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第22話

 お弁当を広げつつ、三人で“作戦会議”をする。

 具合は大丈夫なのかとか、風邪なのかとかそれとなくえりいも蓮子も尋ねたが、彩音は詳しいことは何も言ってはくれなかった。大したことない、大丈夫、と繰り返すばかりで。ただ。


「……そう」


 昼ご飯は要らないからと、彩音の手元だけお弁当がない。顔色も良くないし、ひょっとしたら単純に食欲がなかったのかもしれなかった。

 彩音、蓮子にえりいは知っている限りのことを話す。もちろん、一人しか抜け出せない、と言われた事だけは伏せることにしたが。


「二人とも、本当にごめんなさい。扉鬼の怪談が、そんなに危ないものだなんて思っていなかったの。本当に……本当に申し訳ないわ」


 深々と頭を下げる彩音。心底申し訳なさそうなその顔を見てしまえば、えりいも無闇と責めることはできなかった。

 彼女に対して恨みつらみを抱く気持ちがゼロではないが、そもそも安易な方法で願いを叶えようとしたのは自分である。そこが己の意思である以上、彼女だけに責任を押し付けることなどできるはずもない。


「顔を上げてよ、紺野さん。私もそう……軽率だったなって思うし」

「せやせや。それに、力を合わせて出口を見つけたらそれでええんやろ?紺野はんが気にするこたないで。まだうちら、誰も怖い思いしてへんのやから」

「そう……そうよ、ね。ありがとう金沢さんも、蓮子さんも……」


 少し泣きそうな顔をする彩音。やっぱり、今日の彼女は様子がおかしい。そもそも彼女は、自分達よりずっと長く扉鬼の世界を体験していたはず。今まで本当に、怪物の存在に気付かなかったのだろうか。危ない目に遭うようなことは、一切なかったのだろうか。


「実はね」


 えりいの疑問を知ってか知らずか、彩音は告げた。


「貴女たちにおまじないを話すまで、怪物を見たことがなかったのは本当。でも、危険なトラップのようなものを見たことはあったの」

「トラップ?」

「他の人に出会うことはあった、と言ったでしょう?中年くらいの女性に出会ったことがあって。その人、名前は聞かなかったんだけど、少しだけ話をしてね。どうしてもお金が欲しい、だから扉鬼の力を借りたい、ホンモノの扉を見つけなきゃいけないって言ってたのよ」


 かなり鬼気迫る様子だった、と彩音は語る。詳しく話を聞いたところ、どうやら彼女の最愛の息子が病気で入院しているというのだ。手術は海外に行かなければいけないが、息子はまだ幼く、飛行機に乗って移動するのにも耐えられるかわからない。そのための資金も全然足らない。かといって手術ができなければ、きっと長く生きられないだろうということを言われているという。

 だから、藁にもすがるつもりでこのおまじないを試した。

 誰かを押しのけてでも自分は鍵を見つけるのだと、そう言っていたのだ。


「そんな時。私達が開けたドアの向こうに、鍵のようなものを見つけたの」

「え!?」

「小さな丸いプールのようなものがあってね。その周囲は白いタイルで……そうプールサイドの床みたいになってるの。その水に、金色の鍵のようなものが浮いていてね。わたし達は、ひょっとしたらあれこそが本物の扉に続く鍵なんじゃないかと思ったわけ。だから」


