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第34話・「俺、なにかやっちゃいました?」

 1DKの単身者用マンションには通気性なんてないに等しく、玄関と窓を全開にしてもそよ風が通る程度。トリスの通信を開始した途端高熱を発してサウナと化してしまった俺の部屋には、そんな撫でるような風はほぼ無力と言えた。

 そんな中、あまりの顔が真っ赤になってしまった織田女史。なんか、本当に申し訳ない。


「ちょっと、買い物に行って来ます」


 と言って、俺の買い物メモをひらひらとさせる女史。引きこもるのに必要な物を書き出しておいたリストだ。


「他に必要な物があったらメールでお願いします」

「はい。ホントに申し訳ないです」

「……なんであなたが謝るのですか」


 織田女史の表情を見るに、謝っている理由が本当に判らない様だ。それともとぼけているのかな?


「え、だって部屋が暑すぎて……」

「はぁ!? ……知りません!」


 何故か怒る様に出て行ってしまった。『トリスが繋がったらすぐに電話下さい』と言い残して。……わからん、彼女の怒りスイッチってどこにあるのだろう?


「俺、なにかやっちゃいました?」


 流石にこれは、電力会社に連絡してアンペア上げてもらわないと駄目かな? と考えていた時だ。突然スマホから着信音が流れてきた。一瞬、『トリスが繋がったか?』と思ったけど、眼の前に鎮座する本体はまったくの無反応。どうやら普通の電話着信の様だ。画面を見ると、そこに表示されていたのは会社の番号。これは間違いなく……


「辞表の事……だよなぁ」


 仕方がない。俺は元上司の小言を聞く覚悟を決めて、スマホの通話アイコンを押した。さっさと終わってくれるのを願うばかりだ。


 ――だがしかし、スマホから聞こえて来た声は上司のものではなかった。


〔もしも~し〕


 あれ……この声って、誰だっけ?


〔藤堂さんの携帯ですよね?〕

「はい、そうですが」

〔ああ、良かった。言問ことといです、富士吉田支社の。覚えてます?〕

「あ、はい……お久しぶりです」


 言問こととい葉一よういち、富士吉田支社の営業マンで、出向で行った時に何度か話をした事があるって程度の人だ。今ひとつ腰の落ち着かないタイプで、『営業職なんて出来るのか?』と最初は思ったりもした。しかし彼特有のあっけらかんとした明るさは客先のウケも良く、太いパイプとそこそこの業績で将来を嘱望されているらしい。

 そして彼は、零士ベルンハルトの先輩でもある。ちなみに言問という珍しい苗字は、東京都の地名姓だそうだ。


〔藤堂さんどうしちゃったんです? 今本社に来たら辞めたって言われて〕

「ん〜、まあ、一身上の都合ってヤツですよ」

〔……やはりアレですか〕

「ええ、アレです」


 電話口から乾いた笑いが漏れて聞こえて来た。“あれ”つまりはテロリスト報道の件……まあ一般的な反応としたらそれが当然だ。


「それで、急にどうされたのですか?」

〔あ、そうそう。実はですね……〕


 彼は声のトーンを落として小声になった。多分、周りの社員に聞かれたくないという事なのだろう。コソコソとした声で早口気味に話し始める。


〔望月部長から渡すようにと預かっているものがあるのですが〕

「渡すもの?」

〔ええ。『安酒の部品』と言えば解ると言っていました〕


 安酒……トリスの、部品? 


 まさか、このトリスは不完全って事なのか? この発熱が異常事態だとか、それとも通信が出来ていないとか。もしくは目に見えていない不具合があるとか、考え始めるとキリがない。


