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第四章 騎士たちの矜持

第4章 騎士たちの矜持

 アルクノイアの街には、冷たい霧が澱のように積もっていた。夕闇に照らされた石畳の大通りは人の喧騒で賑わっており、車と馬車が人ごみの間を縫うように慎重に走行している。市街を流れる海へと続く大きな河川には、ボートが大勢の客を乗せて優雅に浮かんでいた。


 そんな景色を一望できる高層ビル内のレストランの一角――ガラス張りのテラスにあるテーブル席に、三人の男女が座っていた。豪奢な内装に相応しく、全員が礼服に身を包んでいた。スーツからズボン、果てはシャツとネクタイまで白で統一されており、色の違いがあるとすれば、髪と瞳の色くらいだった。


「あいつ、本当にこの街に来るのか?」


 テーブルに頬杖を突きながら、一人の男が独り言のように言った。銀縁フレームの細長い眼鏡に卓上の料理を映しながら、オールバックにまとめた金髪の前髪を軽く整える。


「わからないが、イグナーツ卿が言うのであればその確度は高いだろう。つい数日前に、リズトーンを徒歩で出発したそうだ」


 金髪オールバックの男の目の前にいた別の青年が、落ち着いた様子で答えた。鳶色の髪を携えた容姿は端正に整っており、美青年という言葉をそのまま体現したかのようだった。鳶色の髪の男は、空になった食事の皿に視線を落としながら、何か思いつめるようにしてさらに言葉を紡ぐ。


「まさか、処刑場への移送中に逃がしてしまうことになるとは。天災とはいえ、我々騎士団としてはあまり公にできない失態だな」

「なに、今度こそしっかり地獄に送ってやるさ」

「やけに楽しそうだな、ユリウス」


 眼鏡の男――ユリウスは鼻で笑い、ワインを一気に飲み干した。


「まあな。ところで、アルバート。お前は円卓の議席持ちだろ? 同じ議席持ち同士、やりづらかったりすんじゃないのか?」


 ユリウスに言われて、鳶色の髪の男――アルバートは小さく嘆息した。


「私の心配は無用だよ。任務とあらば、知己であろうとその命を屠る覚悟はできている」

「伊達にⅦ番の議席持ちじゃねえってか」


 揶揄うユリウスの言葉に若干辟易しつつ、アルバートはもう一人――小柄な女へ視線を馳せた。


「それよりも、プリシラ、キミはどうだ? この三人の中で、彼と最も関りが深かったのはキミのはずだ」


 白い絹のような銀髪はうなじの辺りの長さで短く切られており、横一線に揃えられた前髪は目元をすっぽりと覆い隠していた。

 プリシラは、食事の手を止め、ナプキンで軽く口を拭きとる。


「問題ない」


 一切の抑揚を感じさせない回答をした後で、また食事の手を再開した。

 その様子を見たユリウスの口元が面白そうに歪む。


「その言葉が本当だといいな。お前、あいつの――」

「ユリウス。余計なことは訊くな」


 アルバートの静止を受けて、ユリウスは肩を竦めてそれきり黙る。一方で、プリシラは特に気にした様子もなく、淡々と食事を続けるだけだった。

 アルバートはそんな二人を一瞥した後、窓から見える景色に視線を送る。


「黒騎士シオン――大人しく、捕まってくれればいいのだがな」







 リズトーンを発ってから丸一日が経過したころ、一向に山脈地帯を抜けられない状況に、シオンたち三人は疲労を募らせていた。


 それからさらに一日が経った二日目の早朝――山脈地帯の街道に、一台の貨物用トラックがシオンたちの近場を通りかかった。これを逃す機会はないと、シオンたちは半ば強引にトラックを止め、山脈地帯を抜けるまで同乗させてもらえないかを運転手と交渉した。

 結果、十万フローリンを支払うことで荷台に乗せてもらうことができた。あまりにも足元を見たぼったくりだと、支払い担当のエレオノーラが喚くように値切り交渉をしたが、トラックの目的地が都合よくアルクノイアだったこともあり、最終的には大人しく運転手の言い値での交渉成立となった。


 そうして、トラックに揺られて六時間が経過したころ――不意に、エレオノーラがシオンを見て、怪訝に眉を顰めた。

 いつものシオンなら、険しい顔をして気を張り詰めているのだが、今は違った。荷台の壁に体重を預けるような姿勢で、どこかぐったりした様子で座っている。


「ねえ、シオン。アンタ、本当に大丈夫?」

「何が?」


 エレオノーラが気遣って声をかけると、シオンの表情から弱々しさが消え、引き締まったものになった。


「リズトーンを出てから、ずっと調子悪そうに見えるけど」

「少し疲れただけだ。こうして車に乗せてもらえたし、それなりに休めているから心配いらない。俺のことより――」


 シオンがそこで区切って、視線を横に向けた。


「ステラ、お前は大丈夫なのか?」


 そこにいたのは、顔を青くし、今にも白目をむいて倒れそうなステラだった。シオンの呼びかけにもすぐには気づかず、数秒遅れてから振り向いた。


「あ、はい……い、いえ、やっぱり駄目そうで……」


 そう言って、ステラは両手を口で塞いだ。

 エレオノーラが苦笑し、肩を竦める。


「車酔い? アンタ、汽車は大丈夫そうだったじゃん」

「こ、このトラック、かなり揺れません? 私からしてみれば、お二人が平気な顔して乗っていられるのが不思議で……」


 言われてみればと、シオンが揺れの強さを確認するように荷台の中を見渡した。


「確かにな。山脈地帯は舗装されていない道も多いはずだ。そのせいで揺れが酷いんだろう」

「き、気持ち悪い……!」


 シオンが冷静に分析する傍らで、ステラがいよいよ我慢の限界といった様子で呻いた。その背を、エレオノーラが軽く摩る。


「潮の臭いがしてきたし、もうちょっとでアルクノイアに着くはずだから。アンタのゲロで荷台の中汚したりでもしたら、また追加料金取られるかもしれないし、我慢しな」

「え、エレオノーラ様……魔術でトイレを作っていただけないでしょうか……!」

「作れるか」


 エレオノーラが顔を顰めながら即答した。

 すかさず、ステラが真面目な表情になって振り返る。


「え、できないんですか?」

「アンタ、魔術を何だと思ってんの?」

「ほとんど何も知らないです……ウッ!」


 そこまで言って、ステラは再度口を両手で塞いで黙り込んだ。そんな有様の王女を見て、エレオノーラは憐れむように溜め息を吐く。


「じゃあ、車酔いの気が紛れることを期待して、教えてあげる。まず、魔術の基本原則は、“意志に応じて変化を起こす科学であり、理の業である”――これに尽きるの。要は、人の意思で何らかの事象を引き起こす術だと思えばいい。よくある勘違いとしては、魔術は何でも意のままに叶えることのできる魔法だと思われていること。今アンタが言ったみたいにね。でも実際は、化学や物理学みたいな世の基本法則に則った範囲のことしかできない。あとは、術者が理解できていない仕組みや、複雑な構造の物を作ったりもできないかな」

「そ、それはどういうことなんでしょうか……?」

「アンタ、化学とか物理学は得意?」

「超苦手です……」


 エレオノーラは苦しそうにするステラの目の前に、水の入ったボトルを一本置いた。


「水が何からできているかは知っている?」

「水素と酸素、でしたっけ?」

「そうそう。例えば、魔術で水を操ろうとすれば、水そのものか、水の材料が必要になるの。水素と酸素もない場所、空気の湿度がゼロ、地面に水気なしの状態とかだと、何をどう頑張っても水を操ることはできない」

「なるほどー」


 ステラは、少しだけ顔色がよくなった様子で、ふむふむと相槌を打った。


「あと、魔術を行使する際には対象となる物質の他に、変化をもたらすためのエネルギーが必要になる。これについては魔術師の間でも意見が割れていて、今のところはっきりとしたことは何もわかっていないんだ。マナやらエーテルやらオドやら、学説によって色んな呼び方をされているけど、共通するのは人が視覚的に認知することのできない不可視のエネルギー体がそこらへんに溢れているということ。まあ、ここはアタシもよく理解してないから、知りたかったら自分で勉強して」

「よくわかっていないのに使えるなんて、何か不思議ですね」

「そうでもないと思うけど? 物がなんで焼けるかよくわかってなくても、火を使えば物を焼くことはできるでしょ。魔術のエネルギー問題の不透明さに関しては、アタシはその程度くらいにしか考えてないけどね」

「確かに、言われてみれば」


 一本取られた、といった表情でステラは納得する。


「それと大事なのが、魔術には印章が必要なこと。魔術を建築に例えるなら、変化させる物質や事象は木材や釘といった材料で、行使する人間は金槌や鋸、印章は設計図に相当するかな。アタシの場合は、すぐに使いたい魔術の印章は銃に刻んでる。ちなみに、あの銃に装填してるのは弾丸じゃなくて、可燃物になる炭素と水の塊。これに弾頭はなくて、口塞いだ薬莢に可燃物詰め込んだだけなんだ」


 エレオノーラがそう言って、太ももに巻き付けている弾丸――もとい、可燃物の入れ物を見せてきた。


 こんな小さなものから、火炎放射さながらの火球を生み出すのだから、彼女たち教会魔術師が人間兵器と畏れられるのも納得すると、ステラは思った。


「何となく、魔術についてわかった気がします。ありがとうございました」

「どう? 少しは気が紛れて楽になった?」


 しかし、エレオノーラの一言を聞いて、ステラは思い出したかのように再度顔を青ざめさせた。


「え、エレオノーラ様、バケツを作っていただけな――」


 そこで力尽き、一国の王女の口から、胃の内容物が盛大に逆噴射された。

 エレオノーラが、悲鳴を上げる。


「何やってんだお前ら……あと少しでアルクノイアに着くぞ」


 それを傍目で見ていたシオンが、眉を顰めながら呆れていた。







 結局、ステラが荷台の中で嘔吐してしまったことで、運賃は交渉成立時の二倍の二十万フローリンとなってしまった。


「リズトーンでシオンの剣を買ってマイナス百万、トラックの運転手にぼったくられて、さらに二十万のマイナス――残金が一万切っちゃった……」


 アルクノイアの中央区に降ろされて早々、エレオノーラは、厚みのなくなった自身の財布を開け、深い溜息を吐いた。


「さすがにこの手持ちだと心もとないから、ちょっと銀行いってお金降ろしてくる。この時間帯だと混んでるかもしれないから、シオンとステラはどっか適当なところで待ってて」


 エレオノーラの言葉を受け、ステラは悩ましげな顔になった。


「そうなると、待ち合わせ場所を決めた方がいいですよね。どこがいいですかね?」

「あのデカい煙突の下は? あそこなら道に迷うこともないし間違えることもないでしょ」


 エレオノーラがそう提案して指差した先は、街の海側――工業地帯にある大煙突だった。ここから数キロは離れていそうだが、確かに、あそこなら間違うことも迷うこともなさそうだ。


「了解です。じゃあ、私とシオンさんは先にあそこに向かってますね」


 ステラが言うと、エレオノーラがシオンの前に立った。


「ん」


 不意に、エレオノーラが自身の荷物をシオンに突き付けた。


「なんだ?」

「体調問題ないんだったら、荷物預かってて。リズトーンで剣買ってあげた時にアンタが言ったこと、忘れてないからね」


 重労働なら何でもこなす。好きなだけこき使え――確かに、シオンはそれを条件に百万フローリンもする刀をエレオノーラに買ってもらった。

 シオンはそれを思い出した顔になって、エレオノーラからスーツケースを受け取る。


「アタシの荷物、なくさないでよ」

「そんなに心配なら自分で持てば――」

「アンタがやるって言ったんでしょうが!」


 エレオノーラが吠えて、さっさと銀行に向かって踵を返した。頭から湯気を出してぷんすかと突き進むエレオノーラ――それを、街行く人たちが怯えた表情で見ながら、道を開けた。


