茜屋大郷と別れて、神社を出てから暫くは沈黙が続いた。元々織葉は口数が多い方ではないし、えりいの方も少し考え事をしたかったというのが大きい。
正直、情報量が多すぎてパンクしそうだ。
すぐに祓うことはできないし、自分達がやるべきことがたくさんあるというのも理解したが――だからといって、すぐ“はいそうですか”と切り替えることはできないのである。
もう何度も夢を見ているはずなのに、イマイチ現実感がないとでも言えばいいのか。
ぼんやりと駅へ続く道を歩いていた、その時だった。
「えりい」
ぽつり、と織葉が呟いた。
「暑い」
「……はい?」
「暑い。とりあえず冷たいもの食べたい。行こう」
「え、ちょ、は、はい?」
あまりにも唐突すぎる。すたすたすたすた、と彼が歩いていった先には、小さなカフェがあった。正面には“かき氷フェア”なるノボリが出ている。彼に半ば引っ張られる形で、店内に入ることになった。――確かに暑かったし、アイスが食べたい気分はあったのだけれど。それはそれとして、あまりお金を持ってきていないのだが大丈夫だろうか。
「お客様、二名様でよろしいでしょうか?」
「はい」
「こちらへどうぞー!」
明るい声でウェイトレスが案内してくれるのを、目を白黒させながら見ていた。
そういえば、完全にすっぽ抜けていた。自分は今、織葉と二人きりなわけである。そして二人で喫茶店に入ってしまったわけである。つまりその、なんというか。
――じ、実はこれ、デートに入ったりする?え!?
勿論、そんな浮かれている場合じゃないのは百も承知だ。あくまで今日のメインイベントは神社に行くことで、その神社で茜屋大郷と顔を合わせて今後の打ち合わせをすることであったのは間違いない。
それだけで終わったなら、自分もおかしな意識をすることはなかっただろう。しかし、こうやって実際喫茶店に一緒に入ってみると、やっぱり考えてしまうのである。二人きり、二人きり、二人きり、ああ二人きり。――思えば、子供の頃は家族が一緒だったし、中学生以上になったらなんとなく意識してしまって二人でどこかの店に行くなんてこともほとんどしなかった。高校生になって、よもやこんなチャンスが巡ってこようとは。
いや、チャンス、と呼んでしまうのも不謹慎なのは百も承知しているが。
「えりい、心配いらない」
そんなえりいの焦りと興奮を知ってか知らずか、織葉はあっさり言ってのける。
「この店くらい、奢る。俺が暑いって言ったんだし」
「そ、それは、うん、まあ……ありがとう」
「うん。だから気にしないで好きなものを頼めばいい。美味しいものでも食べれば元気が出るだろうし」
「!」
ここでようやく、織葉が自分に気を使ってくれたことに気付いた。どうやら、えりいが考え込んでいる=元気がないと判断して、励まそうとしてくれたということらしい。
確かに、美味しいものを食べれば心の栄養になるのは間違いないが。
「……そ、そんなに気を使わなくてもいいのに」
ついつい、緊張で声がひっくり返ってしまう。
「私、もう大丈夫だよ。少しは元気になったもん」
「そうか?」
「うん。……まだ、紺野さんのことは引きずってるし、自分も同じようになるかもしれないって恐怖はあるけど……一人じゃないってわかったから、平気。プロの人が、一緒に戦ってくれる。こんなに心強いことはないよ」
それに、と正直な気持ちを伝える。
「誰より、織葉が一緒にいるし。だから、私は全然大丈夫。ありがとうね、私を連れだしてくれて」
「……別に」
彼の頬が赤いように見えるのは外が暑かったせいか、それとも本当に照れているのか。
「大したこと、してない。俺が、えりいが元気ないのが嫌だったから。本当に、それだけ」
どんどん声が小さくなっている。これは本気で照れているな、と思わずえりいもニヤニヤしてしまった。幼い頃からそうなのだ。彼は誰かを助けるために進んでいじめっ子に立ち向かっていったり、ズバッときっつい事を言ったり、ちょっとかっこつけた事を話したその後――羞恥心で、しおしおと小さくなってしまうのである。