「わかりました。すぐに受け取りに行きますよ」

〔あ、いや、自分が持って行きますよ。内密に渡す様にと厳しく言われているので〕


 あ、それもそうだ。スパイがいるかもしれない本社で、支社の人間と辞めた人間が会っていたら目立ちすぎる。迂闊な事を言う物じゃないな、今後は気を付けないと。


〔それに、もし零士と連絡が取れるのなら謝りたいんです。あいつをドバイに行かせた責任は自分にもあるから……〕

「そうですか。場所はわかりますか?」

〔ええ、社員台帳にはまだ登録があったので確認しました〕


 まあ、流石に辞めたのは今朝の事だから、まだ社員データが残っていてもおかしくないけど。

 でも……何か引っかかる。大事な事を忘れている様な答えが出ている様な。





 しばらくしてマンションのエントランスから呼び出し音が鳴った。モニターを見ると、そこには高級スーツを着込んだ黒髪の男性が立っている。軽いパーマが掛かった髪を短く切りそろえ、黒縁くろぶちの眼鏡をかけていた。あれは確か伊達眼鏡だったと記憶している。富士吉田支社に行った時に何度か見ている顔。間違いなく言問さんだ。エントランスのロックを解除すると、なんのためらいもなくスイスイと入って来た。この辺り、外回り営業で慣れているのだろうな。


「どうも~、お久しぶりです」

「ああ、どうも……」


 軽い挨拶をかわし部屋の中に招きいれると、彼は脱いだ靴を180度回して置き直した。軽い印象を受ける人だけど、礼儀がしっかりしているのが営業成績に繋がっているのだろう。俗に言うギャップ萌えの類か?


「ってか、めちゃくちゃ暑いですね」

「ええ、トリスの熱量が凄くて……」

「多分コレですよ」


 と言って部長から預かったというトリスの部品をセカンドバッグから取り出した。それは、手の平くらいのサイズで小さいモニターとスイッチが付いている箱だった。


「トリスの冷却機能制御パーツです。多分これが無くて冷却ファンが動いていないのかと」

「マジですか……」

「なくてもすぐに壊れるって事はないはずですけど、こんなに暑くなるくらいじゃ明日にはヤバかったんじゃないでしょうか」


 やはり異常事態だったのか。言問さんは説明書を見ながらモニター横の部品を外すと、コンコンと叩きながら俺に手渡してきた。持ってみるとあまりに軽く、どう考えても中身の無いただの箱でしかない。


「これ、ダミーなんですよ」

伽藍洞がらんどうですね、音からして」


 言問さんが冷却機能制御パーツを繋ぐと、すぐさまファンが回る音が聞こえて来た。背面部分の排熱口から“ブオォォ”と物凄い勢いで吐き出される熱風。これはかなりうるさい。本体が熱くなっているせいもあってか、モニターにはファンの回転数が『MAX』と表示されていた。


 ……しかし、俺にはこのやかましい音が、扇風機よりもずっと頼りになる気がした。


「でもなんでこんな重要なパーツが別になっていたのでしょう?」


 これは当然の疑問だと思う、普通に考えたらありえない事なのだから。車で言えばラジエーターがないまま走らせている様なもので、熱暴走して壊れるのが目に見えている話だ。


「それ、自分も思ったんですよ。部長は『もし盗難に遭った時に使えなくなる様に』と外しておいたと言っていました。それを渡し忘れたとも……」


 なるほど、盗難対策か。一応は機密装置なだけに、深い考えがあっての事だったんだな。……まあ、それを俺達に伝え忘れていたのがものすごく部長らしいけど。


 その時、玄関でガチャリと音がしてドアが開いた。織田女史が買い物から戻って来た様だ。オレは荷物がかなりあるだろうと思い、出迎えに向かう。


「ただ今もどりました」

「あ、お帰りなさい。ありがとうございます」

「スーパーで特売していたので、ちょっと多く買いすぎちゃいまし……」


 買い物袋を受け取ろうと手を出した時、急に織田女史の動きが止まった。


「――っ」


 袋をその場にドサッと落とすと、その視線は俺の後ろを見つめたまま固まっていた。ネギやオレンジが袋から飛び出して、フローリングの床を転がっていく。 


「織田さん? え……あれ、藤堂さんと? なんで?」


 その声に振り向いてみると、言問さんまでもが動きを止めていた。何となくおかしな雰囲気を感じながらも、俺は状況を見ているしかなかった。


 ――織田女史は絞り出すように声を出し、言問さんを睨みつけた。



「なんであなたがここにいるのですか……」





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