「気の短い女だ」

「いや、シオンさんも相当なものですよ」


 顔を顰めるシオンに、ステラが嘆息した。

 それからステラは、気を取り直すように面を上げる。


「まあ、とりあえず私たちはあの煙突の所に行きましょう」


 ステラはそう言って、大煙突の方へ足を運ぼうとした。

 しかし――


「どうしました?」


 シオンは、その後をついていこうとしなかった。

 ステラが首を傾げても、シオンからの反応はない。

 シオンの表情は、いつの間にか険しい顔つきになっていた。まるで、何かの気配を察したかのように、ごった返した人通りの真ん中で、周囲に意識を集中させている。


「シオンさん?」


 再度、ステラが呼びかけても応答がない。そのただならぬ雰囲気に、ステラもついに身構えた。


「も、もしかして、ガリア兵ですか?」

「いや――」


 シオンは短く否定して、


「“俺と一緒にいると、いつか騎士に遭遇するかもしれない。”――そう言ったのは忘れていないな?」


 逆にそう訊いた。

 ステラが恐る恐る頷く。


「騎士がいたんですか?」

「ステラ、エレオノーラの荷物を持って先に待ち合わせ場所に向かって行ってくれ。後で必ず合流する」

「え!?」


 シオンはそう言い残し、まるで逃げるように人ごみの中に溶け込んでしまった。


「あ、ちょ――もーっ! ホント、何なんですか、あの人!」


 ステラが呼び止める間もなく、シオンの姿は数秒のうちに完全に見えなくなった。

 エレオノーラと同様、ステラもまた、シオンの身勝手さに腹を立て、その場でひとり悪態をついた。







 シオンは、早足でステラから距離を取った。

 シオンは見てしまったのだ。“かつて見知った顔”が、人混みの中から、遠巻きに自分を見ていたのを。瞬きをする間に、それは白昼夢のように消えてしまったが、見間違いなどではないはずだ。


「……あれは、プリシラか?」


 シオンは、妙な焦燥感に駆られながら、ひたすらにステラから距離を取ろうと、足を速めた。







 人混みをすり抜けながら、シオンは街の中心部に向かって行った。できるだけ人の流れが多い場所を目指しているのだ。

 周りに大勢の人がいる限り、騎士は自分を攻撃してこないだろうとシオンは踏んだ。仮に、もしここで交戦すれば、周囲への被害は当然避けられない。それは騎士の立場であれば好ましいものではないはず――そう思いながら、シオンは大広場へと向かった。


 大広場に到着すると、そこでは家族連れやカップルなどが、仲睦まじい様子で談笑をしていた。


 シオンは、それらを赤い双眸に映しつつ、呼吸を整えながら意識を集中した。

 それから間もなくして、


「そう身構えずとも、今ここで事を荒立てるつもりはございません」


 空気が一瞬で凍り付くような、冷たい女の声がした。

 シオンは、体の一切を動かさなかったが、途端に目つきを鋭くする。

 そして、その声が起きた方――自身の隣を、徐に見遣る。


 少し離れたところに立っていたのは、一人の女だった。

 純白のスーツとコートを身に纏った、新雪のような光沢を持つ銀髪の女――シオンの記憶にあるかつての女とは少し身なりが変わっていたが、同一人物であることに違いなかった。


「プリシラだな?」


 その名を口にすると、女は顔だけをシオンに向けた。

 ショートカットの銀髪は綺麗に梳かされており、目元は横一線に切られた前髪で隠されていた。そのため、彼女がどのような表情をしているのかは、はっきりとわからなかった。


「覚えておいでですか、私のことを?」


 プリシラは、頭を正面に向き直したあとで、淡々とシオンに訊いた。

 シオンはプリシラに向き直った。


「ああ。少し、背が伸びたな。髪も切ったのか」


 なんてことない世間話――しかし、両者の声色は、警戒している時のそれだった。


「あれから約二年経ちましたので、それなりに容姿、装いは変わります」

「俺を捕まえに来たのか?」

「はい」


 シオンの質問に対し、プリシラは抑揚のない声で答えた。


「お前一人か?」

「お答えできません」

「いつからこの街にいた?」

「お答えできません」


 シオンは小さく息を吐いて、プリシラを訝しげに見遣る。


「何でわざわざこうして接触してきた? 投降の勧告でもしに来たのか?」

「それもあります」

「それ以外にも理由があるのか?」


 プリシラはそこで、改めてシオンの方を向いた。


「かつての師と、せめて別れの言葉を交わしたかったから」


 そして不意に、そう呟いた。

 それを聞いたシオンが、微かに目を伏せた。


「……そうか」


 プリシラはそのままシオンの方へ歩みを進め、彼とすれ違った。その間際、


「明日の正午ちょうどに、この街の工業地帯にある大煙突近くでお待ちしております。もしお越しいただけなかった場合は、この地で貴方の魂を天へ還します」


 プリシラがそう囁いた。

 シオンは振り返り、その背に向かってやや呆れ気味に声をかける。


「この街にいる間、俺をずっと監視するつもりか? 夜中に俺が街から出たらどうするつもりだ?」

「かつて貴方の弟子として常に行動を共にした身です。どこへ行こうと、いかようにも」

「俺に勝てるつもりか?」

「策は講じております」


 シオンは複雑な面持ちで目を閉じ、肩を竦めた。


「小心者が、随分な自信家になったな」


 そう言った時にはもう、プリシラの姿は大広場から消えていた。


「……あの様子だと、ステラたちの存在にも気付いているだろうな」


 今後の行動指針をどうするか、シオンは悩みながら、夜に染まりつつある曇天の空を軽く仰いだ。

 果たして、ステラの素性までプリシラに割れているのか――それが、一番の気がかりだった。







「ふおおおぉぉぉ……!」


 額に青筋を浮かばせながら、ステラは鼻息を荒げた。

 想像以上に重かったのだ、エレオノーラの荷物が。

 手提げのスーツケースでおよそ三キロ、肩掛けの縦長のスーツケース――魔術を使うための特殊なライフルが入ったそれが十キロ。そして、普段から背負っている背嚢がおよそ八キロ。

 合計二十一キロが、ステラの華奢な身体に負荷をかけていたのだ。


「え、エレオノーラさん、何で、普段から、こんな重いものをあんな涼しい顔して……」


 まるで大根を引き抜きながら歩みを進めるステラを、周りの通行人は揃って怪訝な顔で眺めていた。


「魔術とかで、軽く、できるんだろうか……!」


 もしそうだとしたら、是非とも習っておきたいと、心の底からステラは思った。力みながら珍妙な声を上げつつ、どうにかして大煙突へと向かおうとする。

 そんな時だった。


「ちょっと、そこの」


 不意に呼び止められた。

 ステラは苛々しながら、声のした方を振り返った。

 そこにいたのは、濃い青色の軍服を纏った二人の兵士――ガリア兵だった。ステラは瞬く間にその顔から血の気を失わせる。


「こんな道のど真ん中で何をしている? 随分と大荷物のようだが?」


 一人で大荷物を抱えて気張っている姿が、さすがに不審に思われたようだ。

 ステラは鳥打帽とマフラーを深く身に付け直し、ガリア兵に向き直った。


「す、すみません。連れとはぐれてしまって、三人分の荷物を今こうして必死になって運んでいたんです」


 ステラが小声で言うと、ガリア兵たちは互いに顔を見合わせて肩を竦めた。


「かなり重そうな荷物のようだが、中には何が入っている?」

「大したものではないです」

「大したものではないとは?」

「ちょっとした旅の日用品です」


 その言葉を使うには、あまりにも大袈裟すぎる手荷物だと、ステラは自分で思った。それはガリア兵たちも同感だったようで、


「中身を調べさせてもらっても?」


 即座にそう切り返してきた。自分の背嚢だけならいざ知らず、ステラが運ぶ荷物の中にはエレオノーラの銃が入っている。到底、一般人が持ち運ぶようなものではない。見られたら、どんな疑いをかけられるか。

 ステラは荷物を隠すようにして、それらの前に立つ。


「いや、ちょっと! 私、こう見えて立派な女なんですよ! そんな見ず知らずの男の人たちに手荷物の中身、見られたくないです!」


 大げさに言ってみたが、正直、苦し紛れだった。

 その演技がよほど下手くそだったのか、ガリア兵たちがいよいよ目つきを不審なものにしている。


「悪いが、こちとら仕事でね。最近は制圧したログレス軍の残党がテロまがいの活動をしている状態で、我々としても可能な限り不審な者を調べておきたいんだ」


 もっともらしいことを言ってはいるが、ここはもとよりログレス王国であり、他国の軍属であるガリア兵に治安を守ってもらう謂れはない。

 ステラがそんな理不尽に顔を顰めた矢先、


「……テロリストはそっちだろうが」

「侵略者がどの口ほざいてんだか」

「盗人猛々しいとはまさにこのことだな」


 と、道行く人混みの中からそんな声が聞こえてきた。どうやら、ガリア兵のこの横暴な行動には、ログレス王国の民も強い怨みを持っているようだ。

 途端、ガリア兵たちが怒りに顔を歪めた。


「おい、誰だ!」

「今ふざけたことを言った奴ら、すぐに前に出ろ!」


 銃を手に取ったガリア兵たちが怒号を飛ばす。

 それを見たステラが、咄嗟に前に出た。


「ま、待ってください! 荷物の中なら見せますから! どうか、ここは穏便に――」

「お前は黙ってろ!」


 ガリア兵の一人が、ステラに激しい剣幕で怒鳴りつけた。

 ステラが思わずたじろぎ、びくりと体を震わせる。


「さっさと出てこい! さもなくば、ここに居合わせている全員を収容所に連行するぞ!」


 ガリア兵の言葉に、周囲の人々が一斉にこの場から離れていこうと駆け足になった。

 しかし、そうはさせないと、ガリア兵が容赦なく小銃を構え、銃口を人々に向ける。


「こいつら!」


 群衆の中から悲鳴が上がり、場は騒然となった。

 そんな時、


「私だ」


 ふと、落ち着いた若い男の声が人ごみの中から起こった。

 ステラとガリア兵が、そろって声の起きた場所を見遣る。

 そこにいたのは一人の青年だった。それも、小奇麗にまとめられた鳶色の髪と、透き通るような空色の瞳が特徴的な美青年である。シオンとは対照的な印象を与える美形で、こちらの方が女性受けはいいだろうなと、不謹慎ながらにステラは思った。例えるなら、童話の中からそのまま飛び出してきた王子様――あまりにも現実離れに整った容姿と落ち着いた雰囲気に、この緊迫した事態にも関わらず、ステラも思わず見惚れてしまった


