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第42話

「えーっと……?」


 えりいはぽかーん、とその場に佇んでいた。


「ここは一体、ドコ……?」


 木製のドアをくぐった途端、周囲が闇に包まれたのは覚えている。はっとして顔を上げたら既にこの場所に立っていた。背の高い草がぼうぼうに生えている、洋館の庭のような場所。あちこち半分腐りかけた木箱のようなものが落ちていて、掃除用具入れ?のような細長いロッカーが屋敷の壁に立てかけられている。

 頭上には、この夢の中ではあまり見ることがない“空”がそこにあった。夜だ。藍色の空には雲一つなく、現実で見るより随分と大きな満月がぽっかりと宙に浮かんでいる。街灯も何もなく、屋敷の窓から明かりが漏れてくることもないが、存外月明かりのせいで視界に不自由することはなかった。満月の夜は明るい、というのは当たり前のようで案外気づかないことでもあると察する。都会なら尚更、町の煌びやかな人工灯で溢れているから尚更に。


「お月様……外、じゃないんだよね……」


 何であの木製のドアが、このような屋外に繋がっているのかさっぱりわからない。しかもドアを潜って此処に来たのなら入ってきた道があるはずなのに、振り返ってもそこにあるのは屋敷の壁だけなのである。

 試しに近くの窓を触ってみた。窓の向こうは、赤い絨毯が敷かれた廊下が見えた。屋内に光はなく、誰かが歩いている様子もない。化け物の姿も、死体のようなものも見えない。


「ん、んんんっ」


 ぐちぐちと窓を押したり引いたりしてみたが、どこも開きそうになかった。ということは、別に出口があるということなのだろう。

 ドアが、ドアらしい姿をしていないこともある。確か彩音がそんなことを言っていなかっただろうか。この庭から別の空間に行くための出入り口。マンホールのようなものでも見つけたら、潜ってみるのも手なのかもしれなかった。


――本当にどうなってんの、この空間。完全に迷子の天敵だよ……。


 ポケットに触ってみるが、鈴が鳴るような気配はなし。大郷と合流できたら心強いと思うが、彼はこの近くにいないということなのか。

 そもそも空間が断絶しているなら、“別の異空間”にいるということも考えられる。さっきの木製のドアがあった通路とこの庭が、どこまで同じ空間かはかなり怪しいものがあった。


――心細いな。


 今まで、殆どが何もない廊下を歩いたり、大した成果もない部屋を覗いたりするばかりだった。頬に生ぬるい風を感じる。気温は25度とかそれくらい、だろうか。ほどほどの温かさ、涼しさ。湿度も高くないようでなかなか快適ではある。

 それから、大郷が“屋外には罠が少ない”と言っていた。案外この空間は安置なのかもしれない。が、それはそれとして、初めて見る場所に一人きりというのが不安が募るものである。


――罠はないかもしれないけど、怪物は来るかもしれない。出口は探しておかないと。


 がさがさがさ、と草をかき分けながら近くの壊れた木箱を見る。雨にでも打たれたのか、ややコケが生えている上ぬるついていた。ささくれが刺さらないように気を付けながら蓋を開けていく。中になんらかの通路が隠されている、とかそういうオチがあるのかもしれないと思ったからだ。

 しかし、残念ながらえりいの視界には、穴のあいた木箱の底が見えるばかり。有用な道具が入っている様子もない。万が一の時は中に入って蓋をしめれば、隠れ場所くらいにはなるかもしれないが。


――なんか湿ってるし、できれば入りたくないな。蓋閉めて開かなくなったりしたらやばいし。


 有用な道具、と思って視界に入ったのは掃除用具入れ、に見える灰色の細長いロッカーだ。鉄製で少し錆びているが、あれも隠れ場所として使えそうではある。同時に、モップの一つでも持っていれば武器になるかもしれない。万が一の時、怪物に投げつけることでもできれば御の字だろう。

 そういえば、その怪物も目を狙うと一時的に怯ませることができるとも聞いている。直接手で叩くのは無理でも、モップや箒の柄を叩きつけることなら自分にもできるかもしれない。


――不思議。……紺野さんの最期を見て、怪物の事が怖くて仕方なかったのに。万が一見つかったらどうしようとか、そう言うことばっかり考えていたのに。


 そろそろとロッカーに手を伸ばす。


――今は……戦うことも、考えられるようになってる。何が何でも生き残るんだって、自分の力で頑張るんだって、そう思ってる。


 それは多分、大郷という心強い味方ができたから。

 そして何より織葉の事を想えばこそだろう。




『俺も、扉鬼の世界へ行く。そこで、絶対にえりいを見つけて助けに行く。それでどうだ』




 万が一の時は、自分が扉鬼の世界に入ってでもえりいを助けに行く。それも辞さないと彼は言っていた。あの瞳に嘘はない。えりいが本当に困ったら、一人で切り抜けられなかったら織葉は助けにきてくれるのだろう。

 それは正直、嬉しいことでもある。

 こんな意味の分からない場所でも織葉と一緒ならどれほど安心できることかしれない。でも。


――そうなったら織葉も死ぬかもしれない。死ななくても、ものすごく怖い目に遭うかもしれない。それは、絶対嫌だ。


 そして嫌だと思うなら、きちんと示さなければいけないのだ。

 えりいが一人でも、ちゃんと立って歩けることを。彼が助けにこなくても、自力でこの夢から脱出できるのだということを。

 自分の身くらい、自分で守れるようにならなければ。

 そうじゃなければ万一の時、大切な人を守るだなんて夢のまた夢であるのだから。


「んわっ!?」


 がったん。

 少し大きな音がして焦った。ロッカーの戸が少し歪んできつくなっていたのである。開けた途端、数本の掃除用具がこちらに倒れかかってきた。ホウキ、チリトリ、モップ――それから。


