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第2話・鉄面姫女史

 ――そして翌日。


「零士クン、遅い!」


 空港で本社の人からチケットを受け取る様に言われ、オレは時間ぴったりに到着したのだけれども……開口一番に飛んできたのがこのひと言だった。

 よくよく考えてみれば、本社社員でオレが顔を知っている人ってそんなに多くはないのだから、がここにいる可能性は十分に予測出来たはず。だけど寝不足のせいで頭がふわふわしていて、声をかけられるまで全く気が回っていなかった。


 ……まさかそこにいたのが鉄面姫てつめんぴ女史だったとは。


「いや、丁度ですし」

「社会人は5分前行動が原則です」

「遅刻してないんだからいいじゃないっすか」


 『面倒っすね』と付け加えそうになって、オレはすぐに言葉を飲み込んだ。ただでさえ面倒な人なんだから、余計な燃料は投下しないに限る。

 女史はため息をひとつつくとショルダーバッグからクリアファイルを取り出した。中にはいろいろと……本当に必要なのか判らない書類がぎっしりと挟まれているのが見える。


「はい、これチケット。ドバイ向こうで泊るホテルの住所や会場等の連絡先、行動予定表も入っているから、パスポートと一緒にしておきなさいね」

「……はあ」

「ちょっとなによ、その覇気のない返事は」

「いや、何でオレなのかな~と。HuVerフーバー動かせるのなんて他にもいるのに」

「ああ、それはね」

「それは?」

「私が推薦したのよ」

「……あんたかよ」

 昨晩家に帰り着き、三日ぶりのシャワーを浴びようとしたところに先輩からメッセージが入った。『本社スタッフと空港で待ち合わせして、チケットや注意事項諸々を確認する様に』と。


「ちょっと、聞いています? 零士・ベルンハルト」

「ああ、はい。大丈夫です」


 その本社スタッフがこの人、織田真理おだまり女史。別名、本社人事部の鉄面姫と言われている……もちろん本人の前では禁句だ。お局様と言う訳ではないが、何にでも首を突っ込んではチクリと刺していく。聞くところによると、婚約者がいるのに浮気して別れて以来、男にちょっかいを出しては“社会的に”破滅させるらしい。逆に女性社員に対しては素っ気なく無表情で、誰からともなく“鉄面姫”と呼ばれるようになったそうだ。


「もう、ネクタイ曲がってるじゃない。しょうがないわね」


 と言って、彼女はオレのネクタイの位置を直し始めた。先輩は『気に入られた奴は優しく接してくれるって話だぞ』と言っていたけど、それが本当なら、オレは気に入られているという事なのかもしれない。……かんべんしてくれ。


「髪の毛もボサボサでもう。ほらちょっと、動かないで」


 もちろん普通に接する分には悪い人じゃないし、一般的に見ればかなりの美人だと思う。実際今もチラチラと見てくる男が多い。無駄に注目を集めて、それでいてオレの世話を焼くとか周りの視線が痛い事この上ない。

 アーモンド形のクリクリとした目にプルンとした唇。黒髪のロングヘアはつやつやと輝き、シンプルな白いブラウスと七分丈のスキニージーンズをラフに合わせている。そして素足にカカトが高めのパンプス。身長はオレと同じくらいなのに、履いている物のせいで170センチはあるだろう。……おかげで165センチのオレは、必然的に見上げる事になってしまっている。


「ほら、背筋伸ばしなさい。シャキっとしなさい、シャキっと!」

「はいっ……」


 ただこの、何と言うか……ものすごく子供扱いしてくるんだよな、この人。それがもう心底苦手で、関わりたくない人の一人だ。


ネクタイ(注》のタイってのはね、気持ちを引き締めるという意味と“人と人を繋ぐ”って意味があるのよ」

「はあ、そうっすか」

「だから曲がっていてはダメなんです。貴方を引き立てる名脇役なのですから」

「……100均のネクタイにそこまで求めては可哀想です」

「何かいいました?」

「あ、いえ、なんでもないっす」


 だめだ、どうもノリが合わない。ここは早々に退散すべきだな、申し訳ないけどさっさとラウンジに行ってしまおう。


「あの、急な渡航準備で昨日殆ど寝てないんすよ。搭乗前に軽く寝ておきたいんで……」

「あ、ごめんなさい。そうよね……」


 え、何でそんなに申し訳なさそうな顔をするんですか。……鉄面姫でしょアナタ。


「えっと、その……これを渡しておくわ」


 と、差し出してきたのは白い小さな袋。どう見てもこれ、神社で買って来たお守りが入っているよな。普通こういうのって、同僚が、それも支社の社員が渡航する程度で渡すもんじゃないだろ。流石に断ろうと思ったんだけど眠気が先に立ってしまって……


「あ、はい。何か解らないけど預かっておきます」


 と、とぼけた事を言って受け取ってしまった。頭の中は『早く寝たい』って事ばかりで、なんかもう色々面倒に感じてどうでもよくなっていたってのが本音だ。


「頑張ってね」

「はあ、適当にやっておきます」

「そんな事言わないの。戻ってきたら出世コースよ!」


 そんなものに、勝手に乗せないでくれ。オレはこのままずっと気楽に設計だけしていたいの。


「遠慮します……」


 ため息交じりに返事をして搭乗者用のラウンジに向かう。実はその時、以前先輩が言っていたひと言が頭の中をよぎっていた。『鉄面姫女史には気を付けろよ。間違って結婚なんかしたら、腰の振り方にまで文句言ってきそうだからな』


 ……くわばらくわばら、と。






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(注)英語圏においてnecktie と言う表記は現在ほぼ使われておらず、tieを使うのが一般的です。意味は『縛る・繋ぐ・引き分ける』等。


※書き始めてから半年ほど経って、とある方から助言を頂きました。本作で使っている敬称の『女史』が今現在マスコミ間で差別用語となっているらしいです。ですが本作では“本来の意味”での敬称として使用しており、また、物語の展開上必要な呼び名となっていますので今現在はそのままの表記にしています(2024/6/9)

 先日ちょっとしたキッカケがあって2012年のドラマ、リーガル・ハイ(堺雅人主演)を視聴してみました。そこでは作中で『女史』と言う敬称を普通に使っています。ちなみに共同通信社が『女史』を差別用語だと指定したのが1997年。2012年のドラマで普通に使われている所を見ると、特別気にする必要がない語句だと判断出来ます。ところで、リーガル・ハイ面白い(追記2024/8/16)

 ついでに言うと、何の法的権限もない人が放送業界と言う括りの中で勝手に差別と決めているだけなので、創作物の表現上変える必要が無いと判断しました。

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