「あとひとつ筋が通らないというか、気になる事があるんだけどさ」
「うん」
「お前を拉致しようとした理由だよ」
その話は既にしてあるのに、何故今更聞くのだろうか。
「だから、新型
「——そこなんだよ。なんでわざわざそんな面倒くさいシステムをつけたんだ?」
そう言われても、セキュリティシステムなんて何にでも付いているだろう。指紋認証が必要な車もあるし、ライターのチャイルドロックや古くは箱根の寄木細工だってそのひとつと言える。大なり小なり、セキュリティシステムは今どき付いていない方が珍しい、ついていて当たり前だと思う。
「藤堂、考えてみろよ。テロ組織に送り込むなら、むしろそんなシステムはない方がいいんじゃないのか? お前や零士みたいな戦争素人のオペレーターしか動かせない物を、戦場に送り込む意味ってあると思うか?」
「あ……」
「ワンオフ機だとしても、現実的には汎用性は持たせるものだろ。少なくともベテラン軍人や兵士が使える様にしなきゃ、戦場では役に立たないと思うぜ」
確かにその通りだ。零士・ベルンハルトが戦えているのは結果論であって、そもそもそのシステムさえなければ、わざわざ角橋のオペレーターを拉致する必要はない。戦地に送り込む兵器としては、あまりに無意味で不要なシステムだ。
そしてその理論では、トリスも同様に不要なシステムって事になる。この端末にしか繋がらない通信なんて、テロ組織からすればまったく価値がないのだから。
「あ……そうか……」
「どうした?」
「このトリスが“会社が把握していない予定外のシステム”って事は、さっき話した通りなんだけどさ。もしかしたら生態認証システムも会社の予定外だった可能性があるんじゃないか?」
角橋重工の開発部は、試作品を作ったらまず実地データを取り、資料をまとめてから会社に申請する。それを上が精査と利益計算をしてから製造に向けての開発許可を出すのがいつものやり方だ。部長はそのつもりで、トリスの実地データをエキスポで取る算段でいたのだろう。
――そしてもし、生体認証システムも同じ理由で搭載していたとしたらどうだろうか。そうなってくると話は少し変わってくる。
「生体認証システムが
最初の段階から生体認証システム込みで設計されたとすると、それはその時点で角橋のオペレーター専用機だ。それならば、テロ組織とは関係なく設計された機体と考えて差し支えないだろう。
しかし、もしトリスと同様に途中から試作パーツとして組み込んだと仮定したら? それは会社やテロ組織にとって予定外の機能であって、その為にオペレーター込みで強奪しなければならなくなったと考えることが出来る。
「調べる方法があるのか?」
「多分、望月部長に聞けばわかると思うけど……」
俺は検索画面を終了して電話帳を開くと、そこには会社の名前やラーメン屋、ほとんど使うことのない数々の店が並んでいた。目的の番号は、この意味のないデータ群の下の方だ。
「ちょっと待て、藤堂。昨日お前達が行った時、通報されて警察が来たんだろ?」
「ああ。織田さんは『警告じゃないか?』って言ってたけど」
「だったら電話やメールは盗聴されているとみた方がいいんじゃないか?」
「そうか……そうだよな……」
盗聴されているとしたら、部長の家の固定電話やスマホ、更にはメッセージアプリやメールも監視されていると思った方がよさそうだ。
「あ~もう。公衆電話か何かで部長からかけてくれないかなぁ」
「いや、お前と真理ちゃんのスマホも同じだと思うぞ?」
「だよな。何か方法はないのかな……」
この状況下では、部長達と同じ様に俺や織田さんのスマホも盗聴されていると考えるのが自然だろう。それはもちろん送信しても受信してもバレてしまう訳で、お互いの通信装置を使わずに連絡を取り合うなんて……どうすればよいのかまったく見当がつかずに、俺も八神も無言になってしまっていた。
「——あら、連絡する方法はありましてよ」
その声と同時に襖がスッと開き、片手にお盆を持った織田さんが入ってきた。そこにはまだ汗をかいていない烏龍茶のグラスが二つ。篭っている俺達を気遣って持ってきてくれたのだろう。
