「うーん。で、俺はこの村の住民に届けモノをしないといけないのか……」
すっかり、最近では、デス・ウィングの運び屋をやらされている。
村の所々には、朽ち果てた神社があった。
片足だけの鳥居などもある。
鳥居の残骸のようなものが積み上げられていた。
それにしても、とても静かな村だ。
少し離れた場所には、海岸がある。
潮風の匂いがする。
此処は、地図には載っていない村らしい。
セルジュはバッグを担ぎながら、潮風で、長い黒髪を揺らしながら、村の中を進んでいった。漁村なのだろうか。海岸を見れば、小舟が点在している。
「おやあ? 貴方は…………」
背の高い、男性だった。
どこかしら、肉食獣を思わせるような顔で、歯はらんぐい歯のように見えた。
「わたくしぃ、ユキヒトと申します。この村をご案内いたしますね」
男は口調は、何処か、ねっとりした印象を与えた。
「その前に私の家で休みませんか? この村に来るのにお疲れでしょう? 女房にお茶を用意させますよ」
玄関には、とても小さな履物があった。
座敷の中から、ユキヒトの女房が現れる。
マトモに歩行する事が出来ないみたいだった。
着物に包まれた姿で、電動車椅子の上に座りながら、セルジュに挨拶を行う。
「菊世(キクヨ)と申します」
見ると、彼女の足の先は、とても小さかった。
ユキヒトの女房である菊世(キクヨ)は、纏足(てんそく)だった。
幼い頃から、小さな靴を履かせられ続けて、足のサイズが大きくなる度に、足の骨をへし折り、ムリヤリ小さな靴へと折れた脚の先を押し込められる。
「村の風習か?」
「いいえ。我が家の……、正確には、女房の家のしきたりらしいのです。わたしは、婿入りしまして……」
「ふうむ?」
「ええっ。わたしは実は、村の外からやってきた者なのですよぉお」
そう言うと、ユキヒトは、げひぃげひぃ、と笑った。
「ああ、そうだ。これ、お届けモノです」
セルジュは、大型のバッグの中から小瓶を取り出す。
その中には、びっしりと、何かの幼虫の卵が入っていた。
「貴方の住所もメモの中に記されていました。これで当たっていますか?」
セルジュは、少しだけ瓶を気持ち悪そうに見る。
「おお、これは、これは」
ユキヒトは本当に嬉しそうな顔をする。
「ありがとう御座います。大事に育てて、祝い事の時に、村の皆で食べます」
ユキヒトは、とても愛しそうに瓶を撫でる。
菊世も、とても嬉しそうな顔をしていた。
「では、ゆっくりして行ってくださいませ」
セルジュの前に、食事が出される。
彼は、吐きそうな気分を押さえて、丁重に断る言葉を探す。
「ありがたいですが。私はこれで、仕事が残っているので……」
セルジュは立ち上がる。
椀の上に乗せられていたのは、揚げたカメムシに、蛾のテンプラ。ミミズのスープといったものだった。飲みモノも出されたが、……絶対、煎じて入れているものが、ろくでもないものに決まっている……。
セルジュは、ユキヒトの家を出る。
そして、地図を出して挟まっている住所録を見る。
「やはり、ろくな場所じゃなかったな。此処は…………、それにしても、昆虫食かよ。虫なんて、そんなに美味いものかよ?」
デス・ウィングいわく、太古の人類が初めて食していたものは、牛や豚の肉ではなく、昆虫だったという説があるらしい。J国だけでも、ハチの子やイナゴなどが食べられているのは有名だ。世界各地では、タランチュラのカラアゲや、ゴキブリを食べる国もあるらしい。
「この村の奴らに届けて回るのか。こいつらにとっては、ごちそう、ってわけだな……」
そう呟きながら、彼は鼻を鳴らす。
†
デス・ウィングは、最近、見つけた水族館のような喫茶店をセルジュに紹介してくれた。
