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扉鬼
はじめアキラ
ホラー都市伝説
2024年08月05日
公開日
278,120文字
連載中
「どんな願いも叶うおまじない、知ってるの。わたし、オカルトとか都市伝説とかおまじないとか……そういうのちょっと詳しいのよね」

 女子高校生、金沢えりいには片思いの相手がいる。幼稚園の時からの幼馴染の少年、翠川織葉だ。
 ところが彼と同じ高校に通い始めてほどなくして、織葉が見知らぬ少女と仲睦まじくしている様を目撃してしまう。失恋したかもしれない――ショックを受けるえりいに救いの手を差し伸べたのは、同じクラスの優等生・紺野彩音だった。
 彼女は都市伝説やオカルトが大好きらしい。彩音から教えてもらったのは、“扉鬼”という都市伝説であり、おまじないだった。
 そのおまじないを実行すると、夢の中で不思議な空間に誘われるという。いくつもの扉があるその世界で“本物の扉と、それを開く鍵”を見つけた者は、どんな願いでも叶うというのだ。
 織葉に振り向いて欲しい気持ちと、彼に頼らない強い人間になりたい気持ち。えりいは彩音に誘われるがまま、扉鬼のおまじないを試してしまう。
 それが、世界さえ滅ぼしかねない、恐ろしい呪いであるとは露知らず。

 これは、終わらない悪夢の世界に閉じ込められた少女の、呪いと恋と、成長の物語。

※更新は基本「火・木・土・日」の予定です。

第1話

 自分は、愚かだった。どこまでも愚かで、大事なことが何一つわかっていなかった。――まったく、滑稽な話ではないか。本気でそれを理解し、後悔した時にはもう、何もかもが遅いという有様になっているのだから。


『アアア、ウ、ア、アアア、ア』


 まるで地を這うような、しゃがれた呻き声が近づいてくる。ずる、ずる、ずる。びしょ濡れの体で地面を這いずるような、足音とも言えぬ音とともに。

 あの怪物の体が、ぐずぐずに腐り果てていることを知っている。まだ距離があるのに、吐き気を催すような腐臭が漂ってきているのがいい証拠だ。捕まったら最後、同じモノになるか、あるいは誰かさんのように生きたまま解体されて殺されるか。ろくな末路にならないことだけは明白だった。


――お願い、来ないで。


 女子高校生、金沢えりいは、ドアを抑えて声を殺していた。今、廊下からやってくる怪物と自分を隔たるものはこの茶色のドアのみ。一応鍵はかけたが、あの怪物が本気で攻撃してきたら簡単に壊されてしまうだろうことは明白だった。自分にできることはただ一つ。自分がこの部屋に隠れていることに気付かれないこと。バレないまま、あの怪物が何事もなく部屋の前を通りすぎてくれること。そして、そうなることをただひたすら祈ることのみである。


――お願い、来ないで、来ないで、来ないで……!


 自分には、特別な力など何もない。

 むしろ何か少しでも力があるならば、こんな恐ろしい場所にのこのこやってくることなどしなかったはずだ。

 ああ、どうしてあんな馬鹿な話を聞いてしまったのだろう。己の願いは、己の力で叶えなければ何の意味もなかったというのに。

――ああ、織葉おりば……!

 ぎゅっと瞑った瞼の奥、大好きな幼馴染の少年の顔を思い浮かべた。びっしょりと汗をかいた頬、頬に張り付くボブカットの髪。もし彼がここにいたら、“しょうがない奴だな”と髪をハンカチを差し出してくれただろうか。

 助けてなんて、思ってはいけない。そんなことを考えたら、彼が本当にここにきてしまう気がする。ああ、でも。

――最後に一目、君に会いたかった。

 怪物の足音と腐臭が近づいてくる。

 死の恐怖の中、えりいはひとすら祈り続けていたのだった。




 ***




 全ての発端は、一か月ほど前まで遡る。

 五月。今年高校に入学したばかりのえりいは、勉強に部活動にと忙しい日々を送っていた。忙しいといっても、運動が苦手なえりいに運動部などできるはずもない。週に二度、水曜日と木曜日だけ活動する美術部。それでもコンクールに向けて、必死で絵の練習を続けている最中だった。

