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第37話

 整理すると。

 怪物に殺される、罠がある部屋に入ってしまうなどして死にかけると、現実の肉体も死にかけることになる。

 ところがタイミングがあって自力でその間に目覚めることができると、一時的に傷が治ってもう一度元の世界に還ることができる。襲われている最中に、外部の人間が働きかけて起こすことができるケースは稀――そういうことらしい。

 ようは、結論は同じだ。

 なるべく罠にハマらないようにする。それから、怪物に遭遇しないように気を付ける、そういうことのようだ。


「……結構、条件厳しそう」


 えりいは額に浮いた汗を拭って言った。さっきからやたら汗をかく気がするのは、部屋が暑いからではないだろう。


「それでは、怪物と罠を避ける方法ってあるんでしょうか」

「完全に、ではないですがある程度回避することはできるようです」


 大郷は部屋にあった小さな棚から、タブレットのようなものを持ってきた。どうやら既にスリープ状態で置いてあったらしいそれを起こして、指で簡単に図を描いていく。


「あの世界の脅威は二つ。扉鬼の心の鏡とも言うべき怪物……全身に灰色の毛が生えていて、人間によく似た黒い顔をしたものです。巨大な人面猿、が近いかもしれませんね。わたくしはあの世界に入ってから既に何度か怪物に遭遇しましたが、どうにか逃げおおせることに成功しております。ある程度行動を観察して、その法則もわかっています」

「アドバイスがあるんですね?」

「そうです。まず、怪物は扉鬼の世界に招かれた人間……招待者を見かけると、誰であろうと関係なく追いかけてきて殺そうとしてきます。例外は招待者ではない訪問者の澪さんくらいなものですね、彼は人間と判定されていないのか襲われているのを見たことがありません。怪物は相手を捕まえると、可能な限り残酷な殺し方をしようとします。両手両足をもいで、腹を裂いて殺す、というのが基本スタイルですね。四肢の全てをもぎとるかどうかはその時の気分次第といったところでしょうか」


 まさに、彩音の死に方がそれだった。えりいは吐き気をこらえる。

 右腕をひきちぎられる。それだけで、どれほど恐ろしく、苦しかったことか。しかもその上で生きたままお腹を裂かれて内臓を喰われるのだ。

 可能な限り残酷な殺し方をせよ、と。“親”に命じられているとしたら、それも納得のいく話である。


「怪物は凄まじい怪力を持っているので、捕まった者が逃げるのは困難です。ただ、人間と弱点は同じであるようですので、腕が自由ならば両目を狙って攻撃……つまり、目つぶしを狙うのが辛うじて有効なようですね。それでどうにかギリギリ逃げることに成功した人を見たことがあります」


 確かに、目を攻撃されて平気でいられるイキモノはそうそういないだろう。顔の近くを攻撃するということは噛みつかれる危険もあるのだろうが、捕まった時は他に方法がないに違いない。

 ちらり、と織葉が視線を投げてきた。意図を察して、えりいは慌てて手帳を取り出す。メモして、しっかり覚えておかなければならないことだ、これは。


「もちろん、捕まらないに越したことはありません。でも、怪物の足はかなり速い。直線に並んでしまうと逃げ切るのはかなり難しいです。体力も相当なものであるようですからね。ただ、角を曲がる時にはやや減速するきらいがあるので、角を曲がりながら逃げれば引き離せる可能性があります」

「他の部屋に飛び込む、というのは?」

「有効です。ただし、怪物から逃げている最中にうっかり罠のある部屋に入ってしまって死ぬ、という可能性もあるでしょう。部屋のドアを開けても、その向こうに罠がないかをしっかり確認してからにした方がいいでしょうね。妙な景色が見えたら即諦めて違う部屋を選ぶ、という土壇場の判断も重要です。怪物が違う部屋まで追いかけてくるかどうかは気分次第なので、追いかけてきた時のために部屋の中に障害物があったらそこに隠れた方が無難でしょう。幸い、そこまで細かく、丁寧な探索はしないようなので、一見して獲物がそこにいなければ諦める傾向にあります」


 ここまで知っているということは、多分大郷は実際に追いかけられて逃げ切った経験があるのだろう。

 いくら扉鬼の世界を調べるため危険を承知で入っているとはいえ、よく冷静にここまで観察できるものだと感心してしまう。さながら、彼の落ち着いた話を聞いていると、ゲームの攻略法でも聞いているような気分になってくるほどだ。


「入った先が“部屋”ではなく“廊下”なら、追いかけてくる可能性は低い。どうにも怪物は、それぞれ己の縄張りとするエリアを出ない様子。自分の縄張りとなる通路と部屋の空間を、ランダムでうろついているようです。……残念ながら怪物は一体ではなく、どのエリアもうろついているのが問題なんですけどね」


 彼はタブレットの白紙に、四角い部屋と怪物の略図を描いた。あまり上手な絵ではなかったが、何を描いているのかは十分伝わるので問題ないだろう。


「普段、怪物はゆっくりとした動きで適当に空間を徘徊しているようです。獲物を見つけた時だけ走ります。怪物が徘徊している時は、気づかれなければ簡単に逃げることができるでしょう。怪物は目はあまり良くないようなので、音さえ立てなければバレない可能性も高いです。それから、獲物を一体見つけると、その獲物だけロックオンして追いかける習性があります。他の人を追いかけている時は、別の人間はそうそう追いかけられることがありません」

