目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第12話

 織葉の母とえりいの母は仲が良い。今でも時々、一緒にご飯を食べに行ったり、買い物に出かけることがあるのを知っている。

 母いわく、幼稚園の頃から相談されることがあったという。うちの息子は変なものが見えるのかもしれない、と。あるいは、異様なほど勘が鋭いような気がする、と。




『友達がお気に入りのキーホルダーを家の中でなくしてしまって泣いちゃった時があってね。家のどこを探しても見つからなくてもう諦めるしかないと思ってたら、あの子がテレビの裏に落ちているのを見つけたってことがあって。どうしてそんなところに入ってしまったのかは今でもわからないわ。心当たりが一切ないから誰も探してなかった。どうしてわかったのって尋ねたら、“なんとなくそこにあるような気がしたから”って……』




『海斗くんが家に遊びに来た時のことよ。ほら、幼稚園の時、年長から入ってきた男の子。何故か、あの子を家に送ると言って聞かなかったの。流石に幼稚園児に幼稚園児の送り迎えをさせるわけにはいかないじゃない?だからあの日は私も一緒に行ったんだけど、まさかその日に限って変質者が出てね。……私と織葉が一緒じゃなかったら、海斗くんは酷い目に遭っていたかもしれないわ』




『あとはそう、こんなこともあったかしら。おばあちゃんの家に遊びに行くことになったんだけど……●●日がいい、絶対この日がいいって主張したことがあって。今までのことがあるから、何かあるんじゃないかと思って、ちょっと無理してその日に有給取って遊びに行くことにしたら……おばあちゃんのところに電話かかってきてね。ようは、振り込め詐欺に遭いそうになってて。私と織葉が一緒の日じゃなかったら、止められなかったかもしれないわ』




 他にも、おじいちゃんのお墓参りに行ったら“おじいちゃんが黄色の花をお供えして欲しいって言ってる”と言ったり。ご近所を通った時に、“あそこの家で猫ちゃんが亡くなったみたい”と言いだしたり。

 何が見えているのか、単にやけに勘がいいのかはわからない。ただ、彼の謎のスキルのおかげで、身内の誰かが不幸な眼に遭うのを防げたことがちらほらあったというのだ。

 だから、彼に相談すれば、その夢が“危ないもの”かどうかも判明するかもしれない、という。場合によっては、解決策が見つかるかもしれない、とも。


――本当に、織葉には不思議な力がある、のかな。


 えりいは思わずむすっとしてしまった。彼に頼っていいのか迷っているというのもあるが、同時に。


「……私、その話知らない。幼馴染なのに」


 思わずそうぼやいてしまった。すると、ちょっと不機嫌だったはずの母はぷっと噴き出してこう返してくるのである。


「幼馴染だからでしょ。あのね、男の子ってのはプライドがあるの。プライドの塊と言っても過言じゃないわけ。……変な話して、心配かけさせたくないとか、不安な気持ちにさせたくないとかいろいろ思っちゃうのよ、きっと」

「そういうもんかな」

「そういうもんなの。まあお母さんは男の子だったことはないから、推測でしかないけど。……お父さんでさえ、未だにそういうことあるんだから。ほんと、意地張りって困るわよねえ。でも気持ちはわかるわ。大事な人ほど遠ざけて、それで守ったことにしちゃいたくなるキモチ。きっと織葉くんにとって、あんたが大事な人ってことなのよ」

「大事な人……」


 鸚鵡返しに呟く。

 大事な人だから、不思議な力のこととか、抱きついてきたあの女の子のこととか、みんな秘密にしていたのだろうか。そんなことが、本当にあるだろうか。


「秘密にされたら、もっと心配になったり、不安になったりするのに」


 思わずそう告げれば、母は呆れたように肩を竦めた。


「それ、今のあんたに言える台詞なわけ?織葉くんに何も言わないで、抱え込んで、一方的に怒ってるんでしょ」

「う」

「秘密にされたくないなら、自分も秘密にするのはやめることね。それと……誰だって隠し事はあって当然。どんなに親しい仲でもそう。大きな隠し事をされて後でトラブルになるのは困るけど、誰だって秘密にしたい過去や失敗や傷くらいいくらでも持っているものなんだから。親しいなら何もかも話すのが当然なんて思うのはあまりにも傲慢というものよ」

「……うん」


 そうかもしれない。えりいは何も言えず、項垂れるしかなかった。

 よく考えれば自分が一番驚いたのは、織葉に特別な女の子が他にいたということより、それを自分がまったく感知していなかったようなことのような気がするから。


「何度も言うわ。秘密にしてほしくないなら、自分もなるべく秘密にしないようにするしかない。そして、人が一人で解決できることなんて限られている、ということを知るべきよ」


 そういうわけだから、と彼女はそのまま立ち去っていった。


「ちょっとだけ時間をあげるから、さっさと気持ち切り替えて手伝いにらっしゃい。働かざる者食うべからずよ」

「……はあい」


 やっぱり、母にはかなわないな、とえりいは思う。彼女が去っていった部屋のドアを見つめて、ため息を一つ吐いた。

 スマホのLINEアプリを立ち上げる。そして、織葉にメッセージを入れた。


『明日、相談したいことがあるの。それから話したいことも。いつもよりちょっとだけ早く出てこれる?』


 偶然か、あるいはなんだかんだずっと心配されていたのか。すぐに既読がついた。それから。


『わかった。何時頃?』


 そういえば、おまじないをやった日、帰りに織葉の様子が少しおかしかった。まるで食って掛かるような態度が引っかかっていたが、あれは彩音がどうのではなく、おまじないの異様な気配を察知していたからかもしれない。