「貴方たちに暴言を吐いたのは私だ」


 美青年は臆した様子も見せず、どこか事務的にそう言った。

 そのすかした振る舞いが気にくわなかったのか、ガリア兵たちが息巻いて彼に詰め寄った。


「お前が?」


 ガリア兵が眉を顰める一方で、美青年は彼らの目の前に堂々とした佇まいで立つ。


「ああ。だからこれ以上、この場にいる人たちを怯えさせるようなことはしないでくれ」

「随分と偉そうな奴だな。お前、俺たちを怒らせたらどうなるか、わかっているのか?」


 顎をしゃくり上げて恫喝してくるガリア兵に、美青年は顔色一つ変えなかった。


「すまないが、わからない。どうなる?」

「いい度胸だ。ボコボコにしてやるから覚悟しておけよ」

「それは、私に暴力を振るうということか?」

「いや、暴力じゃない。正当な取り調べだ。この街の平穏を脅かす発言をした不届き者に、相応の仕打ちを与えないとな」


 美青年の表情がそこで初めて変わった。相手を小馬鹿にするような、冷ややかな顔つきだった。


「貴方たちは見たところガリア軍の兵士だと見受けられるが、何故、このログレス王国でそのような活動を行える? 」

「ああっ!?」

「ガリア軍が他国の治安維持活動に参加するなど、今この場で起きたこととその言葉だけを受けた限りでは、横暴な内政干渉に聞こえるが?」

「こちとら上から正式な許可を貰ってやってんだよ!」

「上というのは、ガリア軍の上層部か? いずれにせよ、ログレス王国内でガリアの軍人が治安維持活動をする理由にはならないと思うが?」


 ガリア兵たちはいよいよ怒りが抑えられないように激しい剣幕になった。


「てめぇ! いい加減にしないと本気で連行するぞ!」

「好きにするといい。ただし――」


 美青年はさらに続ける。


「ガリア軍がログレス王国にこうして駐在していられるのは、あくまで国家元首不在を名目にした代理統治のお陰だ。治安維持を名目に、ガリア軍がログレス王国の民をむやみに傷つけていいなど、何一つ国際的に約束されているわけではない。下手を打てば、貴方たちの行動を引き金に教会が動くことも考えられる。そうなれば――」

「クソが! もういい!」


 美青年の言葉を途中で遮り、ガリア兵たちは捨て台詞を吐いて立ち去った。直後、周りの民衆たちから歓声が上がる。

 それを見たステラが、ほっと胸を撫で下ろすと、


「大丈夫でしたか?」


 美青年が話しかけてきた。

 予期せぬ声掛けに、ステラが面食らって慌てて距離を取る。


「え、あ、はい! 大丈夫です! ありがとうございます!」

「それはよかった」


 物腰の柔らかい、紳士的な態度に思わず頬を染めてしまうステラ――だが、すぐさま表情を引き締めて荷物を手に取った。


「あっと、すみません! 助けていただいて何ですけど、私、ちょっと行く場所があって!」


 そう言って、改めて体に力を込める。


「ふんぬっ!」


 ステラは、どうにかして持ち上げたスーツケースを、ほぼ引きずるようにして歩みを進める。

 そこへ、美青年が不憫そうな眼差しを向けて駆け寄った。


「あ、あの、大丈夫ですか? もしご迷惑でなければ、目的地まで私が運びますが」

「いえ、お、おかまいなくぅ!」


 そう言って、ステラは気味の悪い気合の掛け声と共に、凄まじい形相で荷物を持ち上げた。

 しかし、その様子を見ていた美青年が、苦笑しつつもすかさずステラから荷物を取り上げた。


「これはさすがに、見過ごす方が心が痛みます。どうか、お節介をさせてください」


 ステラが観念し、恥ずかしそうに力なく笑う。


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」


 心底申し訳なさそうに、ステラは頼んだ。

 そこへ、美青年から手が差し伸べられる。


「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私はアルバート・クラウスと申します。名乗りもせず、色々と不躾に申し訳ない」

「いえいえ、とんでもないです。私は――」


 このわずかな一瞬、いつかシオンが言っていた言葉を思い出した。

 本名をむやみやたらに名乗るな――もし、この美青年が、実は自分の敵側の人間だったら――そんな一抹の不安が過ぎり、


「ま、マリーっていいます。こちらこそ、助けていただいてありがとうございます……」


 と、ステラは咄嗟に思いついた偽名を名乗ることにした。







 ステラとの待ち合わせ場所である大煙突までの移動中、ふと、シオンは背後に気配を感じて振り返った。日はすでに落ちており、等間隔で配備された街灯だけが視界の頼りだった。


「あれ、まだ着いてなかったの?」


 そこにいたのは、どこか不機嫌そうなエレオノーラだった。


「金下ろすのに、結構な時間がかかったな」


 シオンが言うと、エレオノーラは大きな溜息を零した。


「銀行がめっちゃ混んでてね。営業時間終了間近だったから、滑り込みの客が多かったみたい。ていうか、アンタこそまだ待ち合わせ場所に着いてないじゃん。何してたのさ? ステラは? アタシの荷物は?」


 シオンは一瞬、言うべきかどうかを思案した後で、


「騎士と接触した。俺を捕まえに来たらしい」


 端的にそう答えた。

 エレオノーラが、自身の荷物ことなど忘れたように血の気を失い、顔を顰める。


「マジ?」

「ああ」

「ど、どうすんの?」


 シオンは軽く目を伏せた。


「あいつらの言うことに従うつもりはない。だが、このままだとステラを確実に巻き込むことになる」

「アタシも巻き込まれるんだけど」

「お前は自分から巻き込まれに行ったようなもんだろ」


 シオンの苦言に、エレオノーラが大袈裟に両手を上げて抗議した。

 それには構わず、


「とにかく、俺の目的はステラを王都に送って戴冠式を開催させることだ。俺が同伴しなくてもそれが叶う手段がないか、今考えている」


 シオンはそう言ったが、エレオノーラが嗤笑気味に鼻で笑った。


「そんな手段がないから、アンタがあの子を守りながら王都まで行くんでしょうが」


 ふと、シオンはエレオノーラのことを真剣な眼差しで見た。唐突な熱い視線に、エレオノーラが怯むように一歩後退する。


「な、なに?」

「俺がステラと一緒にいられなくなった時は、お前があいつを王都まで届けてやってくれないか?」

「はぁ!?」


 突拍子もない申し入れに、エレオノーラが声を荒げた。


「身勝手な奴だって思っていたけど、度が過ぎるっての! 大体、アタシがアンタたちに同行しているのは、アンタの“騎士の聖痕”が目的なんだから! アンタが騎士に捕まった時点で、こっちは何の見返りもないって話なの!」

「捕まる気はない。目的を果たした時に、ちゃんと背中を好きなだけ見せる」

「却下。アンタが言う目的を果たすって、戴冠式が開催されることでしょ? そんなのいつまで待てばいいのさ」

「だから、お前がステラを王都に届けて――」

「ああ、もう! 話が嚙み合わない、イライラする!」


 エレオノーラは、激しい剣幕でシオンに詰め寄った。


「はっきり言う! アタシは、アンタたちにそこまで義理立てしてやる必要性が何一つない! 以上!」


 シオンが少しだけ残念そうな顔になる。


「騎士が怖くて魔術師をやっていられるか、とか何とか威勢のいいこと言っていなかったか?」

「今回の話は割に合わない。アンタの背中を見るために、何でアタシがステラを守りながら王都にまで届けないと駄目なのさ。それに、結局アンタが騎士に捕まったりでもしたらそこで話は終わりじゃん。なに一方的に都合のいいこと言ってんのさ」


 シオンは諦めたよう溜息を吐いた。

 それを見たエレオノーラは、苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「いや、ため息つきたいのはこっち」


 彼女はそのままシオンの横を通り過ぎ、大煙突の方角に歩みを進める。


「とにかく、アンタが言い出したことなんだから、ちゃんと責任取りなさい。騎士がアンタのこと狙っているなら、その騎士をどうにかして、ステラを王都まで送り届けるくらいのことやんなさいよ」


 激励するような、呆れるような、そんな言葉を最後にエレオノーラは残した。


 それから数分して、二人は待ち合わせ場所の大煙突の前に到着した。

 時刻はすでに十八時を回っていたが、未だに周辺の工場からは蒸気を吹く音と、鉄がかち合う機械音が絶えないで起こっている。


 とある道の一角を曲がったところで、シオンはステラと思しき小柄な人影を目にした。ほぼ同じタイミングでエレオノーラもそれに気付いたようで、ステラに声をかけようとする。


 だが、シオンが咄嗟に彼女の腕を引いて物陰に無理やり隠れさせた。

 エレオノーラが驚く間もなく、彼女の口はシオンの手で塞がれる。エレオノーラが抗議の視線を送るが、シオンはただならぬ雰囲気で表情を険しくしていた。


「まずいぞ。ステラと一緒にいる男、円卓の議席持ちの騎士だ」


 エレオノーラが、自身の口を塞ぐシオンの手を無理やり振りほどく。


「ちょっと、いきなり何すん――って、騎士!? それに、円卓って何?」

「円卓は総長、副総長を含む十三人の騎士から構成される騎士団の最高幹部だ。その構成員の一人が、今ステラと接触している」

「何でそんな偉い奴がこんなところにいんのさ」

「恐らく、俺を捕まえるために派遣されたんだろう」


 シオンの言葉を聞いたエレオノーラが、眉唾そうに首を傾げた。それから彼女は、物陰に身を潜めながらこっそりとステラを見る。すると、そこには、ステラの他に、鳶色の髪をした青年が一人立っていた。


「脱走した黒騎士一人捕まえるのにわざわざそんな重役を繰り出すわけ? 騎士団って、もしかして暇なの?」


 軽口のように言ったエレオノーラだったが、一方のシオンはいたって真面目な面持ちで、物陰からステラとその騎士を注視していた。


「円卓の議席持ちは騎士団の中でも例外なく上位の戦闘力を持つ。確実に俺を捕まえるために、あいつを寄越したんだ」

「だから、何でわざわざそんな強い奴が赴いてんのさ。脱走した騎士の後始末くらい、下っ端にやらせればいいじゃん」

「俺がもともと円卓の議席持ちだったからだ。同等以上に間違いなく戦える騎士を当ててきたんだ」


 シオンの唐突な告白に、エレオノーラは驚きながら顔を顰める。


「アンタ、そんな偉い奴だったの?」

「一応な。議席番号はⅩⅢ番、もっとも、席に着いていた期間は一年もなかったがな」


 思い出したくないことだったのか、シオンは言いながら歯噛みした。

 そんな時だった。


「そのまま、アルバート卿の前に姿を現していただいてもよろしいでしょうか?」


 突然、冷たい声がシオンの後方から起こった。驚きで目を見開くシオン――彼の首筋には、長槍の刃が背中越しに向けられていた。

 いきなりの出来事に、エレオノーラが腰を抜かしたように尻もちをつく。

 シオンはすぐさま平静を取り戻して、


「プリシラか」


 そう訊いた。

 その言葉通り、シオンの背後にいたのは、銀髪の女騎士――プリシラだった。


「正直、貴方には少しだけ失望しました。こうも簡単に背中を取れるとは思ってもいなかったゆえ」

「俺が黒騎士になった時点で、お前は失望しきっているだろ。それに、二年近く投獄されていたんだ。勘もそれなりに鈍る」


 シオンの言葉を、プリシラは表情一つ変えることなく聞いていた。しかし、槍を握るその手には、一層の力が込められている。


「左様ですか。それはともかく、私の言葉を聞いていただけますでしょうか? 貴方にはこのまま、アルバート卿と話をしてもらいます」

「話す? 今更あいつと話すことなんてあるのか?」

「内容については私の与り知らぬところです。ですが、アルバート卿は貴方との対話を望んでいます。もし聞いていただけない場合は――」


 プリシラはそこまで言って、エレオノーラに刃先を向けた。


「そこの女を殺します」

「いや何で!? アタシ全然関係ないじゃん!」


 そう言ったエレオノーラだが、どういうわけか、プリシラの声色には確かな怒りが込められていた。


「“紅焔の魔女”、エレオノーラ・コーゼル――教会魔術師である貴様が、何故黒騎士と一緒にいるのかは知らないが、その事実だけでも我々騎士団としては看過できない事案だ。知らぬ存ぜぬを決められると思うな」


