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第41話

 この流れはまずい。非常にまずい。

 大郷は冷や汗をかきながら室内の様子を覗き見続けていた。

 脱出できるのは一人だけ。

 仮にそれを知っても、おおっぴらにその情報を広める人間はそうそういないと思っていたのである。それを知ったら最後、招待者同士で争いが起きるのは免れられないからだ。まさか、わざわざそれを人に教えて争いを誘発しようとする招待者がいようとは――。


「どういうこと……?」


 困惑するように翔真が尋ねる。


「一人しか脱出できないっぽいんだよな?だったら、その一人がクリアしちゃったら、他の人は出られなくなるんじゃん。仲間を募ったところで、結局みんなライバルなのは間違いなくね?」

「それはどうかしら」


 星羅はにこにこと人好きのする笑みを浮かべて告げる。


「何でも願いが叶うのよ?そのお願い事、本当に一つだけかしらね。私の見立てでは、複数の願いを同時に言えば、全部叶えてくれる可能性が高いと踏んでるんだけど」

「というと?」

「私が元々このおまじないを試すにあたり、願っていたことが一つ。それから……扉鬼の世界で共に戦った仲間全員を救ってほしい、っていうのが一つ」

「!」


 彼女が何を言わんとしているのか察したのだろう。翔真が隣に座っている蓮子と顔を見合わせる。

 これは甘い罠だ、と大郷は奥歯を噛みしめた。

 つまり胡桃沢星羅はこう言っている。――自分達の仲間のうち、誰か一人がクリアできるようにしよう、と。その時必ず、全員を救済してくれるように扉鬼にお願いする。そういう契約をかわそう、と。

 そして。

 他の者にクリアさせないために、積極的に“仲間になっていない招待者”を狩っていこう、と。


「た、確かに、それなら……誰がクリアしても、助かるかもしれへん!」


 翔真はまだ唖然としていたが、どうやら蓮子の心には響いてしまったらしい。憔悴していた彼女の瞳に光が灯る。


「裏を返せば、仲間になってない人にクリアさせたらあかんちゅーことやもんな。その人はきっと、自分の本来の願いしかお願いしてくれへんやろから!」

「そういうこと。うまくいけば、既に扉鬼の世界で死んでしまった人も生き返らせることもできるかもしれないわ」

「な、なら、この夢の中で人を殺しても、そんな気にする必要あらへんかもしれへん!それに……うちの大事な友達……彩音はんを生き返らせることも……」

「ちょ、待てってば、姉ちゃんたち!」


 声を上げる翔真。どうやらまだ十歳程度の子供にも関わらず、既にしっかり状況判断ができているらしい。全員を見回して話をストップさせようとしている。


「そりゃ、その提案はすごい、魅力的だなあとは思うけど……!でも、扉鬼がいくつも願いを叶えてくれる保証とかないじゃん。仮に願っても、閉じ込められた招待者全員を助けてくれるなんてそんな都合の良いことあるか?俺、この扉鬼って怪異が、やばいもんだって気がしてしょうがないよ。なんか、悪意に満ちてるじゃんか。変な罠ばっかだし、怪物はうろついてるし、人間が憎いんじゃないかってそれしか思えないんだよ。そんな怪異が、全員助けてくれなんて願い叶えてくれるとはとても思えない……!」


 まったくその通りだ、とクローゼットの中で大郷は頷く。彼の焦りようから察するに、多分既に怪物を見かけるとか、死んでいる人を見かけるとかをしていたのだろう。

 というか、少しこの空間で過ごせば想像がつくことだ。

 この場所には、悪意が満ちている。誰かを守ってやろう、慈しんでやろうなんて善の心は一切感じない。そんな邪神が、不都合な願いまで叶えてくれるなんて考えるのはあまりにも見立てが甘すぎる。

 無論、そもそも“鍵とドアを見つければ脱出できる”が本当であっても、“願いを叶えてくれる”は誰かのリッピサービスでしかないというのが大郷の考えだったが(実際澪もそう言っていたわけで)。


「それで、本当に生き返る保証もないのに……仲間になってない人はみんな殺すっていうんだろ?そ、そんなこと……」

「そうよね。抵抗があるのは当然」


 そんな翔真に対して、星羅はあくまで優しい態度を取り続ける。


「そもそも白根翔真くん……だっけ?貴方はまだ小さいし、力も弱いもの。武器もなしに誰かを殺せるとはとても思えないわ。だから貴方に勧誘や抹殺をやってほしいとは思ってない」

「え……」

「あくまで、私達の仲間になってくれればそれでいいの。同時に、私達が持っている地図を広げるお手伝い……この空間の調査だけしてくれればいい。それなら、貴方は手を汚さなくてもいいし、何も心配いらないでしょう?」

「そ、それは……」


 なんともハチミツのように甘い誘い文句である。

 実際、翔真に人を殺すのは難しいだろう。この空間にものを持ち込むにはかなり条件があるし、多少の武器が用意できたところで翔真が持ち込めるのは精々木工用カッターナイフくらいなものだと思われる。現実的に、実行力は期待できまい。

 その上で、彼はあくまで手を汚さない範囲で協力してくれればそれでいいという。こんな言い方をされたら、誘いを断ることは難しくなってくる。

 実際は“その代わり、私達が人を殺すのを黙認してね”という、犯罪の片棒を担ぐことであったとしても、だ。


「……よく考えろ」


 やがて、ずっと黙っていた大貴が口を開いた。


「おれ達は、長くこの空間を調査して実感した。おれと星羅が合流するだけでもかなり時間がかかったんだ。一人二人で、この空間を制覇するのはあまりにも無理があると思わんか」

