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第32話・義務感

「織田さん、朝ですよ」

「……ん。……」


 俺の横で寝ぼけた声を出しながら、再度寝息を立てる織田女史。意外にも朝は弱いらしい。超女スーパー・ウーマンと言えど、弱点はあるものなんだな。





 昨晩のニュースの後、俺はすぐにアタッシュケースを開いてトリスを起動させた。モニターには『機能説明』というファルダがあり、開いてみるとPDFファイルが三つ並んでいた。

 一つは操作説明。しかしこの通信機は直感的にわかるユーザーインターフェースに加え、補足説明までがポップアップテキストで表示される。操作説明なんていじった後に読めばいい。

 二つ目はstealth-seed systemステルス・シード システム理論。読む気にならない。そもそもこんな資料は開発データの方に入れておけばいいだろう。そのうち暇したら覗くくらいか……ま、多分読まないな。

 そして三つ目には補助機能概要。そこに書かれていたのは、バッテリーセーブモードの設定やインターフェースの位置調整等、使用者に合わせてカスタマイズするための説明だった。その中でも特に使えそうだったのが、スマートフォンとのリンク機能。これはトリスが通信対象とリンクした時にメッセージが入ったり、設定によってはスマホでの通信が可能になるものだ。

 それだけ聞くと、どこにでもある様な特に珍しい機能じゃないと思ったけど、実はこの通信自体にもstealth-seed systemステルス・シード システムが採用されていた。

 弱点としては、当然だが本体の電源が入っていないと機能しない事、そしてトリスと繋がると他の通信電波は一切遮断されてしまう事。更には小型の受信ボックスをスマホに取り付ける必要があるので、かなり重くなってしまうという事だった。

 それでもこの機能があれば、24時間家の中にいなければならないという事態は回避できることになる。コンビニに行くくらいの事は出来そうだ。とりあえず今のうちに設定しておいた方が良いだろう。


 俺があまりにもトリスの操作に没頭してしまったせいで、織田女史は暇を持て余したのだと思う。テレビを見ながらいつの間にかウトウトし始め、俺の足を枕にして結局ソファで寝てしまった。 


「もうちょっと警戒心持ってくれよ……」


 これって、俺が男として見られていないという意味にもなる訳で。……なんか悲しくなってきたぞ。初夏とは言ってもエアコンが効き過ぎているせいか、ブルッと身体を震わせる織田女史。俺は上着を脱いで、そっと彼女の肩にかけた。汗臭くて申し訳ないが我満してくれ。


 俺は気持ちを切り替えてトリスの慣熟に専念した。NATO軍の攻撃が始まれば、今以上に零士・ベルンハルトが危険にさらされてしまう。そうなる前に何とかしなければ。……しかし、そこまで思った時に俺の中で一つの疑問が産まれた。


 ――俺は何のためにこんな事をやっているのだろう?


 身代わりになった零士・ベルンハルトの為、同僚の命を危険に晒させている引け目からか? それとも、望月部長に頼まれたからか?

 ……多分そのどちらも違う。身代わりにさせてしまったのは申し訳ないけど、それはたまたま零士・ベルンハルトだったというだけで、別の誰かだったら望月部長も織田女史もここまで動いていなかっただろう。


 それなら織田女史の為? ……いや、これはもっと無い。と、思う。


 結局、義務感の正体が解らないまま、気が付けばテレビから『おはようございます』と聞こえてくる時間になっていた。


「織田さん、朝ですよ」

「……ん。……あ、おはようございます」


 普通、どんな美人でも寝起きの顔なんて見られたものじゃない。だが、織田女史の寝起き顔は全く崩れておらず、“寝起きドッキリを仕掛けられたアイドルの如く”完璧な寝起き顔だった。


「起きました? そろそろ準備しないと始発に遅れます」

「……はい」


 ぱさりと床に落ちる俺の上着。そしてぼーっとしたまま動かなくなる女史。やはり朝は弱い様だ。生あくびをしながら、そのついでといった感じで聞いてきた。


「……藤堂さん、私が寝ている間に何かしました?」

「しませんって! 人聞きの悪い」


 脳が覚めきらず、まだ眠そうな目でじーっと俺を見てくる女史。何ひとつ引け目はないはずなのに、目を逸らしてしまった。

 彼女は俺の上着を拾うと、寝ている時に付いたシワを手で伸ばしながら、すでに定番化しつつあるひと言を口にした。


「意外と紳士ですね」

「ですから、『意外と』は余計です」


 イタズラっぽく、ニコッと笑う女史。


「流石にこの状況ですから、一回くらいは『仕方がない』で済ますつもりでしたが……」


 って、何を言い出すんだこの人はー!?


「歩きながら結構悩んだのですよ。犬に噛まれた事にしようとか熊に襲われるよりはましだと考えようとか」

「……酷い言われ様ですね」


 スマホを見ながら無言になっていたのはそういう事だったのか。鉄面姫とあだ名される彼女が、自身と現状を量りにかけて悩んでいた、と。

 しかしここまで言われながらも、普段と違う妙に人間臭い彼女に対して、嫌な気がまったくしなかった。


 ……まあ、俺が襲う前提になっていたのは大概にしてほしいけど。

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