 もう一度、ちゃんと彼と話してみよう。例え、それが多少の痛みを伴うものだとしても。


――でなきゃ、前になんて進めない。


 スマホをぎゅっと握りしめ、えりいは小さく頷いたのだった。




 ***




 夜。

 えりいが眠ると、そこはあの明るい応接室だった。昨夜夢を見た時と同じ光景。目の前にはあの黒髪に金色の瞳の美しい少年が座っており、テーブルには彼が入れてくれたと思しき紅茶が置かれている。

 彼が着ている服が、黒いスーツっぽいものであるというのもあるだろう。まるで小さな紳士だ。豪奢な応接室もあわさって、あまりにも似合っている。実に幻想的な、絵画からそのまま出てきたかのような光景だった。


「あ、あの、こんばんは」

「はい、こんばんは」


 えりいがおっかなびっくり声を出すと、彼は紅茶を飲みながら挨拶してきた。


「えっと、話が中断していましたね、お嬢さん。ああ、金沢えりいさんとお呼びした方がよろしいでしょうか」

「私のこと、知ってるの?」

「ええもちろん。私はなんでも知っていますよ。この世界のことで、私に知ることができないのは……私自身の願いが叶う方法、くらいなものです」

「あなたの、願い……?」


 問い返すと、どうやらうっかり漏らした言葉だったらしく、“口が滑りました”と彼は眉をひそめた。


「こちらの話なので、お気になさらず。とりあえず私のことはみおとでもお呼びください。この世界における私の名前は、黒須澪くろすみおというので」


 みお。

 なんだか女の子みたいな名前だな、なんて思ってしまったが突っ込むのはやめておいた。そもそも、目の前の人物が少年に見えるからといって、本当に男の子とは限らないのだ。もっと言えば、もし彼が彩音が言っていた人物と同一人物ならば――さながらあの邪神、ニャルラトホテプのような存在ということになる。当然、性別も年齢もあったものではないに違いない。


「その、澪さん」


 えりいはおずおずと口を開いた。


「この世界について、扉鬼について……貴方が知っていることを教えて貰えますか?なんで、紺野さんに扉鬼について教えたのかも」


 それから、できれば貴方自身のことも。

 そう言いたかったが、そこはぐっと我慢した。彼本人についてつっこみすぎると、この人物は目の前から姿を消してしまう気がしたのだ。

 今の自分にとって、澪の存在は極めて貴重だ。ここで逃したらもうまともに情報を得ることはできなくなってしまうかもしれない、と思うほどに。


「そうですねえ、どこからどこまで話すのがいいのやら」


 くっくっく、と喉の奥で笑う澪。


「この世の中にはね、鬼がいるんですよ。でも、鬼というのは桃太郎が退治する鬼じゃない。体が赤くて、角が生えていて、金棒を持っていて、鬼ヶ島にいて、人に悪さをする巨漢。……そういう鬼は、少なくとも今のこの世界にはいないのです。鬼がいるのは、人の心の中なのですよ」

「人の、心の中?悪意のことでしょうか」

「悪意とは限りません。善意からも鬼は生まれるのです。誰かを殺したい、愛したい、守りたい、潰したい、見下したい、支えたい、助けたい、傷つけたい、裁きたい……様々な感情が、鬼を作ります。でも、通常それは人の心の中だけにあるもの。表に出てきて、別の人の目に触れるようになるケースは稀です。表に出ても、多くがその人本人の行動になって現れるのみ。人を殺すとか、盗むとか、慈善活動に走るとか、まあそういうものですね。……鬼と言えば聞こえは悪いですが、人が持ちうるあらゆる強い感情、意思、覚悟と言い換えてもいいかもしれません」

「はあ……」


 言っていることはわかる。わかるが、それだとまるで。


「鬼、つまり感情や意思が……人の行動以外の形で、顕現することもある、ってことでしょうか」

「その通りです」


 彼は優雅に、ティーカップに紅茶のおかわりを追加してみせた。


「鬼とは、人の意思、願いそのもの。……それを、魔物のようなものとして顕現できることに気付く者が稀に存在するのです。あるいは誰にも気づかれずとも、人の願いが勝手に別の存在として具現化されることがある。無自覚でそういう才能を持つ者もいる。……扉鬼もまた同じ。元々は、ただの鬼遊びでしかなかったんですよ。今日、貴女がスマートフォンで検索したような、ね」


 まさか、そんなことまでばれているのか。まるで監視されていたかのようだと感じて、えりいは言葉を詰まらせる。

 偶然同じ名前の鬼遊びがあると、それだけだと思っていたのだが、違うのだろうか。


「本物の扉を開けた人間が鬼となるが、よりたくさん鬼となった者が勝利するという一風変わったこの遊び。裏を返せば、誰かが本物の扉を見つけない限り、この鬼遊びは永遠に終わらない」


 澪は心底楽し気に続ける。


「かつてとある場所で、この鬼遊びを使って行われたいじめがありましてね。……それが、ある人物の心に本物の鬼を産んでしまったのですよ」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?