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第2話

 今日の放課後時間はある?と彩音は尋ねてきた。月曜日は美術部の活動がないから、時間があると言えばある。精々、織葉に“今日は先に帰っていて”とLINEを一本入れる程度のものだ(それも、今の状況で必要なのかどうかはわからないが)。


「ある、けど……」


 少しだけ戸惑った。オカルトとかホラーとかおまじないとか、別に嫌いというわけではないし興味がないわけではない。

 でもちょっとだけ意外だったのだ。真面目で成績も良くて、良いところのお嬢様の彩音がそういうものを信じているというのは。


「わたしがそういうものを好き、というのが意外?」

「え」


 どうやらえりいの本心は見抜かれていたらしい。思ったことがそのまま顔に出てしまったのだろうか。どきっとしていると、彼女はくすくす笑って言った。

 どうやら気分を害したわけではないようだ。


「よく言われるの、紺野さんはリアリストだと思ってた、って。でもね、オカルトって結構馬鹿にできたものじゃないのよ。だって、悪魔がいることを証明するのは簡単でも、悪魔がいないことを証明するのは限りなく不可能なんだから」


 悪魔の証明。それは漫画で見たことがあるので知っている。

 もし、この世の中に悪魔がいることを教えたいのなら、悪魔を連れてきてみんなに見せればいい。

 しかし、悪魔がこの世の中にいないことを証明するのは難しい。何故ならば、世界中をくまなく探すことができても、“全てを探し尽くした”などと断言することはできないのだから。


「神様、天使、魔法、異世界、超能力。どれもこれも、絶対にいないと証明するのは難しい。だから、人はいろいろなことを想像する余地があるし、そういった空想の世界を描いた小説やアニメに惹かれるんだと思うの。こういうものが本当にあったら面白い、刺激的。そう考えて生きるのは、とっても楽しくてわくわくしない?」

「た、確かにそうかも」

「それにね。おまじないが嘘でも、それはそれでいいとわたしは思うわけ」

「?」


 どういう意味なのか。首を傾げるえりい。


「本当に大切なのは、人の心よ」


 彼女は胸に手を当てて微笑んだ。


「これは本当になる、本当にする。信じることで自分に誓いを立てる。前に進む助力となる。……ようは、自己暗示ってやつかしら。……ね?そう考えると、おまじないや魔法に頼るのも悪いことではないと思えてこない?」

「う、うん……そ、それもそうかも!」


 少しだけ意外で、同時に彩音という少女を見直した自分がいた。

 彼女は真面目だし、成績優秀なお嬢様。非現実的なことなんか全然信じてない、お堅い人物だと思っていたのだ。確かに優しいしとても親切な少女ではあるけれど、完璧すぎて頭が固そうというか、なんとなくそんなイメージが先行して距離を置いてしまっていたところがあるのである。

 思った以上に、ロマンがある女の子なのかもしれない。そう思ったら親近感も湧こうというものだ。


「じゃあ、放課後、四階の西端の……空き教室で待ってて。あそこ、鍵壊れちゃってて、実は開きっぱなしになってるの。秘密のオハナシをするにはぴったりってわけ」


 唇に指を一本押し当てて、秘密、を示す少女。


「ああ、色々言ったけどね……金沢さん。わたし、このおまじないにはかなり自信を持ってるの。だから、信用してくれると嬉しいわ」




 ***




 放課後。


『今日は用事があって一人で帰るから、先に帰ってて』


 織葉にLINEをして、えりいは教室を出た。

 教科書を入れる学校指定の黒いリュックと、青いサブバッグ。今日は宿題が多めに出てしまったので、背中に背負っているリュックの方がちょっと重たい。家に帰ったら、英語のレポートだけでも手をつけなければ。


――あーあ……雨、降ってきちゃったな。


 廊下を歩きながら、ちらっと窓の外を見る。まだ梅雨入りしていないはずなのに、窓の外にはしとしとと重たい雨が降っている。校庭はすっかり大きな水たまりができていて、いつもならば聞こえてくる野球部やサッカー部の元気な声がちっとも響いてこなかった。外で活動する運動部のメンバーはさぞかしがっかりしていることだろう。体育館だけでは、できる部活は限られている。もとよりバレーボール部やバスケットボール部のような体育館を使っている部活動もあるのだから尚更に。

 自分は今日部活もないし、元々美術部だから雨なんてものは関係ない。

 それでも雨が降ると、なんだか気持ちも暗く沈んでしまうというものだ。月曜日から雨というのもよろしくない。あと一週間、みんな学校や仕事を頑張らなければいけないというのに。


――おまじない、効くかな。


 ぺた、ぺた、ぺた、ぺた。

 上履きがいつもより湿っぽい音を立てて廊下を叩く。

 今、この高校はどの学年も四クラスずつしかない。しかし、昔はもっと生徒が多かった頃もあるようで、教室があちこち余っているのだった。

 そして平成になるかならないかの頃からある学校ということもあり、やや校舎がボロくなってきている。時々雨漏りするのか、廊下に洗面器やバケツが置いてあることもあった。柱が軋むような、嫌な音がすることもある。

 できれば自分が在学中に、大きな事故や地震がないといいけど、なんて思ってしまう。耐震構造とやらは大丈夫なのだろうか。そろそろリニューアル工事でもしないといけないような気がするが。


――四階……。


 校舎は四階建て。しかし、生徒数が減ったからか、四階の教室はほとんど使われていない。

 階段を上ると、しん、と静まり返った空間に出くわす。雨の音と、上履きの音だけが響く。まるでこの学校に、えりい一人だけ閉じ込められてしまったかのよう。――あり得ない想像だとわかっているのに、考えたら背筋が泡立った。昔から、閉じ込められる、というのは酷く恐ろしい。幼稚園の時、かくれんぼをしていて倉庫に入ったら出られなくなってしまい、真っ暗な中でパニックになった時を思い出す。

 そういえば、あの時助けに来てくれたのは、織葉だっただろうか。


『えりい、えりい!今、たすけてやるからな、しっかりしろ!!』


――……っ!


