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第6話

 ぺた、ぺた、ぺた、ぺた。

 その空間は、あまりにも静かだった。ただひたすら、えりいが歩く足音だけが響く。




『広い空間といっても限界があるもの。扉の数も無限にあるわけじゃない。時間をかければ必ず見つけられるはずよ。あくまで夢の中の話だからリスクもないしね。ただ、時々同じように扉鬼の世界に入って鍵を探している人と遭遇して、喧嘩になることはあるから気を付けて。なかなか見つからなくて苛立ってる感じの人、何人か見かけたことがあるから』




 同じように扉鬼の世界に入った人と遭遇することがある、と聴いていたが、今のところ人の気配はない。それ以外のナニカも見つからない。

 どこかのドアを見つけて進めば、全然雰囲気の違うエリアに入ることもあるのだろうか。


――そういえば、現実の私の時間ってどれくらい過ぎてるんだろう。


 早々に退屈になってしまい、欠伸をしながらそんなことを考える。


――毎晩夢を見る、って言い方からして、朝になれば普通に目が覚めるってことなんだろうけど。……そういえば、夢を見るのは夜だけなのかな。授業中とかにうたた寝したり、お昼寝した時も見たりするのかなあ。


「お」


 どれくらい歩いただろうか。

 突然、開けた空間に出た。横に長い広間であり、正面の壁には三つのドアが並んでいる。やっとドアが見つかったのはいいが、あまりわくわくした気分にはなれなかった。

 というのも、全部同じ形のドアだったからである。なんというか、自宅マンションの玄関のドアそっくりの、焦げ茶のドアなのだ。触るとどれもひんやりと冷たい。何か音がしてくるとか、振動を感じるなんてこともない。あまりにも、三つの外観の差がない。これでは選ぶ基準もへったくれもないではないか。


「扉鬼さあん……ドア並べるなら、もっとこう、違うデザインにしてくれないかな。つまんないよー」


 ついついぼやいてしまった。左のドア、真ん中のドア、右のドア。どれも違いなんかわからないし、どれを選んでも同じのような気がする。

 あるいは、鍵がかかっていたりするのだろうか。そういえば、“本物のドア”には鍵がかかっていて、鍵とセットで見つけない限り願いが叶わないと聞いたが。


「うーん……」


 どうやら、そもそも鍵、というものが存在しないタイプのドアのようだ。ということはつまり、どれも“本物のドア”ではないのだろう。

 ぺたぺた触ってみたものの、やはり材質に違いはない。どれも鉄製の、冷たいドアが鎮座するばかり。これでは完全に、運と勘だけで選ぶしかなさそうである。


――どうせなら、デジタルダイスのアプリでも使ってみるかな。これなら電波入ってなくても使えるでしょ。


 とりあえず、一番左のドアを1、真ん中を2、右のドアを3と定義することにする。TRPGを遊ぶ時に使うダイスアプリ、これを使えばランダムで特定の数字を選んでもらうことができるのだ。デジタルダイスなので、“何番から何番までの間”というのも自由自在に入力することができる。

 今回は、1から3の間の数字が出ればいい。最大数を3と入力し、ダイスを振ろうとしたその時だ。


「!?」


 音が聞こえた。一番左、1と名付けたドアの向こうから。規則的な音――誰かが走ってくる足音だ。どんどん近づいてくる。少し甲高いように思うので、ハイヒール――女性、だろうか。


――私と同じように、扉鬼、の夢に入ってる人?もしかして、紺野さんか銀座さん?


 いや、彼女達ならハイヒールは履かないだろう。そう結論付けた直後、左のドアが勢いよくこちら側に開いたのだった。


「はあ、はあ、はあ……!」


 息を切らして飛び込んできたのは、長いウェーブした茶髪の女性だった。三十代くらいだろうか。グレーのスーツとスカートを着て、ヒールの高い靴を履いている。気になるのは、スカートとシャツがあちこち破れているように見えることだろうか。シャツに至ってはボタンがいくつか飛び、一部ピンク色のブラジャーが見えてしまっている。


「で、出られた、新しいところっ……!」


 彼女はえりいの存在に気付いていない様子だった。ドアを勢いよく閉めると、ノブの周辺をがちゃがちゃと探している。鍵をかけようとしているのだ、と気づいた。しかし。


「あ、あの……」


 とりあえず、声をかけてみることにする。


「このドア、さっき私も調べたんですけど……このドア、全部鍵はついてないみたいで」

「!」


 ここで初めてえりいの存在を把握したらしい。ぎょっとしたようにこちらを見る女性。その目はやや血走り、涙を流したからなのかアイシャドーが解けて頬を伝った後がある。崩れた化粧を気にする余裕さえなかった、ということなのだろうか。ぎらぎらとした余裕がなさそうな眼に睨まれて、思わず言葉に詰まるえりい。


「鍵ないわけ?意味ないじゃない!……くそっ、ふざけんじゃないわよ!こっちは逃げなきゃいけないってのに!」


 彼女はイライラしながら、再び息を切らして走り出した――えりいがやってきた通路の方へ。


「……なんなの?」


 残されたえりいはぽかん、とするしかない。

 確かに、扉鬼の夢に入った人間は、本物の扉が見つかるまで夢を終わらせることができないと言っていた。早く願いを叶えたい人間ならば焦るのも道理だろう。しかし、今の彼女はただ焦っているというのとは違うような印象を受ける。