 エレオノーラが手で顔を覆いながら、空を仰いだ。


「ばれてーら……」


 観念して、エレオノーラはがっくりと項垂れる。

 その直後、不意にシオンたちに近づく人の気配があった。

 シオンがそこを見遣ると、


「あれ、シオンさんとエレオノーラさん? こんなところで何してるんですか?」


 ステラと、


「……アルバート」


 美貌の青年騎士――アルバート・クラウスの姿があった。

 シオンが警戒して身構えると、アルバートは眉間に深い皺を寄せた。


「まさかとは思ったが、君がマリーさんの同伴者だとは。加えて、高名な教会魔術師、“紅焔の魔女”も一緒ときた」


 アルバートは、エレオノーラとシオンをそれぞれ一瞥して、すぐに踵を返す。


「こんな道端で長話もなんだ。ひとまず、我々が宿泊するホテルまでご同行願おうか」


 それを聞いたエレオノーラが、シオンの身体を引き寄せて彼に耳打ちする。


「ちょっと、アンタ、元円卓の一員なら強いんでしょ? この状況なんとかしなさいよ! 騎士二人くらい、どうにかできんじゃないの?」


 しかし、シオンは間髪入れずに首を横に振った。


「無理だ。後ろにいる女騎士、プリシラだけならどうにかできたが、アルバートを相手にするのは厳しい」

「なんで?」

「アルバート・クラウス、円卓の議席番号Ⅶ番に座る騎士――あいつは俺より強い。よりにもよって、あいつが俺を追っていたとは」


 つまり、シオンたちには、初めからアルバートの言葉に従うしか選択肢がない状態だった。

 悔しそうにするシオンと、それを見てますます血の気を失うエレオノーラ――そんな二人を、ステラは不思議そうに眺めていた。

 どうやらステラは、アルバートが何者であるかを、まだ知らないようである。







「うわぁ……」


 夜の常闇に向かって聳え立つ憩いの塔を見上げながら、ステラは感嘆の声を上げた。

 二人の騎士に案内されて――もとい、連行されるように、シオンたちは街で一番の高級ホテルに案内された。地上百メートル以上の高さを有する高層ビル、その丸々一つが、宿泊施設として機能していた。


「どうした?」


 シオンに呼ばれ、ステラはハッとして目の前に意識を呼び戻した。その後で、さらに何かに気付いたように、シオンとエレオノーラの間に立って、二人の顔を引き寄せる。


「あの、私、さっき、クラウスさんにマリーって名乗ったんです」

「わかった。合わせる」


 すぐにシオンが短く了承するが、エレオノーラは小首を傾げた。


「なんで偽名を?」

「いや、だって、私の素性がバレたら厄介なことになるかもしれないじゃないですか」

「むしろ好都合なんじゃない? 事情話したら、アンタのこと守ってくれるかもよ」


 しかし、無邪気なその提案はシオンが即座に否定した。


「その期待は持たない方がいい。ガリア公国の領主と教皇が繋がっていた以上、騎士団もログレス王国に敵対する立場にいる可能性がある」


 それを聞いたエレオノーラが、辟易したように肩を竦めた。


「ほんっと、アンタらってとんでもない奴ら敵に回してるよね。そんな調子で、王都で戴冠式なんてできるの?」

「……やるしか、ないです。そうしないと、苦しむ人たちがあまりにも多すぎるから」


 冗談交じりにエレオノーラは揶揄ったが、ステラは酷く落ち込んだように神妙な面持ちになった。十五歳の少女が見せるにはあまりにも重たい顔つきに、エレオノーラは気まずそうに顔を伏せた。そして、それ以上の茶々入れはせずに、黙ってホテルへ向かう。

 シオンとステラの二人だけになったところで、


「そう無駄に気負うな。何から何まで、すべてがお前の責任になるわけじゃない」


 シオンが、ステラの首の付け根あたりを軽く叩いて励ました。ステラは少しだけつんのめりながら、意外そうにシオンを見上げる。


「シオンさんがはっきりと励ましてくれたの、これが初めてかもしれないです」

「だから?」

「いや、珍しいこともあるなって」

「悪かったな」

「別に悪いなんて思ってないですー」


 互いにそんな軽口を交わしていた時、ホテルの正面階段の上で、アルバートが立ち止まって二人に振り返った。


「随分、親しい仲なんだな」


 そして、シオンにそう言った。

 不意な問いかけだったが、シオンは特に目立った反応も見せず、軽く肩を竦める。


「そう見えるか? これでもまだ出会って数週間しか経っていない」

「マリーさんとはどこで出会った?」

「俺が流れ着いた場所で偶然」

「そこからどうして、今一緒に旅をしている?」


 次々と質問を繋げてくるアルバートに、シオンはため息を零した。


「立ち話をしたくないからわざわざホテルに移動したんだろ。それとも、今ここで必要な話を全部済ませるか?」

「……君の言う通りだな。まずは、中に入ろう」


 プリシラとエレオノーラ、その後にシオンとステラ、アルバートが続く形でホテルに入った。

 ホテルに入ると、無機質な外観とは打って変わり、宮殿を彷彿とさせるロビーがシオンたちを出迎えた。豪奢で派手な内装に、ステラが、思わず、といった様子で目を輝かせる。

 王女なら、もっと豪華な内装を見たことがあるだろうに――そんなことを思いながら、シオンは、年相応にはしゃぐステラの姿を見守った。

 と、そんな時だった。


「なんだ? 当初の予定じゃあ、明日の正午まで処刑すんのは待ってやるって話じゃなかったか?」


 ロビーの奥から、アルバートたちと同様の白スーツを着た一人の男が姿を現した。金髪のオールバックに、銀縁の眼鏡をかけている。男は、人目もはばからず、堂々と煙草を吸いながらシオンに歩み寄り、煙が吐きかかる距離にまで近づいた。


「まさか、生きているてめえの顔をまた見るとは思わなかったぜ。相変わらず女々しい顔つきしてんなあ、おい」


 男は、口の端を微かに吊り上げながら、品のない声色でシオンにそう言った。

 シオンはというと、まるで目の前にいるその男のことなど、はなから眼中にないかのようにして、遠くを見ている。

 そんな態度が気に障ったのか、男が軽く舌打ちをした。


「シカトか? え?」

「誰だ、お前?」


 シオンが短くそう発すると、男の額に青筋が浮かび上がった。


「上等だ。今ここで死にたいのなら、お望み通りそうしてやるよ」


 男が低く唸りながら、目つきを鋭くした。シオンもそれに呼応するように、目の色に殺気を込める。

 一触即発の空気が漂うが、


「やめろ、ここをどこだと思っている。ユリウス、会って早々に相手を挑発するな」


 アルバートが二人の間に入って場を収めた。

 金髪の銀縁眼鏡の男――ユリウスは、小さく悪態をつき、近くの一人がけのソファにドカッと腰を下ろした。


「で、何でこいつをわざわざ連れてきたんだよ。しかも、余計なのが二人いるじゃねえか」


 面倒くさそうに顔を歪めながら、ユリウスはステラとエレオノーラを交互に見遣った。


「そこの乳のでかい女が“紅焔の魔女”か?」


 言われて、エレオノーラは眉間に深い皺を作り、目尻を嫌悪に吊り上げた。


「てめぇに軽口叩かれるほど仲良くなった覚えはねえよ、セクハラ眼鏡」


 普段よりも遥かに口の悪い切り返しをしたエレオノーラに、隣にいたステラが怯えた表情になって身を竦み上がらせる。

 次にユリウスは、そんなステラを見て、


「そっちは何だ? 事前情報にはなかったぞ。もしかしてシオン、てめえ、長い間投獄されたせいでついにロリコンになったか?」


 また煽るようなことを言ってきた。

 シオンは、不機嫌な表情を維持したまま、冷ややかな視線をユリウスに返す。


「そこにいるのは言葉を覚えたての猿か? ヒトの真似をするならもう少し知性のある言葉を使った方がいい」


 また空気が悪くなり、アルバートが大きなため息を吐いた。


「いい加減にしてくれ。ユリウス、君はもう喋るな」


 アルバートに咎められ、ユリウスはガラ悪く足を組みながら、そっぽを向いた。

 それから気を取り直すように、アルバートは改めてシオンに向き直った。


「シオン、こうして運よく互いに武器を構えることなく再会することができたんだ。少し話をさせてほしい」

「今更、話すことなんかあるのか? アンタたちのやることは、俺を捕まえるか、殺すことしかないだろ。少し前にプリシラからもそう言われた」

「その前に明らかにしておきたいことがある」


 シオンは、アルバートから向けられるすべてを見透かされているような、それでいて厳しい眼差しに、少しだけ不快感を覚えた。だが、ここで彼の申し出を断ることも、今のシオンにはできなかった。下手に話をはぐらかせば、アルバートたちは一層不信感を強め、ステラの正体にも気付くはずだからだ。

 シオンはそう思案した後で、目を伏せながら首を小さく縦に振った。


「わかった。手短に頼む」

「我々の宿泊中はラウンジの個室を貸し切っている。そこで話そう」


 アルバートに案内される形で、シオンは先導する彼の後ろについていった。

 それを他人事のように眺めていたエレオノーラだったが――


「貴様は私とだ、エレオノーラ・コーゼル」


 不意に、それまで置物のように黙っていたプリシラがエレオノーラに声をかけた。

 エレオノーラは、予想外のことに目を丸くさせる。


「え、なんで?」

「言ったはずだ、教会魔術師が黒騎士と同伴している事実だけでも我々は看過できないと」

「取り調べでもするつもり?」

「そうだ」


 即座に肯定したプリシラに、エレオノーラが軽く舌打ちする。

 その後で、エレオノーラもプリシラに案内される形でラウンジの奥に消えた。

 そしてこの場に残ったのは、


「何だよ、ガキ?」


 ステラと、ユリウスの二人だった。

 ステラが、恐る恐るといった様子でユリウスの方を見ると、彼は酷く凶悪な面構えでいた。


「な、何でもないですぅ!」


 ステラは、獣と一緒の檻に閉じ込められたような面持ちで、身を強張らせた。







「何か飲むか?」


 アルバートに訊かれたが、シオンは首を横に振った。

 ラウンジの個室には、中央に丸いテーブルが一つあり、一人掛けのソファが対面にそれぞれ一つずつ置かれていた。壁の南側は全面ガラス張りとなっており、そこからの景色にはアルクノイアの夜の海が広がっていた。


「さっさと話したいことを言ってくれ」


 シオンがソファに腰を下ろすと、アルバートもそれに倣って対面に座った。


「シオン、君はこれから何をしようとしている?」

「そんなこと、明日捕まえた時にでも聞けばいいだろ。それとも、取り逃がした時の保険か?」

「逃がすこともそうだし、最悪、君をこの街で殺してしまうことも考えられる。理由としては不適当か?」


 シオンは面倒くさそうに顔を顰めた。


「教皇の暗殺だ。これで満足か?」

「何故そんな大それたことを――と、いいたいところだが、正直なところ、そこまでは我々も容易に想像ができていた。君が酷く教皇猊下を恨んでいることは、騎士団に所属する者であれば、知っていて当然だからな」


