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第9話

 織葉は何やら、よっぽど気にかかることがあるらしい。今日は一年二組の教室の前まで送ってくれた。


「じゃあ、俺となりだから」

「……うん」

「危ない真似はするなよ」

「……うん」


 何がそんなに心配なのだろう。人のことをどうこう言うけれどえりいからすると十分織葉の様子もおかしいように見える。なんだか妙に過保護になったような。


「……人に隠し事してほしくないなら、自分も隠し事するなっての」


 ぼそりと、隣の教室に入っていく背中に呟いた。きっと彼には聞こえていないことだろう。


「金沢はん!」

「ひゃっ!」


 唐突に後ろから背中を叩かれた。慌てて振り向けば、そこには小柄なショートカットの少女が立っている。蓮子だ。


「あれ、翠川くんやんな。仲良しやってのはほんまやったんやなあ」

「仲良しっていうか、ただの幼馴染なだけ、だけど」


 ああ、駄目だ。本当に駄目だ。ただの幼馴染――自分で言った言葉でダメージを受けるなんて、本当にどうかしている。

 沈んだえりいの様子に気付いてか、蓮子が顔を覗き込んできて言う。


「でもって、喧嘩も継続中、か。ああ、金沢はんが一方的に突っかかってるだけなんやっけ?仲直りせえへんの?」


 さっさと話してしまえば解決するのに、とその目が言っている。まったくもってその通りだ。えりいは苦笑いするしかない。自分でも、何をぐだぐだやってるのかと自分でも思っているのだから。

 本当に彼に彼女がいて、自分とはもう一緒に帰ることができないと言われる日が来たら立ち直れない。そう思っている自分がいる。

 まあ、既に彼女がいるならえりいから切り出さなくても距離を取るべきだろう、と思わなくもないけれど。


「……もうちょっと勇気が出たら、言う。それよりも」


 今は、あまりそのへんを突っ込まれたくはない。同時に、蓮子には尋ねたいこともあった。教室に入り鞄を置きながら、あのさ、と問いかける。


「銀座さん、昨日の夜……扉鬼の夢、見た?」

「見たで」


 蓮子はあっさり即答した。


「灰色の通路があって、いくつもよくわからんドアが並んどったわ。うちはちょっと歩いたらいきなり広間みたいな空間におってな、赤いドア、黄色いドア、緑色のドア、白いドアがあって……どれにしようかほんまに迷ってしもたわ」


 やっぱりそうなのか、とえりいは肌寒い気持ちになる。もし、えりいだけが夢を見たというのなら、昨夜のあれは自分の妄想である可能性もあったはず。しかし、実際は蓮子も同じ夢を見たという。ということは、自分が思い込みで扉鬼の夢を見たわけではない、ということだ。

 ならば、あの黒髪の少年も、妄想の存在ではないということなのだろうか。

 彼については、今夜夢を見た時にも登場したら、その時また追求すればいいような気がするが。


「それで、カラフルなドアのどれにしたの?そういうの、すごく迷うと思うんだけど。それとも、ドアの向こうから変な音がした、とか?」


 筆記用具を取り出して、机の中に入れながら尋ねる。


「いんや。どれも色以外違いがないように思ったわ。どれがええかなんて、わかるわけないやろ?せやから」

「ら?」

「どーれにしよーかなー。天の神様の言うとおりー!……で適当に選んでしもた。白いドアをくぐったら、今度は真っ白な廊下に出たで。そしたらどこまでも、なーんもない通路で、このまんまじゃ退屈やんなーって思ってたら目が覚めた」

「……そう」


 どうやら、蓮子は誰かに出会うようなことはなかったらしい。えりいは少しだけ躊躇った。昨夜自分が見たものを、どれだけ蓮子に話すべきか、否か。


「で、そっちはどうだったん?なんか、おもろいもん見たりしたんか?」

「え、えっと……」


 迷う、迷う、迷う。――しかし、昨日の女性の様子はやっぱり気になる。情報は共有しておくに越したことはないだろう。知っていれば、避けられるピンチもあるかもしれないなら尚更に。


「実は、昨日……同じように扉鬼の夢に入った人に会って。三十歳くらいの女の人だったんだけど、ちょっと様子がおかしかったものだから……」


 えりいは、昨日の夜見た女性のことを話した。あちこち服が破れていて、何かから焦って逃げている様子だったこと。そのため、入ってきたドアの鍵がかからないことに苛立っていたように見えたこと。

 嫌な予感がして、彼女が入ってきたのとは違うドアに入ったこと。

 そしたら暫く歩いた後で、遠くから女性の悲鳴のようなものが聞こえてきたこと。それから。


「長い黒髪の、小学生みたいな男の子がいて。その子が何か知ってるみたいだったんだけど、話を訊こうと思ったらそこで夢が終わっちゃって」

「なるほどね」


 もう一人、声がした。振り向けば、鞄を背負ったままの彩音の姿が。どうやら丁度今登校してきたところであるらしい。


「話は聞いたわ。夢の中に入ってきた人は他にもいる、そういう人達とトラブルになることもある……っていうことは言ったと思うけど。確かに、時々“何かから逃げ回っている”ように見える人と出くわすこともあるのよね」