頬が赤く火照っているのは、酒が入っているからなのか。その妙に艶っぽくで楽しげな雰囲気に、何故だか俺は、緊張して息苦しさを感じていた。
「お二人の興奮した声が廊下に響いていましたわ」
「ねね、真理ちゃん。連絡方法あるの?」
「もちろんです。難しく考えすぎですよ」
「と、言うと?」
いきなり食い付いたのは八神。気持は解らないでもないが、ここは自重してくれると助かる。織田さんにどんな考えがあるのか、俺もしっかりと聞いておきたいのだから。
……しかし彼女の答えを聞く前に八神は撃沈してしまう。
「ふ~ん。『真理ちゃん』って呼んでいるんだ?」
廊下から放たれたトゲのある言葉が彼をグサリと刺したからだ。声にならない声で『え……』と漏らして動かなくなる八神。
「いつから慶太は、私以外の女をちゃん付けするようになったのかな?」
織田さんの後ろから、見知った女性が顔をのぞかせて来た。懐かしくも変わらないあっけらかんとした笑顔は、数十秒前までの重苦しい雰囲気を全て吹き飛ばしてくれていた。
「あ、お久しぶりです、
「もう先輩はやめてって、堅ちゃん」
突然砕けた空気に織田さんも興味を持ったのだろう。烏龍茶を俺の前にコトリと置きながら聞いて来た。
「あら、二人はお知り合いなのですか?」
「ええ、大学ラグビー部のいっこ上の先輩で、マネージャーやってたんですよ」
……そして今は八神の奥さん、と。
「当時は魔法のヤカン持って走り回っていてさ」
「ちょっと堅ちゃん、そういうのもういいって」
「ヤカン天使ナッキーってあだ名が……」
——げしっっ!
「蹴るよ!」
「もう蹴ってるじゃないですかぁ。ほんっと全然変わらないですね」
腹を抱えながらケラケラと笑う織田さん。笑い上戸なのだろうか。その姿を見て俺は、遥か昔に親戚から言われたひと言を思い出していた。
『嫁にするなら、よく笑い、よく食べる
……何故今そんな事を思い出したのだろう? そして、何故か顔が熱くなっている自分に気が付いた。
「ところで藤堂さん。魔法のヤカンってなんですか?」
顔を覗き込むように質問してくる織田さん。俺は、その紅の入った表情を正面から見ることが出来ずに、視線を外してしまった。
「ラ、ラグビーって、練習でも試合でも、タックルとかで気を失うなんて事がザラにあるんです。それで、その、そういう時に頭から
ふう、と一息吐いて視線を上げると夏希先輩と目が合った。その瞬間、彼女は意味ありげにニヤリと笑うと、俺の代わりに話を続けた。
「そんなこんなで、魔法の水とか魔法のヤカンって昔から言われていたのよ。実際はただの水道水なのにね。おまけにさ、『これは神聖な歴代のヤカンだ』とか言ってボコボコの物が神棚に置いてあったのは流石に引いたよ」
でも、そんな魔法のヤカンを持って倒れた選手の元へ颯爽と走り寄る夏希先輩の姿は、ラグビー部員全員の憧れでもあった。むしろ気絶した部員をうらやましがる奴や、さらには気絶しなかったことを悔やむ奴までもいた。だから八神がそのハートを射止めた時は落胆した部員やOBがかなりいたし、一部からは恨まれもしたらしい。
「それよりも、織田さんこそ夏希先輩と知り合いだったのですか?」
「いえ、全然。どうしてそう思ったのです?」
「なんかすごく仲良さそうだからと……」
「ああ、まりりんとは5分前からの親友だから!」
「ですよね~、ナッキー」
“パンッ!”とハイタッチする二人の女性。……迂闊にも見惚れてしまった。それにしても、『まりりんとナッキー』とか『5分前からの親友』とかって、どこから突っ込んでいいのやら。
……いや、そこは触れない方が良さそうだ。
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(注)今現在、魔法のヤカンを使用しているチームはほぼありません。脳しんとうを起こしている人に水をかけて起こすという行為が医学的に問題がある事や、複数の選手がヤカンの口から直接水を飲む事が衛生的ではないというのが理由の様です。
ちなみに私-猫鰯-は、寝返りをうった(であろう)時にベッドの枕元に置いた水を倒してしまい、頭からかぶって真夜中に超スッキリ目が覚めてしまった事があります。