「言葉だけで、人間を壊せないかって思ってな」
「うん?」
「いや、言葉だけで人間が壊せるのだとしたら、それは相当に面白い事なんじゃないかなってな」
「はあ、そうか。まあ、本当にお前らしい発想だよなあ」
セルジュは、この店の主の言っている事に、適当に相槌を打つ。
店の主である、デス・ウィングはいつものように汚らしいセーターに、いつものようにくすんだ長い金髪の姿だった。
そして、相変わらず、ろくでもない事を、セルジュに言う。
セルジュは、少し首を傾げる。
「でも、それって凄く面白いアイデアだよなあ。言葉だけで、他人を壊すか。って事は、他人を殺す事も出来るのかな?」
「そうだな。他人を殺す事か」
デス・ウィングは、ふと考える。
デス・ウィングが密かに、経営している骨董屋『黒い森の魔女』の二階だった。そこは、彼女の生活空間になっており、冷蔵庫やテーブル。客室や寝室などの作りになっている。セルジュが見ると、明らかに、いつも部屋のスペースが変わっている。明らかに、外から見た店の景観と、室内の広さが合わない。一階もだ。おそらく、この店自体が異空間に繋がっているのだろう。
デス・ウィングは、珍しく他人から奇妙な依頼を受けたらしい。
「セルジュ。お前、元々、女のストーカーしていた奴だろ。だから、お前、ストーカーの気持ち分かるだろ? だからさ。ちょっと解決してきて欲しい事件があるんだ。私、なんでも屋とかじゃないからさ」
彼女は、満面の笑顔だった。
「はっ!?」
セルジュは引き攣った顔になる。
†
玄関の前には、大量のゴミが置かれていた。
それに混ざって、猫がゴミを漁っている。蛆がひしめいていた。
壁には無数の
真っ黒なゴシック・ドレスに身を包んでやってきたのだが、服が汚れるのは酷く嫌だなと思いながら、彼は不快そうな顔で、その惨状を見ていた。
「あー。依頼で来たんだけどさあ。ごめんくださーい」
セルジュは玄関のチャイムを鳴らす。
汚らしい住宅だった。一応、庭はある。
中から、人が顔を覗き、セルジュを見ていた。
おはいりください、といったような声が聞こえた。
玄関のドアが開かれる。
セルジュは漆黒のブーツを脱ぎ、家の中へと入る。…………。家の中は、禍々しいオーラを放っていた。
しばらく歩いて、セルジュは客室に連れていかれる。
「女の方だったんですね。……お茶くらいしか出せませんが」
顔がむくみ、明らかに心を病んだ目付きをしていた。
女だ。
「あー。一応、俺、男なんだけど。その…………」
セルジュは、少しだけ困った顔になる。
「このゴミ屋敷。どうにか出来ないのか?」
彼は少しだけ、鼻を押さえる。
ああ、大切なドレスが汚れる……。最低だ……。
「最初は、手紙でした」
女は、セルジュに手紙を渡す。
彼は渡された手紙の内容に眼を通す。
「日に日に、あいつが私に迫っているのです。今日も、家の外にいました。ベランダから見えました」
「はあ」
彼は少しだけ、困った顔をする。
…………、手紙は、白紙で、何も書かれていなかったからだ……。
デス・ウィングから依頼された事は、探偵業だった。何でも、彼女の骨董品のお得意様で、普通カタギの人間らしい。デス・ウィングは性格的に、他人に悪意ある品物を売るのを好んでいるのだが、この客の場合は、主に彼女が取り扱う、古書やアロマ・オイルといった“無害なもの”を好む常連客だった。一応、この手の客層も付けておかなければ、店の経営費に問題が生じるらしい。
「まあ、いいや。話の続きを聞かせてくれよ。それから、出来れば、その貰った、手紙とか捨ててないか? 取ってあるか?」
女は頷く。
そして、家の奥に向かい、何枚もの封筒をセルジュに渡す。
「これです。後、数十通くらいあります…………」
「それは。……なんというか、相当に、怖いな……」
渡された手紙の中を見てみる。
ひたすらに、ありとあらゆる画材を使って文字の羅列が描かれていた。マジック、絵具。パステル、クレヨン。墨汁。……種類の分からない画材。…………、どの手紙を読んでも、図形や記号的なものが、ひたすらに並んでいて、何が描かれているのか分からなかった。そもそも、文字と言えるのだろうか。
「相手は何が目的なのでしょうか?」
「うーん、そうだなあ。たとえば、貴方、恨みを買った事はないか?」
「そうですねえ、分かりません……」
「妬まれるような事とか。他にも、誰かに誤解を与えるような事とか」
女はうずくまる。
そして、何かをブツブツ、ブツブツと、呟いているみたいだった。
「わかりません、わかりません、わかりません、わかりません。私が、人に迷惑をかける? 憎まれている? 恨まれている? そんな事……、…………」
彼女はなおも、何かを呟き続けていた。
「とにかく、盗聴器とか監視カメラが仕掛けられてないか調べてくれませんか? 怖くて、夜も眠れないんです」
「はあ。とにかくだなあ。少し顔洗ってきた方がいいんじゃねぇの?」
彼女の両眼は、目アカが溜まっていた。
ぼりぼりと、彼女は頭を掻き毟り始める。
何か、虫のようなものが、彼女の髪の間から、落ちてきた。
†
生ゴミを触ってしまったので、洗面台を借りる事にした。
……盗聴器に監視カメラねえ、本当に、こんな場所で探すのかよ?
