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第14話

「え……え?」


 思わず固まってしまった。

 ひとりだけ。

 ひとりだけ。

 ひとり、だけ。

 澪が言った言葉を、何度も何度も反芻する。


 ここからは ひとりだけしか でることができない――。


「……嘘、ですよ、ね?」


 自分でも情けないくらい、ひっくり返った声が出た。そんなえりいの様子が面白おかしかったのか、彼はからからと声を上げて嗤う。本当に、何がそんなに愉快だと言うのか。


「おやおやおやおや、私がここで嘘をつくメリットなんてないんですけどねえ。むしろ、親切で教えて差し上げてるんですよ。でないと貴女のような気弱そうな女性は、他のご友人に扉を譲ってしまいそうですから」

「で、でも……そ、それじゃあ、出られなかった人はどうなるの!?」

「さっき申し上げたではありませんか。扉以外の方法で出ることはできないと。人間をやめてしまえば出ることもできるかもしれませんが、まあその領域に到達できる者など僅かでしょうしね。高みへ押し上げる魔術師の補佐でもない限り不可能というものです。何より、人が人の理を外れるのはよほどの覚悟と素質がなければ無理ですから」


 澪が手を振ると、その手からティーカップが消失した。まるで魔法でもかけたかのように。


「そうでない者は、出口がなくなったことも気づかぬまま永遠に彷徨い続けるだけです。……いずれ心が壊れて、死体となって外に出るまでは。まあ、さっきも言った通り、体は死体になって現世に残っても魂がどうなるのか……については完全に私の管轄外ですがね。私はこの場所に自分の意思で出入りしているだけで、この怪異の本体でもなければ始めた存在でもありませんし」


 ゆえに、と彼は告げる。


「もし全てを救いたいと思うのならば、この怪異を……扉鬼そのものを浄化するか、倒すしかない。ただの人間に、そんなことができるのなら、ですが」

「……っ」


 無茶苦茶な、とえりいは思う。彩音と凛子の顔が浮かんでは、消えた。友達と言えるほど親しい仲ではないかもしれない。でも少なくとも、彩音がえりいを助けようとしてくれたのは事実。えりいを心配しておまじないを教えてくれたのも、いつも気遣ってくれているのもまぎれもない事実なのだ。

 自分一人助かって、彼女達を見殺しにするなんて。

 否、見殺しにすることになるのは彼女達だけではない、他の迷い人たちもみんな永遠の地獄に突き落とすことになってしまう。そんな覚悟が、自分にあるだろうか。

 そして別の誰かがゴールすれば、代わりに地獄に落とされるのはえりい自身なのだ――。


「この空間は、人々を永遠に閉じ込め、苦痛を味遭わせることで復讐したいという……最初に扉鬼を生み出した術師の願いがこめられたもの。空間の中には扉鬼を映した鏡……鬼がうろつき、扉の中には恐ろしい罠が潜んでいるものもある。全ての罠をかいくぐり、正解を見つけることは容易ではありません」


 それでも、と続ける澪。


「それでも誰かが終わらせなければいけない。そしてそれは、ニンゲンの手でなければいけないのです」


 それはまるで。面白半分とか、そういうことではなく――自分には無理だと、そう言っているように聞こえた。

 えりいは拳を握りしめる。正直、怖くてたまらない。本物の扉と鍵を見つけるなんてことが自分にできるのか。そして、扉鬼自体を浄化して、巻き込まれた全員を助ける覚悟が自分にあるのか。そもそも、そんな方法が本当に見つかるのか。

 いや、しかし、でも。


「……貴方は」


 どうにか絞り出すようにえりいは告げた。


「貴方は世界を滅ぼさないために、扉鬼に干渉していると言った。……仮に私が本物の扉を見つけてゴールしても、入口が開いたままだったなら延々と新しい人が入ってきてしまう。そうでしょう?」

「ですね」

「ならば、私が出口を見つけただけじゃ、破滅を阻止したことにならない。そして、貴方はニンゲンの手で終わらせなければいけないとたった今そう言った。ということはつまり私みたいな、か弱い人間の手でも終わらせる方法があるってこと……違う?」


 怖い。とてつもなく、怖い。

 でも、えりいは思ったのだ。もし、この空間に閉じ込められたのが家族だったら。織葉だったら。自分は彼等を見捨てて、一人だけ逃げ出すような真似ができるだろうか。

 答えは否、だ。自分だけ助かっても、世界が平穏を取り戻しても、愛する人がいない世界なんて何の意味があるだろうか。


――そうだ、私は……私は、織葉に頼らないで、一人で歩けるようになりたかったんじゃないか。だから、織葉から離れようとしたんじゃないか。……いずれ全部話すんだとしても、だからって今までと同じようにおんぶにだっこじゃ駄目。それは、私が一番よくわかってるはずだ。