 そう言ってアルバートは身を乗り出し、テーブルの上に両肘をついて拳を組んだ。


「次に我々――いや、私個人から君に訊きたいことがある」

「引っかかる言い方だな。何を知りたい?」

「何故、君は戦争前に、あんな凶行に走ったんだ?」


 アルバートの問いを聞いたシオンの眉間に、深い皺が作られた。


「教皇派と分離派の争いなどと世間では言われているが、“アレ”の実態は大義名分を口実にしたただの弾圧だった。教皇勅書が発行されたことで騎士団はあらゆる決定権を失い、教皇庁の命令のままに君たち分離派の騎士を討つことになった。私はあの争いを、騎士団分裂戦争なんて一言で済ませるものにしたくはない。何故、私たちが仲違いをしてまで殺し合いをしなければならなかったのか――それを明らかにしたいんだ」

「アンタ、仮にも教皇派として戦った騎士だろ。今言ったこと、教皇の前で言えるか?」

「揶揄わないでくれ。今、君にこうして私的に接触しているだけでもかなり綱渡りなんだ。頼む、答えてほしい」

「悪いがアンタを信用できない。だから、何も答えたくない」


 そう拒否すると、アルバートは静かに目を伏せた。それから少しの間を置いて、徐に口を動かす。


「私を信用できないのではなく、“彼女”に酷い仕打ちをした教会を許せないから話したくないのでは? とどのつまり、君が“あんなことをした”理由もそこに通じていると私は考えている」


 二人の間を流れる空気が、一気に張り詰めた。

 居心地の悪い無音の状態が暫く続いたが、


「二度とその話に触れるな」


 シオンが、恐ろしいまでに無感情な声色で、低くそう呟いた。


「アンタと俺が戦えば、普通に考えればまずアンタが負けることはないだろう。だが、それ以上余計なことを喋るなら、俺は“本気でアンタを殺しに行く”」


 抑えきれなかった怒りの感情が可視化されたかのように、シオンの身体から“帰天”による微かな発光現象が起こった。


「……それだけ強い言葉を使うということは、冗談ではないようだな。諸々、ぞっとしない話だ。肝に銘じておく」


 アルバートは小さく溜め息を吐いて顔を顰めた。そのあと、気を取り直すようにして椅子に座り直し、改めてシオンを見据える。


「では、最初の質問に戻ろう。教皇の暗殺を目的にしているようだが、具体的にどうするつもりだ?」

「言うと思うのか?」

「いや、思わない。だから次は少し訊き方を変える」


 アルバートは再度前のめりになり、テーブルに両肘をついた。


「シオン、マリーさんは何者だ? 君が意味もなくあのような少女を連れ回しているとは思えない。目的が教皇暗殺であれば、あの少女がその鍵になっているのでは?」

「仮にあいつが鍵だったとして、それを今ここで言うと思うのか?」

「そうだな。だが、今の君の反応で、そうであることの裏付けがある程度取れただけ良しとするさ」

「どういう意味だ?」


 シオンが訝しげに訊くと、アルバートは少しだけ得意になった顔で肩を竦めた。


「君たちが大煙突のところに来る前に、マリーさんと少し話をした。どうやら、あまり隠し事が得意な方ではないようだな。私の質問に嘘は言わなかったようだが、曖昧で不確実なことをよく返答していた。恐らく、自分の身分や立場を知られたくないのだろう」


 話を聞きながら、シオンは眉一つ動かさず、アルバートをひたすら睨みつけた。


「そんな怖い顔をしないでくれ。余計な詮索はしていない、ただ世間話をする中でそう思っただけだ。だが、マリーさんが、今非常に不安定な状況にあるこの国において、貴族以上の影響力を持つ人物なのだろうとは、キミの反応を見ても予想できたよ。勘の域はでないけどね」


 そう言って立ち上がったアルバート――直前まで穏やかな微笑を浮かべていたが、次にシオンを見遣った時には、表情は冷たく、厳しいものになっていた。


「シオン、悪いことは言わない、彼女を悪事に加担させるようなことはするな。あんないたいけな少女を利用して他者の命を計画的に奪うなど、外道以外の何者でもないはずだ。君もかつて騎士であったのなら、その矜持は捨てないでほしい」


 シオンが、アルバートから視線を逸らす。その目つきは依然として険しく、鋭かった。

 そうやって不満げに黙るシオンを見かねたように、アルバートが傍らに立つ。


「一つ、余談だ。円卓の議席番号、ⅩⅢ番は未だに君のものだ。円卓は、君の命が尽きるその時まで、議席ⅩⅢ番を君のものにしておくと決定した。この意味がわかるか?」


 シオンは答えず、沈黙を保った。それには構わず、アルバートはさらに続ける。


「咎人として黒騎士になったとしても、君には騎士としての矜持を持ち続けてほしいとの願いを込めてのことだ。議席持ちの総意として可決された」

「騎士の矜持なんて聞こえのいい言葉を使って、ただ行動を制限するための呪いをかけたようにしか聞こえないが」

「そう感じたのなら、まだ君の中に矜持はあるようだな」


 アルバートはそこで力なく笑い、扉に向かって踵を返した。


「プリシラから話は聞いたと思うが、明日の正午にあの大煙突の前で我々は待っている。そこに君が大人しく来てくれることを願うよ」


 そして、扉に手をかけて開こうとした――その時だった。


 突如として、ホテルのロビーから悲鳴が湧き上がる。それを掻き消すようにして、慌ただしく何者かが大勢侵入してくる足音が続々と聞こえてきた。

 シオンは咄嗟に立ち上がり、アルバートを見遣る。アルバートが軽く頷くと、シオンもそれに同調した。

 勢いよく開けられた扉から、二人の騎士が駆け出す。







 シオンとアルバートがホテルのロビーに戻ると、場は騒然としていた。


 三十人は超えるガリア軍の兵士たちが小銃を手にロビーに押し掛け、ホテルの客、スタッフたちを制圧していたのだ。銃を向けられた人たちは全員が両膝をついた状態で、両手を頭の後ろに回されている。

 それはステラも同様で、彼女はシオンの姿を見るなり、助けを求めるような視線を送ってきた。


 シオンがステラに近づこうと一歩足を踏み出した時、ガリア兵の一人が銃口を向けてきた。


「動くな! 全員両膝を付いて手を頭の後ろに回せ!」


 そう指示されるが、シオンは目つきを変えて刀に手をかけた。しかし、それをアルバートが即座に止めた。


「待て、不用意に戦うな。ここで銃撃が起きれば、何人もの犠牲者が出る。今は従った方がいい」


 シオンは忌々しそうに舌打ちをし、アルバートに倣って降伏の意を示す。

 ガリア兵はそれを見て満足そうに頷いた。

 だが、その直後、不意に、とある一角から再び怒号が起こった。


「おい、貴様! 指示に従わんか!」


 その剣幕の先は、ソファにふんぞり返って座るユリウスだった。

 ユリウスは口いっぱいにため込んだ紫煙を天井に向かって吐き出す。


「何で、俺がてめぇらの指示に従わなきゃならない?」

「状況がわからんのか! 三度は言わんぞ、我々の指示に従え!」

「だからちゃんと説明しろよ。納得出来たら従ってやるから」


 ユリウスが、若干不機嫌に顔を顰めて言うと、ガリア兵たちが彼を取り囲み、小銃を構えた。


「見せしめだ。貴様はここで殺す」


 その一言が合図で、ガリア兵の小銃から一斉に銃弾が放たれた。立て続けに起こる発砲音に合わせて、ロビーから悲鳴が上がる。

 時間にして五秒間の集中砲火――普通の人間なら、間違いなく挽肉の状態になっているはずだ。

 だが、


「な、なんだ!?」


 驚愕するガリア兵たちが目にしたのは、無数の弾丸がユリウスに届くことなく宙に浮いている光景だった。あまりにも現実離れした現象に、ロビーにいたほとんどの人間が言葉を失って固まる。


 そうやってロビーが静まり返ったタイミングで、今度はエレオノーラとプリシラがラウンジの奥から戻ってきた。


「え、何が起こってんの? シオン、アンタまたなんかやったの?」

「アルバート卿、これはいったい?」


 事態を把握できていない二人が、それぞれシオンとアルバートに向かって眉を顰める。

 ガリア兵たちの意識が、一瞬そちらに向かった時――宙に浮いていた弾丸が、パキン、と破裂するように細切れになった。

 その直後、ユリウスを囲んでいたガリア兵たちの両腕が、持っていた小銃ごと一斉に切断されていく。まるで、鎌鼬が通り過ぎたかのようにして、不可視の斬撃が彼らを襲ったのだ。

 ロビーの床が鮮血で赤く染まり、至る所から悲鳴が上がる。


「ユリウス!」


 アルバートのその怒号が、これら一連の出来事がユリウスの仕業であることを証明していた。ユリウスもまたそれを認めるようにして、煙草を吹かしながら、どこか挑発的に、苦しむガリア兵たちを嗜虐的に見ていた。


「むやみに騎士に銃口向ける方が悪い。こいつら、俺たちが何者か説明する機会すら与えなかったんだ。自業自得だろ。殺さなかっただけ、恩情だと思ってほしいね」


 そう言って、次にユリウスは、虚空を切るように腕を振った。すると、ユリウスが座るソファの近くにあった二つの大型スーツケースが、突然動き始める。それらはアルバートとプリシラのもとにそれぞれ飛んでいき、二人は受け取った瞬間に手早く中身を開いた。


 アルバートは、スーツケースから出した両刃の長剣を、プリシラは槍を手に取る。

 刹那、シオンがすぐさまステラに近づいた。


「ここから出るぞ」

「え!?」


 戸惑うステラを無視して、彼女と荷物を雑に抱える。

 それに気付いたエレオノーラが、


「ちょっと! それアタシの荷物!」


 慌ててシオンの後を追う。

 さらにそれを見ていたプリシラが、


「待て、エレオノーラ・コーゼル! 貴様にはまだ――」

「プリシラ! まずはこの場を治めることが先だ!」


 と、言いかけたところでアルバートに止められた。

 その言葉が合図だったかのように、ガリア兵が一斉に三人の騎士へ銃口を向けた。


「一分以内にカタを付けるぞ」







 ホテルから出たシオンは、入り口前に無造作に止められていたガリア兵の軍用車を強奪し、その後部座席にステラと荷物を放り投げた。小さく呻いて不平を言うステラには構わず、シオンは急いでドアを閉める。

 次に、シオンは手早く運転席に乗り込んだ。それとほぼ同時に、息を切らしたエレオノーラが慌ただしく助手席に座った。


「逃げんなら逃げるって言いなさいよ! 荷物だけ持ってアタシ本体おいてくつもり!?」

「ちゃんと間に合って何よりだ」

「こいつ……」


 淡々とエンジンをかけるシオンに、エレオノーラが、ピキッ、と額に青筋を立てた。

 そんな二人の間に、後部座座席からステラが割って入る。


「こ、これからどうするんですか?」

「このまま街を出てアルバートたちを撒く」


 シオンはそう言ってアクセルペダルを全開に踏み込んだ。車輪が石畳を削りながら激しく回転し、勢いよく車体が発進する。ステラはその時の勢いで、後部座席で一人転げまわった。


「ねえ、さっきのガリア兵たちは何だったの?」


 車が走り出して間もなく、エレオノーラが訊いた。シオンはハンドルを切りながら軽く肩を竦める。


「さあな。何の根拠もない当てずっぽうの予想だが、ステラを探しに来たんじゃないのか」

「まあ、それしかないだろうね。ステラはこの街で一度ガリア兵とも接触しているらしいし、居場所を気取られてもおかしくないか。王女に似ている人物って、もしかしたらずっとマークされていたのかもね」

