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第二章(1)

 初めてその人を見たとき、聞いていた年齢よりも若く見えるなという印象を受けた。髪は染めているのか、明るい焦げ茶。身長は悠よりも少し低い程度だろう。だけど、細身ですらりとしている。

「みなさん、こうやって実際に顔を合わせるのははじめましてですね。いつもは画面越しでしたから」

 話し方も丁寧で、ここにいる誰よりも落ち着いている。物腰もやわらかい。

「岡田壱夜です。このたび、品質保証部地球環境チームの課長として、米沢工場に赴任しました。米沢のことはまったくわかりません。いろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 壱夜の年齢は、三十七歳と聞いている。その年齢での課長職というのは出世頭である。この会社では、三十代のうちに係長職になるのが出世コースと言われているからだ。

 夏生がこそっと教えてくれたのは、何かの組織改革で若手育成なんちゃらと言われ、どこかの本部長に気に入られた壱夜がその年で課長職に就いたという、なんちゃらとかが多い話であった。

 地方部のほうが年功序列といった考えは、まだ根強く残っている。しかし、課長職に就いた壱夜は係長の猪俣や寺村よりも年下であるのが、悠としては気になった。

「そういうことで。岡田さんと佐伯くんが米沢の品質保証部メンバーとして加わってくれたので、歓迎会を行う予定です。幹事は清野くん、お願いね」

「はいは~い。ではあとで、開催日のアンケートをまわすので、よろしくです!」

 恵介の明るい声は、その場を和ませた。

 悠が品質保証部にやってきて二週間。正式な辞令を受けて数日が経った。といっても、その間に連休を挟んでいるため、出勤しても間違えて設計のフロアへ行こうとするときもある。特に休み明けは、実際に設計のフロアにまで入ってしまって、笑われた。二年も通ったフロアだから、足が勝手にそっちへと向いてしまうのだ。

 品質保証部全員での顔合わせも終わり、地球環境チームのメンバーが全員揃ったところで、壱夜がメンバーひとりひとりと面談をやりたいと口にした。やはり、自分の部下となる者がどういった人物であるか、知っておきたいようだ。

 壱夜の年齢を教えてくれたのは夏生である。社内の情報は、夏生に聞くのが手っ取り早い。彼女がどこから情報を収集してくるのかは謎であるが、まるでスパイなみにこういった社内関係者の情報を仕入れてくるのだ。

 壱夜は猪俣や寺村よりも年下である。それなのに彼らの上司になる。職場での上下関係と年齢関係が逆転するのはよくあることだが、当事者たちは複雑な気持ちなのかなとは思う。

 それでも入社三年目のどう転んでも下っ端である悠にとっては、当分そういった逆転現象に巻き込まれる予定はない。

「佐伯さんは、設計からの異動なんですね。ということは、私とは、はじめましてですね」

「そうですね。辞令や組織票で名前を見かけたことくらいはありますが」

「佐伯さんは、米沢の人ですか?」

「はい、生まれも育ちも米沢です。米沢引きこもり人間です」

 別に面白いことを言ったつもりはない。それでも壱夜は、かすかに口元をほころばせた。同じ男である悠から見ても、まるで若手アイドルグループのように整った顔立ちをしている。髪の毛も染めているのか地毛なのか、黒髪であるのにどこか明るく、焦げ茶にも見えるのだ。

「私は米沢がはじめてで。引っ越ししてきたのはいいのですが、どこに何があるのかがさっぱりわからないのですよ。ですが、近くに大きな商業施設があったので、それで助かっています」

 壱夜が言った商業施設にピンときた。貴重な映画館もある商業施設である。この近辺には他に映画館がない。峠を越えて、隣県からわざわざこの映画館に足を運ぶ人もいると聞いている。それくらい、この付近には他に映画館がない。

「岡田さんはその辺に住んでいるんですか? とりあえず、そこさえ知っていれば生活には困りませんよ。あとはこう、欲がでてきて、安いものをとか、いいものをってなれば、また別ですけど」

「時期も中途半端でしたから、なかなか物件の空きが見つからなくて。ですが、たまたま新築ができたというので、そちらのマンションに」

 この時期は春の引っ越しシーズンも終わり、ほとんど部屋も空いていない。だから新築であの辺りに部屋が見つかったというのであれば、運がよかったのだろう。

「どうですか? ここ」

 地元人としては、他から越してきた人が、この街をどう思っているのかが気になっていた。

「ええ、城下町なだけあって趣を感じますね。今までと違った時間が流れていくような、そんな気がします」

「オレ、地元人だから。そう言ってもらえると嬉しいですね。ここに来たら絶対に食べてほしいっていうのもあるんで」

「では、佐伯さんにこの街を案内してもらいましょうかね。とりあえずは、人並みに暮らせればいいのですが」

 悠も人なつこい性格をしており、学生時代は後輩の面倒みもよかった。だから、壱夜からそういった言葉をかけられて悪い気はしない。

 面談は三十分くらいであったが、ほとんどがこの街についての雑談で終わってしまった。

 だけど悠は、はたと気がついた。壱夜の左手の薬指には指輪がある。それが何を意味するかは、悠だってわかっている。残念ながら悠には、現在のそういった相手も、将来のそういった相手も、今のところいない。

 悠は恵介を探すと、面談の順番がまわってきたことを伝えた。

 席に戻り、周囲に誰もいないことを確認してから、夏生に声をかける。

「亀田さん。岡田さんって結婚されているんですか?」

 この手の話は、スパイなみの情報網をもつ夏生に聞くのが手っ取り早い。すると、夏生も周囲をぐるりと大きく見回してから、悠のほうに椅子を寄せた。

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