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第32話

 本当は、外に出るのも怖い気持ちがあったのだ。自分は彩音を助けられなかった、その事実が変わることなどない。蓮子からも恨まれているかもしれない。そして己も、このままいればいつ彩音と同じように扉鬼に殺されるかもわからない。部屋に閉じこもっていてもなんの解決にもならないと知っていても、すぐに動き出せるほど己は強い人間ではなかったから。

 それでも、そんなえりいを、織葉は強引に引っ張り出してくれた。

 必死で駆けずり回って情報を手に入れて、えりいに道を示してくれた。

 一人ではない――それがどれほど心強いことか。自分はやはり恵まれているのだ。えりいは実感し、震えながらも彼の手を取ることを選んだのである。


――立ち向かわなきゃ。





『貴女に本当に求められているのは、勇気だと思うわ。自分が幸せになるために、覚悟を決める勇気よ。翠川くんがどうのっていうんじゃなくてね』




 自分に必要なのは、勇気だ。

 彩音の言葉を、無駄にしたりしない。彼女の想いも、命も。そのためにできることは、歩み続けることを諦めないことだ。


「いってらっしゃい、えりい」

「……うん」


 着替えて、母に簡単に言付けをし、二人で家を出る。勿論母にはおまじないの件なんかは伏せているが、それでも多少想像がついていることはあるのかもしれない。急に織葉と一緒に出掛けると言ったえりいを止めなかった。あるいは、それほどまでに織葉のことを信じてくれているのもあるのだろうか。

 財布とスマホ、ハンカチティッシュ、そしてSuicaと念のため折り畳み傘。それだけを持って、二人でマンションを出た。駅について改札をくぐり、ホームに降り立ったところで織葉に声をかけることにする。


「ていうか流れるように改札潜っちゃったけど、どこに向かおうとしてるの?」


 学校に行くのとは反対の路線だ。

 彼からは、お祓いに協力してくれる神社に行く、みたいなことしか聞いていない。どこの神社なのか、どこの駅なのかも。


「扉鬼についてあっちこっちに電話して、相談に乗ってくれるところを探したと言っただろ?」


 タイミングが悪かったのか、電車が来るまでしばらく時間があった。ベンチに座って織葉が言う。


「予約が立て込んでいるからお祓いができないとか、お金が足らないから無理って断られるのはわかるんだ。ところがどこも、扉鬼、の名前を出した時点で“うちでは無理”みたいな態度でさ」

「え、え?そんなにヤバイ怪異ってこと?」

「それもあるんだろうが、それ以上に一つの神社に情報を集約したいとか、それ以外はシャットアウトしたいみたいな雰囲気だった。恐らく、扉鬼について詳しく知る人間を増やすのが危ないとか、そういう認識をしてるんだろうな。対策としては悪くない。というのも、俺も怪談とか怪異については似たような認識をしてるからだ」

「どゆこと?」


 知る人間を増やしたくない?えりいは眉をひそめた。

 知っていれば、悪いものを避けて通れる。危険なものは危険だと、多くの人に周知するのが筋ではないのだろうか。


「殺人犯とか、災害なら周知することに効果があるんだ」


 えりいの意図を察してか、織葉が解説を入れてくれる。


「が、殊に怪異の場合は必ずしもそうとは言い切れない。理由は主に二つ。一つ目は、知っていても対策が立たないものがあること。二つ目は、知ることでより狂暴になるタイプの怪異もあるってこと」

「対策が立たない?」

「例えば。突然人の前に現れて、人の首を狩って回るオバケがいたとするだろう?」


 織葉はちらり、と後ろを振り返った。今自分達がいるホームは、いわゆる“島型”になっているものだ。真ん中にホームがあって、両脇に線路が通っている。一番線と二番線で、行く方向が真逆。よって万が一うっかり逆の電車に乗ってしまったら、正面の電車に乗れば来た道を戻れる、と言った具合だ。

 丁度反対側のホームに電車が来たところだった。土曜日の昼なので、それなり程度に人がいる。乗る人より、降りてくる人の方が少し多い印象だ。


「そいつの名前を“首狩りオバケ”とでもしておこう。そいつが出るのは主に深夜の駅のホーム。遭遇すると、時速100キロで追いかけてきて速攻で首を切り落として殺してくる。さて、対策は?」

「え、ええええ?それは逃げるとか戦うとか無理ゲーだよね。じゃあ……遭遇しないように、深夜の駅を使うのを控える、とか?」

「その通り。遭遇した後で倒したり逃げる方法がない怪異でも、出現場所と条件がはっきりしているのなら、その条件を揃えないようにするのがベストだな。ただし、深夜に駅を使うような人は“残業でやむなく”ってことが多いはずだ。また、会社の飲み会などでやむなく遅くなってしまうこともあるだろう。お酒が過剰に入ると人は理性が吹っ飛ぶものらしいしな」

「それは確かに。そうなると、条件を避けようと思っても、ちょっと難しいかもね。みんなが深夜の仕事を避けるとか、自動車通勤にするとかなんてできないし」

「その通り。ではさらに質問。……首狩りオバケが出没する場所が“時間”を限らず“場所”も問わず、だったら?」

「そ、それは……」


 理解してしまった。

 いつ、どこにオバケが出没して殺しに来るかもわからない。正直、避ける方法が一切ないではないか。


「……手の打ちようがない、よね。霊能者でも、なんかするより前に首狩られて殺されて終わりになりそう」


 ようは、SPCで言うところのケテルクラス、というわけだ。その怪異を確保・保護・収容することが不可能。頻度の高いエリアを見張りつつ、遭遇しないようにお祈りする以外術がない。

