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第13話

 鬼遊びを使ったいじめ。

 えりいは眉をひそめる。自分は虐めにあったと言えるほどの目に遭ったことはそうそうないが(幸運なことに、助けてくれる人が多かったためだ)、虐めようとしてきた人間は過去にもいた。そういうこともあって、いじめに関する嫌悪感は強い方だという自覚がある。


「扉鬼の遊びについては、貴女も調べたのである程度ご存知でしょうが」


 紅茶に砂糖を追加しながら言う澪。


「“鬼は印を剥がして別の扉につけなおし、次に誰かが扉を開けるまで逃げ役たちを追いかけまわさなければいけない”というルール。一応、たくさん本物の扉を見つけて開き、何度も鬼になった人間が最終的に勝利するというものにはなっていますが……」

「ひょっとして。……逃げ役の人が、いつまでもホンモノのドアを開けず、ゲームが終わらないようにした、とか?」

「鋭いですね。その通り。このゲーム、誰かが印をつけたドアを開かない限り、鬼が交代しないんです。もちろん、鬼は“本物のドアを見つけられないようにカモフラージュ”したり、“本物のドアを開けられないように妨害する”のが仕事なので、一見すると鬼を助けているようにも見えますが……」

「わざと本物のドアを見つけても開けないまま鬼を揶揄って逃げ回るような奴ばっかりだったら……ゲームが成立しない、よね」

「まあ、そういうことです」


 気分が悪くなる。

 もちろん、鬼と逃げ役の力が拮抗していて、駆け引きを続けた結果いつまでもドアが開かないというのなら全然問題はない。だが、逃げ役たちが最初からいじめられっ子を鬼にして、そのあとわざとドアを開けなかったらどうなるか。一切やる気を見せなかったらどうなるか。この鬼遊びは、一気につまらないものになってしまうだろう。


「勿論、その人物が受けたいじめはこの鬼遊びを使ったものだけではなかった。……それでもきっと、この人物にとっては、扉鬼を使ったいじめは特に印象に残ったのでしょうね」


 澪は砂糖のみならず、ミルクも入れている。存外甘党なのかもしれない。なんだか、そこだけ妙に親近感がわいてしまう。


「だから、これを使ってやろうと思ったんでしょう。そんなに扉を延々と探したいなら探し続ければいい、とね。だから、扉を探し続ける怪異を作り上げた。扉鬼、とそのままの名前で」

「つまり、最初はいじめっ子への復讐のつもりだった、と?」

「要はそういうことなんでしょう。が、この人物の怒りや憎しみがいじめっ子だけに向いていたなら、こんなに広くおまじないとして広まるようなこともなかったのではないでしょうか。きっと、虐めた少年少女たちの死体が適当なところで転がり出てさっさと終わりになったはずです。あるいは、誰かが扉鬼の存在を流用し、さらに強大な鬼に育ててしまった可能性もあるでしょうが……いやはや」


 くすくすくすくす、と心から楽し気に笑う澪。一体何がそんなに面白いのだろう。

 いずれにせよ、既にたくさんの人が巻き込まれている。しかも、願いが叶うおまじない、というポジティブな理由で紹介され続けているからこんなことになっているのだ。えりいたちからすれば、まったく笑い話ではないのだが。


「まあ、起源なんて細かいことはどうでもいいですよ。大切なのは今と、これからなわけで」


 ぐい、と澪は紅茶を飲み干す。


「貴女にとって重要なのは、今この怪異がどのような状況になっているか、でしょうしね。確かなことは一つ。どんな願いが叶うおまじないとして、人から人へ伝わり、それによって被害が広がり続けているということです。私としては面白い観察対象だったので、こうして時々夢の中に忍び込んでは愚かな人間達が逃げまどうのを見て楽しんでいたわけですが」

「性格悪くない?」

「それは最高の褒め言葉ですねえ。……でもしかし、私にとってこの世界はとても憎たらしいと同時に興味深いものでもありますから、滅ぶところまで行ってしまってはさすがに困るんですよ。そしてこの物語は、想像以上の速度で拡散し続けている。そろそろストップをかけた方がいいかもしれないなあ、位なことは思いまして。しかし私が直接止めたのでは何も面白くない。だから……それができそうな人物に、私自らスカウトをかけることにしたのです」

「それが、紺野さんってこと?」


 驚いた。こいつは愉快犯と言いながら、この怪異を止めようとしていたというのか、と。


「いいえ」


 しかし、彼は首を横に振った。澪が声をかけたのは紺野彩音であったはずなのだが。


「本当に声をかけたい人物は、私にとっては少々相性が悪い相手でしてね。直接その前に姿を現すのは避けた方が無難だろうと考えました……私のためではなく、彼のために。だから最終的に彼に繋がるであろう人物にスカウトをかけたのです。それが紺野彩音さんです。まあ、その過程で巻き込まれた貴女や銀座蓮子さんにはちょっと申し訳ないと思っている気持もありますので、ここで多少情報提供をして差し上げているわけですが」


