「ふふふ、今日は特別にいいところへ連れて行ってやろう…」
現体制派として働くようになってから少しして、マナミさんがそんなことを言ってきた。
休日、自室で一人過ごしていた──トミコは図書室へ行っていた──私はもちろん遠慮したものの、「同じ派閥にいる先輩として、後輩をねぎらってやろうというのだ…遠慮するんじゃない」と鼻息荒く誘われては、この微妙にチョロそうな人をあしらういい文句は思い浮かばなかった。
…マナミさんは間違いなく年上なんだけど、ハルカさんへの態度といい、年下の私に『チョロそう』と思われていることといい、交流が深まるほど敬うことが難しくなりそうだった。まあ、思っていたほど悪い人間じゃないんだけど…。
「…ここって」
「ここはだな、私と姉様が見つけた『甘いものがおいしい喫茶店』だ! 飲み物も悪くないのだが、やっぱりここに来るからには甘いものをたんと食べなくてはな…心配しなくとも、今日は私の奢りだ。先輩に遠慮するんじゃないぞ!」
「…そ、そうですか…どうも…」
そんなマナミさんに連れてこられたお店、そこは『名古屋発祥の有名喫茶チェーン』だった。朝の時間帯であればコーヒーを頼むだけで簡単なモーニングがついてきて、昼間はランチセットもあり、何よりマナミさんが言うとおり甘くておいしいお菓子もたくさんあるお店だ。
マナミさんは私がここに来たことがないと思っていそうだけど、実際は両親が生きているときに連れてきてもらったこともあり、ぶっちゃけ驚くことはなかった。
無論、ドヤ顔を遠慮なく晒すマナミさんにそんなことは言えない。もしも言ってしまえば、三日くらいは文句を言われそうな気がする…。
「さて、さっきも言ったとおり遠慮するんじゃないぞ。現体制派として働く以上は懐にも余裕があるし、何よりお前は私の後輩になったのだからな…こういうのも年功序列と言うんだろう?」
「…そうですね。じゃあ、これとこれを」
その使い方で正しいのかどうか、そもそも派閥入りする前から後輩だったと言えなくもないのだけど、マナミさんにツッコミどころが多いのは今に始まったことじゃない。
何より…私はカナデが隣にいない戦いに疲れていたので、余計なことは言わずにさっさとお茶とお菓子を済ませ、スムーズに部屋へ戻って休みたかったのだ。だからコーヒーと季節のケーキのセットを頼み、マナミさんはデニッシュにアイスが載ったお菓子、コーヒーゼリー、蜂蜜カフェオレを頼んでいた…この人、すごい甘党だ…。
…これで目の前にいるのがカナデだったら、私ももう少しだけ乗り気だったんだろうな。こんなことなら、もうちょっと一緒にお出かけしておくべきだったな。
「…んんっ。その、なんだ…最近、どうだ?」
「…は?」
先に立たない後悔をしつつ、私は目のやり場に困ってメニュー表の表紙を眺めていた。そこには季節限定のメニューや新商品がピックアップされていて、ふと「カナデはこういうの好きそうだな」なんて考える。思えば、あの子も結構な甘党だったな。
そんな現実逃避を切り裂くように、向かい側に座るマナミさんは咳払いをして声をかけてきた。対する私は「今のって本当に私に声をかけてきたのか?」なんて当たり前のことを考えつつ、気の抜けた返事しかできない。
「…ほら、お前も今は現体制派の魔法少女だ。その活躍はもちろん聞いているが、なんだ…不満…はないと思うが、心配なこととか、言いにくいことがあれば、私が聞いてやっても…いい」
…あれ? もしかして私、気を使われているのか?
マナミさんは頬をかいたり結んだ髪の先端をいじったりしながら、瞳を揺らがせつつ私に尋ねてくる。それは漫画で見た『思春期で全然話さなくなった娘に調子を聞こうとする父親』みたいに…というかそのものにしか見えなくて、ぽかんと口を開いてしまいそうになった。
(となると…今日ここに連れてこられたのも、この人なりの気遣いだったりするのかな…?)
私とマナミさんは、少なくとも仲良しこよしではない。一応私は武闘派の少女からこの人を守り切ったと言えなくもないんだけど、それのおかげで親密になったとは──少なくとも私は──思っていないし、この人だって態度が極端に変わったわけでもない。
ただ…以前のような警戒や罵倒は減ったような気がする。それでも先輩後輩という立場を素直に受け入れられるような間柄でもなくて、それこそハルカさんが同席してくれていたほうがまだ気楽だったかもしれない。
そんな相手にこういうことを言われたら…私はどうすればいいんだ?
