私がマイケルの寝室に乗り込んでから数日後、私は相変わらず、中庭のテラス席で本を読んでいた。
今日読んでいる本は、私の母親の部屋に置いてあった古びた本の一つである。
「またここで本を読んでいるの?」
「メルヒー」
「おはよう、ヴィオレッタ様」
わたしの右隣に座ってきたのは、第三王子のメルヒオールである。
金髪に緑色の瞳の、私と同じ歳の男の人だ。
彼が座ると、侍女がそつなくそばに現れてカップを差し出し、珈琲を注いで下がっていく。
「メルヒーは珈琲が好きなの?」
「うん。僕はもっぱら珈琲だね。ヴィヴィも飲むかい?」
「珈琲は、苦いから嫌い」
「はは。意外と子どもっぽいんだ」
「……」
私がぷいと顔を背けると、メルヒオールは笑いながら黒い液体を一口飲んだ。
「ところでさ、マイケル兄さんとはどう? あと、ミゲル兄さんとは仲よくなった?」
「ミゲル殿下?」
「うん。ミゲル兄さんも、ヴィヴィの好みだと思うけど」
「どうかしら」
「興味ない?」
「うーん」
背が高くて頭が固そうな、マイケル信者の無意識系ブラコン第二王子ミゲル。
彼は髪の色がダークブロンドで、アイリス姉さまと違うから、あまり興味を抱いていなかった。
それに、今はそんなことよりも、悩んでいることがあるのだ。
「困っていることがあって」
「うん?」
「実は――」
「な、何をしているん、だ!」
大きな声が聞こえて、思わず振り向くと、そこにはマイケルがいた。
走ってきたのか、少し髪が乱れているし、息も荒い。
なんだか、表情にも焦りが垣間見える。
何かあったのだろうか。
私の横で、メルヒオールが驚いた顔をしていた。
「マイケル兄さん?」
「そ、そうだ! 私がマイケル兄さんだ!」
「う、うん?」
「二人で何をしているんだ!」
「ええと、ちょっと話をしていただけだよ」
「そうかそれなら私も参加して構わないな三人のほうが二人よりもきっと楽しいだろう私もちょうどお茶を飲みたいと思っていたんだ」
「すごい早口」
メルヒオールは驚きの表情で、口を開けたまま、兄を何度も見返している。
弟を唖然とさせたマイケルは、勝手に私の左隣の席に座ってきて、侍女にお茶を用意させた。
そして、その紅茶を優雅な仕草で飲み始めた。
いや、優雅ではない。
手が震えている。
顔もひきつっている。
「マイケル殿下」
「ゲッホゲホゲホゲホ」
「兄さん!?」
「いや、問題ない。一体なんだヴィオレッタ、私に! 私に、何か用があるんだろうか」
「兄さん、ヴィヴィのこと、呼び捨てするようになったんだね」
「ヴィヴィ!? ヴィヴィってなんだ、お前達はそういう関係なのか!?」
「メルヒーとは友達ですよ」
友達。
実は、メルヒオールは私の初めての人間の友達である。
彼には昨日、アイリス姉さまの秘伝の『この世界を作ってきた歴史ある技術』を貸し出したのだ。
その代わり、私は彼から、メルヒオール秘伝の『初めて城を攻めるときの円滑な攻略法』を借りた。メルヒオールがやってくるまでの時間に読んでいた本は、その借りた本である。これは、アイリス姉さまを攻め落とすときに使えそうな、素晴らしい技術本だ。
これほどの秘伝の本のやり取りをできるほど、私達は仲良しなのである。
基本的に私は故国にてアイリス姉さまの腰巾着に忙しく、人間ボッチだった。なので、初めてできたお友達に、自慢したい気持ちと、嬉しい気持ちがあふれて、つい「初めてのお友達です」と頬を緩めてしまう。
すると、なんだかメルヒオールは照れたような顔をして、その後、私の左隣を見て青ざめた。
不思議に思って左隣を見ると、そこにはキラキラの笑顔を浮かべたマイケルが居るだけだ。
一体、メルヒオールは何を見たのだろう。
私が首をかしげたところで、マイケルが咳払いをした。
「初めてのお友達。それ以上の感情はないのですか?」
「……?」
「まあいいです。それより、メルヒオールを愛称で呼ぶのであれば、先に私を愛称で呼ぶべきではありませんか」
「愛称、ですか?」
「そうです愛称です。マイケルという呼び捨てでもいいですがメルヒオールをメルヒーと呼ぶならメルヒオールよりもさらに親しい間柄であることを示すような短い呼び名を使ったほうがいいでしょうなにしろ私があなたの婚約者にほぼほぼ内定しているのです明日には婚約発表をしてもいいと思って両親に話を上げていますそのような段階の男女が他人行儀に」
「……マイク?」
私がぽろりと呟くと、止まらない早口で話をしていたマイケルが、今度は石造のように固まった。
よくわからないけれども、これは構ってほしいという合図なのだろうか。
それとなく左隣に座る彼の右手に、左手を重ねる。
ビクッと体を震わせた彼の碧い瞳が、怯えたようにこちらを見てきたので、私の心臓がまたしてもトクンと鳴った。
気持ちが盛り上がり、愉悦に唇の端が吊り上がっていく。
とりあえず、『初めて城を攻めるときの円滑な攻略法』のプロローグに書いてあったように、手で攻めてみることにした。
彼の右手の指に私の左手の指をじらすようにして絡めてみる。
そして、絡めとった手をゆっくりと私の口元に近づけた。
「マイクも……私と仲良く、なりたいんですか?」
契約結婚でいいって、言ったくせに。
そう訴えるように、紫色の瞳で上目遣いに彼をみた後、ちゅっと彼の右手にキスをすると、マイケルはボフッと湯気を発して沸騰したように真っ赤になった。
しばらくあわあわと震えた後、「失礼する!」と言って立ち去って行く。
残されたのは、私と私の初めてのお友達である。
「最近、マイケル殿下の様子がおかしくて困っているんです」
「……もっと困ればいいと思うよ」
つれない返しに、私が不満顔で彼を見ると、彼はサッと私から目をそらした。
メルヒオールはドライなお友達なのである。