 そんなある木曜日のことだ。

 部活が終わって靴箱のところまで戻ってきても、待ち人の姿がないことに気付いたのである。


「あれ、織葉?まだ来てないの?」


 翠川織葉。幼稚園の頃からの幼馴染で、同じマンションに住んでいる少年。幼い頃から彼にひそかな片思いを続けているえりいは、彼が志望する高校に死ぬ気で勉強して合格したばかりだった。モノグサな彼はどうせ、部活動など入らないで毎日帰宅部を決め込むに決まっている。自分も文化部にしか入らないだろうし、毎日一緒に帰る口実ができるだろう。

 中学生の時は結局伝える勇気が出なかった気持ち。高校生になった今なら、たった一言くらいは言えるようになるだろうと、淡い期待を持っていた。流れの中で、それとなく伝えられるくらいの関係性は築けているだろう、と。

 少なくとも自分は彼の幼馴染で、同じ賃貸マンションに住んでいる者同士一緒に帰るだけの口実もある。その日も、いつもの通り彼が靴箱で部活終わりの自分を待ってくれているはずだと考えていた。――そう、信じていたのだけれど。


「んん?」


 靴箱に、彼のスニーカーがない。代わりに上履きが残っている。ということは、もう織葉は校舎の外に出ているはずだ。

 今日は正門で待っていることにしたのだろうか。そう思って何も考えずに門の方へ向かったえりいは、目撃してしまうことになるのだった。


――え……。


 正門の横の桜の木には、ちょっとした言い伝えがある。その木の下で告白すると成功する、というどこの学校にでもありそうな物語が。

 そう、そんな“恋の桜の木”の下で――織葉のシッポのように長い黒髪が揺れているのだ。何故揺れているのか。えりいの目の前で、長い髪の女の子に勢いよく抱き着かれたからだ。


――え、え?……え?


 織葉も少女も、えりいの存在には気づいていない様子だった。まだ距離があったからだろう。

 赤の他人に抱き着かれたら、普通は嫌がるはずだ。実際少女は、この学校の制服を着ていなかった。多分ここの生徒というわけではない。でも。


「おり、ば?」


 えりいは、見てしまった。織葉の手が、躊躇いがちの女の子の背中に手を回すのを。愛おしそうに、その頭を撫でるのを。


――そんな。


 その後のことは、よく覚えていない。

 気づけばえりいは逃げるようにその場を後にしていた。裏門から、彼等を避けるように駅へ向かい、帰宅した。織葉からのLINEも暫く既読スルーしてしまった。彼を置き去りにして、逃げてしまったのだ。

 わかっていたはずのこと。自分達は幼馴染。恋人でもなんでもない。織葉は頭もいいし、足も速いし、何より自分にはもったいない程の美形だ。女の子にモテていることも知っていた。ならば、彼が知らないうちにカノジョを作っていたとて、なんらおかしなことではなかったはずではないか。

 それなのに、こんなにもショックを受けているのは、思い上がりがあったからこそ。

 織葉が自分以外の誰かを選ぶはずがないと、どこかでそう過信していたからこそ。


「……ばっかみたい」


 その日は自分のベッドの上で、ひたすら泣いて明かした。しかもそのまま熱まで出して翌日学校を休んだのだから、馬鹿だとしか言いようがない。

 幼馴染にはとっくに、自分以外に好きな人がいたのだ。十分あり得たことだと、どうして気づけなかったのだろう。

 この想いはあくまで一方通行で、彼にとってはそうではなかった。ただ、それだけのことだったというのに。




 ***




 えりいが復帰して学校に行けたのは、翌週月曜日のことだった。


『ごめん。今日は一人で学校に行くから、先に行ってて』


 織葉にそうLINEをするのが辛かった。彼は、どこまで何を察しているだろう。あれからまともに顔を合わせてもいないし、心配する彼の言葉にちゃんとした返信もしていない。

 あまり感情が表に出ないタイプの織葉が、その実相当混乱しているであろうことは想像がついていた。なんせ、幼馴染として十年以上彼を傍で見てきているのだ。別に、彼が自分を裏切ったわけでもなんでもない。勝手にこっちが、裏切られたような気になっているというだけのこと。本当ならばきちんと事情を説明した上で距離を取るべきだとわかっていたのに。


