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第63話・ゆるぎない正義

 一階にある店舗からは何一つ音が聞こえて来なくなっていた。ナッツ婦人会の急襲作戦が成功し、店舗にいたスケベ親父どもが完全に駆逐されたからなのだろう。

 そんな中、連絡の手配を終えた織田さんは『30分くらいで美郷と繫がると思います』と告げると、続けてとんでもない事を言い出した。


「藤堂さん、暇つぶしに何か面白い話でもしてください」 

「え~……なんですかそれは」


 昼間にやっているトーク番組の様な無茶振りだ。一部では『芸人殺し』と言われる流れを無視した振りで、その空気の中で笑いを取るのは至難の技らしい。

 もちろん俺に笑い話のストックや才能なんてものはなく、そもそも饒舌とは程遠い。この無茶振りをどうやって回避しようかと思案していた時、八神がすかさず助け舟を出してくれた。


「あのさ、面白そうな話ならあるけど?」


 さすが親友、良く解ってる。イージス艦くらい心強いぞ。ここは八神に任せておいた方が良さそうだ。『面白い』ではなく『面白そう』という曖昧な言い方だったけど、それでもそのひと言は、女性陣の興味を引くには十分だった。


 しかし……


「藤堂、さっき言っていた妹の10円玉ってなんだ?」

「……泥船かよ」

「なんの話だ?」

「知るか」


 八神は、戦闘前に零士・ベルンハルトが口にしていた言葉が気になっていたのだろう。俺が10円に対して『諭吉で返す』と返したやり取りも奇妙に思ったのかもしれない。


 織田さんはテーブルの上の烏龍茶を一口飲むと、『ふう』と一息を入れてグラスを額に当てた。ひんやりとした水滴が彼女の頬を伝って流れる。

 というか烏龍茶それ、俺に持って来てくれたんじゃないのですか? 夏季先輩も八神の烏龍茶を飲み始め、俺達の目の前には、すでに汗をかき切ったペットボトルのお茶だけが佇んでいた。


 ――カランッ


 グラスの中から聞えてくる音が、とても涼しげでうらめしい。


「あの、これは小学生の頃の話です。子供のやる事ですよ? 後で『酷い』とか『鬼』とか言わないで下さいね」

「わかったからちゃっちゃと話しちゃおうよ」


 本当にわかっているのかいないのか、『ほらほら、早く』と促してくる夏季先輩。俺は生ぬるいお茶を一口飲み、大前提となる部分から話し始めた。


「新品の10円玉って綺麗な色していると思いませんか?」

「うん……?」

「あ〜……まあ、そうよね」


 顔を見合わせる八神夫妻。『何の話だ?』とでも言いたげな表情をしている。

 しかし意外にも小田さんの反応は逆で、ウンウンと頷きながら身を乗り出してくると『続けないの?』と、ニコッと首を傾げた。


穂乃花ほのかが……えっと、妹が小学1年か2年の時に、新品でピカピカしている10円玉が凄く好きだったんですよ」


 日本の貨幣は、1円玉以外の全てに銅が含まれる合金で出来ている。その中でも10円玉は銅の比率が95%と高く、独特な青み掛かった美しい輝きを持つ。その色は金の様に派手でなく、銀の様にギラついていない、上品な青銅色だ。単純に色味としてなら、ピカピカの10円玉が好きな人は多いと思う。


「だから俺も、新品が手に入ったら使わないように貯めておいたんです。それで……」


 今になって思えば『ちょっと可哀想な事をしたかな?』と感じなくもないけど、前置きした通りこれは小学生の頃の話。……そしてすでに時効だ。


「ピカピカの10円玉を100円玉と交換してやるって言ったら、喜んで100円を出してきたんですよ」

「ところでそれ……何回交換したのです?」


 織田さんは見透かした様な質問をしながら、一口飲んだだけの烏龍茶を俺に手渡してきた。何気なく受け取りはしたものの、グラスに残る“薄っすらとした口紅の跡”にドキッとしてしまい、口を付けて良いものか躊躇ちゅうちょしてしまった。


「……藤堂さん?」

「あ、いや、すいません。流石に記憶にないです」


 何となく後ろめたい気持ちが先に立って織田さんから目を逸らすと、彼女は俺の視線の先に顔を動かして覗き込むように見つめてきた。


「まだ、あるでしょ、余罪」

「う……」


 恥ずかしさから外した視線を、『何か隠している』と誤解したのだと思う。


「洗いざらい吐いた方がスッキリしますよ?」


 そう言いながらスマホのライトを点灯し、ドラマで見る取調室のスタンドライトのごとく上から照らしはじめる織田さん。真剣なまなざしの様に見えて口元は緩んでいた。……楽しそうで何よりです。