 女性は。彩音を突き飛ばしてプールへと走った。そして、プールに浮いた鍵へと手を伸ばしたという。

 次の瞬間、何かがプールから飛び出してきた。

 それはギザギザした歯が生えた、鮫の頭のようなもの。彩音は思い出したという――昔見た、人喰い鮫が襲ってくる映画を。


『ぎ』


 女性の腕が鮫の口に飲みこまれるのを、彩音は見た。

 次の瞬間、ぶちり、ともぼきり、ともつかない骨と肉をかみ砕く音がして。


『ぎゃあああ!?う、うで、うで、うでえええええええ!?あたしの、あたしの、うで、うで、あ、ああ、ああああああ!?』


 真っ赤な血が、噴水のように噴き上がった。肘のあたりで、女性の腕は嚙み砕ちぎられてなくなってしまったという。

 彩音はそれを見て悲鳴を上げ、逃げるように立ち去ったのだそうだ。


「……他にも、天井が降ってくる部屋や水が溢れてきて溺死させられそうな部屋……いろいろな部屋があったわ」


 彩音は静かにを横に振った。


「でも、それが命の危険に直結するだなんて思わなかった。夢の中で恐ろしい目に遭うくらい、珍しくもなんともないことでしょう?本当に体が傷つくわけじゃないもの。夢から醒めれば全ての悪夢はなかったことになる。彼等も現実で殺されたわけじゃないし、驚いただけで、本当に苦痛を感じてるとは思っていなかった。……だから、多少怖い思いをしても、気にするほどのことじゃないと思ってしまったのよ」

「紺野さん……」


 そう、夢の中の出来事――それがみんなの危機感を薄めている点だったのだろう。

 怪異などに関わらずとも、怖い夢を見ることなんていくらでもあるものだ。家が火事になる、突然強盗に襲われる、強姦される、両親にピストルで撃たれる、謎の黒ずくめの組織に命を狙われる、世界中で戦争が起きて爆弾が落ちてくる――エトセトラ、エトセトラ。中にはファンタジーかSFかと思うような荒唐無稽なものあるし、その中で己が誰かを殺したり殺されたりなんてこともあるだろう。本当に痛い、苦しいと思ってしまうことだってあるのかもしれない。

 それでも、朝目覚めれば何もかも元通り、平穏無事な世界が戻ってくるわけで。時には、あれだけ恐ろしかったはずの夢を綺麗さっぱり忘れてしまうこともある。夢が夢だとわかっていても、わかっていなくても、しょせんは現実の出来事ではないのだ。だから、精々抱く感想は“本当じゃなくて良かった”なんてところになるのだろう。

 扉鬼もそう。

 夢の中で扉を探す、鬼ごっこをする。仮に鬼に捕まってもどうせ夢だからと思っている人間は、本気で逃げることさえしないかもしれない。

 でももし、夢の中で現実と変わらない苦痛を受けるとしたら。そして朝目覚めたところで、次に眠ればその続きを延々と見せられるなら。最後は夢の中で殺された通りに現実の体も殺されるのなら。しかも、死んだ後も魂は永遠にあの空間に閉じ込められるというのなら。

 これほど恐ろしい怪異が、一体どこにあるだろうか。

 なんせ、死んでなお終わりでないかもしれないなんて。


「……扉と鍵を見つけるのも、大事なことだとは思うんだけど」


 えりいは意を決して口を開く。


「多分、それで私達が脱出しても、怪異が終わるわけじゃないみたいなの。扉鬼自体をなんとかする方法を見つけないと、既に扉鬼の世界に閉じ込められている人達が逃げられない。それから、扉鬼に殺されてしまった人達の魂も、救われない。だから扉鬼の世界を調べるのと並行して、現実の世界でも扉鬼を倒す方法を見つけないといけない。むしろ……鍵とかホンモノの扉とか、そういうのを見つけるのは後回しにした方がいいくらいかも」


 彩音を責めても、何も解決しない。

 とにかく今は三人で協力して事態を解決することを優先すべきだ、とえりいは主張する。


「私も、出来る限り頑張るし。友達も協力してくれるって言ってるから……紺野さんも、銀座さんも、手を貸してほしいの。お願いできるかな」

「そりゃ、まあ……。正直、うちらみたいな一般人に、こんなでかい怪異を祓うことなんかできんのか?とは思うけど。でも、実際に扉が見つかる保証はないし、怪物がほんまにおるかもしれないなら怖いしなあ」