どうにも、感情のまま行動したことを後で悔いることが多いということらしい。恥ずかしがっている時の織葉は見た目よりずっと表情が幼くなるので、見ていて飽きないのだ。
「それより、せっかく喫茶店入ったんだから、何か頼め。気まずい」
「そ、そうだね、うん!」
なんだか、えりいの方まで恥ずかしくなってきてしまった。慌ててメニューを広げる。
ノボリに出ていた通り、既にかき氷が売り出し始めているらしい。当たり前だが、普通のアイスよりかき氷というのは“本気で暑くてたまらない日”しか食べないことが多いものだ。冬にアイスを頼む人はいても、かき氷を頼む人は稀だろう。実際、この喫茶店でもアイスは常設なのにかき氷は期間限定メニューとなっているようだった。
小さなオレンジ色の椅子とテーブルが並ぶ、ファミレスに近い内装の店だった。天井の方では、扇風機のような
土曜日なので、そこそこ人がいる。家族連れも多いが、よく見ればカップルや老夫婦、若い男子高校生の集団などもいるようだった。
比較的マナーが良い者達が揃っているようで、大きな声で騒がれて煩いなんてことはない。
「かき氷と言えば」
ふと、えりいはあることを思い出していた。
「幼稚園の時……織葉もいれた家族みんなで、動物園行ったことあったよね。シモノ動物園」
「初めて行った時のことであってるか?年中の」
「そうそうそうそう。で、帰りに喫茶店に寄って、かき氷食べさせてもらったのね。覚えてるかなあ、あの時のこと」
あれも、六月の下旬くらいの事だった気がする。
えりいと違って、織葉はかき氷を食べたことがない様子だった。かき氷をえりいが食べるというので注文することにしたものの、いくつもある味のどれがいいかわからず大層迷っていたのである。
いつもえりいより賢くて、幼稚園生の時からいろいろなことを知っていた織葉。その織葉が、かき氷のことはちっとも知らない。それで、ついついえりいは変な優越感に浸って、悪戯をしたくなってしまったのである。
「織葉がね。どの味がいいかわからないって言うから私、織葉に嘘教えたんだよね。ブルーハワイは海の水をぶっかけてあるから、塩辛くて美味しくないよって」
「……思い出した」
記憶をたどったのだろう、織葉が文字通りしょっぱい顔をする。
「それを聞いて俺、海の水なんて汚いし絶対美味しくないから、ブルーハワイだけはやめるって言っちゃって、それで母さんにも、えりいのお母さんにも大笑いされたんだった。あれは今でも酷いと思う」
「ご、ごめんって!……お母さんも、私のこと叱ったけど、でもあれ絶対笑ってたよね」
「笑ってた。確実に笑ってた。人が本気で嫌がってるのに、まったく」
「だよねえ」
ちなみに、その当時えりいはブルーハワイ味のかき氷なんて食べたことがなかった。つまり、えりいもどんな味か知らないのに、ものすごく適当なことを言ったわけである。
その動機が“いつも負かされてばかりいる織葉にマウント取りたいから”というのがまたなんとも醜い話だ。
「みんな笑ってるから、きっとえりいは嘘を言って俺を騙したんだろうなとは思ったんだ」
織葉は頬を膨らませて言う。
「でも、本当はどんな味なのか、なんか悔しくて誰にも訊けなくて。それで、次に母さんにかき氷の店に連れていって貰った時、思い切ってブルーハワイを頼んでみたんだ。俺はその時までびびってた。本当にしょっぱくて、まずかったらどうしようかと。だってその時の店で来たかき氷、本当に大きくて。まずくても食べ切るのは大変だと思ったから」
「はははははは、ごめんごめん。で、感想はどうだった?」
「美味しかった。俺が大好きなソーダの味で助かった」
ちなみに、ブルーハワイが実際何味なのかは明確に決まっていないらしい。
