『ごめんなさい、ヒナ…私、これからは一生アケビのパートナーとして生きていくことに決めたの…』
『そんなわけだから、ごめんねヒナっち~☆ んじゃあ、【生涯のパートナー】の誓いとして…チューしちゃおっか?』
『あっ、ダメ…ヒナが見てるのに…』
『んふふ、とか言っちゃってぇ…カナっち、いつも抵抗しないんだから…』
『あんっ…アケビぃ…』
*
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
カナデとアケビが『重なる』直前、私はそれを引き離すべく両手を伸ばして飛びかかろうとした。
しかしなにもかもが手遅れで、だけど諦めるわけにもいかなくて、私は咆哮を上げながらすべてを破壊すべくランチャーメイスを振り回して…振り、回して?
けれど、何度も私の敵を押しつぶしてきた質量の暴力はどこにもなくて、仰向けに寝ていた私は天井に向かって両腕を振り回すことしかできなかった。
つまりそれは私の大切な人が奪われてしまったことを意味していたはずなのに、視界の先にはカナデもアケビもいなかった。
「ヒナ、どうしたの!? 怪我でもした!?」
「……カ、ナデ?」
しかし程なくして隣からカナデの声が聞こえてきて、その顔もしゅばっと私の前に展開される。そして私の視線はただ一点、桜色の唇に注がれていて、これが奪われたのだと思ったら急に涙があふれてきて、それ以上直視できなくなって腕で目元を覆った。
「ヒナ、大丈夫!? ねえ、どうして泣いているの? どこか痛い? 医務室に行く?」
「……うわぁぁぁ……や、だ……やだ、よぉ……」
「や、やだ? 医務室に行くのがいやなの? でも調子が悪いのなら」
「……そうやって、私以外にも優しく、するのっ、やだぁ……!」
「きゃっ…ヒナ?」
カナデは素直になれないけれど、本当はとても優しい人だった。
優しいからこそ魔法少女たちが利用されている現状に憤っていて、それでも自分一人で抗い続けようとしていて、ほんの少し前も仲間を逃すために自分だけを犠牲にして。
だからきっとアケビと組んでいた頃も彼女を支えていて、アケビだってこんなにも素敵なカナデに対して好意を持つことは仕方なかった。
だけど、私は…そこから目を逸らしていた。その当たり前の事実がわずかにでも私の心によぎったとき、胸の奥は激痛を訴えて魔法でも治せない傷跡が刻まれる。
そして…もしもカナデも、アケビのことを『好き』になってしまったら?
アケビはいい人だ。軽薄な振る舞いとは裏腹に良識的で、いつだって周囲を明るくしてくれて、きっとそんな一面はカナデだって支えてくれていただろう。
私はそのことに感謝しないといけないし、カナデを助けるときだって力を貸してもらったのに…どうして私は『私からカナデを奪わないで』なんて思ってしまうのだろう。
だから、お願い…カナデ。
私以外に優しくしないで。私だけに優しくして。
好きになるのなら…私を、私だけに。
「ヒナ、落ち着いて…何があったのかはわからないけれど、あなたが泣いていると私も悲しくなるわ。嬉しくて泣いちゃうこともあるかもしれないけれど、今のあなたは…本当につらそうよ」
「……つらいよ……カナデが、私、以外に……優しく、してるの……そんなことしたら、カナデは……また、私のところから……いなくなる……」
「…もう、バカね」
子供よりも惨めに泣きながら彼女を抱き寄せたら、カナデもまた私の体を抱きしめてくれて、その重みがとても心地よかった。
しかもカナデは私の頭もゆっくりと撫でてくれて、刻まれた傷跡もきれいに埋まっていく。それはどんな魔法よりも強くて優しい、カナデが私にだけ使える…大切な人から降り注いだ祝福のようにも思えた。
「…私は優しくなんてない。だから誰からも嫌われて、やっとあなたに受け入れてもらえて…でも、そんなあなたまでも傷つけてしまったの。それでも」
私はカナデの肩の辺りに顔を埋めて、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。すると彼女は昼凪のように静かな声で言い聞かせるように、ずっと隠されていたであろう、私にとって宝物のような気持ちを吐露した。
「…あなたは私を迎えに来てくれた。私だって、あなたが…私以外にこんなふうにするの、すごく…いやよ。だから私もあなたから離れない、これからはずっとそばにいるわ」
「……うんっ……う、ん……!」
私がカナデ以外にこんなことをするのなんて、まずあり得ないのだけれど。
