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第64話・暗号

 織田さんがやった事はたった二つ。ひとつは自身のスマホで美郷さんに動画サイトのURLを送った事。これは名作映画ロッキーのページのものだった。

 二つ目は、俺に無茶振りをしつつ30分程時間を潰してから、八神のスマホでどこかに電話をかけた事。

 『こんな事で連絡が取れるのだろうか』と危惧する俺や八神を横目に、織田さんは通話先の誰かと話し始めた。耳から少し離したスマホから、女性の声が微かに漏れ聴こえてくる。


「あ、美郷? ちょっと待ってね。スピーカーにするから」


 スマホをテーブルの上に置きスピーカーのアイコンを押すと、そこから聞こえて来たのは紛れもなく美郷さんの声だった。


「本当に繋がるなんて……」

「あら、疑っていたのですか?」

「そう言う訳ではないのですが……」


 ――この時のトリックを後になって聞いてみたら、なんとも単純な話だった。


 ロッキーが意味するのは、河口湖湖畔にある【-MONTAGE-モンタージュ】という名のバーだった。コンテナベースの簡素な作りながら、オーセンティックな雰囲気の店として結構人気があるらしい。

 その店のオーナーは美郷さんの従兄で、名前を六木むつき遼平りょうへい……そしてあだ名をロッキーと言うそうだ。

 つまり、織田さんは送ったURLに『モンタージュに行け』とのメッセージを込めていた。そして到着時間を見越して電話をかけ、美郷さんと連絡を付けた。これなら八神のスマホとその店の電話とのやり取りで完結するので、俺や織田さん、望月部長達の通信機器が監視されていたとしても問題なく連絡が取れる。


 ただこの場合、美郷さんが織田さんからのメッセージを暗号だと判断出来なければ意味がない。普段なら古い映画のURLなんて送られて来ても、『懐かしいね』とでも返信をして終わる様な些末事さまつごとだ。しかし、今回に限っては、俺や織田さんの現状を解っているからこそ、『何か意味がある』と察してくれたのだろう。

 そして美郷さんなら“そう考える”と確信してこの方法をとった織田さん。余程お互いを信頼し合っていなければ不可能だと思う。


〔で、あんた達大丈夫なの?〕


 この第一声は、間違いなくテレビで報道された内容を受けてのひと言だ。


「なんとか、ってとこですね。死にかけましたよ、流石に」

「うん、拳銃なんて初めて見たし……」


 昼間の状況を思い出したのだろうか、織田さんは視線を落としたまま動かなかった。そもそも拳銃を突きつけられるなんて経験は滅多にないし、男の俺でも恐怖しか感じない状況だ。


 ……それが女性ならなお更だろう。


 俺は、ずっと自分の事でいっぱいいっぱいになっていて、織田さんが感じているストレスやプレッシャーに無頓着だったと気付かされた。きっと、知らず知らずのうちに無理をさせていたのかもしれない。そんな事すら感じ取れなかったなんて、『あなたの事を守ります』なんてどの口が言えるのか。……我ながら情けない。


「でも、藤堂さんのおかげで怪我ひとつなかったよ」

〔それならよかったけど……ね、あんなメッセージ送ってくるってさ、もしかして盗聴か何かされてる?〕

「マスコミ報道では伏せられているだろうけど、拳銃を持った連中って……角橋の関係者だったのよ」

〔——っ〕


 電話の向こうで息を飲むのがわかった。自分のいた会社が犯罪に関わっていた事実。それにもし俺達があのまま泊まっていたら、荒らされていたのは部長の家だったかもしれないからだ。その一点においては、自分のマンションで襲われて良かったと思う。柔道をたしなんでいた部長だけならともかく、美郷さんや葵ちゃんを巻き込んでいたらどうなっていた事か、考えるだけでも恐ろしい。


〔それは確かなの?〕

「うん、『会長』って口にしていたし、営業の言問アレがそいつらと関係していたから」

〔ああ、やっぱり言問アレがスパイだったんだ。まったく、未練がましいったらもう……」

「だから部長は当然だけど、最悪のケースで考えると、美郷や葵ちゃんまで監視対象になっていると思うの」

〔それ、『思う』じゃなくて確実になってるわね。ここに来て正解だったよ〕


 美郷さんはそこまで確認すると、部長と電話を替わった。後ろで葵ちゃんが美郷さんを呼ぶ声が聞こえ、家族全員で店にいると確認出来て少し安心した。もっとも、夜に幼稚園の子供を一人家に残して出かけるなんて、普通に考えればありえないだろうけど。


