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第11話・鬼

 キラキラと光を反射する山中湖の先に見える富士山は、太陽の光を背に受けてその姿をくっきりと映し出す。初夏のこの時期は花が咲き乱れ、その雄姿は艶やかさを纏う。

 河口湖ではラベンダーとハーブの香りで、ここ山中湖では赤やピンクのポピーがそれぞれ違った美しさで富士山を彩っていた。

 そんな霊峰を間近に臨む風光明媚な場所に、角橋重工の富士吉田支社は立っている。一般的に見れば、富士山を間近見ながら職務に従事できるという“最高の環境”に思えるかもしれないが、実際はかなりの激務に『山なんぞ観ている余裕はない』と言うのが現状だ。





「お、藤堂じゃん。またデカくなったんじゃないか?」


 真っ先に俺の姿を見つけ、背中をパンッと叩いて来たのは富士吉田支社の望月部長。技術開発部の責任者で、俺がここに来ると色々と面倒を見てくれる。その上、いつも家にまで泊めてくれるありがたい存在だ。

 出向の時は社員寮の空き部屋に放り込まれるのが通例だから、この人には本当に頭が上がらない。


「いや~、なんか昨日になって急遽出張が決まってしまいまして……」

「相変わらずだな、うちの会社は」


 もう呆れるしかないと言った感じで笑う部長。


「ところでお前、いろいろと大丈夫なのか?」

「はあ、なんとか」


 特に神妙な顔になる事もなく、さらっと笑いながら聞いてくるのは、俺にプレッシャーを与えない様に配慮してくれているのだと思う。


「そうか、ならいいや。今夜飲みながらでも聞かせてくれ」

「奥様の手料理楽しみですよ」

「……ただ、ひとつ解らんのだが」


 しかし、ここで急に気難しい顔になる部長。何か不可解な事でもあるのだろうか?


「なんでお前が彼女と一緒にいるんだ?」

「はい?」


 言われて振り返ると、そこには織田女史が立っていた。


「え……」

「あら、たまたまですよ、望月部長」


 にこやかに返事をする織田女史。午前中は法事のていで、午後から合流予定のはずだったのに。……なんでいるのだろう?


「私は別件でお聞きしたい事がありまして」

「そうか。何にしても君が来るなんて珍しい。嫁も娘もよろこぶよ。泊っていくんだろ?」

「はい、そうさせていただきますわ」

「ところで……」


 部長は俺と織田女史を交互に見て口を開いた。


「二人は同じ部屋がいいか?」

「「そう言うの止めてください」」


 ……ハモってしまった。こんな風に織田女史を揶揄からかえるのはこの人くらいのものだろう。しかし織田女史も負けてはいない。『セクハラ言質げんち頂きました』と、部長をグサリと刺していた。

 その後俺は、本来の業務である“エキスポ出展機の代替品の検証作業”に入った。とは言えそもそもがとってつけた理由なだけに、結局は従来品を出展する事になるのだろう。その間、雑談を装ってデータの提出先や最近の動向を探ってみたのだが、極々普段通りの内容しか確認出来なかった。

 織田女史はと言えば『有給まで取って来ているんだから、仕事なんてする訳ないじゃない』と言い残し、部長の奥さんと子供を連れて河口湖に遊びに行ってしまった。正直、来る意味あったのか? とその時は思ったが、彼女は彼女なりに考えての行動だったという事を、後で思い知らされる事になる。


 その日の夕方、望月部長の家にお邪魔すると、テーブルの上にはすでに料理が並んでいた。ちょっとしたパーティー状態だ。


「二人が同時に来るなんて滅多にないから気合入っちゃった」


 と、デキる女全開の美郷みさとさん。この人が部長の奥さんだ。織田女史と同期だから、かなりの年の差婚と言う事になる。それでも部長は周りからの揶揄やゆに対して、『たかだか十五歳の差なんて、すぐに追い付かれちまうよ』と訳の分からない力説でねじ伏せていた。

 そして一人娘のあおいちゃんは、くりくりとした愛らしい目にプニプニほっぺが殺人的な可愛さ。……つくづく、『母親似で良かったね』と思う。


「ところで、また身長のびたんじゃない?」

「伸びてません、195センチのままですって。夫婦で同じネタやらないでくださいよ~」


 しかし俺達は、この状況を楽しむだけと言う訳には行かなかった。社内の誰がスパイなのかわらかない以上、申し訳ないけど部長夫婦も疑惑の人として警戒しなければならないのだから。

 美味い料理をご馳走になりながら、しばらく歓談が続く。このかんも怪しい動きがないかと目を光らせてる必要があった。そんな時『うっかりしていた』と謝って来たのは美郷さん。


「ごめんなさい、藤堂君はお刺身はダメでしたよね」

「駄目じゃないけどイメージが、その……」

「そういえば、正露丸でアニサキス倒せるってSNSで話題になってましたよ」

「流石にそれは胡散臭いでしょ……」


 確かに話題になっていたけど、成虫には聞かないとか容量が解らないとか、色々と難点も多いって話だ。

 このやりとりを横で聞いていた織田女史は、横目でこちらを見ながらニヤリと笑った。


「藤堂さんの皿にだけ、ワサビの替りに正露丸乗せておいたら?」

「……あんた鬼か」


 葵ちゃんは鬼……いや、織田女史によくなついていて、ものすごく嬉しそうにはしゃいでいた。俺は小さい子の扱いが苦手でどうすれば良いのか解らず、いつもぎこちないやり取りしか出来ない。子供に主導権を握られているというのも、情けない話ではある。

 やがて葵ちゃんが眠い目をこすり始めた頃だ。美里さんが優しく抱きかかえ寝室に連れて行くのを確認すると、部長は頃合いとみて話し始めた。


「……それで、二人が来た理由は、藤堂、お前と零士の件だよな?」

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