 なんとも嫌味ったらしい言い方だ。しかし気になる。

 “彼”。つまり性別は男。そして、蓮子でもえりいでもない相手。一体誰のことを言っているのか。

 いや、それも引っかかるが、それ以上に。


「待って。この扉鬼って、ほっとくとそんなにヤバいものなの?世界が滅ぶところまで行きかねないほどの?」


 首を、冷たい汗が伝う。赤澤亮子という女性の死体が見つかったこと、彼女の最期の様子から嫌な予感はしていたが。まさかそれほどまでに、危ない怪異だというのか。


「可能性としては十分あり得ます」


 澪はあっさり言ってのけた。


「最初に言った通り、この怪異はそもそも“とある人物が世界への復讐のために作り上げた”鬼です。人の願いを叶えてくれるなんて親切心があるとお思いで?」

「そ、それは……」

「どんな願いも叶えてくれる。そんなリップサービスをつけたのは間違いなく、この物語が多くの人に広まるように仕向けるためでしょう。人の欲望は際限がないものです。美味しいものを食べたい、憎い奴を学校から追い出したい、宝くじに当たりたい、嫌いな奴に死んでほしい、お金持ちになりたい、咎められることなく好きなだけ人を殺してみたい……。小さな願いから、大きな野望まで。願いをまったく持たない人間なんて皆無に近いと言えましょう。本人がそれを自覚しているかどうかは別として、ね」


 そして、と彼は続ける。


「その願いの中には、本人の努力だけでは叶えられないものも数多く存在する。そういう時、人は神社に神頼みでもするものなのでしょう?しかし、神社に祀られた存在は、お賽銭を入れて手を合わせたくらいで全員の願いを確実に叶えてくれるわけでもなし。叶わない願い、届かない祈りなど掃いて捨てるほどある。そういう人間が扉鬼の話を聞いたら、縋りたくなるのも道理ではありませんか?同時に」


 す、と澪は目を細めた。


「自力で叶う可能性があるとしても。そのための努力を放棄して、楽に叶えて欲しいと願ってしまう人間は少なくないものです。……貴女のようにね」

「――っ!」


 ぐうの音も出ない。えりいは唇を噛んで俯いた。まったくもって仰る通り、というやつだ。

 えりいの願いは、自力で叶えられないと言い切れるようなものではなかった。それこそ、織葉と抱き合っていた人物が本当に彼の恋人だったかなんてわからない。違ったかもしれない。仮に恋人だったとしても、その人物と別れてえりいの方を向いてくれる可能性は十分にあった。でも。

 自分は、それを放棄した。

 織葉に本当の気持ちを打ち明ける勇気もなく、彼に真実を聞き出す度胸もなく。結局、彼の心を手に入れて幸せになるために、その努力をしなくてもすむように――おまじないなんて安易な方法に頼ってしまった。彩音に薦めてもらったから、なんて責任転嫁はできない。信憑性が高い方法だと彩音が言ったのを聞いた上で、聴くことを選んだのは自分自身なのだから。


「……じゃあ、願いは」


 震える声で、えりいは告げた。


「扉鬼に願いを叶えてもらうことは、絶対にできないってこと?」

「さあ」


 そんなえりいに、澪は肯定も否定もしなかった。その上で。


「しかし、結局のところ自分が幸せになれるかどうかは、自分の心一つだと私は思いますがね。どれほどお金があっても、家族がいても、愛されていても、己が満たされていると思えなければ幸せになることはできません。そして自分の努力で叶えた願いは、必ず己のその後の人生を支える自信に、財産になることでしょう。つまり、願いなんてものは誰かに棚ぼたのように叶えて貰ってもさほど意味を持たないのです。自分で叶えるからこそ、貴いものになる……違いますか?」

「……邪神っぽいのに、妙に真っ当なこと言う」

「邪神だからこそ、人間のことは人間よりよーく知っているのです。貴女なんぞよりよっぽどね」


 邪神っていうのは否定しないのか、と思ったがそのツッコミはやめた。ここでは野暮というものだろう。


「扉鬼の夢に取り込まれた人間は、おまじないの通りに“本物の鍵と扉”を見つけない限りここから脱出することはできません。そして夢の中の出来事は基本現実に影響しませんが……心が砕けてしまったら話は別なんですよ。その時、現実の肉体は同じ姿で崩壊することになります」


 裏を返せば、と彼はにんまり笑う。


「普通ならば致命傷になるような怪我を受けても、この世界ではそう簡単に死ねないってことでもあるんですがね。そして、夢の世界限定とはいえ、受ける痛みは本物というわけです。たとえばこの世界で拷問されている最中に目が覚めたとしましょう。剥がされた爪や折られた指は、朝目覚めれば元に戻っているし痛みも消えています。でも、その夜もう一度眠れば……再び欠損した体と痛みが戻ってくるわけです」

「じ、地獄じゃないそんなの……!」

「その通り。場合によっては、内臓を引っ張り出されても、首だけになっても死ねないなんてこともあるでしょうねえ。延々と、地獄の苦しみを味わって壊れた果てにようやく現実の体が死んで終わりを迎えるのです。もっとも……それで本当に救われるかはわかりませんがね。魂は未来永劫、この空間に閉じ込められているのかもしれませんし」

「なっ……!」


 じゃあ、とえりいは血の気がひく思いで言う。


「昨日死んだっていう、赤澤さんっていう女の人も……魂はまだこの地獄にいるかもしれないってこと?」

「かもしれません。いずれにせよ、確かなことは一つ。……この世界から生きて脱出したければ、鍵とドアを探すしかないわけです、しかも」


 澪は最後に、爆弾を落としていった。


「人間は、この空間からは鍵と扉以外の方法で脱出することができない。そしてそれは、ただ一人だけなのです」


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