それでもカナデが私のような気持ちを抱いてくれていることは、どうしようもなく安心させてくれる。記憶にも残されていない、ベビーベッドの上で寝かされて、ずっと母親に見守られているような…そんな光景すら浮かぶくらい、カナデは私に安堵をもたらした。
それから少しの間はお互いなにも言わず、布団の上で同じ体勢のまま抱き合っていて、私の涙が止んでからようやく会話が再開できた。
*
「…事情はわかったわ。とりあえず、アケビに謝っておきなさい」
「ごめんなさい…」
泣き止んだ私は上半身を起こし、カナデと向き合って事情を話す。
すると最初は気遣わしげだったカナデも『私が見た夢』について教えると、最終的にはげそっとした様子に切り替わって諭すように私へ謝罪を求めた。
結果、私はこの場にいない仲間…アケビへ謝罪する羽目になり、今になってやっと申し訳なさが火山のように噴火した。
「はぁ…まさかあなたがそんな夢を見るだなんて…アケビのこと、嫌いなの?」
「き、嫌いじゃないよ! むしろ、その…すごく感謝してる。アケビはいい人だし、この前の戦いだって命がけで助けてくれたし、その…カナデが一人にならなくてよかった、とも思ってる…けど」
「けど?」
畳に敷かれた布団の上で、私はきゅっと掛け布団を握る。ここは武闘派の拠点、そしてねぐらの一つにしている空き家の一室で、これまで過ごしていた学生寮とは異なる昔懐かしい和室だった。
寮に比べてさらにこぢんまりとした空間は奇妙なまでに懐かしさを感じさせて、やっぱり私は日本人なのだと改めてDNAが訴えている。もちろん居心地もよく、いつかは学園に戻るのだろうけど、そのときは郷愁を感じるのではないかと思うくらいには…ここに馴染みかけていた。
だから、なのだろう。私の張り詰めていた心はすっかり緩んで、それであんな夢を見て、たまらず叫んで、そして…隣にカナデがいてくれるから、隠しきれない気持ちが当たり前のように出てくるのだろう。
「…すごく、うらやましかった。カナデの隣にいられるのが、カナデに優しくしてもらえるのが、本当に…どうしようもないくらい…うらやましくて、妬んでた…もしもこの前手伝ってもらってなかったら、逆恨み…続けてたかも…」
「…もう。うらやましいなんて言っても、そんなに長期間一緒にいたわけじゃないわよ? そ、それに…あなただって、別れるまでは一緒にいてくれたじゃない」
アケビは、とっても自分に対して素直な人だ。でもそれは私のようなわがままさを伴うんじゃなくて、天真爛漫とも表現できるほど朗らかで、周囲のことも考えていて、きっと私の内側にあるような粘つく欲求はないんだろう。
だというのに、私は信じられない。私がいない期間、カナデと過ごしていた時間、その間に何があったのかをすべて知るすべなんてないのに…私はそれを知って、そして。
「…私は、一瞬だって離れたくなかった。カナデの隣にいるのはずっと私だけで、私が誰よりも優しくしてもらえて、私がいないときのことだってちゃんと把握して、私のことを一番に考えてほしかった…んだと思う…」
カナデがいなくなってからの私は、星も月もない夜空の下を歩いていた。真っ暗で、それでも前に進むしかなくて、何度転んでも誰も手を引いてくれないから、自分で立ち上がって…何もない場所を目指して歩くしかなかったんだ。
だってカナデは、私の一番星だったんだから。それもたくさんある星の一つじゃなくて、唯一の、一番以外はあり得ない、たった一つで星座まで作ってしまうような輝き。
だから、その星を奪っていく人間がいたとしたら…私は、誰が相手でも戦うしかない。そして私のカナデを見つめていた時間について問い詰めて、『あらぬ事』はしていないのか、もしもしていたら…と思っていたら。
カナデは両手を伸ばし、私のほっぺたをむにぃと引っ張った。皮膚は伸びるけれど痛くない、そんな力を込めて引っ張り続ける。
「あにょ…かなへ?」
「…これは、アケビの代わり。あなたほどじゃないけれど、あのお人好しを疑った罰。心配しなくても、私とアケビは…えっと、あなたが夢見たような関係じゃないから」
むにっむにっ、何度か引っ張って緩めてを繰り返してから、カナデは私の頬を解放した。それはお仕置きだったのだろうけれど、離れていくぬくもりが残念に思ってしまうくらいには罰として機能していない気がした。
カナデは頬を赤らめてじとーっと私を見ているけれど、以前何度も浮かべていたような怒りは感じられない。強いて言えば…いじけている、とでも言うべきだろうか?
