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第11話

 亡くなった女性の名前は、赤澤亮子。三十二歳のОLらしい。

 東京都О区のアパートで独り暮らしをしていたようだ。明け方近く、室内から凄まじい悲鳴が聞こえたので、隣に住んでいるカップルが様子を見に行ったらしい。


『痛い痛い痛い痛い、助けて、助けて、助けてええええええええええ!!』


 それは暴力を振るわれているとか、強姦されているとか、もうそんなレベルの悲鳴ではなかったという。

 カップルはどちらも夜勤の仕事をしており、深夜に家に帰ってきてご飯を食べ、これから寝るところだったそうだ。そしたら、壁の薄い隣の部屋から絶叫である。隣の部屋に住んでいるのがまだ若い女性だと知っていたこともあり、心配になって二人で隣室に向かったという。


『どんどんどんどん!って思いっきりドア叩いて。大丈夫ですか、何かあったんですか、って訊いたんです。でも、悲鳴もなんかどんどん小さくなっていって、しまいには部屋の中から変な臭いまでしてきて。血と、それから排泄物でも垂れ流してるみたいな……とにかく、まるでいろんな汚い物を混ぜたような、嫌な臭いが』


 カップルの男性は、インタビューにそう答えた。


『元々このアパートボロいし、騒音やら異臭で騒ぎになることはあったんです。前にもその、一人暮らしのおじいちゃんが眠ったまま亡くなってた時も、異臭がしてきたから近隣住民が気付いたってかんじで……。まあそういうこともあってかうちのアパート安くって、俺たちみたいな安月給の人間も住めてるといいますか。……隣に住んでた赤澤さん?フツーの人でしたよ。結構綺麗で、ちょっと派手目な見た目してましたけどね。結婚はしてなかったと思うし、男性を連れ込んでるとか多分そういうのもなかったかと……いえすんません、俺たち夜型生活してるんで、あんま生活時間帯合わないというか、顔合わせることも少ないというか』


 ご近所づきあいが深いタイプのアパートではなかったという。そもそも賃貸なので、住んでいる人間も入れ代わり立ち代わり、といった雰囲気だったそうだ。

 ただ、赤澤亮子はその中では長く住んでいる方だったという。恐らく、もう七年くらい住んでいたのではないか、とのこと。

 悲鳴も聞こえなくなってしまうし、変な臭いもするし、これはまずいと思って110番通報したという。

 すぐに近所の警察官が駆け付けてきて、管理人に鍵を借りて中に入ったのだが、そこには。


『俺、一緒についていって……ちらっとだけど、見ちゃったんです、すごい死体』


 彼女は布団の上で、両手両足をもぎとられていたそうだ。

 それは奇妙な死体だったという。まるで大の字に寝ている最中、体を布団に押し付けられて、両腕両足を同時に引っ張られてちぎられたかのような死体だったのだとか。

 多分、このニュースサイトがあまり上品なものではなかったのだろう。彼女の死に様について、かなり生々しく記されていた。多少は盛っているかもしれないが、おおむねその通りだったということだろう。――彼は見たそうだ。血走らせた目をかっと見開き、口から泡を噴いて恐怖と苦痛に歪んだ顔で死んでいる赤澤亮子の姿を。

 それはさながら、ホラー映画のよう。

 警察によると、彼女は本当に、生きた状態で両手両足を引きちぎられたとみて間違いないようなのだ。しかも、現場はあの部屋。あそこに何者かが侵入して、彼女の両手両足を引っこ抜き、その苦痛でショック死させたとしか思えないという。

 だが、そんなことが本当に、現実的に可能かは怪しい。

 ドアにも窓にも鍵がかかっていて、屋根裏の秘密の通路なんてものもなし。そもそも、人間の力で人ひとりの四肢を同時に引きちぎって殺すなんてできるはずもない。それこそなんらかの機械や動物を使って、全身を凄まじい力で引っ張るなんてことでもしない限り不可能だろう。さながら、大昔にあった車裂きの刑のように。

 だが、そんな装置があった痕跡はなし。

 不思議なことに彼女が暴れた形跡もないのだ。まるで眠っている間に抵抗もできずに体を引きちぎられでもしたかのような。――その割に、顔はばっちりと苦痛を感じて歪んでいるとのことだったが。


――犯人の痕跡もなし。指紋も、足跡も、それらしいものは見つかってないって、これ……。


 えりいは言葉を失った。

 乗っている写真は、間違いなくあの時の女性だ。

 夢の中で出会った女性が、実在していた?それも、そのあと現実で亡くなったというのか?

