そこは、住宅地の真ん中にあるこぢんまりとした神社だった。土曜日とはいえ、特にお祭りがやっているわけでもない普通の日。石畳の道を犬の散歩で歩いている人がいたり、老夫婦が御賽銭箱の前で手を合わせていたり――ほんの少しだけそんな人達がいる程度。
扉鬼の情報を集約しているというからして、大きな神社かと思っていたらそんなこともないらしい。鳥居のところでは、巫女さんっぽい衣装を着た若い女性が、やや欠伸をしながら掃除をしていた。何かの危機に瀕しているとか、重大な事件に取り組んでいるとか、そういう緊張感も一切感じられない。
本当にここであっているのだろうか、とえりいは心配になった。確かに門の前には、茜屋神社、とはっきり書かれてはいたけれども。
「ええっと、そこのお二人さん」
本殿に向かおうとしたところで、えりいと織葉は声をかけられた。振り向けば、長身痩躯の男性が立っている。服装からして神主か何かなのだろうか。年は二十代後半から三十代前半くらいに見える。男性だが、長いポニーテールのような髪型が特徴的だった。さながら、舞と同じような。
「翠川織葉さん、金沢えりいさんであってますよね?」
「え」
なんでわかったのだろう。えりいがきょとんとしていると、織葉が一歩前に進み出た。彼には何か、察するところがあったのだろうか。
「その通りです。貴方が
「はい」
男性は、整った顔にニコニコと人好きのする笑みを浮かべて頷いた。
「わたくしが、こちらの神社の神主の茜屋大郷です。金沢さん、娘の舞がいつもお世話になっています」
「え、え、む、むす、め?」
確かに、茜屋、なんて珍しい苗字なのだから関係者かもしれないとは思っていたが。だからって、こんなに若々しい父親が出てくるとどうして想像できるだろう?
だって、目の前にいる男性は精々三十代前半程度にしか見えない。十七歳の舞の父親にしては少々若すぎるような。
「わたくし、これでも今年で四十七歳なんですよ。なんというか、あまり見た目が老けないと言われまして。舞の父だというというといつも変な眼で見られるんです。ちゃんと、真っ当な年齢で結婚したんですがねえ」
「え、えええええええええええええ……!よ、よんじゅう、なな?」
「えりい、あんまりそういうこと言うな、失礼だぞ」
「あ、ご、ごめんなさい、つい」
ついつい、すっとんきょうな声を上げてしまった。大郷は気にしてないのか、いえいえ、と手をひらひら振って見せる。
「とりあえず、外は暑いですし。社務所の中までどうぞ」
彼はえりいたちを、小屋の方へと案内してくれた。
「わたくしと致しましても、今回の事件、なんとしてでも早急に解決したくてですね。奔走していた次第です。……実際に扉鬼の事件について詳しく知っている方が協力してくれるのは、本当の本当に、助かることなんでございますよ」
***
社務所の中は冷房がきいていて涼しかった。まだ六月頭なのに、最近は暑い日が続いている。梅雨より前に夏が来てしまったかのよう。白い長方形のテーブルにパイプ椅子があるだけの簡素な部屋だったが、クーラーはもちろん扇風機も回っていて快適だった。
大郷が奥から紙コップを持ってきて、ペットボトルのお茶を入れてくれた。暑いですからあったかいお茶よりこっちの方がいいでしょ?と言って。
「いろいろ訊きたいこともおありでしょう。……関係者以外には、なるべく情報を拡散しないようにしていますがね。既に巻き込まれている人には話が別です。わたくしが話せることなら、何でも話しますよ」
「助かります」
「あ、ありがとう、ございます」
神社の神主。もっと年齢が高い人や、あるいはかたっくるしい人が出てくると思っていただけに少し拍子抜けしていた。大郷は服装こそ神主のそれだが、態度はそのへんの営業マンと言われても納得がいくほどにこやかである。同時に、ちょっとだけ胡散臭い。喋り方のせいだろうか。
「既にメールと電話でもご相談してますが」
先に口を開いたのは織葉だった。
「俺たちは、扉鬼と呼ばれる怪異からの脱出方法、ならびに除霊方法を探しています。この怪異が、どうやらネットに貼られたWEBサイトからじわじわ広まったらしいということはわかっているのですが、WEBサイト自体がころころアドレスを変えるために追うことはできないんです。サイトの名前は、カルナの楽園。占い師カルナ、という人物から扉鬼のおまじないと、自分が扉鬼の条件を満たさずに他人に伝達する方法を聴いたという人物がいました。その人物は、憎い相手を惨たらしく、苦しめて苦しめて殺す方法としておまじないを伝授された、と」
「そのようですね」
「一方、ここにいる金沢えりいは、クラスメートの紺野彩音という少女から扉鬼の伝達を受けました。紺野彩音は、学校帰りに黒須澪という少年から、何でも願いが叶うおまじないだと偽られて情報を受け取ったと。その黒須澪と言う少年は、えりい自身が扉鬼の夢の中で遭遇しています。言動と行動からして、他の参加者とは全く異なる存在、人間ではなさそうだと」
