街は活気に満ちていた。二日前から祭りを開催していて、今日は闘技場の決勝が行われるからだ。
小さな女の子が、綿あめを片手に持ち、もう片方の手で母親の手とつないでいる。
街行く人で賑わいを見せる中、一人の少年が足を止めた。女の子は不思議そうに少年を見つめた。
「ここか……」
少年がつぶやく。紫の髪に雷のような、ギザギザの黄色いメッシュ。あまり見ない髪型だ、と女の子は思った。すると、少年の体から一瞬、静電気のような雷がほとばしった。
「お母さん、見て。あのお兄ちゃん、体から電気を出しているよ」
「そんなわけないでしょ。さあ、入りましょう」
「で、でも」
母親と女の子は闘技場の観覧席へ行くため、会場の入り口を通った。やがて少年も闘技場へと足を踏み入れる。
☆
青空の下、すり鉢状の闘技場ではたくさんの観客が歓声をあげている。
観客が注目しているのは、一人の少年だった。少年の服装はこの辺りでは見ない、和服だ。闘技場の戦闘フィールドに立つ和服の少年は、ぼんやりと雲を眺めていた。対戦相手がまだ来ないのだ。
「ブリード! 次の試合も期待しているぜ!」
観客の誰かが少年の名前を叫んだ。声のした方へ視線を移し、微笑んだ。
「さあ! いよいよ準決勝が始まろうとしています!」
司会の声だ。司会の男は貝殻を手に持ち、アナウンスする。シェルと呼ばれる、貝殻でできたアイテムは音楽の録音や、連絡を取る手段、そして司会の行っているように声を拡張することなど、様々な用途に使われる。
茶髪の若い男が、戦闘フィールドへとやって来る。フィールドには、くるぶしほどの高さまで水が入れられていて、対戦相手である男が歩くたび、水面が揺れた。
茶髪の男は、腰に下げた短剣を二つ抜刀。逆手に持ち、構えた。ブリードも腰に差した刀を引き抜く。
「それでは両者、レディ……」
ゴングの音が鳴り響く。
「ファイト!」
開始と同時に男は動いた。短剣の持ち手にはめ込まれている石――クリマの力を引き出し、短剣に炎を纏わせた。二つある内の一つをブリードに向けて投げる。
「おっと」
ブリードは会場に満ちた水を刀で打ち上げる。水は柱となり飛んでくる短剣を止めた。だが、男の動きは止まらない。もう一つの短剣を握りしめ、ブリードに向かって駆ける。水柱ごと斬るつもりのようだ。
男は、ブリードを守るかのように立っている水柱を横に一薙ぎする。水柱は上下に裂けた。しかし、肝心のブリードの姿が見当たらない。男は慌てて眼球を左右に動かし、ブリードを探す。
「ここだよ」
声は男の真上から聞こえた。タイミングよくジャンプしていたのだ。金属音が鳴り響く。男の持っていた短剣は、落下してきたブリードの斬撃によって弾かれ、空高く飛んで行った。次いで、着地したブリードが男の喉元に刀を向ける。勝負あった。
「勝者、ブリード!」
「ふう」
歓声があがる中、息を整えるブリード。
「続いて、決勝戦と参ります。ブリード選手、休憩はなしです」
「ええ……」
「ついに決勝戦! 観覧されている騎士団長タレス様も、ここまでくると目が離せないとのことです」
「ああ。そういえば、観覧席で騎士の何人かが、試合を見ているらしいな」
息を整えたブリードは、騎士団と司会がいると思われる方へと視線を移す。しかし騎士団長の姿は、ブリードからは見えない。
視線を戻すと同時に、大きな歓声があがった。決勝戦の相手が歩いてきたのだ。白い肌。灰色に染まった長髪の、大柄な男。特徴的なのは、手に水かき。そして首にはエラがある。
「魚人族か」
赤い三又の槍を持つ、魚人の男が、手のひらサイズの巻貝――シェルを使い、会場全体に宣言する。
「やってやるぜ! 一分だ。一分でこの勝負を終わらせる! 相手はひ弱そうなガキだしな」
挑発的な発言で観客やブリードをひとしきり煽ると満足したのか、シェルをブリードに投げ渡した。魚人の男は顎でブリードを指す。お前も何か言え、ということらしい。少し考えた後、ブリードは大きく息を吸った。
☆
「どうだい、あの魚人の男、なかなかの人材だと私は思うのだが」
特別席に座っている男が、その後ろに立っている茶髪の少女に話しかける。戦闘フィールドでは、魚人の男がブリードにシェルを投げ渡していた。
「そう……ですね」
と、茶髪で褐色肌の少女は曖昧な返事をする。
「やはり納得できないかい? 自分の小隊メンバーを、自分で選べるという優遇は。それもこうして騎士団長と直に話しながら」
騎士団長タレスが、後ろを振り返った。
「騎士学校主席が確定している、ロゼ・アルバ君」
