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第33話・朴念仁

 無事始発に乗り込み織田女史はそのまま会社へ。俺の“涙の辞表”を会社として受領した後、半休を取ると言っていた。

 俺の方はマンションに戻ってすぐにトリスを起動。付属のACアダプターを差し、初めての通信を開始した。後はとりあえず待つだけなのだが……トリスが発する熱量がものっすごい事になっている。契約電力のほとんどを食っているのだから仕方ないけど、電子レンジやエアコンはおろか、退屈しのぎのテレビも我慢しておかなければならない。俺は窓を全開にして扇風機をまわし、じわじわと浮き出てくる汗と格闘し始めていた。


「あ……忘れてた」


 一刻も早く起動する事ばかり考えていたから、昼飯や引き籠もりに必要な物の用意を完全に失念していた。備品は織田女史に頼むとしても、後で昼飯は買って来ないとな。女史が何時頃来るかわからないのだし。


 ところで、気合を込めて飛ばした”隠れた種ステルス・シード“は、今頃何処を彷徨さまよっているのだろうか。トリスの仕様は理解しているけど、経過が全くわからないのはモヤモヤしてしまう。もっとも、宅急便みたいに追跡出来る様ではステルスの意味がないのだから仕方がないけど。

 14時頃、近くのコンビニに行き弁当と野菜ドリンクを購入。もうちょっと早く買いに出るつもりが、『来るかも。まだかな? そろそろかも?』と、取り留めなく思考を巡らせていたせいで、いつの間にか時間が経ってしまっていた。スマホリンク機能があるとは言っても『もし自分の設定が間違っていて届かなかったら?』と疑ってしまい、買いに出るタイミングを逃したのが原因だった。……我ながら真面目過ぎる。


『気楽にやれよ。Take it easyってやつだ』


 部長の“あの”ひと言が、頭の中でグルグルと回っていた。





 そして今、帰宅した俺を仁王立ちで出迎える織田女史。鍵を開けようとする俺を横目に、『開けておきました』と言いながらさっさと入っていった。

 しかし流石の女史も渦巻く熱気には勝てなかったと見え、数歩進んで立ち止まると俺に先に行く様に促した。聡明な彼女の事だからエアコンを入れられない事情を察したのだと思う。


 つまり……さっさと窓を開けろって事なんだろうな。


「ちょっと、藤堂さん、ゴミは分別しなきゃ駄目じゃないですか」

「すみません、クセで……」


 部屋に入る早々、チェックの鬼と化す織田女史。僅か数分でゴミ袋から冷蔵庫の中、部屋の間取りまで把握されてしまった。

 それでも、昨日ずっと一緒にいて、悪い人じゃないのは良く解っている。というかむしろ彼女は細かい所に気が付く女性だ。今もオレがだらしなく散らかした部屋をテキパキと片付け始めた。

 こういう人が彼女だったり嫁だったりしたら、家庭内の事は全て任せて、男は会社でバリバリ働けるのだろう。


 ……織田女史に惚れ込まれている零士・ベルンハルトを、ちょっとだけうらやましく思ってしまう。


「あ、これ。宅急便の伝票とかはちゃんと宛名を消さないと駄目です。マジックで塗るかアルコールスプレーをかけてから捨ててください。それから光熱費支払いの控えは捨てずにちゃんと保管してくださいね。会社辞めたのですから確定申告は自分でしなきゃならないのですよ!」


 ……そうでもないか。


「ああ、もう。本はちゃんと順番に並べてください。順番が狂ってると気持ち悪くないのですか?」


 鬼の小言を聞き流しながら、買って来た海苔弁の蓋を開けた。ほんのりと立ち昇る海苔の風味の湯気が食欲を誘う。朝食は駅の売店で買ったサンドウィッチだけだったから、今なら大抵のものが極上の味に感じる事だろう。しかし、白身フライの下に入っている薄緑のだけは駄目だ。

 よく啓発セミナー的な何かで『世の中に無駄な事なんてないのです』みたいな綺麗事を言うけど……こういう弁当に入っている“カードサイズのしなしなレタス”って本当に無駄だと思うんだよな。と、箸でつまみだしてブラブラさせながら物思いにふける俺。 


「……これのどこに栄養があるんだよ」 

「何か言いました?」


 織田女史は『一昨日作った残りですけど』と、タッパーに入った肉じゃがをスッと差し出してきた。家に寄って持ってきてくれたらしい。


「ちゃんと栄養を摂ってくださいね。身体が資本ですので」


 ほんのりと漂ってくる香りが鼻孔をくすぐった瞬間、オレは思いっきり香りを吸い込んでいた。牛肉、ジャガイモ、白滝に玉ねぎ。定番だけど見ているだけで幸せな気持ちになってくる。いい所あるじゃないか。鬼とか言ってごめんなさい。


「はい、ありがとうございます」

「食べ終わったらしばらく缶詰です。この部屋サウナから出られないので頑張って下さい」


 ……やはり鬼だ、この人。


「ところで織田さん、気になっていることがあるのですが」

「ダシは昆布とサバ節です」

「肉じゃがの話じゃありません」

「あら。なんですの?」

「本社か富士吉田支社にスパイがいる可能性が濃厚なのですから、出社するのは危ないのでは?」


 俺達が部長の家にいる事を知ることが出来て、警察を使って警告するくらいだ。ある程度は行動がバレていると思った方が良いだろう。


「でも、普通に出社した方が、敵に『何もつかんでいない』と思わせる事が出来るのではないかしら?」

「それも一理ありますね……」

「それに会社から離れたらスパイを見つける事が難しくなりますわ。こういう時こそ、人事部の情報網を使い切らないと」


 そうか……本当に強いんだな、この女性ひとは。しっかりとした目的が無いとこうは行かないだろう。


「そうですか。……ではこれだけは約束してください」

「なんでしょう?」

「絶対に一人になる時間を作らない事。必ず誰かの目がある場所に居る様に。あ、あと盗犯ベルを携帯してください」

「藤堂さんって……」


 ああ、いつもの流れだ。『意外と~』ってくるのでしょう。


「意外と心配性なのですね」

「そうです、意外ですか? あなたの事が心配なんです」


 思ったより危機管理が弱い織田女史には、このくらいしっかりと警戒をしていてもらわないと困る。俺はここから離れられないのだから。


「一緒にいる時は俺が守りますけどね」


 ってあれ? どうしたのだろう。顔を真っ赤にした織田女史は、そそくさとキッチンに行き、水を飲み始めた。


「ほ、ほんと、もう……部屋が暑すぎます。エアコン入れられるように500Aアンペア位の契約(注》にしてください」


「……滅茶苦茶言わんでください」






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(注)一般家庭の契約電力は20~60A、オール電化でも100A程度です。現実的に500Aの契約が可能かどうかは不明です。文系キャラの戯言とご理解ください^^

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