「仲間がいた方が、早く調査も進む。出口も見つけやすくなる……それは、わかった、けど」

「その通り。そして、皆の幸せを考えず、自分が脱出することや己の願いだけ考えるような招待者は消していったほうがいい。そうすれば最終的に、皆の願いを叶えられる者だけが残り、消えた者も含めた全員が救われることになる。悪い話ではあるまい」

「…………」


 どうしよう、と大郷は迷った。

 彼等が結託しようとしている、この情報を入手できたのは非常に貴重。恐らく今夜中にえりいと合流することはできないので、明日の朝や昼にでも彼女に連絡をして情報共有することはできるだろう。

 問題は。今、この場にいて勧誘を受けてしまっている二人である。

 いわば、強引な宗教勧誘に誘われてしまっているようなもの。経験や知識がある人間ならばのらりくらりとかわすこともできようが、果たして普通の女子高校生と男子小学生にそのスキルがあるだろうか。

 人を殺さず、黙認だけすればいいという甘言。

 加えて目の前には“実際に素手だけで人を殺せる能力”を持った巨漢がいるという状況。

 これで彼女らの考えを否定し、勧誘を断るのはあまりにも難しい。下手に機嫌を損ねれば、この場で殺されることも考えられる。ならばそうならないよう、自分が助けに入るべきなのか。

 女子高校生の方はともかく、あの少年一人ならば抱えて逃げることもできそうではあるが。


――人を見捨てることはしたくない。いや、でも、しかし……!


 そして、大郷が見ている前でより状況は悪くなった。暫く考え込んでいた様子の蓮子がこんなことを言い出したからである。


「……翔真くんやっけ。これ、悪い話やないんとちゃう?」

「え、え?れ、蓮子、さん?」

「そりゃ、仲間にならん人を排除するって言い方したら、過激なような気がするけど。でも、最終的に排除した人も助けられるかもしれへんのやろ。だったら、むしろ人の為になることやん。自分だけのためやない、みんなを助けられることや。それに」


 くしゃり、と蓮子の顔が歪むのがわかった。


「うちは……うちは、ほんま悔しいねん。一緒に扉鬼のおまじないをした大事な友達が……彩音はんがな、目の前で死んでしもたんや。多分怪物に喰われたんやと思う。ひょっとしたら、今もその魂はこの空間のどこかをさ迷っとるのかもしれん。苦しんどるのかもしれん。あんな残酷な死に方したのに成仏できひんままなんて、そんな酷い話、ないやろ……。助けたいって、思うの、おかしなことか……?」


 そうだ。

 彼女には動機があるんだった、と大郷は頭を抱えた。

 死んだ人が生き返るかもしれない。蓮子にとっては、これ以上なく魅力的な条件だろう。えりいによれば、蓮子は彩音のことを親友として見ているというより、まるで信仰でもしているようなほど尊敬している印象だったと言うではないか。

 そんな人間が希望の蜘蛛の糸を垂らされて、縋らずにはいられるだろうか。

 答えは否。

 多くの人間は手を伸ばさずにはいられない。たとえそれが、他の者を奈落の底へ蹴落とすような行為を伴うのだとしても。


「でも、人を、殺すなんて……」

「あんたは殺さんでええって言われたやろ。なのに躊躇う理由があるんか」

「人が人を殺すのを見て見ぬふりするのだって、立派な殺人だろ。人をいじめることだって、十分嫌なことなのに」

「まったく。最近のお子様は教育が行き届いてますことー。大体なあ」

「ストップストップ。ちょっと待ってね蓮子さん」


 皮肉交じりに息を吐く蓮子。彼女を手で制したのは星羅である。


「蓮子さん、貴方が協力してくれるのは嬉しいわ。でも、こういうことは他人に強制はできない。そうでしょう?」


 その声は一見すると穏やかだ。しかし。


「少しだけ猶予をあげる。よく考えて、翔真くん。ここで貴方が私達の仲間にならないということは……貴方は、私達の敵になるということ。さっき言ったわよね。仲間にならない人は、排除しなければいけないと。いくら私達でも、ここが夢の中でも……小さな、か弱い男の子を殺すのは良心が痛むのよ。言いたいことはわかるわよね?」

「俺も、殺すって……?」

「そうせざるをえなくなってしまうのよ。……いい?ここでは仮に人を殺してしまっても、罪に問われることなんかないわ。だって夢の中で人を殺して、それで犯罪者として捕まる人なんている?現実世界のその人は、とても遠くにいるかもしれない。密室にいるかもしれない。そんな相手を殺したなんて……仮に自首したところで、警察も誰も信じやしないわ。つまり、絶対犯罪者として捕まることなんてない。その上で……最終的に招待者全員を救うことができれば、私達は紛れもない英雄なの」


 うんうん、と頷く大貴。蓮子も、せやなせやな、と自分を納得させるように頷いている。完全に、彼女は星羅の思惑に嵌ってしまったということだろう。

 夢の中では、殺人をしても捕まらない。誰にもバレない、気づかれない。それは、人の理性の蓋を壊すのに十分な事実だろう。

 その上で、自分達を黙認しなければいずれお前も殺す、なんて物言いをされてしまったら。


「よく考えてね、翔真くん」


 椅子から降りる星羅。彼女は部屋の中にある食器棚を指さした。


「ここ、食器じゃなくてノートが入ってるの。別の部屋から持ってきたものなんだけど、ペンもあるから使えるわ。私達が作った地図が入ってる。良ければご覧になって?……今夜一日はここにいるといいわ。怪物が来る確率が相当低い場所だから安全でしょう。……明日の夜、答えを聞かせてね」


 星羅の後に続いて、大貴も、それから蓮子も部屋を出ていく。椅子に座ったまま、翔真はぎゅっと目をつぶって俯いていた。

 本当に正しい選択が何か、己に問いかけているように。


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