「正直、ユリウスが馬鹿なことをしたおかげで助かった。ガリア兵がステラの存在に気付く前に逃げ出すことができた」


 シオンはそう言って、さらにハンドルを切る。荒っぽい運転に、後部座席のステラは目を回していた。

 そんな不憫な彼女のことなどいざ知らず、前に座る二人はさらに話を続ける。


「ところで、今どこに向かってんの? 車に乗ったままこの街出ていくつもり? 街の外、どこまでも車が通れるほどに舗装されているとは思えないけど」

「夜間走行の貨物列車に乗る。この街から王都方面に向かう貨物列車は、走り出したら暫く停車しない。いったんは、ガリア兵とアルバートたちの追跡から逃れられるだろう」

「マジか……せめて人を積む乗り物を使いたかった……」

「悪いが我慢してくれ」


 げんなりとするエレオノーラと、それに許しを請うシオン――そこへ、再度ステラが身を乗り出してきた。


「ということは、駅に向かうんですか?」

「ああ。だが、もしかしたら駅を使う余裕はないかもな」

「と言うと?」


 ステラが首を傾げたのとほぼ同時に、突如として建物の陰――シオンたちの乗る車の横っ腹に向かって、一台の車が飛び出してきた。シオンが咄嗟にハンドルを切ってその車を避けるが、騎士の動体視力でなければ、間違いなく衝突していただろう。


「あっぶな! あの車、とんでもない走り方――」


 エレオノーラが驚きと怒りの混ざった睨みを利かせ、件の車を見遣る。直後、さらに目を丸くさせた。

 衝突しそうになった車は、シオンたちと同じガリアの軍用車だ。そして、それを運転していたのはプリシラだった。助手席には、ユリウスも乗っている。


「あいつら、もう追って来てるけど!」


 エレオノーラが言うと、シオンはしかめっ面になって舌打ちした。


「想像以上に早かったな」

「あいつら、自分たちで事を荒立てたのに、あっち放っておいてこっち追いかけに来たの!?」

「いや、もう場を治めたんだろう。多分、アルバートだけが事後処理のためにホテルに残って、他の二人を俺たちの追跡に向かわせたんだ。円卓の騎士一人を含めた騎士三人だ。軍人数十人程度なら、数十秒で制圧できるだろうな」

「アタシら教会魔術師は人間兵器なんて言われているけど、騎士はもはやただの化け物だね」

「我ながら同感だ」


 忌々しげに言って、シオンはアクセルペダルを全開に踏み抜いた。車体を激しく揺らしながら、三人を乗せた車は線路沿いへ向かった。


 時刻はすでに二十二時を回っており、本来であれば街の喧騒は落ち着き始める頃だ。しかしそれを、二台の車が許さなかった。







 ホテルのロビーには、三十人以上ものガリア兵たちが意識を失った状態で床に伏していた。一命こそ取り留めているものの、手足を欠損している者が半数以上だった。周囲の柱やカーテン、ソファ、テーブルには、弾痕と共に、彼らから出た血飛沫の赤い斑点が数多く残されている。


「ガリア兵が何故このホテルを襲撃しに来た?」


 アルバートが、捕縛したガリア兵の一人に向かってそう訊いた。そのガリア兵は、いったいどういう原理なのか、何もないところでマリオネットのように宙吊りの状態だった。不可解かつ不気味な光景に、ホテルのスタッフや客などは、脅されていた時よりも遥かに怯えた表情で、その身をロビーの片隅で縮こませていた。


「お、お前たち、な、何者だ……?」


 息も絶え絶えといった様子で、ガリア兵がか細い声で逆に訊き返した。

 アルバートは険しい表情を崩さぬまま、


「我々は騎士だ。大陸の平和と秩序を守る身分として、どうにも今回の件は見過ごせなかった。それと、こちらにも事情があってね。少々手荒だったが、早々に鎮圧させてもらった」


 淡々と答えた。

 すると、ガリア兵は何やら納得がいかない顔になって顔を顰める。


「は、話が、違、う……」

「話が違う?」


 咄嗟にアルバートが首を傾げたが、ガリア兵はそれきり気絶してしまった。

 アルバートは鳶色の髪を左右に揺らしながら、小さく嘆息する。


「少々、やり過ぎてしまったか」


 周囲を見渡し、改めてその言葉通りだと実感する。誰一人殺していないとはいえ、大量出血の状態で床に伏したまま沈黙する大量のガリア兵――この場に居合わせた一般人たちは、アルバートを化け物か怪物を見るようにして、完全におびえ切っていた。


「事後処理を引き受けたはいいが、これは少し時間がかかるかもしれないな」

「お困りのようなら、手を貸しましょうか?」


 アルバートは、不意にロビーに響いた声に驚き、長剣を構えながら振り返った。


 そこにいたのは、血塗れのソファに足を組んで座る一人の男――騎士団副総長、イグナーツ・フォン・マンシュタインの姿だった。額の真ん中で分けた黒い長髪の隙間から覗かせる冷たい表情は穏やかではあったが、特別何かを思っているようなものでもなさそうで、仮面を付けているような不気味さがあった。


「イグナーツ卿? いつからこちらに?」


 イグナーツは優雅な所作で煙草に火を点け、まずは一服した。それから、徐に口を動かす。


「ついさっきです。貴方たちが大暴れし終わったくらいの時ですかね。それにしても、随分とまた派手にやりましたね」


 イグナーツはどこか楽しげに、かつ呆れるように言った。

 アルバートが顔を顰める。


「混乱に乗じて黒騎士が我々から逃亡を図ろうとしていましたので、少々強引に事を治めてしまいました」

「まだ誰も死なせていないようですが、大丈夫ですか? あそこの両腕欠損している兵士たちなんか、出血多量で死んでしまうのでは?」

「彼らの両腕を切り落とした張本人であるユリウスが、切断直後に止血済みです。もっとも、断面を“焼き潰す”ような荒っぽいやり方でしたが……」


 アルバートが苦言を呈するように言うと、イグナーツは愉快そうに軽く笑った。


「よほど機嫌が悪かったとみえますね。まあ、それならさっさと救護車を呼んであげましょうか。折角の命です、大切にしてあげないと――あー、失敬、スタッフさん」


 イグナーツが何気なく声をかけたのは、ホテルの女性スタッフだった。フロントの陰に隠れて今にも失禁しそうな顔で震えていたが、声をかけられたことで一層その表情に恐怖の色が落ちる。


「病院に電話して、救護車を呼んであげてください。あ、そういえばここはログレスで、彼らはガリアの兵士――呼んだところで助けてくれるんですかね。ログレス王国民は随分とガリア兵士を嫌っているようですが」


 イグナーツは、ふと思いついた疑問を独り言のように発し、勝手に小難しい顔になった。そこへアルバートが歩み寄る。


「イグナーツ卿、ガリア兵が何故ここを襲撃したか、教えていただけますか?」

「まるで私がその問いの答えを知っているかのような訊き方ですね」


 イグナーツが煙草を吹かす。


「まあ、知っているんですけどね」

「貴方から事前に提供いただいた情報には、黒騎士シオンと同行しているのはエレオノーラ・コーゼルだけとありました。ですが、今日実際に接触した際には、もう一人、人間の少女が一緒にいました」

「それで?」

「ガリア兵たちは、シオンたちが入って間もなくこのホテルにやってきました。それに、その少女だけエレオノーラ・コーゼルと違って素性を押さえられていない。さらに、シオンは教皇暗殺を旅の目的としており――その手段に、件の少女が利用されているのではと私は考えました。勘の域はでないですが、この襲撃も、あの不明点の多い少女に起因しているものではないでしょうか?」

「さすがはアルバート卿、中々に鋭い勘を持っていらっしゃる」


 アルバートを軽く讃えて、イグナーツは足を組み直した。


「ガリア兵が血眼になって探しているのは、ログレス王国の王女――ステラ・エイミス。貴方が見た少女こそが、まさしくその人です」


 少女の正体を聞かされたアルバートは少しだけ驚いた顔になったが、すぐに表情を引き締めた。


「それなりの地位を持った人物だと予想はしていたが、まさか王女だとは……。何故、そんな重大な事実を我々に隠していたのですか?」

「隠していたつもりはないですよ。必要のない情報だと思ったので、伝えなかっただけです。貴方たち三人に与えられた任務は黒騎士の捕獲、あるいは討伐です。王女とはいえ、戦う力のない少女。黒騎士の傍にいたところで、貴方たちの作戦行動には何の影響もないでしょう」


 つまらない質問だと、小馬鹿にするような笑みを浮かばせながら、イグナーツはソファから腰を浮かした。立ち上がる間際、床に滴る血糊を人差し指で掬い上げる。


「それとも、知らなかったことで何か不都合なことでもありましたか? あ、いや、やはり貴方の言う通り伝えるべきだったかもしれませんね。知っておけば、事を有利に運べたかもしれません。黒騎士にとって彼女は教皇暗殺を実行するうえでの最重要人物です。最優先で保護対象にするはずなので、図らずとも彼の足枷になる。人質にでもすれば――」

「そういうことを言いたいのではありません」


 やや語気を強めて、アルバートが遮った。イグナーツは肩を竦めたあと、血糊を使って人差し指で柱に何かを描き始める。


「では、何を言いたいので?」

「このログレス王国は今非常に不安定な状態です。消息不明となっていたステラ・エイミスが今こうして再びこの国に現れたとなれば、その身柄は我々騎士団で保護するべきではありませんか?」

「何故です?」

「ガリア兵たちが彼女を探しているのは、名実ともにログレス王国の実権を掌握するためでしょう。だが、実際にそんなことになれば、大陸諸国からの反発は免れません。下手を打てば、大陸全土が戦火に見舞われることになります」

「そうですね、下手を打てば大変なことになるという点については私も同感です」

「であれば!」

「ですが、それが、イコール、ステラ・エイミスを保護することで回避できるわけではないです」


 イグナーツが柱に描いていたのは、巨大な印章だった。その手を止めないまま、さらに話を続ける。


「ステラ・エイミスが国内で女王の即位を表明し、戴冠式を経て名実ともにログレス王国の国家元首であると大陸諸国から認められれば、ガリア公国は撤退をやむを得ないでしょう。ガリア公国のこの侵略まがいの行為は、あくまでログレス王国の国家元首不在における代理統治を大義名分としていますからね」


 それを聞いて、アルバートはハッとした。


「戴冠式……まさか、シオンはその時に教皇を――」

「まあ、そうでしょうね。今の教皇猊下は非常に用心深い。警備には常に円卓の騎士を数名仕えさせ、滅多に聖都から出てくることがない。だから、黒騎士は戴冠式の場を利用して、教皇暗殺を企てようとしているのでしょう」


 イグナーツが柱に綴っていた印章が完成した。途端、ロビー内部が怪しく光り、まるで部屋全体が生き物のであるかのようにうねり出し、壁や床の破損が修繕されていく。ものの数十秒で、ホテルのロビーは、イグナーツの魔術によってすっかりと元の装いに戻った。


 その後、イグナーツは踵を返し、アルバートとすれ違いざまに彼の肩に手を置いた。


「さて、貴方の質問には答えてあげました。お掃除も終わったことですし、諸々の事後処理と、黒騎士についての任は引き続きお任せしますよ」

「お待ちください。イグナーツ卿、貴方は何をしようとしているのですか?」

「教皇猊下の意向に則って、騎士としての務めを果たしているだけですよ。ステラ・エイミスの件に関しては、まあ最悪、王都に着きそうになった時にでも考えればいいと思っています。教皇としては、戴冠式の開催さえ阻止すればいいでしょうし。いろいろと“保険”もかけてありますしね」