「私が飛び出した直後、あいつもちょうど相棒に逃げられて…それで鉢合わせた私を部屋に誘ったのよ。あ、部屋に誘うと言っても、そういうのじゃなくてね…一人で戦うのは不安だから、これから力を貸してほしいって感じの…だから、すぐに泣きそうな顔をするのはやめなさい」
「…そんな顔、してた…?」
「してたわよ? はぁ、ほんと…出会った直後のクールな感じ、もうすっかりなくなったんじゃない?」
「…私は元々クールじゃないよ…」
いじけながらも事情を話すカナデに言いよどむ雰囲気はなくて、どれも本当のことなのだろうと信じられる直線のようなまっすぐさがあった。
そのまっすぐに私の心を突き刺す針は安心するツボを突いていて、ゆっくりゆっくりと全身から力が抜けていく。気づいたら私はカナデの両手を握っていて、彼女も指を絡めてくれた。
「それで、まあ…それからは一緒に戦っていて、家事をして、勉強をして…みたいな感じよ。あなたと過ごしていたときとほとんど変わらないし、会話だってすごく多かったわけじゃないわ…多分だけど、あいつも昔の相棒が忘れられなかったんだと思う」
「…そっか。ごめん、えっと…疑う、とも違うんだけど。変なこと言って」
「…いいのよ。私も上手いことは言えないのだけれど…あなたが、わ、私と一緒にいたいって強く思ってくれるのは…嬉しい、もの」
「カナデ…」
絡まる指に熱が宿り、じんわりと私たちの頬を火照らせていく。そしてどちらからともなく視線を真正面から付き合わせて、次第にカナデの顔が大きくなっていった。
私も、嬉しい。それは言葉にはならず、代わりに膝立ちになってゆっくりと顔を近づけていって、今はカナデの瞳しか見えない。
古い蛍光灯の光が宿ったカナデの目にはたくさんの星が輝いていて、ああ、これからの私は暗い夜空を歩くことはないのだとわかったら、その星空へと飛び込もうとした。
「…いつまで寝てる…そろそろ朝食…あっ…」
星の瞬きに心を奪われていたら、和室にぴったりマッチしたふすまが開いてアヤカが入ってくる。その言葉から察するに、朝食の準備ができたのだろう。
そして私たちはというと空が重なる直前であって、そのまま固まっていたらアヤカは先ほどのカナデ以上にじとーっと睨んできて。
「…不潔だ…学園の魔法少女はやっぱり不潔…朝食は抜きって伝えておく…」
「誤解だよ!?」
「誤解よ!?」
アヤカは心底見下げるように吐き捨てて、ふすまを開いて出て行った。
もちろん食べ盛りの私たちが朝食抜きなんて拷問に耐えられるわけがないから、すぐさま立ち上がってその背中を追った。幸いなことに簡単に追いつけたけれど、カナデと手をつないだまま言い訳をしていたので「…この不潔ステディ…」とまたしても納得しかねる扱いをされた…。