騎士団長の口調は優しかった。ロゼは首を横に振る。
「そんな滅相もない。ただ、わたしは、その人の実力よりも……」
そのとき戦闘フィールドでけたたましい声が響き、ロゼの声をかき消した。
「シルフウウウウウウウ!!」
フィールドから発せられたのはブリードの叫び声だった。観客の一部はうるさそうに耳を塞いでいる。ブリードは、更に空に向かって叫んだ。
「突然いなくなりやがって、ふざけんじゃねえ!!」
席に座っている騎士団長は、頬杖をつき、ブリードを見つめた。
「彼にシェルを渡したようですね」
今まで会話に参加していなかった女性が、誰に言うでもなく冷静な口調でつぶやいた。女性は騎士団長の隣で立っている。まるで従者のようだ。
「シェル。魚人族の技術で生み出されたアイテム。通信、録音、再生などが主な用途となる。ですよね、フリージアさん」
教科書で習ったことを思い出すように話すロゼに、フリージアは「ええ、その通りよ」と微笑んだ。
「面白いな、彼」
「えっ?」
ロゼはブリードを見つめた。
「何が大事な用があるから行ってくる。弱いから付いてくるなだ。精霊一、自由人なお前が、らしくねえんだよ! 心配するだろうが!」
精霊。その言葉に観客はざわめきだした。精霊は絵本などに登場する、架空の存在だからだ。
「精霊……」
つぶやくロゼも、精霊を見たことはない。奇異の目でブリードを見る。が、不思議と嫌悪感は微塵もなかった。
「お前は言ったよな。弱いからだめだって」
刀を天に向けるブリードが、更に言葉を紡ぐ。
「証明してやるよ。その辺の大人や魔物にも負けないってところを! この大会で優勝して、その金でお前を探す旅をする。待っていろよ!」
にかっ、と歯を見せ笑うブリード。そのとき、慌ただしく一人の騎士が騎士団長たちのいる部屋に入ってきた。
「失礼します!」
「……何があった」
と、席から立ち上がり、冷静さを維持する騎士団長が訊ねる。ロゼは、客同士の喧嘩が悪化したのか、と考えたが、それにしては大事の雰囲気を覚えた。騎士は顔を上げ、三人に伝える。
「それが……男が、精霊ヴォルトと名乗る男が一人、襲撃してきました!」
☆
闘技場の関係者以外立ち入り禁止のエリア。その廊下を歩く少年が一人いた。先ほど闘技場の前で、電気を発した少年だ。少年はやがて広い場所に出た。辺りには、檻に閉じ込められた無数の魔物がいて、少年を睨んだ。闘技用の魔物なのだろう。
少年は、きょろきょろと辺りを見回す。何かを探しているようだった。
「ここでもないか」
残念そうにつぶやいたそのとき、少年の前方から二人の騎士が走って来る。少年は、小さくため息を吐いた。
「しつこい連中だ」
「大人しくしろ!」
二人のうちの一人が、槍を少年に向ける。すると少年の周囲で、紫色の電気が弾けた。騎士は驚く。
「こいつ、クリマを使っていないのか? やはり本当に精霊なんじゃ」
「俺は雷の精霊ヴォルト。邪魔をするなら容赦はしない」
ヴォルトは拳を構えた。騎士は後ずさりをする。が、そのことを自覚した騎士は、無理矢理、自身を奮い立たせた。自分は皆を守る騎士。ここで引くわけにはいかない。
「うおおおおおお!」
☆
長い廊下を走るロゼと騎士団長タレス。部下のフリージアには避難の指揮を任せたため、別行動をしている。やがて、二人は広い空間に出た。一人の騎士が壁にもたれかかって倒れているのを発見した。
「これは」
ロゼが辺りを見回すと、更に数人の騎士が倒れていた。壁の一部は半壊しており、選手がいるフィールドが見える。
立っているのは、二人だけだった。騎士と、紫色の髪をした少年。彼が報告のあった、精霊ヴォルトだろう。ヴォルトが最後の騎士に手のひらを向ける。すると手から球体の雷撃が放たれた。騎士は雷撃をまともに食らい、吹き飛んだ。
騎士が吹き飛んだ先は、魔物を閉じ込めていた檻だった。騎士が檻に衝突すると、檻が歪んだ。魔物は歪んだことで生まれた隙間から外へ出る。猿のような魔物だ。興奮している様子で、周囲に氷塊を放ち、暴れ回った。その際に、大型な魔物を捕らえていた檻も破壊されてしまう。
「まずいな。闘技用に捕獲していた魔物が会場に」
騎士団長が苦々しく口にする。
「面倒なことになったな」
と、ヴォルトも淡々とした口調で、会場を見つめた。
このままでは犠牲者が出る。魔物を倒すべきか、目の前のヴォルトを鎮圧すべきか。騎士団長は一瞬、迷った。その一瞬の間に、行動する人物がいた。ロゼだ。ロゼは戦闘フィールドへと走り出す。
「わたしが行きます!」