「あ、これ……小学生の時掃除で使ってたやつだ」


 他の掃除用具はだいぶ朽ちてしまっていて使えそうになかったが、その背の高いデッキブラシだけは少しコケが生えて柄が緑色に変色している程度だった。木製だが、結構しっかりした作りであるらしい。先端にはちょっとぼさぼさになった緑色の長方形のブラシがくっついている。これで殴られたら、トゲトゲの固いブラシが肌に刺さってなかなか痛そうだ。

 これなら武器になるかもしれない。ホウキやバケツなどの掃除用具を外に出すと、デッキブラシだけを引っ張りだした。このままこれを持った状態で夢が醒めたら、多分そのまま武器として所持して明日に行けるだろう。

 銃やナイフと比べると殺生能力は低いだろうが、それでもないよりマシだ。


――ていうか、なんでこんな庭に、掃除用具入れなんてあるの?誰か庭掃除してたのー?


 思わず心の中でツッコミを入れてしまう。この空間自体が適当にツギハギしたようなもので、置いてあるものや落ちているものにさほど意味はないのかもしれない。

 こんなぼうぼうと草が茂った、いかにも“手入れされてません”的な庭より、学校の教室にでもあった方が相応しいのに。そう思ったところで、ふとえりいは気づいた。

 この扉鬼の事件には、扉鬼という鬼ごっこを使った“いじめ”を受けていた少女が自殺したことから始まっている。小さな田舎の村の、神主一族だとか(大昔になんらかの失敗をされて、神様ごと迫害されるようになったと言っていた)の子供であったがため、村人たちみんなから冷遇されていたのだと。

 ならばいじめの主な舞台となっていた場所は、彼女が通っていた学校であった可能性高い。

 ならば学校に近い風景の場所、は彼女にとって悲しみや苦しみの記憶が詰まっている可能性が高いのではないか。ならば、学校にありそうなもの、にはなんらかのヒントが眠っている可能性があるのではないか。


――このロッカーも本当に……その子の学校のロッカーを再現したもの、であるなら。何かヒントらしきものがあるかも……?


 がさごそとロッカーの中身を探ってみる。が、残念ながらここには掃除用具以外何も入っていないようだった。別の空間に繋がるドアがあります、なんて気配もない。

 不自然に“学校にありそうなもの”を発見したので勘ぐってしまったが、流石に思い過ごしだっただろうか。


「!」


 その時、がさがさがさがさがさ、と草をかきわけるような音が響いてきた。怪物かもしれない。背筋が泡立ち、とっさにえりいはロッカーの中に隠れた。扉を閉めて、上の通気口から外を覗き込む。

 そしてようやく気付いた。庭の奥の方に、大きいな鉄扉のようなものがあるということに。

 のっぺりとした鉄の板ではなく、お姫様が住んでいそうなお城の入口にありそうな、鉄の棒を組み合わせた形の扉だ。あちらをちゃんと見ていなかったので気づいていなかった。薔薇なのか百合なのか、花を象ったような模様をしている。ここが現実で今が昼間なら、お洒落なものを見つけたと笑って写真の一枚でも取っていたかもしれない。鉄扉の両隣には高い壁があり、その向こうには深い森が広がっているのがわかった。

 あの門ならば、足をひっかけて登って乗り越えることもできそうだ。他のエリアに行くにはあの扉を開けるか、乗り越える必要があるのだろうか。そんなことを思った時である。


「ひい、ひい、ひいいいいいいいいいっ!」


 掠れた悲鳴。ばたばたばたばた、と不規則な足音を立てながら扉に向かって走っていく人物が。やや離れていたが、恐らく中高年の男性だろう。一度振り返った時、無精ひげが生えているのが見えたからだ。

 工場の灰色のツナギのようなものを着ている。どこかで作業員として働いている人なのかもしれない。


「た。た、助けっ……」


 彼はパニックになりながら、門をがちゃがちゃと揺らしていた。が、どうやら鍵がかかっているらしく、扉を開けることは叶わない。仕方なく、そのまま門に足をかけて登り始めた。さっきえりいが考えたように、乗り越えて向こう側の森に行こうとしているのだろう。だが。

 男は明らかに焦っている。息を切らしてここまで走ってきた様子だった。

 つまり、彼を追いかけている何らかの存在がいる、ということで。


「グオオオオオ……!」


 唸るような声が聞こえて、草むらから何かが飛び出してきた。そして、門の真ん中あたりまで上っていた男の腰に、黒いそれが飛びつくのが見えた。


「うわああああああああ!や、やめてくれえ、離してくれえええええええ!」


 彼はじたばたもがいて、その大きな黒い物体――少なくとも彼の体より大きいのは明白だった――を振り落とそうとしている。が、黒い物体は男の腰をがっしりと掴むと、ぐいぐい下へひきずり降ろそうとするのだ。


――あ、あああ、あ……!


 えりいは絶句する他なかった。灰色の長い、タテガミのような毛。筋肉質な黒い背中。鋭い爪が、男の腰に食い込み、じわ、とジャージに赤い染みを広げていく。悲鳴が大きくなっていく。

 あれは、まさか。


――あれが、扉鬼の鏡のような存在?彩音さんを殺した、怪物だっていうの……!?


 何かを察知したのか、怪物が一度だけこちらを振り向いた。

 その顔は、情報で聞いていたものと同じ。

 口裂け女かと思うほど大きな口をして、ギザギザの歯を覗かせた、猿のような化け物であったのである。


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