「彩音はん、おはよ!」

「ええ、おはよう蓮子さん。それから金沢さんもね。……わたしもそれなりの期間、扉鬼の世界を探索しているけれど。まだ、“逃げている人”を見つけたことはあっても、何から逃げているのかを目撃したことはないのよ。なんとなく嫌な予感がするものだから、そう言う人を見たらすぐに違うドアに入って回避するようにしてるの。だから、二人もなるべくそうしてね。多分、実際に遭遇しなければ何も問題ないと思うから」

「え、ええ……」


 なんでそういう話を先にしておいてくれないのだろう。えりいはげんなりしてしまう。命の危機があるかもしれないなら、おまじないを教える前に伝えておくべきではないのか。

 えりいのそんな感情が顔に出ていたのだろう。彩音は困ったように眉をひそめた。


「ごめんなさい。その、さっきも言ったけど“逃げている人”は見かけたことがあっても、何から逃げているのかは知らないから。そんなに危ないものだとも認識していなくて。遭遇しなければ大丈夫だろうし、回避できるものだと思って、それで」

「ええよええよ彩音はん!願いが叶うメリットがあるんだから、多少のリスクくらい当然やん。むしろ、その方が冒険みたいに燃えるやろ、なあ金沢はん?」

「え?え……ま、まあ」


 無理やり流されてしまった。えりいとしても、別に彩音を責めたいわけではない。しかし、どうにも蓮子は、彩音の言うことはなんでもかんでも肯定しようとしているようでちょっと納得がいかない。

 危険があるかもしれない、と聴いて彼女は不安に思わなかったのだろうか。それとも、実際に目撃していないから緊張感がないだけなのか。


「扉鬼の世界をうろついている怪物……みたいなものがいるとして。それは、どういうものなんだと思う?」


 えりいの問に、そうね、と彩音は目を伏せる。


「そもそも、扉鬼というおまじないであるからには……そう呼ばれる本体がどこかにいてもおかしくないと思うの」

「本体……“扉鬼”っていう名前の鬼、ってこと?」

「ええ、そう。その鬼があの異空間を作っている。そして、空間であるからには限りがあると思うのよ。だからこれはわたしの推測なんだけど……その空間に人が無限に増えないように見張っている、ということは考えられないかしら」


 だって、と彼女は鞄を前に抱え直して言う。


「わたしは、二人に絵を描いて、扉鬼の世界に誘ったでしょう?扉鬼の世界に他人を招く方法はとても簡単。あの世界のことを話して、絵を描いて人に見せる、それだけ。恐らく、絵の上手い下手も関係ない。つまり、条件を満たした人間がほぼ無限に異空間を訪れることになる。そして人が増えれば増えるほど、本物の扉に辿り着く人間も増えて……扉鬼が願いを叶えなければいけない人も増えるでしょう?いくら人知を超えた鬼でも、大きな負担になってしまうのは間違いないと思うの」


 それは、確かにそうかもしれない。

 場合によっては、持っている力のキャパシティを越えてしまう、ということも考えられるだろう。


「だから、異空間に人が増えすぎないように巡回して見張ってる?」

「そう」


 頷く彩音。


「鬼に見つかった人間は消されて、夢の中からはじき出されてしまう。そして二度と、扉鬼の夢に戻ってこられなくなるんじゃないか。わたしはそう予想しているわ」


 なるほど、とえりいは理解した。何かから逃げている人の姿を目撃しているのに、彩音に危機感がないわけ。それは、鬼に見つかって捕まっても“夢の中からはじき出されるだけだろう”と予想しているかららしい。

 実際、よくよく考えると自分達は現実の体が異空間に取り込まれているわけではない。あくまで、異空間に入った夢を見ているだけだ。ならば、仮にあそこで殺されるようなことがあっても、現実の体に傷がつくことはないのだろう。実際えりいも、夢の中では制服姿だったのに、眠る前と起きた後は普通にパジャマに戻っていたし靴も履いていなかった。夢の中の状況は現実に影響しない――ならば、もう少し楽天的に考えてもいいのかもしれない。

 もちろん、願いを叶えたい人間からすれば、夢の中から強制退場させられてしまうのは避けたいことに違いないだろうが。


「そこそこ長い期間夢の中にいるけど、長いこと歩き回っているわりに人と遭遇する確率は低いのよね。ということは、定期的に夢の中に取り込まれた人間が排除されていっているってことだと思う。もちろん、純粋に空間が広すぎて、人間が多少増えたくらいじゃ遭遇率が上がらない、なんて可能性もあるけど」

「……どっちみち、その扉鬼?らしき何かからは逃げ回った方がいいってことか」

「そうね。とりあえず、何か新しい情報がわかったら、またこうやって作戦会議して共有しましょう。みんなで協力すれば、早く出口も見つけられそうだし」

「せやなせやなせやなー!はよ本物の扉見つけて、願い事叶えてもらわなあかんもんな!」


 うきうきした口調で拳を突き上げる蓮子。ここでふと、えりいは気が付いたのだった。

 ひょっとしたら、彩音が自分達におまじないを伝授したのは――一人でいくら探し回っても、本物の扉とやらが一向に見つけられなかったからではないか。人海戦術、仲間を増やしてその扉を見つけるためだったのではないか、と。


――そうまでして、この人が叶えたい願いってなんだろう。


 つい、まじまじと彩音の顔を見てしまう。

 えりいには想像もつかなかった。自分と違って彼女はどこまでも完璧で、足らないものなんて何もないように思えたから。


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