――織田真理女史がスパイ!?
「まさか。それはないだろ……」
唖然とするオレを見下ろしながら、タブレットの男は
「お守りと言いましたか、日本の神
「——っ」
慌ててスーツのポケットに手を突っ込み、空港でもらった白い袋からお守りを取り出した。“芽吹き 旅守”と書いてある、紫から濃赤にグラデーションが掛かった色の極々普通のお守りだ。
オレは半信半疑のまま触診を始めた。上から下へと、少しずつ指をずらしていく。
「……」
底の辺りに何か小さくて硬い物が入っている感触があった。お守り袋の口を開いて中身をぶちまけると、そこには白い紙に包まれた御札とともに、黒くて小さいチップが転がり出てきた。
「嘘だろ……あの人が」
社員の身を案じてお守りを渡すふりをして、拉致目標がわかる様に発信機を持たせたという事か。オレは敬遠をしているけど筋が通った女性なのは確かで、とてもこんな事をする様には思えない。思えないが……実際、ここに証拠がある以上は疑う余地はなかった。
「残念ですが、そういう事です」
くそっ、『残念ですが』じゃねぇよ。同僚に裏切られたという事実も手伝ってか、コイツのニヤニヤとした顔が無性に腹が立つ。多分、鉄格子が無ければ殴りかかっていただろうな。
「他にも何人かドゥラと繋がっている者がいますが、まあ、それはアナタが約束を果たすまでの保険としておきましょう」
考えるまでもなく当たり前の話だ。ドゥラは織田女史一人が繋がっているだけでどうにか出来るテロ組織じゃないだろうから。
「では、これで契約成立。という事で……」
タブレットの男は、オレの顔色を見て満足したのだろう。そう言い残して去ろうとしたその時、遠くの方から“ズドンッ”という音が聞こえて来た。
「……爆発?」
「おや? どうやら政府軍が砲撃をして来た様ですね。もうそろそろ陽も沈むというのに、まったく
「ここは……攻撃されないのか?」
「ええ、今は大丈夫です。ドゥラは支配地域を広げていますから、政府軍の砲撃はここまでは届きませんよ」
「でも……」
悔しいが、不安な気持ちを見透かされてしまったのだと思う。タブレットの男は鼻をフンッと鳴らし、オレが考えている事を先読みして答え始めた。
「居住区が攻撃を受けたのは3年前です。今はこの辺りに直接攻撃してくる事はありませんね」
直後、続けざまに二つ三つ四つと爆発音が聞こえ、小さな振動が地面から伝わってきた。それだけでも経験した事のない事態なのに、建物内にけたたましく響く警報が恐怖心を煽ぎ立てる。……改めて、嫌でもここが戦地なんだと認識させられてしまった。
「ちょっと規模が大きいみたいですね。もしかしたらアナタの初陣かもしれませんよ」
「は? ふざけんな。人殺しの手伝いなんてしねぇよ」
「アナタが出撃しないと、そこの
その瞬間、自分の中に憎悪を感じ、目の前にいる男を睨みつけた。効果がないのは解っているが、そうしないと気が済まなかったのだと思う。
「おっと、私が何かするのではないですよ。ハリファがどう出るかって話です」
タブレットの男は軽くのけ反って両手のひらをこちらに向け、口を“への字”に曲げながら顔をそむけた。案の定と言うべきか、彼は自身のスタンスを崩すことなく、すべての行動原因を他人に押し付ける。
「結局どちらを選択しても人殺しになるのですから、アナタもその
「簡単に言いやがるな。昨日の今日でいきなり戦地に馴れる訳ないだろ」
しかし戦争が日常と化しているこの国では、そんなオレのぬるい考えが通用する訳もなかった。そしてこの後、何もわからぬまま戦場に放り出される事になる。
ハリファの指示なのだろう。二人の兵士が現れ、そのうち一人が鍵を開けて『牢を出ろ』と顎で示してきた。もう一人は少し距離を取ってオレに銃を向けている。抵抗したら即撃つという意思表示だ。
「では、頑張って生き残ってください。そうして頂かないと私も困るので」
「黙ってろ……最低野郎が!」
タブレットの男は苦虫をかみつぶしたような顔を向けて来る。わざとらしい表情が一層オレのイライラを刺激してきた。
「さっさと歩け!」
オレの注意がタブレットの男に向いているのが気に喰わなかったのだろうか、すぐ後ろにいた兵士が銃のストックでオレの背中を殴って来た。小突くとかではなく、力を込めて思いっきりだ。うめき声が漏れ、よろけながら二、三歩進んで膝をついてしまった。
クソッ……オレがお前らに何かしたかよ。
♢
建物の外にでると、小型トラックが数台停まっていた。荷台には兵士が乗り込み、すし詰め状態で隙間がない。
「走れ。乗れなくなるぞ」
「いや、どう見ても乗る場所ねぇじゃん」
荷台から溢れた者は、ボンネットの上や荷台の支柱にぶら下がっている。隙間がないどころの話じゃない。
「勝手にするがいいさ……」
それだけ言うと兵士は視線をトラックの方に向ける。つられてオレが目を向けた時には、ゆっくりと動きだしていた。
「乗らなかったら撃つように言われているからな。悪く思うな」
そう言って銃の安全装置を解除する兵士。オレは考える間もなく走りだしていた。あれだけの人数を載せていながら、トラックの速度が思ったよりも早い。ギリギリ追い付けるかどうかだ。必死で走りながら荷台の縁に手を伸ばしたが、指先が触れるかどうかという所で足がもつれてしまった。転びかけた視界の隅に、先ほどの兵士が銃を構えているのが見える。
——こんなところで終わってしまうのか?
そう思った瞬間、手首に暖かいものを感じた。視線をむけると兵士の一人がオレの手首を掴み引っ張ってくれている。おかげで無理矢理走る速度があがり、なんとか荷台の縁にしがみ付くことが出来た。
「ふう……
兵士はオレをチラリとだけ見ると『英語で大丈夫です』とだけ言って荷台に腰かけた。オレを掴んでくれたのは、潰れたマメだらけの華奢な手。ターバンから垣間見えた褐色の目元と声は、まだ少し幼さの残る女の子のものだった。