「ちょっと待ってください」
大郷の言葉に、織葉が口を挟んだ。
「もう一つ目的があります。扉鬼の世界から脱出できる手段……本物の鍵と扉、を見つけることです。違いますか」
「お、織葉。でもそれは……」
「わかってる。鍵と扉を見つけて脱出できるのは一人だけ、というのは恐らく正しい。そしてそれでは根本的な解決にならないことも。でもその上で、俺にとって最優先したいのはえりいの命だ。ここは譲れない」
彼はきっぱりと言い切った。それは遠まわしに、他の誰を犠牲にしてもえりいを優先すると言っているようなもの。
なんとも潔いし、極端ではある。――それをちょっと嬉しいと思ってしまう自分も、確かにえりいの中には存在しているわけだが。
「それは、二つ目の“扉鬼を浄化する”目的と、そう離れたところにあるわけではないのですよ」
多分、織葉のそんな反応も予想の範疇だったのだろう。大郷ははっきりと告げた。
「A子さんが亡くなった後、黒須澪が私の元を尋ねてきた、と言いましたね。彼はわたくしにもいろいろ教えてくださいました。扉鬼の世界から脱出し、呪いから逃れる方法やその原理を」
えりいは、澪の言葉を思い出していた。
人間である限り、扉鬼の世界から脱出するためには本物の鍵扉を見つけて逃げる、以外に方法がないと。だが。
「……よく考えてみれば」
そこで、一つ気づいた。それは。
「本物の鍵と扉、がなんなのかわからないけど。世界全部に恨みを向けちゃってる今のヤバイ状態の扉鬼が……一度縁ができた者であっても、ホンモノの扉と鍵を見つけて逃げた者は見逃すってこと、だよね?」
「そうなるな」
すぐ傍で織葉も頷く。
「俺が前に、えりいに語った話を覚えているか?どうして、扉鬼の世界の“本物の扉”を見つければ、脱出ができるのかって話を」
「う、うん」
そう、彼はこう言っていた。
『そいつはどこかに行きたがっている。そいつが行きたい扉……つまり本物の出口を開けば、そいつは一時的にそちらに逃れる。その隙に、えりいも脱出して縁を切ることができるだろう』
黒須澪の話と、織葉自身の能力からの推察。
これはかなり正しいように思われる。
「……なるほどな。大郷さん、貴方の言うことは正しいかもしれない。本物の扉を見つけることは鬼にとっても本望なんだろう。それが、扉鬼、ひいてはその元となった少女の望みと繋がっている。それで自分自身も救われると考えている。つまり、それは扉鬼自身の願い、未練と深く関わりがあるということ。……本物の扉を見つけることが、ひいては扉鬼そのものの浄化に繋がるのかもしれない。……そういうことですね?」
「ええ、理解が早くて助かります」
にこやかに頷く大郷。
「本物の扉を見つけてほしい。それは恐らく、本人の心を見つけて欲しいということと同義でもある。ただし、ただ扉と鍵を見つけるだけではその心は満たされない、だから浄化されない。そのようなことを、澪さんも仰っていましたね」
扉鬼を使ったいじめ、にも関係しているのだろう。自分がいくら追いかけても、他の者達はみんな本物の扉を見つけることもなく、鬼を交代してくれることもなく、いつまでも逃げ続ける。どこにあるか知っているのに、わざとその扉を開けることをしようともしないで存在を無視される。それが、少女にとってはよほど辛いことだったに違いない。
問題は。本物の扉を見つける、というのが簡単ではないこと。実際、自分よりずっと長く扉鬼の空間にいたであろう者達が、恐らくまだ誰一人扉を見つけるに至っていないのだ。捜索範囲が広すぎて難しいのか、あるいは妨害が厳しすぎてその前に命を落としてしまうのかのどちらかといったところだろう。
「とすると、扉鬼の元となった女の子について、もっとよく知る必要がありますよ、ね」
えりいは自分なりの考えを口にする。
「そして長丁場になるなら、扉鬼の世界の法則とか、鬼から安全に逃げ隠れする、罠を見分ける方法なんかも探しておく必要がありそうな」
「その通りです。現状、わたくし自身が調べたこと、及び今まで様々な方から提供された情報を踏まえて、わかったことをお伝えしましょう。もし貴方たちが知っていることがあるなら、追加で教えて頂ければ幸いです」
「ありがとうございます、助かります」
「いえいえ」
まるで暗闇の中を、あてもなくもがいているように感じていた。先も見えず、じわじわと真綿で首を絞められ、ゆっくりと窒息死しているのを待っているかのような。
でも、そうではなかったのだ。えりいは机の下で拳を握る。なんとかしようとしてくれる人はいた。すぐに祓えるような手段は持っておらずとも、自分達の話を聞いて真剣に対策を講じてくれる専門家がいる。そのなんと、心強いことか。