 えりいは目の前のティーカップの取っ手を掴むと、ぐい、と勢いよく喉に流し込んだ。話している間にちょっと冷めて、いいくらいの熱さになっている。

 熱が喉を通り、胃の腑に落ちていく。まるで、己の感情を飲みこんだかのような、熱さ。


「やってみせる」


 あえて口に出した。それは世界のためでも、誰かのためでもない。自分自身のためだ。


「扉鬼を倒す方法を見つければ、全員助かるんだよね」

「ほう?言いますね。その通り、そんな方法が見つかれば、ですが」

「やってみせる。だって、私は……」


 弱い自分が大嫌いで。でも本当はそんな自分を好きになりたくて。

 変わりたくて、強くなりたくて。




「変わるために、此処に来た。本当は、そのはずだったんだから」




 世界を救うヒーローになれなくてもいい。

 たった一人を助けられる、小さな小さな英雄になれたならと、ずっとそう願ってきたのだから。


「澪さん。この怪異は恐ろしいけど、隙がないわけじゃない。だって、朝になれば夢は自動的に終わり、自分達の世界に戻ることができる。つまり、現実の世界でアクションを起こすことも、仲間を募ることもできるんだもの。私は弱い人間だけど、弱い人間にだって人間なりの意地はあるし、知恵はあるんだよ」

「なるほど。扉鬼に魂が喰われる前に、情報を集めて解決策を模索するわけですか」

「昔と違って今はインターネットがあるし、交通機関も便利になったし。できることはたくさんあると思う。諦めるなら、そういうこと全部やってから、死ぬ間際になってから諦めてもおかしくない。……努力もしないで待ってたってさ、そんな人を白馬の王子様は迎えになんてきてくれないんだから。現実は、漫画のように都合よくもなければ優しくもないんだから」

「ふ、ふふ」


 澪は茶菓子のクッキーを一口かじり、肩を震わせて笑った。


「うっふふ、ふふふふ、ははははははははは!いいでしょう……見せて貰いますよ。ただの人間なりの、足掻きというものを」


 彼は右手を掲げると、ぱちん、と指を鳴らした。途端、周囲の景色が蜃気楼のように揺らぎ始める。

 豪奢で明るい応接室が消え、気づけば自分一人灰色の廊下に立っていた。


『足掻いてみてください。……精々私は、気まぐれな観察を続けさせていただきますよ』


 遠くから、エコーのように響く声がする。ごくり、と唾をのみこむと、よし、と呟いてえりいは歩きだした。


「やってやる……!」


 まずは情報収集。

 一人だけしか出られないという話は伏せた上で――一人でも多くの参加者と出会って、話を聞かねばなるまい。もちろん、うろついているという怪物は避けながら。




 ***




 ジリリリリリリリリ!


「!」


 思った以上に、長い時間澪と話し込んでいたらしい。

 廊下に出て歩きだしてすぐ、けたたましい目覚まし時計の音で叩き起こされることになってしまった。慌てて飛び起きて、目覚まし時計のスイッチを切る。

 思わず、掠れた声で呟いた。


「……空気読まないなあ、もう」


 これが漫画の世界なら、いざ!と主人公が決意したところで水を差すようなことなんてしないだろうに。

 まあ、元の世界にちゃんと戻れることは重要だ。今日からは、夢の世界と並行してきちんと情報収集していかなければならないのだから。

 とりあえず、今日はいつもより少し早く織葉が家まで迎えにきてくれることになっている。さっさと身支度を済ませてしまわねばなるまい。

 パジャマを思い切り脱ぎ捨て、少し汗臭くなってしまったキャミソールも一緒に脱いだ。新しいキャミを用意してシャツと一緒に袖を通す。紺色のハーフパンツとスカートを履いて、鏡の前に立った。


「……しっかりしろよ、私」


 ぱし、と両手で頬を叩く。事態は何も良くなっていない。むしろ、恐ろしい事実を知ってしまって戻れなくなった感はある。そして、澪がくれた情報だって何もかも本当とは限らない。嘘を教えるメリットなんてない、みたいなことを澪は言っていたが、嘘を教えて自分達をからかいたいならそれも十分メリットなのだ。

 だから、妄信することはしない。

 それでも本当だという前提で、これから自分は自分のするべきことをすると決めたのだ。


――まず、織葉に話して、織葉からは何が見えているのか聞き出そう。……ついでに、抱き着いてきてたあの女の子の正体もちゃんと訊かないと。


 ストレッチがわりにぐるぐると腕を回し、鞄に必要な教科書類や財布などが入っていることを確認する。


――それと、紺野さんと銀座さんに、“一人しか脱出できない”情報以外のことは教えておかなきゃ。怪物に捕まったら夢からはじき出されるなんて甘いものじゃない。その認識がズレていたら、怪物から本気で逃げだすことなんかしないかもしれない。……少しでも長く、逃げ延びてもらわなきゃ。


 しっかりと伸びをして、こりかたまった体をほぐす。

 大丈夫、自分はまだまだ元気だ。えりいは頷くと、部屋のドアノブに手をかけたのだった。


「おはよう、お母さん」


 わざと、いつもより大きな声でリビングの母に声をかける。己は頑張れると、他の誰でもない自分を鼓舞するために。


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