「ええ、存じています」
え、とえりいは目をまんまるにする。もしや、大郷は。
「あの、黒須澪、という人物についてご存知なんですか?」
正直、“彼”が一番得体が知れないと思っていたのだ。怪異の夢に自在に入って、優雅にお茶会ができるような存在が人間であろうはずがない。彩音も、邪神のような何かでは、と言っていたほどの存在なのだから。
「ええ。貴女もお察しでしょうが、あれは人間ではありません。……わたくしの、古くの友人……いえ、友人と呼んでいいのか定かではありませんが、そのようなものだと言っておきましょう。気まぐれで、変幻自在で、人がコントロールできるようなものではないのですがね。いかんせん、本人も自分自身をコントロールできていないきらいがありますから」
「自分で自分をコントロールできないって……神様のようなものじゃないの?」
「神様が己の特性を全て把握し、制御できるかは別問題なのですよ。世の中には、自分と接した人間が軒並み不幸になるとわかっていても、その特性を抑える方法を知らない者もいるのです。黒須澪は、己が他人を狂わせる存在だと理解していて、それを面白がるように時々人に接しては壊していく愉快犯。……そうならざるをえなかったもの。望んでいなくても壊れてしまうなら、破壊を楽しんだことにするしかないと割り切った哀れなもの。黒須澪という名前をよく使ってはいますが、あれもけして本名ではありません。元々の名前も、自分が何であったのかも、忘れてしまったようですからね」
「…………」
複雑な気分になった。
人を不幸にするとわかっていて人を接触し、人を壊して楽しむ。それだけ聞けばはた迷惑な愉快犯、邪神以外の何者でもない。でも。
望んだわけでもないのにその特性を得てしまって、自分自身ではどうしようもないのなら。本当は人と接して普通に過ごしたいのにそれができないから、仕方なく破壊を楽しむようになってしまったのだとしたら。
それはなんて、なんて悲しい存在なのだろう。無論、ホンモノの神様のようなものが、えりいのような矮小な人間の同情を欲しがるとも思えないが。
「貴女の前に現れた時も、紺野彩音の前に現れた時も少年の姿だったようですが……彼は二十歳くらいの男性の姿であることが多いみたいですよ。わたくしの前に初めて現れた時は子供の姿でしたけどね」
自分自身にもお茶を入れながら言う大郷。紙コップに、緑茶がなみなみと注がれていく。
「時には少女、時には女性、時には老人や赤ん坊であることもあります。黒髪に金色の瞳に白い肌の美貌……であることが多いのですけど、それももちろん本当の姿ではないし、変えることもできるんでしょうね。あくまで本人の好みがそういう姿というだけだと思われます」
「なるほど。……友人ってことは、ひょっとして扉鬼の件も……」
「はい、彼から聞きました。正確には順序が逆なんですけどね。数十年前、まだわたくしが学生だった時にこの神社にやってきて、相談を持ち掛けてきた人物がいたのです。ああ、ちなみにその頃は、わたくしの父が神主でしたよ。この神社は、代々我が茜屋家の人間が神主を継ぐことになっていますから。将来は舞か、舞の弟たちの誰かが継ぐ可能性が高いでしょうな」
そういえば、舞には弟が二人いると聞いたことがあるような気がする。
彼女のやたら面倒見の良い性格も、年の離れた弟の世話をしてきたというのが大きいのだろう。
「わたくしに最初に扉鬼のことを教えたのは、彼女でした」
お茶をすすって言う大郷。
「彼女はわたくしのクラスメートでしてね。二年生から、わたくしの高校に転校してきた人でした。大人しいけれど真面目で、とても可愛らしい方でしたね。席がたまたま近かったわたくしが少し面倒を見ていたことと、わたくしの家が神社であるというのが有名だったからなのでしょう。彼女は、わざわざここを訪れて相談してきたんです。……呪われてしまったから、助けて欲しいとね」
「呪われてしまった?」
「ええ。彼女は、ある小さな村の出身でした。ある出来事がきっかけで家族一緒に村を出て、東京に移住してきたんです。全ての始まりは、彼女の出身だった村で起きたことでした。彼女自身が関わったわけではありませんが……その呪いは、村全体を飲みこみ、滅ぼしてしまったんです」
それが扉鬼なんですよ、と大郷は続けた。
「彼女自身、あまり詳しく理解していたわけではないようです。小さな村の学校に通っていたこと、その村でいじめがあったこと……いじめられた少女が自殺したことが全ての始まりだったと言っていました。その少女が、特別な力を持っていたらしいということも」
「その死んでしまった子が、扉鬼という鬼を作りだしてしまったと」
「そうなります。彼女は、少女を虐めた張本人ではなかった。それでも呪いを受けてしまった。何故ならば」
エアコンとは別の理由で、空気が冷たく、張り詰めたような気がした。
「何故ならば……少女は、いじめっ子だけを憎んだわけではなかったから。村の全てを、ひいては世界さえも恨んで死んでいったから」