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「ほう? それはそれは、とても面白い話だな。流石、私の商品のお得意様だな。やはり、
<おい、それよりも。俺の後をずっと、何かが付けてくるんだ。それが一体、何なのか分からない。幽霊なのか、魔物なのか、それとも超能力の類なのか。一体、何なのだろうな? 本当に困る。正体がまるで分からないんだよ>
電話の向こうで、セルジュが苦言を言っていた。
「ははっ。でも、お前なら、別に何とかなるだろ?」
<分からないな。本当に奴の実態がつかめない。それにしても、あの女が元々、異常者なのか。それとも、あの俺を追っているナニカによって、異常者なのか。どっちなんだろうな。なあ、デス・ウィング。お前は一体、どっちだと思う?>
「どちらか分からないから興味がある。引き続き、調査を続けてくれないか? ああ、ちなみに、もし興味深い“アイテム”が見つかったら、私にくれないか? 私のコレクションに加えたいんだ」
<分かったよ。あーっと、ちゃんと報酬は寄越せよな?>
「考えておくよ」
そう言うと、スマートフォンの通話は途切れた。
†
次の日の昼だった。
セルジュは再び、女の家へと訪れる。
何となく、後ろから付き纏っている何者かの気配は感じる。
被害者である、女は完全に発狂している。それは確かだった。
問題は、どうやって彼女から事件の詳細を聞き出すかだ。
全ては彼女の狂言なのか。
……まあ、なんだっていいんだけどな。
デス・ウィングから、やっかいなものを押し付けられたのかもしれない。
それに。
自分を付けてきたもの。
それは、もしかすると、人間なのだろうか。
しばらくして、セルジュは、あの女の家の玄関まで辿り着いていた。
庭の方を見る。
そういえば、雑草は生い茂っている。
広い屋敷だ。
考えてみれば、あの女以外に、他の家族は住んでいないのだろうか。
セルジュは玄関のチャイムを押す。
それにしても、今回も、マトモに会話が出来るだろうか。
あの女がドアから顔を覗かせる。
セルジュは少しだけ、驚いた。
かなりやつれているが、女はぐしゃぐしゃの髪を梳かし、顔を洗い、多少、清潔感のある服装に着替えていた。こうやってみると、まあ美人な方なのではないかと思う。
「今日も来て下さったのですね。ありがとう御座います」
セルジュはゴテゴテのゴシック・ブーツを脱いで、彼女の家へと上がる。
通り道に散乱していた、ゴミの容器などは片付けられていた。
まだ酷い異臭が所々から放たれているが、ひとまず廊下と客間だけは片付けたみたいだった。
「ありがとう御座います。貴方が来てくださるだけで、とても安心します……」
「まあ。依頼だからな」
彼は鼻を押さえながら言う。
「処で、私を狙っているものがいるのです……」
「ああ、そうみたいだな」
セルジュは気付いている。
この客間に入った時からだろうか。
ひたり、ひたり。
何か水が滴るような音が聞こえる。
「天井裏かな…………」
セルジュは小声で、依頼主の女にだけ聞こえる声で言った。そして、確かに天井裏の辺りから、何者かの気配を感じる。
観察しているのだろうか……。
この女が、壊れていく様子をだ。
そう言えば、悪質なストーカー被害にあったものは心が病んでしまう事もあるらしい。この依頼主は心の病気になってしまって、この家の凄まじい惨状を作り上げたわけなのだが、そもそも、彼女を此処まで壊した原因は、未だ、彼女を見張っているのかもしれない。
「ちょっといいか? この家を多少、壊しても」
セルジュは、女に訊ねる。
「はい…………。犯人が捕まるのでしたら………」
「分かった。やるぜ」
セルジュは、部屋の隅にあった箒を手にする。
彼はその柄の先端に触れる。
すると、見る見るうちに、箒の柄の先端が、尖った槍の先のような形状に変わる。……女は、それを見て、驚いたような顔をする。セルジュは、ちょっとした手品だ、と呟いた。
そして。
彼は、それを勢いよく、天井へと向かって突き立てた。
箒はまるで、槍のように、見事に天井を貫通させる。
天井から、真っ赤な血に染まっていく。
「さてと。やったかな?」
セルジュはそう言うと、女に、家の天井裏に入れる場所に案内して貰う。
別の部屋の押し入れの中から、一階の天井裏に入る事に出来た。
狭く這って行かなければならない場所だった。
セルジュは、当の場所を見る。
“変形させた”箒の先が、突き出ている。
そこには、血溜まりが出来ている。
確かに、此処に、人がいた形跡らしきものがあった。
だが、何処かに行ってしまったみたいだった。
……なんだ? あれは……?