 鬼に見つかった人間は夢から弾き出されて戻ってこられなくなるのでは?と彩音は言った。確かに扉鬼の世界を何かが徘徊している気配はあるが、だからといって不安になる必要はないと。夢から出られなくなるだけで、現実にきっと実害はないはずだと。

 しかし、それはあくまで彼女の予想でしかないのだ。だって彩音は実際に、扉鬼に捕まったことがあるわけではないのだから。

 もしも実際は、怪物に捕まると現実にも影響が出るのだとしたら。

 それこそ本当に、現実の体も怪物にめちゃくちゃにされて、地獄のような苦しみの中で死ぬのだとしたら。


――そ、そんなこと。


 あるわけがない。そう思いたい。

 そうだ、自分が夢の中で見た女性と死んだ女性が同一人物であるという証拠はないのだ。同じ顔だと思ったが、それも勘違いかもしれない。

 それこそ、現在の警察は優秀だ。オカルト現象でなくても、生きた人間を密室でバラバラにする方法だって科学的に証明してくれるかもしれない。そうすれば、自分も変な鬼のせいだとか、そんなこと思わずに信じられるのだから。

 ああ、でも、もし。もし警察が、そんな方法見つけられなかったら?オカルトでしかありえないなんて、そんな結論を出してしまうようなことがあれば?


――怖い。


 体が小さく震え始める。自分は本当の本当に、とんでもないものに手を出してしまったのではないか。

 そうだ、もし彩音も知らなかったのであれば、迷宮を夢の中で彷徨うだけで済むものだと思い込んでいたなら、悪意もなく人に薦めてもおかしくないではないか。


「ちょっとー、えりい?」

「!」


 がちゃり、とドアノブが回った。慌ててえりいはベッドから跳ね起きる。どうやらあんまりにみえりいが部屋に閉じこもって出てこないので、母が気になって見に来てしまったらしい。


「いつまでもベッドでごろごろしてないで、ご飯の手伝いくらいしなさい。子供じゃないんだから、それくらいできるでしょ」

「お、お母さん……」


 彼女はまだ何も知らないし、話していない。こんなこと、話してもどうしようもないとわかっていた。大体これは、人に話すことで別に人を招き入れる怪異ではないか。絵を描かなければ大丈夫、みたいなことを彩音は言っていたが、本当に大丈夫かどうかなんて実験もしていないのでわかるはずがないのである。

 ゆえに、本当のことは言えない。でも。


「お母さんは、おまじない……ううん、幽霊とか妖怪っていると、思う?」

「はあ?」


 突然何を言い出すんだ、と彼女の目が困惑に見開かれる。えりいは続けた。


「そ、そのね。大したことじゃないんだけどね。友達と、ちょっと不思議なおまじないみたいなことしたらね。……変な、妖怪が出てくるみたいな夢を見るようになっちゃって。もちろんまだ昨日の夜だけだし、偶然かもしれないけど。そういうの、本当だったら怖いなっていうか。条件をクリアしないと夢の中から一生出られない、みたいなやつだし……」


 具体的なキーワードを避けたら、随分とふんわりした話になってしまった。何話してるんだ自分、と自己嫌悪に陥る。母は霊感なんてある人ではないし、きっとオバケだって信じてないだろう。そんな変な儀式をするからいけないのだとか、そんなのはあなたの思い込みだ、と言われる気がしてならない。ただでさえ、なかなか手伝いに出てこなかった自分に怒っているだろうし。

 ところが。


「いるかどうかなんてわからないけど、いてもおかしくないと思ってるわよ」


 彼女はあっさりのたまった。


「私は霊感とかそういうのないし、特にオバケを見た経験とかもないわけだけど。自分が見たことないから、知らないからって存在を全否定するのも野暮でしょ。世界のどこかにはそういうのが見える人がいるのかもしれないし、実際に怪現象だってあるのかもしれないし」

「え、信じるの?」

「あるかもしれないなーって思う程度。がっつり信じてるわけじゃないわ。だって、何かが存在することを証明するのは簡単でも、いないことを証明するのって本当に難しいんだから。悪魔の証明ってそういうことでしょう?」

「ま、まあ……」


 意外だった。なんでそんな風に思うの、とえりいが尋ねるより先に。


「私がそう思うのも、織葉くんのことがあるからなんだけどね」

「え?織葉?」

「そうよ。あら、貴女は知らないんだっけ?織葉くん、小さな頃から不思議なものが見えるらしいのよ。裕美ゆみから聞いたんだけどね」


 裕美、というのは織葉の母の名前だ。翠川裕美。織葉がまだ小さい頃旦那さんと別れて、今はシングルマザーとして織葉を一人育ててくれているという。


「織葉くんのお母さん、織葉くんが小さい頃に離婚しているでしょう?詳しいことは私もよく知らないけど……織葉くんに不思議な力があったことが離婚のきっかけになったらしい、ってぼんやりしたことだけは聞いてるわ。織葉くんが悪いわけじゃないけどね」

「知らなかった……」

「知らなくても無理ないわよ、本人もそんな話したがらないでしょうし。私が裕実と仲良しで本人の愚痴聴きしていたから知ってるだけだもの」


 ただね、と彼女は続ける。


「オカルト的なものが本当か嘘かは別として。……織葉くんなら、相談に乗ってくれるんじゃないの?と思うわけ。色々思うところはあるのかもしれないけど、まずは一度話してみたらどう?……ひとりで悩んで抱え込んでたって、そうそう物事は解決しないものなんだから」


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