というよりも、水族館の中に喫茶店を設置してみた、という趣の場所だった。
「水の中ってのは、本当に不気味なものだな」
彼女はサクランボの紅茶を飲みながら言った。
天井には、巨大なジンベイザメが泳いでいる。
右側の壁には、オウム貝がたゆたっていた。
左側の壁には、シャチとサメが泳ぎ回っている。
地面も水槽になっていた。
地面には、海の恐竜、ワニの頭にウミガメのような手足をしたモサ・サウルスが泳いでいた。太古の海の怪物までが、この水族館の中では泳いでいる。とてつもなく、不可思議な場所だった。
「なんか、下からも見られているようで、気味が悪いぜ」
セルジュは、スカートの下がそわそわしていた。
なんとも、心地悪い。
それにしても、地面は何処までも深い水の底が覗き込んでいた。深海の闇が顔を覗かせている。
「マジック・ミラーだそうだ。下にいる連中は、上に何があるか分からないそうだ。他の客もどうにも気になるらしいからな」
そう言いながら、彼女は足を組む。
彼女はズボンをはいている。
「それにしても、セルジュ。お前は男じゃなかったのかな?」
「いや、まあそうなんだけどなあ。一応、これ、ダリアの身体は女だし」
「ふうむ?」
デス・ウィングはドライ・フルーツ入りのチーズ・ケーキを口にした。
「で、今回の依頼なんだが。なんと、複数の者達からだ」
「複数の奴らかよ? 面倒くさいな」
「向かう先は同じ場所だよ。同じ場所に住んでいる奴らからのビジネスの依頼だな。郵便屋の代わりに届けてやれ。正直、私は向かうのが面倒臭い」
そう言うと、デス・ウィングは、セルジュに地図と大きなバッグを渡した。
†
村の家々を巡る度に、ゲジゲジやナメクジなど、極めて不潔な虫が見える。ちなみに、此処の連中は、虫を喰うのが当たり前らしいのだが。ゴキブリとかウジとかも食べるのだろうか。煮付けとかにして、本当に、ゴキブリの味を小一時間語ってきそうだから、怖い。それにしても、何故、こんなにも不潔なのだろうか。何故、自分が行く場所は衛生に気を使わない人間が多いのか。世界中から悪意を向けられているんじゃないのか。……デス・ウィングからの依頼が多かった。あの女、ワザとか。
服が汚れる。
本当に最低だ…………。
「縁側でカタツムリをほじって、喰っている奴、見かけた。……寄生虫にやられて、死んでしまえ」
セルジュは吐きそうになりながら、住所録を見る。
全部で数十件の家に、何かの幼虫の卵を届けなければならない。
栽培でもされているのか。
養殖でもしているのか。
それにしても、ここには、虫が多い。
花壇を見れば、アブが飛び、モンシロチョウが花の蜜を吸っている。
それから、塩の匂いがする。
海岸を見れば、カニやヤドカリが多く生息している。
地方の村、特有の閉塞感はある。
閑散としていて、歩くだけで、気味の悪さを感じる。
波の音がゆるやかに、耳に入り込んでくる。
テトラポットに、なにかが漂流して、引っ掛かっていた。
どうやら、それは人間大の魚…………、いや、上半身が人間の男のように見える、死体だ。下半身は完全に魚類のものだった。鱗と尾がある。そして大量の貝とフナムシが張り付いていた。
……気味の悪い、人魚の尾だな……。
セルジュはそう呟いて。
改めて、この村の異常性を再確認した。
……多分、この村の連中、……人じゃないんじゃないのか? 本当に気持ちが悪いな。
セルジュは、住民達のリストを眺めていく。
後、半数以上の者達に、届けないといけない。
とにかく、家にあげる誘いは、断るようにしていた。
……それにしても、あの男の妻。菊世と言ったか……。纏足なんだよな、あれの作り方って、小さい頃から足の骨を砕いて、ムリヤリ、小さな靴を履かせるんだっけ。
足を潰す理由は、何の為なのか?