「えっと……母親が夕飯の買い物に行ってくる間に『風呂掃除をしておいてくれ』って500円で頼まれたのですが」

「まさか……」

「ピカピカの10円玉やるから風呂掃除してって言ったら凄い喜んで……」

「鬼を通り越して悪魔ですわね」

「……」


 何で俺はこんな話を馬鹿正直に話してしまったのだろうか。織田さんに見つめられると、どんどん“ガワ”が剥がされていく気がする。


「でもまあ、その話のおかげで妹が本物だって判断できたんだろ?」

「あ、ああ。……そうだな」


 突然『あなたの妹が拉致されて、今中東のテロ組織にいます』なんて言われても、そう簡単に『そうですか』とはならない。零士・ベルンハルトの言葉を疑っていた訳ではないけど、どこか現地味のない話に感じていたのは確かだった。

 だから彼の口から『10円玉』というキーワードが出て来た時には、妹の拉致が現実なのだと……嫌でも認めるしかなかった。


「本物って、どういう事?」


 穂乃花の拉致を知らない夏季先輩は、八神の『本物だと判断出来た』という言い回しが気にかかったらしい。俺の現状と照らし合わせて、良からぬ事になっていると察したのだろう。今日起こった事を話すと、夏季先輩は俺と八神に怒りをぶつけてきた。


「ちょっと賢ちゃん、こんなところで話なんてしている場合じゃないじゃない。何やってんのよ!」

「まあ、そうなんですけどね……」


 家族がテロ組織に捕まっているのに落ち着いていられるのは何故なのか、俺自身理解できてはいない。ただ、心配だからと言って騒ぎ立てる訳にはいかない理由はハッキリしている。


「すぐに助け出す手配しなきゃ」

「夏っちゃん落ち着いて。藤堂だってそうしたいんだよ。だけど、本人がマスコミの誤報道でおかしな立場にいる訳だしさ、簡単に動けないんだ」  

「だからこそマスコミや政治家を使うべきじゃないの? 普段何の役に立ってないんだから、こういう時こそ動いてもらわなきゃ」

「藤堂が『妹がテロ組織に拉致されている』なんて公表したところで、今以上に滅茶苦茶な話になる可能性の方が高いんだって。ネットなんて毎日炎上しているだろ?」


 昼間の一件で、世間的にはさらに理由わけのわからない事件になっているはずだ。拉致されたはずの俺が、拳銃を持った黒服にマンションを襲撃されて逃亡したのだから。それに加えて『藤堂穂乃花がテロ組織に捕まっている』なんて話が世間に出たら、陰謀論者を喜ばせるだけにしかならない。妹もテロ組織の一員だったとか、家族でスパイやっていたとか言い出す奴も出てくるだろう。いくらマスコミが訂正報道をしたところで、最初に出たニュースが消えることはないのだから。


「ネットがどうしたって言うの。どこの誰が言い出したのかも判らないデマに踊らされた人が『ムカつく~』とか『消えろ』とか騒いでいるだけでしょ? それに対して本気になって反論する人だって、見ず知らずの誰を説得しようとしているのよ。そんなくだらない事に神経とカロリー使うなんて馬鹿らしいと思わない? それよりも大事なのは家族の命でしょ?」


 自身の持つゆるぎない正義を振りかざす夏希先輩。全ての人にとってそれが正しいとは思わないけど、彼女の真っ直ぐで真摯な姿勢には昔から救われてきた。もちろん今も、だ。


「大丈夫ですよ、ナッキー。妹さんには、これ以上ないくらい強い味方がいますから」


 少し感情が入りすぎた夏希先輩を落ち着かせようと、織田さんが軽い口調で間に入ってくれた。右手で作ったピースサインを唇にあてて、自信に満ちた表情で微笑みかける。……俗にいうドヤ顔だ。


 彼女が絶対的な信頼を置く男。裏切り者と誤解され、恨まれてもなお信じ続けている男。彼女がここまで太鼓判を押すのだから、妹の事は任せておいてよいと思える。


「彼は、零士・ベルンハルトは、やると決めた事は何があってもやり遂げる人です」



 ……だけど俺はそんな彼に対して、何かモヤモヤとした感情が沸きあがって来るのを感じていた。






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※10円玉と100円玉の件は実話です。誰の、とは言いませんが。




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