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第33話

 既に“扉鬼”は神様と同じものになりつつある。

 じわじわとその意味が、恐ろしさが足元から這い上がってきた。えりいはぶるり、と体を震わせる。


『間もなく、一番線に列車が参ります。危ないですから、白線の内側までおさがり下さい……』


 いつものアナウンスが聞こえてきた。そろそろ電車が来るらしい。


「そもそも論として、夢の中を経由してたくさんの人を夢の中に引きずり込むという時点で……怪異としての規模がデカすぎる」


 そんなえりいをよそに、話を続ける織葉。


「最初からそれだけの力を持っていたのか、人々が物語を続けることでここまでの力を持つように至ったのか。もし後者なら、これは文字通り“人に話が伝われば伝わるほど威力を増す怪異”だ。詳細を知る人間は、かなり絞った方がいい。神社仏閣の関係者がそう考えるのは納得できる……そうだろう?」

「う、うん」

「元より、“自分達が知らない異世界が存在して、ちょっとしたきっかけで迷い込む”的な話は日本人も海外の人も大好物なんだよな。古くは神隠しが挙げられる。突然人が行方不明になる現象を、日本人は神隠しと呼ぶだろ?でも実際、本当に神様が人を隠してしまったかどうかなんてわからないはずだ。だって、神様の姿を実際に見た人間はほとんどいないんだから」

「確かに……」


 何故いなくなったか、何処に行ったかもわからない。

 だからそういう現象に名前をつけたのだろう。神様が隠してしまった、神様の世界に連れ去ってしまった、だから見つからない――と。


「神隠しの解釈は三通りある。一つはただの事故や事件、人間の仕業であったものが死体が見つからなかったがために神隠しってことにされた可能性。一つは本当に人あらざる者が干渉して人々をどかに連れ去ってしまった可能性。そして最後の一つが、誰かの仕業ではないのだけれど、突如開いてしまった異空間の穴に人間がうっかり滑り落ちてしまって出られなくなってしまった可能性、だな」


 それはわかる。

 特に一つ目は、現実的にも十分あり得るだろう。神隠しということにしてしまえば、死体が見つからなくても皆に不審がられないというやつだ。昔の、文明が発展していなかった頃ならばより信憑性があっただろう。気に喰わない奴、手籠めにしたい奴を閉じ込めてこっそり殺して埋めて、神様に攫われたことにすればいい。特に因習系でありそうな古い村ならまかり通ってしまいそうだ。そのような悪いことを考える者もきっといたことだろう。


「一つ目は人間の騙りだからいいとして……二つ目三つ目は、人類が直接見たこともないのに“そうかもしれない”と想像されて、人々に広まった都市伝説みたいなものだな。そしてこういうものの先に、現代広まっている“きさらぎ駅”とか“異世界エレベーター”なんてものが繋がってくるわけだ」

「なんか納得した。みんな、違う世界にうっかり入っちゃうとか、神様に呼ばれちゃうとか、そういう話そのものが好きなんだね。究極的に言うと、ラノベで流行してる異世界転移とか転生とかもその類いなのかな」

「その通り。そして、異世界や人あらざる者へのあこがれが強いのは日本だけじゃない。クトゥルフ神話もそう、SCPもそう。人の力ではどうにもならない超常的な存在や謎の空間に怯えながらも、人はどこかでそれを望んでるんだ」

「……バックルーム、とかもそうかな」

「よく知ってるな。それも同じ方向性だ」


 The Backrooms。発祥が2019年のインターネットの記事なので、まだ新しい方の都市伝説だろう。人がなんらかの拍子に迷い込んでしまう異空間であり、特に通称“レベル0”と称される黄色い壁紙と古ぼけた蛍光灯、カーペット敷かれた謎の部屋の画像が特に有名と思われる。

 あれも一種の神隠しに該当するだろう。織葉が言った、三つ目のパターンだ。

 バックルームに関しては、この記事を作ったのが匿名ユーザーであったため、どこの国の人画作り出したのかははっきりしていない。ただ英語での記載であり、元ネタ画像がアメリカのものであったため、英語圏の人物の書き込みである可能性は非常に高いとみられている。いずれにせよ確かなことは、神隠しや異空間系の伝承は、世界規模で大流行しているし、好物としている人間が多いということに尽きるのだ。


「そう考えると、まさに扉鬼の世界観は“The Backrooms”そのものなんだ」


 電車がホームに滑り込んでくる。織葉が立ち上がり、それとなくえりいに手を差し出してきた。こういうところが昔から紳士で憎めないんだよな、なんて思いつつ彼に手を借りて立ち上がるえりい。

 まだ震えは残っていたが、その手のぬくもりが少しだけ気持ちを落ち着けてくれた。なんだか、ちょっとだけ悔しい。ことあるごとに、自分が一番好きな人間が誰なのかを思い出させてくれるのだから。


「夢の中、というのが少しだけ違うけどな。特定の手順を踏むと、この世界とは別の異空間に飛び込んでしまうこと。それが、ドアなどを潜ると別の階層に移動すること、なんかがとてもよく似ている。The Backroomsの都市伝説が始まったのが2019年と新しいことを考えると、扉鬼の物語の方が先に存在していたかもしれないけどな」

「似てるかもね。ドアを開けると、今までいた廊下とか広間とは全然違う空間が存在してたりするから。灰色の廊下のエリアが多いのは確かだけど、ドア一つ潜ったら真っ青な廊下になったり、屋敷の庭みたいなところに出たり、綺麗な応接室だったりするし。袋小路の部屋が存在するかはわからないけど」