元々のカクテルとしてのブルーハワイは、ブルー・キュラソーというオレンジのリキュールで作られているので、なんとなくミカンっぽい風味があるのだそうな。
かき氷の場合は見た目は同じ青でも、ラムネ味だったり、ピーチ味だったり、ソーダ味だったりとまちまちだという。ある場所では、レモン味とさほど変わらない味であったりもするのだとか。
たまたま織葉の場合は、見た目通りのソーダ味だったということなのだろう。――正直ピーチ味ならば、ピンク色かオレンジ色にしてほしいと思ってしまうえりいである。
「しょっぱい味じゃなくてよかったねえ」
「まったくだ。……で、結局どれを頼むんだ?」
「え、えっと……」
そう言われると、やっぱり悩んでしまう。この店のかき氷は、いろんな種類がある。定番のイチゴとメロンにレモン、それから宇治金時に、あまり見ないオレンジ味なんてものまである。もちろん、ブルーハワイ味も、だ。
「う、うーん……」
今年はまだ、かき氷を一度も食べていない。どれがいいものかと悩んでしまうえりい。メロン味を食べることが多いが、他の味も全部好きなので悩みどころだ。
「悩むなら、何回も来ればいい」
織葉はあっさり言ってのけた。
「どうせ、また茜屋神社に足を運ぶこともあるだろう。駅に行く途中にこの喫茶店もある。かき氷フェアは九月頭までやっているらしいから、当面は終わらない。全部の味を制覇するまで何度でも来ればいい」
「で、でも……」
私は死んじゃうかもしれないよ、と。その言葉を、ギリギリ呑み込んだ。織葉が何を言いたいのか理解したからだ。
何度でもここに来るためには、それだけ長生きをしなければいけない。――絶対に、えりいに死んでほしくないし、死なせない。これは、彼の遠回りの決意表明なのだと。
「どうしても、えりいが不安なら」
織葉はじっとえりいを見つめて言った。
「俺も、扉鬼の世界へ行く。そこで、絶対にえりいを見つけて助けに行く。それでどうだ」
「なっ」
絶句した。それが、何を意味するのかわかっていないはずがないのに。
「だ、駄目だよ織葉!あそこ、本当に危ないんだよ?話聞いてたでしょ?それこそ、入ってすぐ怪物に遭遇する人だっているんだろうし、織葉まで死ぬ危険を背負うことないじゃん!」
「死ぬのは怖くない。えりいが死んでしまうことに比べたら」
「なんで、そこまで……!」
「俺は幼稚園の時にはもう決めてるから」
織葉の目には、一切の迷いがない。
「えりいを、どこにいても助けに行く。絶対に守るって。だからそこが怪物の住処でも、異世界でも、それこそ地獄であっても関係ない。……お前が望むなら、いつだって助けに行く」
ああ、きっと。きっとその言葉に、一切嘘はないのだろう。胸の奥がきゅん、となるのを感じた。同時に、えりいは思い出したのだ。
彼は優しいから。どこまでも優しくて、それこそえりいの為なら自分の身さえ顧みないから。そんな彼を傷つけたくなくて、負担になりたくなくて、自分は彼から離れようとしたのだということを。
きっとえりいがこの場で“助けて”と言えば、彼は躊躇いもなく本当に助けにきてしまうのだろう。だから。
「……じゃあ」
それで、彼が傷つくのは嫌だ。同時に、織葉に守られているだけの自分も嫌だから。
「本当に困ったら、君に言う。助けてって、はっきり言うよ。だから……だからその時まで、待っててくれる?」
そういう言い方をした。こうすればきっと織葉は、嫌だとは言えないから、と。
「……わかった」
彼も、えりいの意図を察したのだろうか。しょうがないな、といいうようにため息をついて告げたのだった。
「ギリギリになる前に、叫べよ」
「うん。……本当にありがとう」
結局二人揃ってブルーハワイを頼んだ。その店のブルーハワイは、なんとなくラムネに近い味がしたように思う。
次はきっと、イチゴを注文する。そのために、自分は生き残るのだ。目の前のこの優しい人を悲しませないためにも。