鏡を見ると、相変わらずな自らの姿が映し出されている。
かつて、セルジュは好きな女の身体を奪った。
何度も、彼女の精神の幻影に苛まれる。
好きだった女の姿が、鏡に映る。
セルジュは、すぐに、意識を戻す。
鏡。
何者かが、掻き毟り、所々にヒビが生えている。
洗面台の中には、黒い髪の毛がこびり付いていた。
シャワー・ルームの方を見ると、強烈な腐敗臭が漂っている。一体、何がバスタブの中には詰まっているのか…………。
ふと、脚元を眼にする。
すると、そこには奇妙なものが置かれていた。
それは洗面器だった。
沢山の血が付着している。
……おいおい、なんなんだよ? これは。
この女が、そもそも、おかしいんじゃないのか?
ペットボトルのようなものが置かれていた。
その中には、赤黒い血が入っていた。
……おい、待て。やっぱり、この女の方がイカれているんじゃないのか?
彼は家中を調べるように言われていた。
とてもじゃないが、調べるなんてものじゃない。まずは、ゴミ掃除をしなければならないだろう。
「まあ、いいや。ひとまず、家具らしきものから調査してみるぜ」
彼は台所に向かった。
食器棚の中は、虫などが大量に発生していた。皿の上に乗った蛆虫などは圧巻だった。
冷蔵庫の中を開ける。
骨だ。
骨が大量に入っている。
ニワトリの骨だろうか。骨の種類は様々だった。小動物らしきものの頭骨もあった。一つ一つが整然と並べられている。剥き出しになって並んでいるもの以外にも、幾つものタッパーがあり、その中には、小さな生き物の骨が詰め込まれていた。
そして。
透明な瓶が幾つも、飲みモノを入れる場所に置かれていた。
中には、ドス黒い血液が入っていた。
血液の中身は何なのだろうか?
動物の血なのか。
それとも、この家の主の血なのか。
あるいは…………。
セルジュは静かに冷蔵庫を閉めた。
明らかに異常性ばかりを感じた。
やはり、この女はサイコなのだろう。
何者かにストーカーされているというのは、この女の妄想の産物なのではないか……。
「おい。冷蔵庫の中に入っているものは一体、なんなんだ?」
彼は苦々しい顔で訊ねる。
「冷蔵庫ですか? 冷蔵庫には、お飲み物や食品などが入っていたと思うのですが……」
「はあ!? 動物の骨ばかり入っているだろ? 何なら、ちょっと一緒に見ようぜ?」
彼女はセルジュに言われて、一緒に冷蔵庫を開ける。
「ほら、人参。こちらは大根。こちらはカボチャですよ」
「おい。この瓶の中身はなんだ?」
「ええっ……。お酒ですよ。ああ、今度、お飲み物をちゃんと用意しておきますね」
「いや、本当にいい……」
セルジュは内心、溜め息を吐いた。
「冷蔵庫の中に、監視カメラとか無いでしょうか?」
「監視カメラってか…………」
セルジュは、女が野菜といった、動物の骨を弄りながら困惑した顔になる。少なくとも、それらしきものはない。
しばらく、彼女に言われて、家中でそれらしきものを探していたが、特に監視カメラや盗聴器の類は見つからなかった。それよりも、惣菜の容器や生ゴミなどが散乱している事でとてつもなく、嫌な気分になる。
しばらくして、夜になった。
「俺はひとまず、一度、帰るぜ。……しかし、服がかなり汚れてしまった。たっくなあ、俺は清掃業者じゃねぇんだぞ」
「お帰りになられるのですか?」
「ああ。まさか、此処で泊まるのも嫌だしな」
「また近々、来ていただけませんか?」
「あー、まあな。依頼された事だからな。行くよ」
セルジュは玄関の外に出る。
すっかり、辺りは暗闇に包まれていた。
ふと。
誰かが、後ろから後を付けているような気がする。
……なんだ?
彼は、少し違和感を覚えながらも、その気配を一度、無視する事にした。
こつり、こつり。
何者かが、電柱の陰から追ってきている。
セルジュは走った。
……ふん。何か、知らないが。
行き止まりに辿り着く。
セルジュは…………。
勢いよく、跳躍した。
そして、後ろから付けてくる何者かの姿を見ようとする。
誰もいない。…………。