セルジュは、ドレスが汚れるのも気にせず、その場所へと近付く。
犯人と思われる者の服が落ちていたからだ。
それは、血に塗れた白装束だった。
とんがり笠かさらしきものも落ちている。
よっぽど慌てて逃げたのだろうか。
地面に、赤い血が点々と付着していた。
「なんだ? これは?」
彼は思わず、呟いていた。
犯人らしきものの血痕は、ある場所で途絶えていた。
それは、天井裏に出来た大きな水たまりだった。
†
「ストーカーの正体だけどな。生きた人間じゃない可能性があるな。あるいは、そもそも、人じゃないのかもな」
セルジュは、客間に戻って、結論だけ言った。
女は少し震えだす。
「では、幽霊か何かの類でしょうか……?」
「さあな。知らない。しかし、この家は呪われているのか? それとも、お前が呪われているのか?」
女は少しだけ、正気に戻っているみたいだった。
セルジュが、彼女を狙うものの正体を探る事によって、彼女は心の安定を少しずつ取り戻していっているみたいだった。
「…………、家、もう少し、片付けないといけませんね」
「そう言えば、盗聴器や監視カメラが仕掛けられているなんて、なんで思ったんだよ?」
「ずっと、声が聞こえてくるんです。視線も感じます。ずっとです」
「いつから」
「数か月くらい前でしょうか…………」
そして、彼女はふと、思い出したように言った。
「あるものが送られてきたんです」
「あるもの?」
「私の声を録音したボイス・レコーダーと、それから生活を撮影したビデオ・テープです」
「…………、はあ? なんで、そんなものがある事を……。お前、最初に言っておけよっ!」
「怒られるかと思って…………、その……」
「その…………」
「ゴミに捨ててしまったんです。あまりにも、怖くて……」
セルジュはそれを聞いて、大きく溜め息を吐く。
だが、……考えてみれば、そんなものが送られてきたら、パニックになってゴミに捨てるというのもありえる。
セルジュは立ち上がって、屈伸運動を行う。
「まあいいさ。俺が始末してやる。ああ。そういえば、……お前、名前なんだったっけ? まだ、聞いてなかったなあ」
「シャクナゲ、と申します」
女は、そこで初めて自らの名を口にした。そもそも、セルジュが彼女に興味を持った。
「あの、セルジュ様」
「なんだ?」
「もしよければ、今宵は泊まっていきませんか? お夕食は……」
「泊まるのはいいが、夕食はいらねぇからなっ!」
セルジュは冷蔵庫の中を思い出して、引き攣った顔になる。
†
夜の事だ。
セルジュは布団と毛布を借りて、この家で張っている事にした。
羽毛布団だ。
畳の敷き詰められた部屋だった。
……それにしても、どうしたものか。
この部屋は片付けたとはいえ、やはり、臭いがまだ酷い。
虫が湧いている部屋はまだ幾つもある。
シャクナゲの心は崩壊している。
そして、セルジュが会話をしたり、犯人を突き止めようとする度に、少しずつ正気に戻っていっている。
シャクナゲが言うには、捨てたテープの中には、愛している、恋している、といった言葉が入り込んでいたらしい。
ひたり、ひたり。
水が滴る音だ。
それは、近付いてくる。
セルジュはカーテン越しに、その姿を眺める。
それは白装束に身を包んでいた。
笠をかぶり、金剛杖を持ち、数珠と鈴を鳴らし、足袋を履いている。
しゃん、しゃん。
金剛杖にくくりつけられた、鈴が鳴る。
そいつは、庭の向こう。
塀の外にいた。
こちらを覗き込んでいる。
セルジュは、そいつと眼があった。
そいつの顔が、ぐちゃぐちゃに崩れて、鼻が溶け、唇が剥がれ、ぼろぼろの歯が剥き出しになっていた。顔全体が膿のようなもので覆われている。耳も溶けていた。
あの異形のものが、シャクナゲに向かって、恋慕の感情を伝え続けているのだ……。
†