〔おう、藤堂。更にヤバい事になってるみたいじゃないか〕


 いつもの調子で電話に出る望月部長。今はその飾らない雰囲気がありがたい。


「殺されかける以上にヤバい事なんてないですよ」

〔そりゃそうだ。で、面倒な方法で連絡をしてきたって事は、何か急ぎの要件があるんだろ?〕

「ええ、例のHuVerフーバーに搭載されている生体認証システムについてです。今回の拉致事件に関して、会社がどの段階で関わっていたのかを知る為の手掛かりになるかと思って。……あのシステムは依頼書に最初から記載されていたのですか?」

〔藤堂、お前はどう見てる?〕


 返事をする前に、俺達がどこまで考えを進めているか確認しておきたいのだろう。何かを隠したりする人ではないが、意味もなく人を試したりする人でもないのだから。


「多分、途中で組み込む事にした機能だと思っています」

〔その通りだ。そもそもエキスポ用としてトップダウンの仕事だったからな。そこに確立されていない技術を依頼してくる事はまずありえない。生体認証もトリスも、俺が勝手につけた物だ〕

「生体認証システムはHuVerフーバー本体から取り外せないのですよね?」


 そのシステムが組み込まれて、外すことが出来ないからこそ起きた拉致事件。それが今回の発端でありテロ組織と会社の誤算だったと言える。


「あのHuVerフーバーは、最初からテロ組織用に開発された機体だと思っています。これは零士さんが『ドゥラが角橋に依頼した』と言っていた事も理由の一つで、エキスポ出展機は“強奪される”という名目でテロ組織に横流しする予定だったのでしょう。しかしそこに生体認証システムと言う厄介なものが搭載されていると知り、オペレーターも込みで納品しなければならなくなった、と考えています」

〔なるほどな。その可能性は高い……というか、多分その線で間違いないだろう。うん……まあ、なんだな、スマン事をした〕


 自分が試作システムを組み込まなければ、俺も零士・ベルンハルトも拉致に関わるなんて事はなかっただろう。それに対しての謝罪の言葉だとは思うけど、それはスジが違う。


「いえ、謝らないでください。悪いのはテロ組織で、それと繋がる会社ですから」


 これは本音、怒りを向ける対象は部長じゃない。だから、穂乃花まで拉致された事は言わない方が良さそうだ。責めるつもりは毛頭ないのだからこれ以上余計な負い目は不要だ。


〔ところで、言問がお前のマンションに行ったんだって?〕

「ええ、トリスのパーツを持ってきてくれたのですが……」

〔トリスのパーツ? なんだそりゃ〕

「冷却機能のコントロールボックスです。部長に頼まれたって言っていましたが」

〔そんなもん頼んでねぇぞ。そもそも言問アレに頼み事なんて、危な過ぎてできねぇよ〕


 夫婦そろってアレ呼ばわりとか、相当嫌っているのだろうな。普段から他人の悪口を言う様な人じゃないからまったく知らなかったけど……もし俺が前もってその事を知っていたら、織田さんをあんな怖い目に合わせる事もなかったと思うと、ちょっと悔しく思ってしまう。


〔つまり、お前達の話を加味して考えると……生体認証システムが取り外せないからオペレーター込みで強奪したが、通信が出来てしまうとその事実がバレる可能性がある。その為にトリスのパーツをすり替えてすぐに使えなくなる様にした、となるな」


 そう考えるのが一番自然だと思うし、これには八神も頷いて納得していた。だけど、それだとひとつだけ不可解な事が残る。


「そうですね……ただ解らないのは、持ってきたパーツを取り付けたらちゃんと冷却機能が働いて、トリスが正常作動する様になったんです」

〔たしかに解らんな。零士と連絡を取られたら困る会社が、わざわざ通信出来るようにするって〕

「言問さんの独断とも思えないし、いったい何故なんでしょう?」


「……なあ藤堂、横から悪いんだけどさ」


 その時、ここまで黙って聞いていた八神が、俺や部長とは別の視点からの考察を展開し始めた。


「それって、言問ってスパイがお前を信用させる為だったんじゃないのか?」

「でも彼の目的は織田さんを捕まえる事だったし、それだけの為に重要な情報を引き換えにするかな?」


 いくら会長が織田さんを狙っているとは言っても、会社を犠牲にする事はないだろう。鋭い考察が持ち味の八神とは言え、こればかりはかなり突拍子もない理論に思えた。 


「なあ、藤堂。会社が傾くよりも、真理ちゃんを確保する方が重要だとしたらどうだ?」





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