――私、最低だな。


 きっと、ものすごく不安にさせている。

 恋人がいようがいまいが、彼が友達として自分のことを大切に思ってくれている気持は疑っていないからこそ、思う。


――自分ことしか、考えてない。どうしよう。今日からどうやって、織葉と顔を合わせればいいんだって。


 幸い、学校で彼とは別のクラスである。教室まで入ってしまえば、そうそう声をかけられる心配もないはずだ。

 久しぶりに、一人きりでの登校。生徒たちが明るく挨拶をして通り過ぎていくのを横目で見ながら、重たい足取りでスニーカーを脱いで靴箱に入れる。一年二組の教室は二階だ。階段を上るだけで、全身が鉛のように重たくて仕方なかった。


「あ、金沢さん!」


 教室に入ってすぐ、駆け寄ってきた少女がいた。学級委員の紺野彩音こんのあやねだ。サイドテールのさらさら髪が綺麗な美少女。彼女が銀行のお偉いさんの娘だというのは既に有名な話で、全身からもその生真面目さと気品が漂っている。

 ものすごく親しいわけではないが、あまり人付き合いが得意ではないえりいを気遣ってくれる、数少ないクラスメートでもあった。多分、人の世話を焼くのが好きなのだろう。


「おはよう、金沢さん!良かったわ、今日は学校、来れたのね」

「あ……お、おはよう、紺野さん。ごめんね、心配かけちゃって」

「いいのよ。熱出しちゃったんだって?無理してない?まだ少し、顔色が悪いような気がするけど……」


 彼女は言いながら、まるで小さな子にするようにえりいの額に手を当ててくる。そういえば、彼女には小さな妹がいると聞いたことがあった。きっと妹のことを心配する時のクセで、友達にも同じようなことをしてしまうのだろう。


「んー……熱は大丈夫、かな?でも、病み上がりでぶりかえしたら本も子もないもの。また疲れたら、無理せずに言ってね」

「ありがとう。紺野さん、なんだかお姉ちゃんみたいだね」

「それは、わたしにとって最高の褒め言葉。みんなのお姉さんみたいな人間になりたいって、いつも背伸びしてるんだもの」


 ふふん、と彼女は背筋を伸ばして見せる。

 えりいのことを心配して、気を使ってくれていることは明白だった。


「ありがとね。本当に、大丈夫。ちょっと悩みがあるだけだから」


 彩音相手ならば、話しても真摯に聞いてくれるかもしれない。そう思ってうちぽろりと口を滑らせてしまった。

 案の定、彼女は目を丸くして“悩み?”と鸚鵡返しに尋ねてくる。


「悩みがあるの?わたしで良かったら、相談に乗るけど」

「そんな、悪いよ」

「いいのいいの、気にしないで。言ったでしょ、みんなのお姉さんポジになりたいんだーって。まさか、いじめられてるとかじゃないわよね?そんな奴がいたら教えて、すぐにわたしがぶっとばしにいくから!」

「あ、アグレッシブだねえ……」


 ついつい、噴き出してしまった。ありがたい、この空気なら、なんとかなりそうだ。


「本当に大したことないの。ただ……失恋した、かもしれなくて。ちょっと引きずっちゃって……」


 とはいえ、口に出したら想像以上にヘコんだ。失恋。それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、まだどこかで認められていない自分がいる。ははは、と乾いた笑いで誤魔化しながら席に向かい、鞄を机の上に置いた。

 相手が誰かもわからない。そして、どういう身の程知らずの恋をしていたのかも彼女は知らない。こんなことだけ言われたって、困らせてしまうだけではないか。

 自分で自分にトドメを刺した気分でいると、後ろから彩音の声が聞こえてきたのだった。


「その恋、成就させたい?」


 え、と振り向くえりい。ふふん、と彩音はいたずらっ子のような笑みを浮かべて言ったのだった。


「どんな願いも叶うおまじない、知ってるの。わたし、オカルトとか都市伝説とかおまじないとか……そういうのちょっと詳しいのよね」

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