「…ええと、おかげさまで普通に働けていると思います…トミコは優秀ですし、ハルカさんとマナミさんにもサポートしてもらえていますし、とくに不満とかは…」
「…そ、そうか…ううむ…聞き方が悪かったのか…?」
仕事が概ね上手くいっているという意味では、とくに不満はないだろう。トミコという優秀な仲間をあてがってくれたことはもちろんだし、現体制派入りしてからの面倒ごとなどはハルカさんやマナミさんが処理を手伝ってくれるし、なんだかんだで派閥入り前と劇的な違いはない。
ただ、満たされない。それは『カナデが隣にいてくれないから』というこの人たちでもどうにもできない致命的な問題があるからで、ならば私が口にすることはなかったのだ。
一方でマナミさんはそれに対し頷きかけ、けれどもブツブツと口元に手を置いてなにかを考えていた。
「お待たせしました!」
「あっ、料理が来ましたね…じゃあ、食べましょうか。いただきます」
「うむ…いただきます…」
すでに間が持たなくなっていたテーブルに、ようやく注文の品が届いた。私のケーキはミルクレープで、マナミさんのは熱々のデニッシュにソフトクリームが載っていた。それにコーヒーゼリー、さらに蜂蜜入りのカフェオレ…やっぱり食べ過ぎでは?
けれども食べ始めて早々に「やっぱりおいしい!」と目を輝かせて、それを見た私は呆れることはなく、なぜか顔が緩んでしまった気がした。
「…ここに初めて来たのは、姉様に連れられてのことだった」
「へ?」
「姉様は自分にも他人にも厳しい人でな、お菓子ですら『食べ過ぎはよくないから』と普段はほとんど口にしない。もちろん私も注意されていた…でもな、なぜ姉様がここに連れてきてくれたか、わかるか?」
「…いえ、さっぱりです」
パクパクとデニッシュの半分ほどを平らげてから、マナミさんはフォークを置いてぽつりとつぶやく。私もケーキを食べ進める手を休めて、その急なテンションの変化になるべくついて行こうとした。
…ついて行く必要があるのかどうか、この際それは隅に置いておこう。
「そのときの私は任務に失敗していて、でも姉様に弱音は吐けなくて、全部自分でなんとかしようと思っていたんだ。でも姉様はそんな私の考えすら見通していて、ここに連れてきてくれて…『甘いものを食べるとき、人は誰しも油断するものです。マナミ、今だけは気を抜き、そして何でも話しなさい。わたくしも今だけは甘くなってみせましょう』と言ってくれたんだ」
「…ハルカさんが…」
正直なところ、今となっては私も「ハルカさんも厳しいだけの人じゃないのだろうな」とは理解できていた。ただ、それでも普段は優しさはおろか付け入る隙も一切見せないようにしていて、今でも苦手意識は消えていないのだけど。
そんなハルカさんが今日みたいなことをして、そして誰よりもその優しさを注がれていたこの人が同じことをしているというのは、とても些細で素敵な連鎖に感じられた。
「…だ、だから…お前も、今だけは私に油断してもいい。仮に、学園に対して不満があっても…今だけは、怒らずに聞いてやる…」
「…ふふ、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。私の悩みはどうしようもないもので、結局はそれを振り切って戦うしかなくて…だから」
そうだ、私はもう…どうしようもない。
大切な人が戻ってきてくれることはなく、その人の隣には別の魔法少女がいて、その事実を思うたびに心は赤ん坊のように泣きわめくのだけど。
その痛みがある限り、私はカナデを忘れない。そして彼女を忘れないと言うことは、私も戦う意味を見失わないということでもあるから。
「…これからも私が大切な人のために戦えるよう、力を貸してもらえると嬉しいです。マナミさんがハルカさんのために戦うように、私もカナデのために戦うので」
「…わかった。私は学園側の魔法少女で、そいつ…カナデが学園に危害を加えようとするのなら、やむを得ず拘束するかもしれんが」
私の弱々しい笑顔を見たマナミさんは「そんな弱っちい顔をするな!」とは罵倒せず、けれども笑うことはなく、真剣な顔をしながらデニッシュを切り分けていた。
そしてそれを私のケーキの隣に置いて、とても小さく、身じろぎのように頷く。
「…そんなことにならない限り、私はお前が仲間を守れるよう、なるべく力を貸す…限度はあるがな」
「…ありがとうございます。それとこれ、甘いですね」
「ふん、当然だ。甘いものほどおいしいのだからな!」
私とマナミさん、それは一般的な『先輩後輩』としては少し頼りなく、ともすれば簡単に崩れてしまいそうな関係だけれど。
大好きな甘いものを分けてくれたこの人の行動からは、少なからず友情を感じられた。
それから二人で甘いもの談義を少しだけ交わしてから、最後に「姉様には甘いものをたくさん食べたのは内緒だぞ!」と釘を刺された。