 アルバートは眉間に深い皺を寄せて黙りこくった。

 そんな時、ふとイグナーツが、ああ、と声を上げて振り返る。


「黒騎士の追跡にはユリウス卿とプリシラ卿を向かわせたようですが、あの二人で大丈夫ですかね? シオン・クルスは仮にも円卓の議席ⅩⅢ番に座す騎士です。私の見立てだと、とてもではないですが取り逃がすとしか思えませんが」


 イグナーツは、賭博の予想を言い当てるかのようにして、楽しそうにそう言い残した。







「あの、駅、通り過ぎちゃいましたけど」


 凄まじい勢いで窓の景色から流れた駅舎を見て、ステラが真顔で呟いた。彼女たちを乗せた軍用車は、依然として夜の街中をアクセル全開で走行している。


「嫌な予感しかしない」


 続いて、エレオノーラが冷や汗をかきながら、何かを諦めたように言った。


「たった今、貨物列車が駅から発進したのを見た。それに車ごと飛び乗る」


 雨が降っているから傘を持っていく、くらいの軽い口調でシオンが二人に答えた。ステラが後部座席から、エレオノーラが助手席から、それぞれシオンの首を両手で締め上げる。


「何考えてんですか! 死んじゃいますよ!」

「やっぱりそう来たか! 今すぐ車停めろ! アタシを降ろせ!」


 シオンは少しだけ苦しそうに顔を顰めつつ、それでもアクセルを踏みっぱなしに、ハンドルを握り続けた。


「す、すぐ後ろにプリシラたちがついてきている。停車している間に攻撃される」

「倒せよ! アンタ、強い騎士だったんでしょ! “天使化”すれば楽勝でしょうが!」

「二人同時に相手している間にアルバートを呼ばれたくない。アルバートはあの二人とは別格の強さだ」


 エレオノーラが観念したように手を離した。


「信じらんない。車ごと貨物列車に飛び乗るなんて前代未聞なんだけど」

「え、エレオノーラさん!? 諦めないでください!」

「こいつがそれ以外に手段がないっていうなら、そうなんでしょ。実際、アタシも何も他に思いつかないし」


 バックミラーを見ると、プリシラたちの乗る軍用車がまったく距離を離さずにぴたりとくっついている光景が映っていた。


「あそこまでぴったりと後ろにつかれて走られちゃ、どこかに隠れてやり過ごすなんてこともできそうにないしね」


 エレオノーラはそう言って嘆かわしそうに天井を仰いだ。

 一方で、ステラがはっと思いついた顔になる。


「そうだ! エレオノーラさんの魔術で何とかなりませんか!?」


 エレオノーラは眉間に皺を寄せ、渋い顔になった。


「……アタシがここで直接騎士に攻撃したら、もうどうあっても言い逃れできなくならない?」

「どのみち俺の協力者ってことですでに追われる身なんじゃないのか? ホテルでプリシラとは何を話した?」

「アンタにはもう協力するなって言われた。今手を引けば見逃してやるって」

「ならもう手遅れだな。その忠告を無視して、今こうしてまた一緒に行動している」

「いやアタシの荷物持って逃げたのアンタだからね? 今ならワンチャン、“黒騎士に荷物を強奪されました”で逃げ切れる可能性あるし」


 そんなエレオノーラとシオンのやり取りに、ステラが割って入った。


「じゃあ、ここで一発ぶっ放しちゃいましょうよ」

「じゃあって何!? アンタら、どうあってもアタシを共犯者にしたいの!?」

「だって、私たちについてきたのエレオノーラさんの方じゃないですか! それに騎士が怖くて魔術師やってられるかとか何とかって、前に恰好つけて言ってたじゃないですか!」

「言ったけどあんな化け物連中と馬鹿正直に正面からやり合うつもりなんか、はなっからないっての! “騎士の聖痕”はばれないようにこっそりと調べるつもりだったんだし!」


 車内で姦しく騒ぎ立てる女二人だったが、それはシオンの急ハンドルによって強制終了させられた。エレオノーラとステラは体をぶつけながら体勢を崩したあと、すぐに起き上がって運転手に目くじらを立てた。


「急ハンドル切るなら一言なんか言え!」

「そうです! さっきから危ないじゃないですか!」

「衝撃に備えろ」


 シオンの不穏な一言を聞いて、二人は同時に正面を見遣った。

 そこには街灯を並べたアーチ型の石橋があり、その下には線路が敷かれている。

 そして、貨物列車が今まさに、石橋に差し掛かったところであった。先頭車両である内燃機関車が、コンテナを積んだ後続車両を牽引している。

 シオンの目線は、そのコンテナの上に向けられていた。

 エレオノーラとステラが、同時に顔を青くする。


「し、シオンさん、ちょっと待ってください。まだ他に手段が――」


 ステラの進言虚しく、シオンはさらにアクセルを踏み込んだ。石橋の脇を突き破り、車ごと貨物列車に乗り込むつもりだ。


「もう無理! ステラ、しっかり掴まって!」


 エレオノーラが声を張り上げて衝撃に備える。

 それから間もなく、シオンたちが乗る軍用車は石橋の手すりを破壊し、宙へ走り抜けた。


 ステラの絶叫と、タイヤが空回りする音が夜の寒空に響き渡る。

 軍用車は、貨物列車の最後尾から二番目のコンテナの上に勢いよく着地した。直後にシオンが素早くハンドルを切り、ブレーキを踏み切って急停止させようとする。軍用車はコンテナの上を端から端に勢いよく滑った。ついにはコンテナが軍用車の重量に耐えきれず、大きく天井部分を陥没させる。軍用車は、その陥没部分に車体を落とすような形になり、ようやく静止した。


 ステラとエレオノーラが、恐る恐る、涙目になった顔を上げる。


「い、生きてる……」

「助かった……」


 二人は弱々しい喜びの声を上げたあと、先ほどまで言い争っていたことなど忘れたかのように、抱擁を交わした。

 だが、


「すぐに降りろ!」


 シオンが怒号に近い声を上げる。

 ステラとエレオノーラはすぐさま指示に従い、荷物を持って車外に出た。

 異様に焦るシオンを見たステラが、不安な面持ちになる。


「ど、どうしたんですか? これで逃げ切れるんじゃ――」

「二人は先頭車両を目指して走れ!」


 シオンはそう言って、刀を引き抜いた。

 その直後、最後尾の車両から轟音が鳴り響く。

 見ると、プリシラとユリウスもまた、乗っていた軍用車ごと、この貨物列車に飛び移ってきていた。しかも、騎士二人は車を乗り捨てるように、それぞれ単身で飛び降り、その勢いのままシオンに襲い掛かってきた。


 それを見たエレオノーラが、ステラの腕を強引に引く。


「騎士って車ごと列車に乗る方法が必修だったりするのかな!」


 エレオノーラは苛立ちながら言って、ステラと共に先頭車両へ向かって駆け出した。

 シオンは、二人が離れたのを確認し、改めてかつての同胞たちと対峙する。


「最後通告です。シオン様、投降してください」


 プリシラの言葉に、シオンは無言で応じた。

 それを見たユリウスが、不敵かつ嬉しそうに、口の端を歪める。


「これで、心置きなくてめぇを八つ裂きにできるな」


 戦闘態勢を取った二人の騎士に、シオンもまた武器を構える。


「できるものならな」







 ユリウスが片腕を横薙ぎに払うと同時に、足場にしているコンテナに無数の斬撃が走った。蛇の群れのように、その亀裂がシオンに迫っていく。

 シオンはそれを大きく跳躍して躱すが、直後にプリシラが槍を振るってきた。

 難なくそれを刀で受け止めたが、シオンの身体は後方へ大きく吹き飛び、次の車両へと強制的に移動させられてしまう。


「あまり悠長に戦っていられないな」


 シオンはそう言って、先頭車両に向かって走るステラとエレオノーラを背中越しに一瞥した。

 息を吐く暇もなく、再度シオンに“見えざる斬撃”が襲い掛かる。シオンはそれらを紙一重で避けるが、そのたびに足場となるコンテナが刻まれていった。

 徐々に先頭車両の方へと追い詰められていくシオンを見て、ユリウスが得意げな笑みを浮かべる。


「さすがに俺の“鋼糸”の避け方は忘れていなかったか。だが、お前が逃げれば逃げるほど足場がなくなっていくぜ」


 ユリウスが、掌をシオンに向けながら嘲笑した。よく見ると、彼の広げた指一本一本から、

細い線のような光が見える。これこそがユリウスの武器――鋼糸だった。象の重みにすら耐えられる強度を持つ一方で、非常に細いことから視認性が低く、かつ研ぎ澄まされた刃にも匹敵する切れ味を持っていた。何も知らない人間が見れば、鋼糸による攻撃はどこからともなく飛んできた見えざる斬撃によるものだと思うことだろう。

 さらに、


「まあ、たまには追いかけっこも悪くない」


 ユリウスがそう言った直後、シオンが足場にしているコンテナが青白く発光した。

 シオンが咄嗟に飛び退くと、間もなく、破裂音と共にコンテナの表面がはじけ飛んだ。

 鋼糸伝いに、ユリウスが魔術で電気を流したのだ。ユリウスの鋼糸は電気を通すことで特殊な作用を得る武器であり、電圧のかけ方次第でさまざまな使い方ができる。今のように、鋼糸が触れる対象に直接電気を流すことができたり、電熱を利用することで鋼糸の切れ味を増したりすることが可能だ。元より、ユリウスが自由自在に鋼糸を操ることができているのも、魔術による繊細な電圧コントロールによってもたらされているものである。


「どうしたどうした! 議席持ちの黒騎士様が、逃げるだけかよ!」


 ユリウスは挑発するような声を上げて、立て続けにシオンの足場を奪っていった。それに追随するようにして、プリシラが槍術による攻撃を繰り出した。

 シオンが刀でプリシラの攻撃を受け止めると、途端に、刀と槍の刃が離れなくなった。


「――!?」


 見ると、交わる刃に氷が張っていた。プリシラの魔術だ。


「くそ!」


 シオンは刀を手放し、すぐにプリシラから距離を取った。その直後に、シオンがいた場所に鋼糸が疾風の如く襲い掛かり、コンテナの表面が無残に削ぎ落される。


「おい、プリシラ! しっかりと抑えておけよ!」

「拘束は貴様の役目だろう。何故、私が動きを封じることになっている」


 ユリウスの文句に、プリシラは苛立ち気味に答えた。彼女は仏頂面のまま、槍から刀を引き剥がし、勢いよく投擲した。

 プリシラの手を離れた刀は、拳銃から放たれた弾丸並の速度で、真っすぐ飛んでいく。その狙いの先は、何故かエレオノーラだった。


「え?」


 そんな呆けた声を上げたエレオノーラの目の前には――いつの間にか瞬時に移動したシオンの姿があった。そんな彼の左手には、血の滴る刀が握られている。

 エレオノーラに突き刺さる前に、シオンが刃の部分を掴んで防いだのだ。


「もたもたするな、早く先頭車両に行け!」

「わ、わかってる! アンタこそさっさとあいつら何とかしろ!」


 そうやって互いに文句を言い合っている間にも、騎士二人による攻撃は容赦なく繰り出される。

 シオンは刀を構え直し、改めてユリウスとプリシラに対峙した。

 それを見たユリウスが、いよいよ楽しそうになって、口角を吊り上げる。


「ようやくやる気になったか! 来い、今日こそてめぇを――」


 刹那、ユリウスの眼前に、シオンが刀を振り下ろした。双方の間に、距離はまだ数十メートルはあったはず。にも関わらず、シオンは瞬時に間合いを詰めていた。

 ユリウスは辛うじてそれに反応し、両手で編み込んだ鋼糸でシオンの一刀を防いだがーーあまりにも唐突な出来事に、プリシラも反応できず、両者ともただ驚くことしかできないでいた。