「でしょう?」


 蓮子はわかってくれたようだ。ほっとしてえりいは続ける。


「まず、今夜もみんな夢の中に入るだろうから、怪物に見つからないようにすることと……罠に引っ掛からないようにすることを最優先。その上で、調べられるだけ空間を調べるのがいいと思う。扉鬼の空間も無限じゃないかもしれない。地図の一つでも作れれば、対処方も変わってきそうな気がするんだよね。それに、紺野さんに扉鬼のことを伝えたあの黒須澪って人。どこまで信用できるかわからないけど、もう一度接触できたら何か教えてくれるかも……」


 そこまで話したところで、えりいはふと彩音がずっと黙ったままであることに気付いた。蓮子も気になるのか、ちらちら彼女の方を見ている。

 彩音は。

 俯いてじっと唇を噛みしめていた。まるで何かの痛みにでも耐えるように。


「紺野さん?」


 えりいは食べようと手に持ったおにぎりをお弁当箱に戻した。覗き込むように呼び掛けると、彩音は緩慢に顔を上げる。

 その瞳には、今まで見たことがないような色があった。


「本当に」


 血色の悪い唇が、動いた。


「本当に、扉鬼は願いを叶えてくれないのかしら。黒須澪、という人が言った言葉はどこまで正しいのかしら」

「え」

「金沢さんが言う通り、多分その人は……わたしに扉鬼を教えた人と同じ人物で間違いないと思うの。人間じゃない、というのもきっと正解。でも、その言葉がまるごと正しいと妄信するのは危険ではなくて?実際、金沢さんが出会った女性が死体になってるのなら、怪物に襲われると現実で死ぬというところ本当かもしれないけど……ゴールを見つけたら願いを叶えてくれるというのだって、事実かもしれないでしょう?」


 まるで己に言い聞かせるような口調だった。暗い瞳の奥に、縋るような色が見える。

 僅かでも希望があるのなら、それを捨てたくない、捨てる勇気なんてない――そんな顔だ。


「扉鬼を消す方法を探すのは結構なことよ。実際、既に閉じ込められてしまった人達を助けることも必要。知ってしまった以上。見て見ぬふりはできないもの。でも」


 優先順位があるのよ、と彩音。


「それは、わたしが扉と鍵を見つけて脱出してからでもいいわよね?」

「あ、彩音はん。でも、それは……」

「願いが叶わないなんて、決めつけないで。そんなのまだわからないじゃない。わたしは、わたしはどうしても願いを叶えたいの。他に方法なんてないのよ、人間の力ではできないことなの!」

「こ、紺野さん!」


 ほとんど、叫び声に近かった。慌ててえりいはストップをかける。ここは、昼ご飯休憩中の教室なのだ。みんなが驚いて彩音を振り返っている。

 いつも物静かで、お淑やかで、怒るどころか不機嫌な様子さえ見たことがないような彼女の激昂。――えりいでなくても、驚くのは当然だ。

 そこまで彼女は願いを叶えたいというのか。その願いというのは、やはり。




『……妹の彩音としては思ったのかもしれないな。兄ではなく自分が死ねば良かったのに、と』




 やはり、失敗だったかもしれない。えりいは悔んだ。

 願いが叶うことはない、と澪が言った言葉も伏せるべきだった。織葉の忠告を聞くべきだったと後悔する。色々悩んだ末、扉を安易に探すのは危険かもしれないこと、二人にも危機感を持って欲しいとの考えからその点についても話してしまったのだが。


「……ごめん。確かに、そうだよね。願いが叶わないっていうのは、嘘かも」


 彼女を宥めるように、えりいは告げる。


「だから、落ち着いてよ。……そこまでして、紺野さんが叶えたい願いって、なに?」

「……ごめんなさい」


 本人も失態を悟ったのだろう。俯き、静かに首を横に振った。


「そうよね、金沢さんたちだって詳しいことなんかわかるはずないのに、八つ当たりして……本当に情けないわ。馬鹿みたい。……いくら、兄さんに生き返って欲しいからって」

「それは、交通事故で亡くなったっていう?」


 尋ねれば、知っていたのね、と彩音は力なく笑った。


「兄さんは、わたしの世界に必要な存在だったの。わたしにとっても、家族にとっても……さながら、中心で……全ての始まりだったから」


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