 ずきり、と胸の奥が痛んだ。

 自分は、彼にとっての一番じゃない。だからもう、こんな気持ちは諦めないといけない。わかっているのに、どうしてこう油断するとすぐ織葉のことを考えてしまうのだろう。

 彼のことが大切なら尚更、彼が本当に好きになった人を応援しなければいけない。それが、幼馴染の自分の務めであるはずなのに。


「……こんにち、は……」


 四階、西端の空き教室。

 スライドドアを開けると、椅子が三つ用意されていて、そのうちの一つの少女が座っていた。

 あれ?とえりいは目を丸くする。彩音はサイドテールの髪型が特徴の少女だ。身長も、えりいと同じくらいであったはず。しかしこちらに背を向けて座っている少女は彼女より小柄で、彼女より赤茶っぽい髪色のショートカットをしていた。あれは、もしや。


「あ、来た、金沢さんやんな?」


 すぐに気づいて振り返った彼女は、同じ一年二組のクラスメート銀座蓮子ぎんざれんこだった。どこかエセっぽい関西弁が特徴の陽気な少女であり、彩音といつも一緒にいる人物でもある。

 にこにこ笑いながら椅子の背もたれに顎のっけると、ちょい待ってな、と言った。


「彩音はん、職員室に呼ばれてしもて。少し来るのが遅なってんねん」

「え、よ、呼ばれたって。大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫、悪い話で呼ばれたんやない。この間のテストで学年三位やったから褒められてん」

「あー、なるほど」


 彩音なら納得だ。えりいはおずおずと蓮子の隣に座る。蓮子のことは嫌いではないが、少しだけ苦手意識があった。テンションが高すぎてついていけなさそう、というのとどこか彩音のことを妄信しすぎているような印象があったからだ。

 彩音と自分の二人だけと思っていたから、彼女がいて戸惑ったというのもある。


「紺野さん、オカルトとか興味あったんだね。知らなかった」


 とりあえず間をもたせようと口を開く。多分、蓮子もえりいのような臆病で地味な女の子、好きでもなんでもないだろう。態度にはっきり出さないでいてくれるだけ十分有難いが。


「せやね。ていうか、ひょっとしたらほんまに霊感とか、不思議な力があるのかもしれん」


 案の定、敬愛する彩音の話となると蓮子も饒舌になるらしい。笑いながら額に指を一本当てて見せた。

 超能力、でも示しているつもりのようだ。


「おまじないとか、オカルトとか。本物偽物問わず、昔から集めとるみたいやで。都市伝説もそう。トイレの花子さんからきさらぎ駅、くねくね、異世界エレベーターとかまでなーんでもや。SCPみたいなのも大好きなんやて」

「意外。そういうの、全然信じない人だと思ってた」

「うん。彩音はんも、全部信じとるわけやないと思う。でも、そういう都市伝説とか噂って人間が作るものやろ?つまり、人がそうあってほしいと思って、そういう想像力とか願望がいっぱい詰まってオハナシができる。そういう人間の心理が一番おもろいんやって言ってた」


 だから研究者になりたいんやって、と彼女は告げる。


「彩音はんが一番好きなのはオカルトやない、人間そのものやからね」


 人間が好き。

 そう断言できるのは、少し羨ましくあった。自分はどうだろう、とえりいは己に問いかける。

 平凡で恵まれた家庭に育ち、織葉のような優しい幼馴染にも出会えた。あまり積極的に人と関わる方ではないが、それでも友達がいなくていつも孤立しているなんてことはない。対人関係には恵まれている方だ、と思う。地味でつまらない人間だと自覚しているけれど、いじめられたことはないし、ちょっとでも悪口を言われたら大抵誰かしらが助けてくれたから。


――ああ、そうか。


 ぎゅっと膝の上で手を握りしめる。


――私、そんな自分が……嫌だったんだ。いつも織葉とか、誰かに助けられてばっかりで、全然自立してなくて、寄りかかって。


 織葉に、恋人がいるかもしれない。

 それはとてもショックだったけれど、彼から距離を取りたいと思った理由はそれだけではないのだと気づいた。

 自分は、変わりたいのだ。これを機会に、彼に寄りかからない人間に。自分自身の事が好きだと、そう断言できるくらいの強い人に。


「銀座さんも、人間が、好き?」


 えりいが尋ねると、好きやで!と蓮子は明るい声を上げた。


「だって、彩音はんや、大好きな人がぎょーさんおるんやもの。人間も好きやし、この世界も大好きや!」

「……そっかあ」


 何かを、どこまでも好きだと思うこと、宣言できること。それもひょっとしたら、強さと呼ばれるものなのかもしれない。

 今の自分にはまだ、そう言い切れるだけのものは何も持ってはいないけれど。

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