「えりい、メモは?」

「と、取ってる!……続けてください」

「怪物は獲物を仕留めると、手足をもいで抵抗力を奪った後内臓から食べる傾向にあります。獲物が食事をしているのに出くわしたら、音を立てないように離れてください。そこで気づかれたら、今度は自分が標的にされます。既に獲物を仕留めているので、食事を中断しても襲ってきますから。……残酷なことを言うようですが、既に捕まった人を助けようとしてはいけません。それから、ロックオンされている人は基本必死で逃げていますから、その人物が逃げてきた方へ行ってはいけません。怪物は標的を仕留めるまで標的を変えることはそうそうありませんが、例外もあります。自分の体に触ってきたものは別なんです」

「なるほど。追いかけてきた怪物にうっかり激突したら、自分が標的になるってわけか」

「そういうことですね。曲がり角などで鉢合わせになることもありますので、そこは注意してください。また、怪物は廊下にいることが多いですが、部屋の中にいることも時々あります。獲物を部屋の中に引っ張り込んで中で食事をしていることもありますので」


 メモをすることが多くて大変だ。

 必死で書き続けながら、えりいは情報を叩きこんでいく。この人は本当にすごい。一体どれだけの期間、夢の中で調査を続けているのだろうか。

 さっきの“怪我の実証”だってそう。いくら協力者がいるとはいえ、普通そうそうやろうとはしないことだろうに。


「怪物についてはおおよそわかりましたが」


 織葉がえりいの手元を覗き込みながら言う。


「怪物から逃げ隠れするにも、探索するにも、罠の判別は必要不可欠であるように思います。罠のある部屋を見分けることはできるでしょうか?」


 それも重要なことだ。いくら怪物から逃げ切ることができても、入った扉の先で罠にハマったらどうしようもない。

 そして、逃げている時に冷静にその判断をするのは、相当難しそうではある。


「完全に罠を回避する方法はありませんが、“可能な限り回避する”ことは可能です」


 大郷はタブレットの中に新しい白紙ページを広げた。


「罠がある部屋を確実に判別することはできませんが、“罠がない可能性が高い部屋”および“通路”を判別する方法ならわかっています。まず、音です」


 四角いドアを描いて、上に音符マークを書く大郷。


「ドアに耳を押し当てて、何か音がしたらその部屋は基本的に避けた方がいいでしょう。水の音がする部屋を開けたら中から水があふれ出してきたとか、がさがさ音がする部屋の中には大量の毒サソリがいたなんてことがありましたので。一方、音がしない部屋は何もないだだっぴろい部屋とか、廊下であることが多いです。風の音だけならば中に入っても大丈夫。屋外に見える空間は、罠が少ないです」

「他には?」

「怪物は、恐らく罠のあるなしを理解して動いています。ですので、怪物が過去に入った形跡のある部屋は安全とみなしていいかと。入った形跡というのは……ドアに血がついているとか、ドアノブが歪んでいる、壊れているといったものですね。ただし、現在進行形で怪物が中にいる可能性もあるので、耳を押し当てて音を聞いてからにした方がいいです」

「な、なるほど」


 血のついたドアなんて、びびってそれだけで避けてしまいそうではあるが、実は逆だったということらしい。

 そして、今思うと自分が過去の入った部屋や開けたドアの判断は結構正しかったんだなと気づく。例えば、初日に赤澤亮子と遭遇した時もそう。彼女が出てきたドアを開けなかったのは、大正解だったというわけだ。もしそこでえりいが怪物と出くわし、ぶつかりでもしていたらどうなっていたことか。

 バラバラになって殺されていたのは、えりいだったかもしれない。そう考えると背筋が凍り付きそうになる。


「現状は、空間を調査しつつ、現実でも扉鬼の起源を調べていくしか方法がありません。扉鬼の怪異の噂は、実は半年ほど前にはもう存在しており、わたくしはその時から仲間たちと協力して調査を続けているのですが、一向に手がかりが見つからない状態なのです」


 ただ、と彼は言いながら懐から鈴のようなものを取り出した。バッグにつけられそうな、小さなキーホルダーになっている。


「扉鬼の元となった少女と、年齢が近いお二人が協力してくれたら……真実に辿り着きやすくなる可能性はあります。年齢によって、怪異とシンクロしやすくなることはままあることなのです。わたくしたちが拒まれてきた情報を見つけたり、真実に辿り着くことがお二人ならばできるかもしれない。よって、これをお渡ししておきます」

「この鈴は?」

「わたくしも同じものを持っておりましてね。……同じものを持っている者同士、引き寄せ合う性質あがるんです。同時に、己が本来持っている霊感を高めてくれるので、直感が強く働くようになります。罠がある場所になんとなく嫌な予感がしたり、探したい人がなんとなくそっちにいるような気がしたり……その程度のものですが。うまくいけば、扉鬼の世界で、我々が合流することも可能になるかもしれません」

「!」


 それは心強い。えりいは考えて――とりあえずはバッグの中にしまった。

 後で、制服のスカートのベルトにくっつけよう、と考える。何故か自分は、夢の中で制服姿になっている。ならば制服にくっついているものは持ち込める可能性が高いはずだ。


「音、鳴らないけど大丈夫か?」


 織葉が鈴を振っている。どうやら、中に玉が入っていないらしい。


「人に聞こえる音は鳴らない鈴なのです。怪物に探知される原因になっては困りますからね」


 苦笑しつつ、大郷は続ける。


「とりあえず、わたくしはA子さんの出身の村の調査と、夢の中の調査を続けます。お二人もどうか忙しいでしょうが、両方の調査にご協力ください。何かわかったら、またご連絡を」


 彼は最後に、自分達に連絡先を書いたメモを差し出しつつ言ったのだった。

 A子がかつて暮らしていた村の名は、“黒戸村くろどむら”。

 今ではもう、地図に載っていない村なのだ、と。


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