれる可能性がある。でも現実世界ならばどうか。

 星羅達が現実でも翔真の近くにいる可能性は、限りなく低いはずである。


「……俺、彩色河原さいしょくがわら小学校の四年一組、白根翔真です」


 こちらの意図が伝わったのだろう。彼はぺこり、と礼儀正しく頭を下げてくる。よろしく、と大郷も倣っておじぎをした。


「わたくし、茜屋神社神主の茜屋大郷と申します。神社の名前で検索していただければひっかかってくるかと。多分、一つの住所しか出てこないはずなので……ホームページもありますし、そちらにアクセスしていただければ連絡も取れるはずです。問い合わせ用のメールフォームもありますしね」

「ありがとう、大郷さん」

「どういたしまして。しかし、こうなった以上一刻も早く出口を見つけた方がいいのは確かでしょうね……」


 扉が願いを叶えてくれるとは到底思えない上、あの手の輩はいざ願いが叶うとなったその途端自分勝手な行動に走りそうだと感じていた。

 特に、リーダーポジションに収まっている胡桃沢星羅は油断ならない。大貴は彼女に忠誠を誓っている様子だったし、人の心を見抜いて操る術を見につけている印象にある。

 何にせよ、あんな決断を下した以上、協力体制が敷けるような相手ではないだろう。


「その、俺……今日サッカークラブないから。今日なら会えるかも、です」


 今日と言うのは、この夢から目覚めた日中のことだろう。彼は口頭で電話番号を教えてくれた。メモを取る手段はないが、幸い大郷は記憶力にある程度自信がある。起きたらすぐにどこかに書き記そう、と決めた。

 連絡先がわかっていて通っている学校もわかっている。こちらの神社のことも伝えたし、これで現実でもコンタクトを取ることは可能だろう。


「ありがとうございます、翔真くん。必ず連絡をしますね。……そろそろ、目が覚める頃合いのような気がします。詳しい作戦会議などは、次に会った時具体的にお話することにしましょう」

「助かります。……ほんとよかった、まともな大人に会えて」


 心底ほっとした顔をする翔真。そうだ、と食器棚の方を指さした。


「あの人達、結構この空間を調査してるみたいだ。どうやらこの扉鬼の空間って不規則であるようでいて、ある程度法則があるみたいで。そこに、作った地図があるとか言ってたような」

「そういえばそうでしたね」


 大郷はすたすたと食器棚に近づいていく。確かにそこには、青い表紙の大学ノートがあった。

 さすがに図形的なものを全て覚えるのは難しいだろう。が、そこにはいくつか文章で解説が載っている。これはありがたい、と目を細めた。

 自分も、ある程度この扉鬼の空間の地形については調べていたつもりだったが、やはり一人で調べるだけでは限界があると感じていたのだ。この情報を元にすれば、もう少し詳細な地図を作ることもできそうだ。えりいの役にも立つだろう。


「あ」


 ふわり、と床が抜けていくような感覚を覚える。大郷は慌てて、内容を覚えたノートを棚にしまった。これは、いつもの現象。目が覚める時、体がふわりと浮き上がるような、世界が溶けるような感覚を覚えることが多いのだ。


「翔真くん、必ず、必ず連絡を取ります!だから、どうか……君も諦めないで!」


 大郷の言葉に、翔真は小さく笑って手を振った。――そして、少年の姿はぐにゃりと白い背景に溶けて、消えていったのである。


「はっ……」


 はっとして目を開くと、大郷はいつもの自室の布団に寝ていた。枕元の目覚まし時計を見れば、いつも起きる時間より三十分早い。


「……はあ」


 あの夢をわかっていて、二度寝する気にはなれなかった。深く息を吐いて、スイッチが入ったままの目覚まし時計をストップさせる。精神的にはだいぶ疲れているが、それでも動き出さなければ始まらない。まだ薄暗い部屋の電気をつけると、すぐに自室の机に向かった。

 メモ用の大学ノートを引っ張ってくると、そこに覚えたばかりの翔真の電話番号、それからあの地図に書かれていた文章などを覚えている限りかたっぱしから書き出していく。汚い字だが、ひとまず自分に読めればそれでいい。後で清書しておこうと決める。


「…………」


 薄緑色のカーテンの向こう、外からうっすらと蒼い光が入ってきている。どんな夜だろうと、必ず朝は来るのだ。だから夜が明ける時まで、自分は走り続けるしかない。それがどれほど長く、果てないように思えたとしても。


『あのさあ、父さん……』


 長女の舞が言っていた言葉を思い返していた。幼い頃から、そんじょそこらの男には負けないくらい勝気で、喧嘩っぱやい少女だった彼女。いじめられがちだった二人の弟を守るのはいつだって彼女の役目だった。年が離れていたからというのもあるだろうし、生まれつき体が大きくて力持ちだったというのもあるだろう。

 そんな彼女が、あの日はちょっとだけ泣いていたと知っている。


『あたしさ、父さんのことは信頼してんだよ。神主として……そういう能力がある人間として、自分にしかできないことをやろうとしてるって。それはすっげー、かっこいいとは思う。思うんだけど。……でも、無理はしてほしくないし、死んだら絶対嫌なんだ。だから……頼むから自己犠牲とかはやめてくれよ。あたしも、弟たちも、母さんも大泣きするから。絶対するから』


 扉鬼の詳しい話はしていない。しかし、それでも今大郷が、みんなのために大きな仕事をしていることは知っている。それが、大郷にしかできないことだということも。

 理解していても恐ろしくはあるのだろう。ここまで他の神社仏閣と連携して一つの怪異に当たった事例は、過去に一度もなかったから。


――泣かせないように、しないといけませんね。


 天井を仰ぎ、大郷は思う。

 自分には守るべきものがある。救わなければならないセカイがある。

 だからこそ、己は。


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