「あー、つまり。そのなんだ」
セルジュは、長老の家の帰り道で、ユキヒトが色々、教えてくれた。
「あの長老の嫉妬によって、色々な若い女達が、あるいは若者達が“人魚”にされていると」
「そういう事ですね。そういうしきたりなんです。長老は村で一番、偉い。だから、時折、慰めものとして、若い娘さんを檻に閉じ込めて、全身を焼き、あるいは両足を砕いているわけですねえ」
ユキヒトは、ひひっ、ひひっ、と笑う。
藁人形は、長老と、村の男達への怨嗟の証として、犠牲にされた女達が打ち込んでいるのだと言う。それを見て、更に、男達は歓喜の声を上げるのだと。
「本当に気持ちが悪い文化だな」
セルジュは、率直に言う。
「まあ、仕方ありません。わたしだって、この村に来るまでよく知りませんでしたから」
「何故、今の女房と結婚した?」
「ええっ。菊世とは、ある旅館で出会ったのです。彼女は車椅子に乗り、それは、それは彼女の顔と、あの小さな足は美しかった。それで、気付いたらプロポーズをしていたわけですねえ」
ユキヒトは、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。
二人は、小舟の上に乗る。
セルジュは、闇に包まれた海の中、何かの歌声を耳にする。
それは、セイレーンのような声だった。海の上に住む魔物で、聞いた者を取り殺す歌を歌い、数多の船を沈めると。
何者かが、セルジュの乗るボートを見ていた。
無数にいる。
「あれは?」
「目を合わせてはいけませんよ。女達です。長老の欲望の犠牲になった」
「生きているのか? 人間なのか?」
「さあ? わたしにも、分かりません。今の彼女達が何者なのか。ただ一つ分かっているのは、彼女達は海に住んでいて、そして、五体満足な身体の者達を憎んでいるという事だけですなあ」
昔、昔、この村は、食糧難にあった。
大飢饉で、農作物は台風にやられ、家畜は死に、海で漁も出来なくなった。
その時に、編み出したのが、昆虫食だった。
飢餓で死んだ人間を見て、人の肉を食べるか、たかる蛆の肉を食べるのかの選択を迫られたらしい。そして、その時の村人達は、蛆の肉を食べる事を選んだ。人間の腐肉をたっぷり啜った、蛆の肉を…………。
それから、この村で、昆虫食の文化がはじまった。
もし、虫を喰う事を選ばなければ、人を喰う文化になっていただろうと、ユキヒトは言う。
この村の長老は、その時の飢饉で蛆の肉を率先して食べる事を選んだ若い衆の子孫なのだと言う。歴史はよく分からない。
「あのな。ユキヒト」
セルジュは、溜め息を吐く。
「なんですかな?」
「この村を巡って、たまに、臭うんだが。その、……お前ら、やっぱり人間の肉を喰っているだろ? 死臭がした」
「人間の肉じゃないです。蛆の肉です」
「でも、死体を漁っていた蛆だろ?」
「ええ、そうです。蛆に食べさせるのが、弔いですので…………」
セルジュが、デス・ウィングから渡されたもの。
それは、大量の蛆の卵だった。
この村には、謎が多い。
謎を追う趣味、……他人の秘密を探る趣味は、セルジュには無い。
小舟から降りて、陸に上がる。
「じゃあ、俺はそろそろ、この村を出るぜ」
彼はそう言って、村の入り口へと向かう。
「ええっ、また、今度、遊びに来てくださいよ」
「さあな、…………」
……二度と、こんな場所来るものか。
セルジュは、心に誓ったのだった。
そして、セルジュは、村の中を歩いていく。
大量の気配がした。
村の住民達だろう。
セルジュは、舌打ちを行う。
やはり、何がなんでも、夜を待たずに長老へ渡す虫の卵は、別の人間に代わりに渡させるべきだった。
夜の村を、村人達は徘徊していた。
見ると、どうも正気を失っているみたいだった。
あるいは、元々、彼らに正気なんて無かったのかもしれない。
彼らは舌を出して、口から羽虫を吐き出していた。
黒い蝿だ。
身体の中で、蛆が消化されずに、孵化したのだろうか……。
そして、村人達の全身の肌は、爛れて魚の鱗のようになっていた。
彼らは誰かを探し回っているみたいだった。
考えるまでもない。
セルジュを探している。
若い娘を、襲おうとしている……。
セルジュは、ある家の屋根へと登って、息を潜めた。
……正直、本気で関わりたくない。
彼は、村人の動きをしばらく観察する事にした。
ユキヒトは言っていた……。
長老は不死である、と。
その時の飢饉は、三百年も昔の話なのだと。
そして、海に住む魔物達もまた、三百年近く前から生きているのだ、と。
人魚の肉を食べれば、不死になる。
彼らは、……一体、どれだけの間、生きているのだろう?
……纏足の女達。あれらは、生贄となった女達だろうな。彼女達は蛆に喰わせた。そして、村人達は、蛆の肉を喰った。
村人達は、セルジュを探している。
若い娘を……。
この村に、若い娘は見なかった。
ユキヒトの女房が、少しだけ若い。彼女は纏足だ。
……俺を捕まえて、足でも潰して喰うつもりなのか?
セルジュはゲンナリした顔をしながら、屋根から虫のように蠢く村人達を見下ろしていた。