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第2話 隣国マグネリア王国からの縁談

 それからというもの、アイリス姉さまは、私の世話を焼くようになった。

 私を家来のように常に連れ歩き、便利な小間使いとして命令を出す。

 私が着ている服は姉さまのお下がりか、姉さまよりも一段も二段も粗末なもの。

 ただ、食事のマナーがなっていないと遣いづらいと言われ、いつも姉さまと食卓を囲っていた。

 お客様の相手をするときも、勉強をするときも、ずっと姉さまのそばにいるように言われ、そのとおりにしていたので、勝手に知識が頭に入ってきた。


 たまに、「私にもストレス発散が必要なの」と言いながら、アイリス姉さまは人払いをし、私と二人きりになる。

 そうして、姉さまは自分の服を取っ替え引っ替え、私に着せるのだ。

 姉さまの服は装飾が多く、着替えるのは大変なのだが、姉さまが楽しそうにしているから、きっとこれは楽しい時間なのだろう。

 そうして、第一王女の腰巾着として育った私が十八歳になったその年、ヴィンセント王国と最も仲の悪い隣国マグネリア王国から使者が来た。

 使者が持ち込んだのは、両国の融和のために、マグネリア王国の王子とヴィンセント王国の王女の婚姻を結ばないがとの提案だった。

 議会の場は紛糾した。


「なりません! 憎きマグネリア王国と融和など!」

「マグネリアの男は野蛮で奔放だと言います。そのような場所に、我が国の王女を差し出すなど、笑止千万」

「しかし、婚礼費用としてゼディア鉱山の採掘権を十年分譲渡するとある。これは切り捨てるのは惜しい利権です」

「我が国の王女を差し出した場合、その扱いはひどいものであることは想像に易い。暗殺されでもしたらどうするのです」

「――それを理由に、攻め入ればよいだろう」

 そう告げたのは、この国の国王、ヴィルクリフ=フォン=ヴィンセント。

 この国の主人は、この縁談を受け入れるつもりなのだ。

 であれば、家臣達はそれに従うより他はない。

 反対派の家臣達は、青ざめた顔をしている。

「……ですが、王女方のうち、一体誰が」

 この国には三人の王女が居る。

 第一王妃の子にしてこの国の王太子、アイリス第一王女。

 第二王妃の子であるイルゼ第二王女。

 そして、第三王女である私、ヴィオレッタである。

「第一王女が行けばよい」

 その冷たい声音に、言われた内容に、アイリス姉さまの体がビクリと強張る。

 その冷たくも粘着質な何かを孕んだ声の主は、第二王妃のミラベルだ。

 第一王妃の唯一の子であるアイリス姉さまを、いつも目の敵にしている人。

「この国には、我が息子ウィリアムと娘イルゼがおる故、後のことは任せるがよい」

 シン、と静まり返った議会の場に、アイリス姉さまは苦虫をかみつぶしたような顔をする。

 この国の第一王妃は、この場には居ない。

 ずっと眠り続けているのだ。

 ここ十年以上、王を支えてきたのは第二王妃と第三王妃。

 特に、第二王妃ミラベルの言葉に逆らうことのできる者は少ない。

 アイリス姉さまはいつだって頑張っているけれども、まだその根回し、権力的背景は第二王妃ミラベルに及ばない。

 なので、基本的にアイリス姉さまが第二王妃ミラベルの意見をねじ伏せるためには、理屈で押さえつける必要がある。

 しかし、この件は、アイリス姉さまには分が悪い案件だ。

 一見、王太子であるアイリス姉さまを嫁がせるのは愚行にも思われる。

 しかし、アイリス姉さまは第一王女が不在で後ろ盾が弱いので、姉さまが隣国に嫁ぎ、第二王妃の子である第一王子ウィリアムに王太子を譲るほうが国が安定すると思っている勢力もいる。