 逃げなきゃいけない。

 彼女ははっきり、そう言っていたが。


「逃げるって、何から?」


 彼女が飛び出してきた1のドアノブを握る。ノブが、彼女の手汗でびっしょり濡れていることに気付いた。一体何があったのだろう。あれはまるで、何かに怯えて逃げ惑ってでもいたかのような。


「……っ」


 嫌な予感がする。このドアへ入るのはやめた方がよさそうだ。ひょっとしたら、別の人間に出会う以外に、何かトラップのようなものでもあるのかもしれない。

 えりいはドアを離れると、一番遠い3のドアの前へ向かった。こちらのドアも、鍵はついていない。素早く開けて、中を覗き込む。――幸い、さっきとは変わらない灰色の廊下が続くのみだ。異変らしきものは、ない。


――行こう。


 えりいはするり、とその中に体を滑り込ませた。

 ドアを閉めた途端――背後で、別のドアが開くような音が聞こえた、なんて、きっと気のせいであると信じて。




 ***




 馬鹿な真似をした。ああ、本当に馬鹿な真似をしてしまったと思う。

 酔っぱらっていたとはいえ、どうしてあんな話を聞いてしまったのか!


――ああああああああああああもう!私の馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿っ!


 赤澤亮子あかざわりょうこは、息を切らして廊下を走る、走る、走る、走る。このドアを選んだのも失敗だったかもしれない。さっきからずっと同じ通路が続くばかりで、新しいドアが見つからないのだ。ドアがない、ということはつまり万が一“あれ”と鉢合わせしても、逃げ道がないということだというのに!


――本当に馬鹿!どうしよう、どうすればいいのよ、ねえ、ねえ!?


 三十二歳。

 大学のオカルト研究サークルの面々で久しぶりに集まろう、となった時、亮子は舞い上がったのである。大学時代、ひそかに片思いしていた“冬島繁樹ふゆしましげき”が参加すると聞いたからだ。

 繁樹は一つ年下で、モデルのように背の高いイケメンだった。

 オカルト研究会に入ったのはホラー小説を書くためだと言っていた。将来、作家になりたくて執筆活動を頑張っているのだという。間近で本物のオバケを見ることができれば、さぞかしネタになるはずだと笑っていたのを覚えている。

 そんな彼が、とある大きな新人賞を取ったと聞いたのは去年のこと。

 改稿を重ね、今年の春に発売されたホラー小説“廃屋と月”は本屋でも平積みにされ、重版出来がかかっていると聞いている。賞金に加えて印税も入るだろうし、かなり将来有望なのは間違いなかった。

 当時は告白できないまま終わってしまったけれど、今度はなんとかなるかもしれない。どうにかして彼に近づきたい、口実を得たい。そう思っていた矢先のことだったのだ。


――飲み会に参加して、どさくさに紛れてお持ち帰りしちゃえばこっちのもんだと思ってた。冬島くんは相変わらずウブそうだったし、未だにドーテーって話もあったし。


 これでもかつては読者モデルをやっていたほど顔とスタイルに自信があった亮子である。酔った勢いで言い寄ってモノにしちゃえばいい、くらいなことを思っていた。残念ながら、同じようなことを考えていた女性は多かったらしく、そうは問屋が卸さなかったわけだが。

 そもそも論として、最初に割り当てられた席が遠すぎた。

 何度かお酒を注ぐという名目で席を移動したが、他の男性に絡まれてしまって結局彼とはろくに喋ることもできなかった。まるで、誰かに邪魔されているかのようにうまくいかなかった目論見。次第に亮子はヤケになってきて、いつもより多くお酒を飲んでしまったのである。

 飲んだといっても、ビール三杯にカクテル二杯、サワー二杯といったところ。酒に強い友人たちならばこれくらい何ともなかったのかもしれないが、亮子にとっては完璧に容量オーバーだった。

 みっともないところを晒すわ、繁樹には接触できないわ、ほんと今日はいいことがない。ぐちぐちと近くに座っていた友人に漏らしていたところで、彼女が慰めながら言ったのである。


『じゃあさあ、冬島クンをモノにできるかもしれないおまじない、教えてあげよっか?そのおまじないをすると、どんな願いも叶うって話なんだよね。まあ、あたしはまだ叶えてもらってないんだけどー……』


 そこで聞いたのが、扉鬼、の話。

 彼女は手帳にボールペンで、扉鬼の世界の絵を描いた。お世辞にも絵が上手な女性ではなかったが、不思議なことに彼女の拙い絵を見た途端、脳裏に“扉が並ぶ不思議な空間”の映像が流れ込んできたのである。

 学生時代、うそっぽい都市伝説ならいくらでも聞いたし、調べた。だから多少なりに知識はあるつもりだったのだが――今回のそれは違うのではないかと予感した。

 本物だ。

 今度こそ、本物の怪異が目の前に現れたのかもしれない、と。

 そしてその予感は、夜眠って扉の世界の夢を見たことで確信に変わったのである。自分は、扉鬼の世界に招かれたのだと。


――最初は面白かったし、浮かれてた。でも、でも……!


 あいつ、と。自分におまじないを教えた友人の顔を思い浮かべて、ギリギリと奥歯を噛みしめる。


――言いなさいよ!あんな……あんなバケモンがうろついてるなら、はじめから!


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