「て、てめ――」


 ユリウスが悪態をつく間もなく、彼の身体は大きく吹き飛ばされた。シオンが力任せに刀を振り切ったのだ。

 刀の斬撃こそ受けなかったものの、宙を舞うユリウスの身体は貨物列車から振り落とされそうになる。

 ユリウスは咄嗟に鋼糸を飛ばし、それを車両に巻き付けた。そのおかげで、何とか貨物列車にしがみつくことができた。

 シオンはそれを一瞥すらせずに、今度はプリシラへ反撃する。


「っ!」


 シオンの刀とプリシラの槍が、おおよそ人が振るうものとは思えない速度で何度も交わる。

 時間にして僅か二秒ほどの攻防――それを制したのは、シオンだった。刀に槍を弾かれ、プリシラに一瞬の隙が生まれる。すかさず、シオンは彼女の額を中指で弾いた。


「きゃん!」


 プリシラは、それまでの冷淡なポーカーフェイスからは想像もつかないほどの可愛らしい悲鳴を上げ、その身を大きく後退させた。彼女の身体はコンテナの上を転がるように移動し、危うく車両から落ちそうになる。


 二人の騎士が無力化したこの隙に、シオンはすぐさまエレオノーラのもとに駆け寄った。


「エレオノーラ、このコンテナには大量の酒が積まれている。ユリウスが剥がした天井から見えた」


 その言葉を聞いて、エレオノーラはすぐに彼の言わんとしていることを察し、ハッとした。だが、それはあまり芳しいものではなかった。


「でも、今は印章を描くものが――」

「これ使え」


 そう言ってシオンが見せたのは、左手から出る夥しい出血だった。無論、エレオノーラを守った際に付いた傷から出ている血である。この血で、印章を描けということなのだ。

 エレオノーラの顔が引きつった。


「あ、アンタ――」

「もうすぐあいつら、また襲ってくるぞ」


 シオンの言葉通り、プリシラとユリウスはもう少しで態勢を整え終えるところだった。

 エレオノーラが顔を顰める。


「ああもう! ステラ、アタシの銃出しておいて!」

「は、はい!」


 言われて、ステラが縦長のスーツケースから、エレオノーラの銃を取り出した。

 それをよそ目に、エレオノーラはシオンの血を使って、コンテナの表面に何かの印章を素早く描き始める。

 間もなくそれを終えて、


「終わったよ!」

「急ぐぞ!」


 シオンたちはすぐさま先頭車両に向かって走り出し、次の車両へと移動した。

 それを許すまいと、プリシラとユリウスが驚異的な速度で迫ってくる。


「逃がしません!」「逃がすかよ!」


 そして、


「ごめんあそばせ」


 エレオノーラが、先ほどまで乗っていたコンテナに向かって引き金を引いた。

 直後、銃から放たれた火球がコンテナに近づいた瞬間、コンテナそのものが大きな爆発を引き起こした。それに巻き込まれた騎士二人が、進行する貨物列車から振り落とされ、吸い込まれるように夜の闇へと消えていく。


 爆発の煙が晴れた先では、先ほどまで繋がっていた後続車両が、連結部を失って取り残されるように失速していた。

 それを見たステラが、ポカンと口を開け、シオンとエレオノーラを交互に見遣る。


「あ、あの……何が……」

「エレオノーラがコンテナに積まれていた大量の酒からアルコールを抽出して引火させた、魔術でな」


 シオンが端的に説明して、ステラは感嘆の声を漏らしながら納得する。

 一方で、その当事者であるエレオノーラはというと、


「や、やってしまった……ついに、騎士に直接手を……」


 がっくりと項垂れ、己の蛮行を悔いている最中だった。

 それを無視して、シオンがステラに向き直る。


「俺はこのまま車掌に話を付けに行く。今の爆発にはさすがに気付いて、列車を止めるはずだからな。このまま走らせるように説得する」

「……やっていることがもはやテロリストですね」


 ステラが青ざめた顔で苦言を呈した。シオンはそれを尻目に、


「この貨物列車に乗って、王都に行けるところまで行く。お前とエレオノーラはどこか適当な車両に隠れて休んでいろ」


 そう、淡々と次の計画を伝えた。







 プリシラとユリウスは、爆風で吹き飛ばされながらも器用に空中で体勢を整えた。線路の敷かれた地面に着地すると、慣性を殺すようにして両足に踏ん張りを利かせ、激しい土煙を上げながら急停止した。

 ユリウスは軽く咽ながら、気だるげに首を左右に倒す。


「アルバートにどやされるな。シオンが相手とはいえ、こうもあっさり取り逃がしちまうとは」


 しかし、プリシラはそれに大した反応も見せず、ただじっと、貨物列車が消えた線路の先を凝視するだけだった。前髪が目元で隠れているが、その表情が怒りで歪んでいるのは、その佇まいからどことなく察することができる。

 ユリウスがそれに気付き、


「何一人でぷんすか怒ってんだよ。デコピンされたのがそんなに恥ずかしかったか? 情けない声出してたもんな」


 揶揄い混じりに言ったが、すぐさま彼の喉元に槍の刃先が突きつけられた。


「黙れ」

「マジになんなよ。ちょっと揶揄っただけだろうが」


 そう言ってユリウスは槍を手で払い退かし、アルクノイアの方へ踵を返した。その後に、プリシラも続く。


「さっきの爆発、“紅焔の魔女”の仕業だ」

「んなもん、言われなくてもわかってる。それがどうした?」


 ユリウスが煙草に火を点けながら訊くと、プリシラは槍の握る手を震わせた。


「手を引けと言ったにも関わらず、直接私たちに攻撃を仕掛けてきた。もう二度と適当な言い逃れはさせない」


 何やらただならぬ怨恨を見せつけてくるプリシラに、ユリウスは苦笑しながら肩を竦めた。


「なんだ、お前。あの女魔術師に親でも殺されたのか?」

「何故あの女は我々に敵対してまでシオン様と共にいようとするのだ」

「おい、俺の話聞いてんのか? 何か悪いもんでも食ったのか?」


 ぶつぶつと独り言を始めたプリシラを、ユリウスが奇異な目で見遣った。何度か呼びかけてみたものの、一向に会話が成立する気配が見えない。

 ユリウスが諦め、煙草を一息吸った時――アルクノイアの街の光を背に、アルバートが二人に向かって歩いている姿が映った。


「取り逃がしたか」


 アルバートの一言を聞いて、ユリウスが観念したように両手を広げた。


「悪いな。やっぱつええわ、あいつ。ようやくぶちのめせる機会を得られたと思ったんだが、俺らじゃ力不足だった」

「キミにしては、殊勝な言葉が出てきたな」


 ユリウスの弁解を聞いたアルバートは小さく笑い、どこか嬉しそうに鼻を鳴らす。そこへ、プリシラが近づいてきた。


「アルバート卿、黒騎士の逃亡に“紅焔の魔女”エレオノーラ・コーゼルが幇助した。黒騎士との交戦時に我々への明確な敵対行動も見せた。あの女も討伐対象にするべきだと私は考える」

「いきなり討伐はさすがにやり過ぎだ。まずは捕縛する。それが然るべき手順というものだ。それよりも――」


 プリシラを軽く宥めたあとで、アルバートは懐から一枚の写真を取り出した。そこには、一人の少女が映っていた。何かの祝賀会的な場所を背景に、小奇麗なドレスに身を包んでいるが――紛れもなくそれは、シオンたちと一緒にいた少女だった。


「あの二人に同行していた少女の正体がわかった。彼女の名前はステラ・エイミス――消息不明になっていた、このログレス王国の王女だ」


 ユリウスとプリシラが、揃って驚きに目を丸くした。


「またとんでもない大物だったな。いよいよ話が面倒臭くなってきやがった」

「ユリウスの言う通りだ。ことの詳細は後で話すとして、先に、直近の私たちの行動指針を伝えておく。私たちはこのまま継続して黒騎士シオンを追跡する。次に接触した際は、抵抗するようならすぐに討伐に取り掛かってもらって構わない。彼に同行するエレオノーラ・コーゼルは捕縛、ステラ・エイミスについては保護することにする」

「保護?」

「ああ、彼女の身の安全のためにもな。あのままシオンに連れ回されていては、いつガリア兵に囚われてもおかしくない。最悪、殺されてしまうことも考えられる」


 ユリウスが眉間に皺を寄せながら首を傾げる。


「何でシオンは、いつ殺されるとも知れない王女を連れ歩いてんだ? 守ってやるような義理立てがあるのか?」

「教皇暗殺のためだ。シオンは、王女に王都で戴冠式を開催させ、教皇を聖都から引きずり出すことを目論んでいる」

「そんなうまくいくかね。開催できたところで、教皇じゃなく、代理で聖女を寄越されたら折角の苦労も水の泡じゃねえか。あいつにしちゃ、少し間抜けな計画にも感じるが」

「どうだろうな。そもそもとして、戴冠式を開催させること自体にいくつもの試練がある。王都がガリアに実効支配されていることも含めて、ただ単純に王女を届ければいいという話でもない。そこをどうするつもりなのか、気にはなるが――」

「いずれにしろ、王女が教皇暗殺のキーマンになっている上、騎士団としては王女を保護するべき、ってことだな。それが騎士団としての大義名分か」

「ああ」


 ユリウスの結論にアルバートが頷いた。

 次に、プリシラが口を動かした。


「これからすぐに黒騎士たちを追うのか?」

「いや、彼らの行き先が王都とわかった以上、素直に後ろから追いかける必要もなくなった。先回りして、そこで迎え撃つ」

「先回り? どうやって?」

「議席持ちⅣ番のヴァルター卿に協力を仰ぐ」


 アルバートの言葉に、プリシラとユリウスが目を見開いた。


「ということは、空中戦艦を使うのか?」

「おいおい、あのジジイ呼びつけるとか戦争でも始めるつもりかよ」


 悪い冗談でも聞いたかのように、驚きと戸惑いで声を震わせる二人だったが、アルバートはいたって真面目な面持ちだった。


「大袈裟だとは自覚している。だが、相手はあのシオンだ。二年前に分離派として教皇に反旗を翻し、騎士団を分裂させた史上稀にみる最凶の黒騎士――彼からは二年前の真相を聞き出したかったが、もはやそんな悠長なことも言っていられないようだ」


 ユリウスが煙草を吹かしたあとに、鼻で笑った。


「その言い草だと、ホテルで話した時に有益なことを聞けたわけじゃなかったみたいだな」

「ああ。うっかり“彼女”のことを口にしたら、二度と話すな、次は本気で殺しに行くと言われたよ。久しぶりにぞっとした」


 アルバートが自分の迂闊さを悔いるように自嘲気味に笑って肩を竦めた。ユリウスも、言わんこっちゃないと呆れたようにしているが――その傍らでは、プリシラだけ、微かに肩を跳ねさせ、妙な反応を示した。

 そんなやり取りを経て、


「まずは街に戻って準備を進めよう。明日からは騎士の戦闘装束で行動する。つまり、公に騎士団としての活動に移るということだ。各々、騎士の矜持を胸に、気を引き締めてくれ」


 三人の騎士は、次の目的に向けて動き出した。


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