 第二王妃ミラベルを、理屈で制するのは容易ではない。

 この場で第二王妃ミラベルの意見を覆すならば、権力にものを言わせるしかないのだ。

 そしてそれができる人物は、普通に考えるならば、ただ一人。

「お父様は、それでいいのですか」

 アイリス姉さまも、そのことをわかっているのだろう。

 姉さまは立ち上がり、毅然と首をあげて父王に物申した。

 しかし、自身の最初の子である第一王女に対して、国王ヴィルクリフは暗い視線を投げる。

 そこに込められている黒い感情に、私は目を伏せた。

 どうやら、第二王妃ミラベルに物申すことができる唯一の人物は、口を出す気はないらしい。

 硬く握られているアイリス姉さまの右手を見ながら、私はその場で立ち上がった。

「わたくしが嫁ぎます」

 頭から黒いヴェールを剥ぎ取り、その場で姿を見せた私に、議場はざわめいた。

 いつも私は姉さまの後ろを歩くとき、上半身を隠すような黒いヴェールをして過ごしていた。

 私の姿を見ると、苦い顔をする人が多かったから。

 けれども、今はその人を威圧する雰囲気を出すべきときなのだろうと思ったのだ。

 物は使いようだ。

 今も、私を見て皆が蒼白な顔をして黙り込んでいる。

 黒髪に長いまつ毛、大きな紫色の瞳。

 この国では忌避される肉付きのいい体に、ぽってりとした唇。

 毒婦と罵られた第一王妃の侍女ケイトの娘。

 国の醜聞を体現した、落ちこぼれの第三王女ヴィオレッタの姿に、皆が慄いている。

「わたくしが、隣国マグネリアに嫁ぎます。……呪われた子であるわたくしを、自国から追い出し、マグネリア王国に送り付ける。我が国は、婚礼費用としてゼディア鉱山の採掘権を手に入れる。王太子をアイリス姉さまから変える必要もない。皆様も満足の結果ではございませんか?」

 周囲を見渡すけれども、誰も意を唱えない。

 呪われた子。

 そう、ここに居る者達は皆、私のことを呪われた王女だと思っているのだ。

 だから、隣国に嫁がせる王女の話をしている最中、誰も私の名前を出さない。

 居ないものとして扱われる存在。禁忌の子。

 それが私、王女ヴィオレッタなのだから。

 ふと、父であるはずの国王ヴィルクリフを見ると、こちらもまた苦虫をかみつぶしたような――いや、激しい怒りに身を焦がさんばかりの目でこちらを見ていた。

 あと一押しか。

 私はそっとアイリス姉さまに身を寄せ――姉さまに触れないものの、お父様から見ると、寄り添っているように見える角度で――ゆっくりと瞼を上げ、上目遣いで国王を見ながら、口を開いた。

「わたくしを……引き剥がしたほうが、お父様のお心に沿うのでは?」

「――貴様! 所詮は魔女の娘か!」

 会議机を殴る音に、議場に居る一同は視線を逸らす。

 そして、アイリス姉さまは、驚きのままに私を振り返った。

 小さな頃はわからなかったけれども、今の私は知っているのだ。

 私が憎まれ、それだけではなく、腫れ物に触るような扱いを受けている理由を――アイリス姉さまが知らないそれを、知っている。

 国王を動かすには、私が受けてきた苦役の要因、その逆鱗を、ほんの少しなでてやるだけでいい。

「お父様も、異論はないようですね」

「ヴィオレッタ!? 何を……お、お父様、お待ちください!」

「この女狐が、どこへなりとも行け!!」

 アイリス姉さまの静止も虚しく、会議は終了した。

 静まり返った議場の中、国王だけが大きく音を立てて立ち上がり、その場を去っていった。

 青ざめて立ち尽くすアイリス姉さまの横で、私は肩をすくめて再度席に着く。

 その様子を、第二王女イルゼは退屈そうに横目で見て、欠伸をした。

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