大丈夫。織葉と大郷と力を合わせれば、きっとなんとかなるはずだ。そう思えるだけで、力が沸き上がってくるように思う。
「扉鬼のおまじないをすると、毎晩扉鬼の世界に取り込まれて夢を見るようになります。朝目覚めると現実世界に戻ってきますが、次に眠ると必ず以前の夢の続きからスタートになります。まるで、ゲームのオートセーブのようにね」
夢から脱出する方法は一つだけ、と大郷は指を一本立てる。
「扉鬼の世界のどこかにある、ホンモノの鍵と扉を見つけて脱出すること。扉鬼の世界で怪物に襲われたり罠に嵌ったりして死ぬと、現実の肉体も死亡します。ちなみに、怪物に喰われている最中に目が覚めると、現実の世界の肉体は健康なままですが、怪物の世界で殺されて心が破壊されると現実の肉体も同じような遺体となって発見されます。ここまではいいですね?」
「はい。でも、俺はどうしてもわからないことがあって」
織葉が眉間に皺を寄せて言う。
「現実の肉体と夢の中に入った魂が繋がってる、ということなのでしょうが。魂と心が完全に破壊された時だけ、現実の肉体に影響が出るのは何故なのでしょう?それまでだって、夢の中では現実同様の苦痛を感じている可能性が高そうですが」
「あ、それ、私も疑問に思ってました。どういうことなんでしょう、大郷さん」
「いい質問ですね。織葉さん、えりいさん」
うんうん、と頷く大郷。このタイミングで、えりいもお茶を飲みほしていたのでおかわりをもらうことにする。
やっぱり、話していると喉が渇くというものだ。
「これに関しては、実験を行いました。実は、わたくしも既に扉鬼の世界に入っています」
「え!?」
思わずすっとんきょうな声が出た。
扉鬼の世界に入れば、特定の条件を満たさない限り出られない。そしてその世界で死んだら永遠に苦しめられることになる。それがわかっていながら、何故。
「この鬼を完全に討伐し、この国と民を守るためです。それがわたくしの使命ですから」
大郷はあっさり言ってのけた。これは自分の役目で、当然のことだと言わんばかりに。
一切迷いも躊躇いも見えない。なんて強さだろう、とえりいは思わず感嘆してしまう。
「メールで織葉さんから聴いた話ですが。……亡くなった紺野彩音さんを、死の間際に夢の中から起こそうとしたけれど無理だったそうですね。そして、彼女が死ぬよりも前に、現実の肉体の腕がちぎれたり、腹が裂かれたりするのを見た、と」
「は、はい……」
思い出したくはないことを、おも出してしまう。
保健室で聞こえた、彩音の絶叫。
駆けつけた彩音の、腕がちぎれ、もがき苦しむその姿。
そして彩音の腹が引き裂かれ、内臓が飛び出してくる様を。その断末魔が、どんどんか細くなって消えていくのを。
彼女は本気で苦痛を感じていた。少なくともえりいの目にはそう見えた。
その苦痛のまま、現実の肉体が破壊され、殺されていったのだ。
「実のところ、夢の中で怪我をした時、現実の肉体も“毎回”損壊されているのです」
大郷は着物の袖をめくってみせた。白い左の二の腕を露出してみせる。成人男性でありながらムダ毛の生えていない、実に綺麗な腕だ。
「わたくしは傍に同じ神職の者を控えさせた上で、眠ってみせました。そして夢の中でこう、自分の二の腕をひっかいてみせたんです。当然、現実同様それなりに痛かったわけですが……夢から目覚めると、その傷は綺麗に消えていました。これはいいですね?」
「はい」
「でも、傍でわたくしの様子を観察していた者はこう証言したんです。わたくしが眠ってすぐ、眠ったままわたくしが自分の腕をひっかいて傷を作った、と。その傷が、目覚めると同時に消えた、と」
「!?」
えりいは理解した。
本当に夢の中で苦痛を感じるのは、実際肉体が現実でも同様に傷ついているから。それが、まだ心が壊れていない段階ではその都度修復されているから、というのか。
「細かなメカニズムはわかっていません。ちなみにわたくしが腕をひっかいてすぐ傍にいた者はわたくしを起こそうとしたようですが、それには失敗したようです。結局わたくしは、自分で目覚まし時計をかけたタイミングまで目覚めることはありませんでした」
これは推測ですが、と大郷は続ける。
「夢の中に入ったら、その肉体の疲労度や精神によって、起きる時間が固定されてしまうんでしょう。もしくは、扉鬼を知らない者がその意図なしに干渉した時だけは違うのかもしれません。いずれにせよ、扉鬼から逃がすために途中で第三者が起こして誰かを救出する、というようなことは困難を極めるのだと思います」