人魚。
そう言えば、童話の人魚姫は人間になった時に、マトモに陸を歩く事が出来なかったような気がする。
纏足。
マトモに歩けない足……。
人魚でも、作るつもりなのか。
人魚か……。
人魚の肉を食べれば、不老長寿になれると聞くが…………。
セルジュはそんな風に思考を巡らせていると、次の家に辿り着いた。
中から、歯の無い老爺(ろうや)が出てきた。
口の中が、とても生臭い。
「よ、よう……。届け物をしに来た」
セルジュは、そう言って手を振って笑った。
「えらい、別嬪(べっぴん)さんじゃなあぁ」
老爺は口を大きく開ける。
口の中は、びっしりとフジツボが生えて、ゴカイが顔を出していた。
ちろちろ、と、大量のミミズが口の中でうねっていた。
セルジュは彼に瓶を渡す。
「これ、頼まれたものだから…………」
そう言って、この家から、とにかく早く離れる事に決めた。
「代金、渡さないとなぁあああぁ。お姉さん、あがってくださいなあぁ」
「先払いな筈だ。それに、急いでますのでっ!」
セルジュはそう言うと、気味の悪い老人から一秒でも離れるようにした。
2
とっくに気付いていた事だが。
村全体が異常者ばかりだ。
「ああ。あそこの爺さんは、口の中で虫を養殖しているからなあ」
ユキヒトは、とても楽しそうな顔で笑っていた。
「それから、ほら。みんな若い女好きだからな。みんな、あんたを気にしているんだよ」
セルジュは、本当に嫌そうな顔になる。
「もう、殆ど全員に配り終えて、後、一つだけどさあ」
セルジュはブーツの紐も結び直していた。
「単刀直入に聞く。この村の奴ら、人じゃないだろ? それから、人魚みたいな死体を見た。あれはなんだ?」
「俺達は人間だよ。外の世界では、分からないけどな」
「そうかよ。まあ、人間の定義なんて知らないけどな。まったく、吸血鬼やゾンビに囲まれている方が気が楽だぜ」
ユキヒトは、セルジュの後者の質問には答えなかった。
最後の届け先は、村から少し離れた孤島に住んでいる。
なんでも、村の祭事を担う長老的な存在の男らしい。
その孤島に上陸する為には、ボートが必要らしかった。
「さっき見てきたけど。小舟の残骸もあったぜ。なんだあれは?」
「岩礁の影響でね。此処の海は、本当に危険だ。俺が時刻を教えてやる、その時間まで俺の家で待たないか?」
「はあ。最後の一人だぜ。もうお前が代わりに渡してくれないか?」
「駄目だ。長老はお前さんに会いたがっている」
「はっ。知らねぇよ。いい加減に、この薄気味悪い村から出たい」
「好奇心は無いのかい?」
ユキヒトは訊ねた。
「何も無い。身を滅ぼすのはゴメンだ」
これ以上いると、取って喰われるか。何かの生贄の儀式にでもされそうだ。
セルジュは、そんな気分でいっぱいだった。
「まあ、いいさ。何時間でも待ってやる。ただし、そのボートの前でだ。悪いが、俺はお前の家は無理だ」
「何故?」
「理由は二つあるが。まあ、なんだ、虫料理を見るよりも、潮の匂いを嗅いでいた方がいいって事だ」
理由の一つは、ユキヒト達の食事風景を見たくない。
もう一つの方は、……もし、家という狭い場所で囲まれた場合、逃げるのが困難になるかもしれない事だった。
そして、セルジュは海を見ながら、待つ事になった。
ユキヒトは、彼に合わせて隣で立ち続けた。
数時間が経過した。
辺りはすっかり、夜の闇に閉ざされていた。
「そろそろ、時間だ。海流が安全になる」
「そうか。じゃあ、頼むぜ」
ユキヒトは小舟に案内する。
セルジュは舟の上に乗る。
ユキヒトは、舟を漕ぐ。
それから、十数分後。
島の上へと辿り着いた。
「此処だ。長老は待っている」
ユキヒトは道案内を行う。
島の上には、森があった。
そして。
森の所々に、奇妙なものが吊るされていた。
セルジュは、それを“見なかった事”にする。
森の木々には、大量の藁人形が打ち付けられていた。
五寸釘が執拗に、執拗に、人形の全身に突き刺さっている。
そして、セルジュは孤島の家へと案内される。
中から、使用人である初老の老婆が出てきて、二人を中へと案内した。
「長老様は奥の部屋にいます」
セルジュは奥の部屋へと連れて行かれる。
壁や天井に、虫が這っている。
“見なかった事”にする。
そして、彼は地下へと案内された。
何処からか、啜り泣く声がする。
セルジュは“聞こえなかった事”にする。
地下には檻が幾つもあり、檻の中には誰もいないが、中に無数の藁人形が釘を打たれて磔にされていたり、爪で血文字が描かれて、折れた爪が刺さっているのが見えたが。セルジュは、とにかく黙止するようにした。そこに存在しないように考えた。
やがて、長老がいるという部屋まで案内される。
「では、お入りください」
使用人は、襖を開ける。
中には、全身、包帯に包まった老人がいた。
仰向けで寝ていた。
彼には両腕がなかった。
まるで、陸にあげられた魚のように、天井を見ている。
「届け物を、しに来ました……」
セルジュはそう言うと、バッグから虫の卵の入った瓶を出す。
老人は、うきゃきゃ、と、とても嬉しそうな顔をしていた。
老人の両脚は、火傷か何かによって張り付き、癒着し、魚の尾のようになっていた。
老人の全身は、火傷か何かによって醜く爛れて、赤黒い魚の鱗のように見えた。
彼は、魚にしか見えなかった。
†