 そしてそんな怪異が、この世の中にあると知れたら人々はどうするか。間違いなく、パニックだ。


「……なるほど。予防も対策も何もできない怪異は、人に知られない方がいいってことか」


 はあ、とえりいはため息をついた。


「知ったらパニックを招くだけ、だもんね。場合によっては、怪異によって死んだ人の死の真実さえ隠そうとする、かも」

「そういうことだ。SCPでいうところの激ヤバketerクラスってやつだな。では問題。扉鬼は、現状どれくらいの脅威になると思う?」

「……今言った首狩りオバケよりはマシでしょ。精々ユークリッド」

「その通り。何故なら、対策にしようがあるからだ。おまじないを試さなければいい。それだけで完全回避できる。……現状はな」

「現状……」


 その言葉で察した。さっき織葉が言った“二つ目の理由”の方だ。


「人に知られれば知られるほど、ヤバイ怪異に進化するかもしれない、ってやつ?」


 えりいの言葉に、その通り、と頷く織葉。


「扉鬼の怪異についてはまだわかっていないことが多いが、これが何らかの神格であった場合……今よりももっと“発動条件”が緩くなる可能性がある。この怪異が“扉鬼と言う名前を知っただけで人々を引きずり込む”ものに変わったらどうだ?知ってはいけない言葉、知っただけで感染するとしてしまえば?」

「ケテルまっしぐら……」

「そうだろう?そういう怪異に進化する危険性があると、専門家の人達はそう思っているんだろう。この点については同意見だ」


 そもそも、と彼は続ける。


「怪異、アヤカシ、妖精、悪魔、神様。このあたりの存在は全部紙一重だと思っている。元々は人間だったのが、恐れられ敬われた結果死んだあとで神格化したケースなんていくらでもある。日本三大怨霊なんかいい例だろ」

「あー……平将門様とか、元は人間なのに恐れられて神社に祀られるようになったんだっけか」

「そうだ。神社で神様として祀られるようになったらそれはもう神様なんだ」

「うへえ」


 三大怨霊に関しては名前くらいしか知らない。ただ、よくよく考えると結構怖い話のような気もする。

 人間が本当に祟りを起こせるほどの存在になれるのかはわからない。因習ホラーとかでは、生贄として捧げた少女が祟ることのないように、神格化して神社で祀って鎮魂するとかそういうのも良く出てくる話ではあるけれど。

 ただ、天変地異や災害、大きな事故や飢饉、疫病が流行るなどした時、それを“●●の祟りだ!”と誰かが言って周りが信じてしまったら、それはもう立派な怨霊であり邪神なのだろうというのはわかる。そう考えるなら、神様を作るのも怨霊を作るのも、死んだ存在じゃなくて生きた人間なのかもしれないという気はする。

 と、そこまで考えてえりいは気づいた。織葉が何を言わんとしているのかが。


「……扉鬼が広く知られることで……神様になってしまうかもしれないってこと?」


 どうやらあっていたらしい。織葉はこくりと頷く。


「学校のトイレは、誰も何も知らなかったら何の変哲もないトイレだ。でも“三階女子トイレの一番奥には花子さんが出る”と思っている人にとっては、オバケの出るトイレになるだろう?」

「うん」

「何も知らない人間が見れば何の変哲もないのどかな田園風景も、都市伝説を知っている人間にとっては“くねくねが出現する恐ろしい畑”かもしれない。いつも使う電車も、“かつてきさらぎ駅に繋がったことのある電車”に変貌してしまいかねない。都市伝説や怪談っていうのは、それを知られることで人々に浸透し、恐れられ、顕在化するものなんだ。極端な話、多くの怪談は“怪談を知らない人間の前には現れないもの”なんだよ」

「そ、それは極端じゃない?だってきさらぎ駅は、何も知らない女の人が遭遇して、大型掲示板に書き込んだから広まったもので……」


 そこまで言って気づいた。

 きさらぎ駅の都市伝説は、“誰かがきさらぎ駅と言う名前を書き込んで広めた”ことを発端として爆発的に広がったものだ。

 そういえば、その書き込みがあってから突然、自分もきさらぎ駅を目撃した、みたいな話が増えたというのを聞いたことがあるような。


「……実は、きさらぎ駅の遭遇事例は、過去にもあったのかもしれない。でも、大型掲示板でその名前の怪談が書き込まれたことで……怪談に、怪異に名前がついた?」

「正解」

「うっわ……」


 そういえば今、自分は駅にいるんだった。唐突に思い出して、えりいは背筋が冷たくなる。いくら有名都市伝説のきさらぎ駅でも、昼間から堂々と出張してくることはないと信じたいが。


「きさらぎ駅だと知らない人間は、怪異に遭遇してもその名前で怪談を語らない。でも、一度大きな名前がつくと、みんながそれとよく似た怪談を全部“ソレ”と認識して広める。だから、似たような事例が全部きさらぎ駅として語られるようになり、ますます人に恐れられる。神様と一緒なんだよ、こういうものは。そして神様ってやつは、祟りを恐れられても、敬愛を向けられても、信仰という形に変わりはない。そして、信仰されればされるほど存在を強く主張するものなんだ」


 もうわかるだろ、と織葉。


「現状、既にかなりまずいんだよ。扉鬼、と言う“信仰”が広まりつつあるからな。主に、善神を騙る邪神として」


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