「屋外みたいな場所に出ることもあるのか」

「うん、一応。でも、屋外といっても、私が知る限りだと壁に囲まれてるとか、謎の柵に囲まれてるとかで、どっかにある“出入口”を使わないと別のエリアに出られなかったりするんだけど」


 この半月の間に、えりいもあちこち空間を旅した。なるべく眠らないように気を付けていたとはいえ、徹夜できる時間は限りがある。実際、昨日もなんだかんだで眠ってしまっている。

 そんな中で、本当に様々な空間があることに気付いていた。屋外に出るような場所もその一つ。赤い水路に囲まれた場所に出た時は、本能的に“あの赤い水に触っちゃいけない”と悟って、水の中にある扉には触れなかった。あれに触っていたら、今頃自分はどうなっていたのだろうか。


「……やっぱり、一人で攻略するのは難しいんだろうな、その世界は」


 二人で電車に乗り、近くの座席に座った。そういえば結局どこに行くのか聞いていないなと気づくえりい。話の流れからして、“情報を集約しているどこかの神社”に向かおうとしているのは知っていたが。


「協力者がいるだろう。……鍵と扉を探すにせよ、扉鬼に関してもっと情報を集めるにせよ。問題は、複数の人間で探索したところで、合流できる方法があるのかどうかわからないってやつだが。……あるいは、プロの霊能力者ならそういった対策も立つのかもしれない」

「えっと、神社とかに向かうつもり、なんだよね?」

「ああ。二つ隣の茜屋あかねや駅だ。そこの茜屋神社に向かう。俺が“見た”ところ、そこの神主さんの力は紛れもなく本物だろうしな」

「え」


 あかねや。

 その名前に、えりいはきょとんと眼を見開いた。えりいの反応に気付いたのだろう、織葉が“どうした?”と首を傾げてくる。


「その……私が美術部なの、織葉も知ってるよね?基本的に、水曜日と木曜日しか活動ないけど」

「そうだな」

「その美術部の先輩に、茜屋舞あかねやまい先輩って人がいるの。美術部でも特に親しくしてるというか、世話焼いて貰ってて。いつも明るくて、お姉さんっぽくて、かっこいい先輩なんだけど……」


 茜屋舞。

 二年四組に在籍する身長170cmの“素敵なお姉さん”だ。

 長身に加え、グラマラスな体型とさっぱりした性格、大人びた言動から高校生に見えないとよく言われる人物である。ついでに、かなりの美人。長いシッポのようなポニーテールが特徴的だ。世話焼きな性格で、えりいを含め一年生はみんな彼女に可愛がられていると言っても過言ではない。

 なお、昔は運動部だったとのことで、運動神経も悪くないのだそうだが。


『あー……スポーツも好きなんだけどさあ。あたし、あの空気がちょっと苦手になっちゃってだねー』


 はああああ、と大仰なため息をつきながら、舞はこんなことを言っていたものである。


『中学の時テニス部だったんだけどさあ。誰が大会のレギュラーメンバーに入るかで、そりゃもう揉めに揉めたというか。普通に考えれば実力でメンバー選ぶのが筋っしょ?でもそういうのに納得できねーやつっていんのよ。一年生なのに大抜擢された子が、一部の二年生のヒガミでいじめられて、期待のエースだったのに学校に来なくなっちゃったりとかさあ。まあ、そういうのをいろいろ見ちゃったわけで』


 バリバリの運動部ならではの、ぴりぴりとした空気。そこから発生するいじめとか、険悪な人間関係に嫌気がさしてしまったらしい。


『なら、もう一人で絵でものんびり描いてた方がいいなって。実際、美術部は結構あたしの性にあってたかな。アドバイス貰ったりはするけど、結局自分との勝負だから、他人蹴落としても意味ないじゃん?そう言う方がずっとすっきりしてていいよ。テニスが悪いわけじゃないのはわかってるし、スポーツは今でも好きなんだけどさ。……ま、人を蹴落として成り上がろうとするような奴、席が空いたところで座れるはずもないとは思うんだけどねえ。自分を高めなきゃ、意味ないってーの?』


 自分自身との闘いが好き。だから美術部が好き。それを聞いて、えりいもなんだか納得できてしまったのである。

 まあ、自分が美術部に入ったのは、単純に運動神経が悪かったから、というネガティブな理由もあってのことだったけれど。


「……その先輩とは仲良くなれそうだ」


 えりいの話を聞いて、うんうんと頷く織葉。


「めんどくさい人間関係に縛られたくはないし。人と競ってぴりぴりもしたくない。めんどくさいし。ものすごくめんどくさいし」

「大事なことなので三回言ったんだね」

「それはさておき。……茜屋なんて苗字はそうそうあるものじゃない。それなのにここで出てきたってことは、関係者って可能性は高そうだな」

「うんうん。世間は狭いってやつだね」


 そういえば、先輩は神社の娘とか言っていた気がする。ということは、その神主とやらはお父さんとかお母さんなのかもしれなかった。


「それもあるだろうけど」


 電車が動く。次の駅の名前をまったりと歌いながら。


「引き寄せられるというのは、あるものだ。運命とは、そういうものだから」


 織葉は時々、妙にロマンチストなことを言う。そういうものかなあ、とえりいは思いつつ背もたれにもたれかかった。

 電車の中の振動は気持ちが良いが、眠らないように気を付けなければ。


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