夢を見た。絶対に夢だとわかるような、そんな内容。
『カナデ』
いつもの部屋、学生寮の自室。ベッドではなくラグの上に座っている。この日はどういうわけかお互いが薄手の真っ白なワンピースを着用していて、この時点でこれは夢なのだと気づけた。
だって魔法少女学園では私服の持ち込みと着用が厳しく制限されていて、たとえ購入したとしても着る機会なんてほぼないのだから。
それに私は無駄遣いをしたくないし、私を後ろから抱きしめる同居人…ヒナは見るからにファッションへ無頓着だから、こんなシンプルながらもおしゃれな服を持っているとは信じられなかったのだ。
…あれ? なんで私、この子に抱きしめられているの…?
『可愛いね、カナデ』
どくん、夢の空間に自分の心音が響く。夢だからこそこんなにも大きく聞こえるのだろうか、そんなことをぼんやりと考えていた。
ヒナは、私の悪口を言わない。かといって常時褒めちぎるようなタイプでもなくて、ましてや私を可愛い──最も私に相応しくない褒め言葉の一つだろう──と言うだなんて、ますます非現実的なシチュエーション…つまりは夢であることをむざむざと突きつけられた。
それならさっさと叱り飛ばして、こんなところはおいとますればいい。明日が平日でも休日でもやることはあるのだから、こんなところでぼさっとする理由なんてない。
…そのはず、なのに。
『カナデ…』
私のお腹あたりを抱きしめていたヒナの手がほどかれ、自然な様子で肩や腕を撫で始める。これまた非現実的な行為…まるで、その、恋…ちょっと仲がいい二人みたいなじゃれ合いをしてきて、私の体は小刻みに震えた。幸いなのは『これまで誰にも聞かせたことがないような声』を漏らさずに済んだことだろう。
心の中だからこそ、夢だとわかっているからこそ、言える。
ヒナの手は…気持ちいい。お節介なこいつはハンドクリームを使って私の手を手入れしてきたこともあるけれど、そのときもびっくりするほど優しい手つきで、しかも丁寧に撫で回してきた…いや、塗り込んできた。
そのときも声を抑えるのに一苦労だったけど、今のはとくに…すごい。手入れという大義名分もなく体に触れる行為、その理由はなんなのだろうか?
『ふふっ、我慢しなくていいよ。触って欲しいところ、ある?』
ああ…そんな嘆息がはみ出そうになる。
今のヒナが触る理由、それは…本当に、触るだけ。それも先ほど聞こえてきた笑い声は実に楽しげで、それはつまり、私の体に触ることを楽しんでいる…のだろう。
念のために言うと、ヒナは女の子だ。ちょっと男よりも格好いいだけで、見た目はどうしようもないくらいの美少女。そして私も女であるわけで、そんな間柄で体に触れる理由なんて…。
…いや、実は私にもそういう知識くらいはある。ましてやこの学園は女だけを押し込めている空間なわけだから、ちょっと自分たちの感情を持て余した連中が同性相手にそういう関係を望む事例もあるらしい。
この無駄に厳しい学園側はそんな風紀の乱れを許していいのかと思うけれど、規則として不純異性交遊は厳禁となっている一方で、『不純同性交遊』については何の記載もなかった。
魔法少女を完璧に管理するとかほざいているわりに、その裏側は使い古した靴下のように穴だらけなのかもしれない。
『カナデ、ここ…好きだよね?』
ひうっ、またしても形容しがたい声を漏らしそうになる。
不純同性交遊の可否について考えていたら、ヒナはいきなり私のうなじにキスをしてきた。今は髪をほどいていたこともあって、そっと髪をかき分ける動きだけでもぞわぞわとするのに…キスは、キスは、ダメ。
うなじはまるで自分の唇みたいに、ヒナの口づけの感触を鮮明に脳へと伝えてきた。その情報を受け取った脳はあろうことか、決して許されない期待まで持ってしまう。
もしも今のキスが唇同士であったならば、どれだけ私は──。
『ねえ、カナデ。そろそろこっち見てよ』
うなじ、首筋、肩。ヒナの唇は何度も何度も暴挙を働いて、そのたびに私の口は声を上げそうになる。それでもかろうじて耐えられていたのは、多分顔を合わせていなかったからだろう。
私は…ヒナに見つめられるのが苦手だ。
だってヒナの顔はどうしようもなく整っていて、これまで他人に対して「きれい」だとか「可愛い」だとか考えたことがない私ですら、どんな人よりも美しいと評価せざるを得ないから。
そんな顔で見つめてきて、しかも優しい言葉までかけてくれるのだから、私の感情は知らないものをいくつも生み出す。
暖かくて、胸の中心から全身にかけてじんわりと浸透し、その熱が脳に届くと私の体は予想外の反応を示しそうになる。
あったかすぎて泣いてしまいそうになったり、思わずその手を握りそうになったり、今みたいに抱きしめそうになったり…どうにかなってしまう。
だから、この子を見るわけにはいかない。そう思って身を固くした…はずなのに、ヒナに肩を掴まれたら何の抵抗もできなくて、くるりとその顔と向き合う羽目になってしまった。
『可愛いよ、カナデ』
また、可愛いと言われてしまった。こんなにもかわいげのない女に対して、そんな見え透いたお世辞を。自分のほうが勝負にならないほど可愛いくせに、そんなの。
お世辞だってわかっているのに私の顔は微笑んでいて、また泣いてしまいそうになる。ヒナと出会う前の一切温度がなかった心は彼女の言葉だけで容易に日向へと変わり、それは本来なら嬉しいことなのに、なんで私は泣きそうになるの。
泣くということは弱いこと、だから私は泣きたくないのに。でも、ヒナに泣かされるのは…悔しくない。
ああ、そうか…嬉しいときでも泣くことがある、それもこの子に教えてもらったのだった。
『カナデ…』
とみに甘ったるい声を出したヒナは目を閉じ、私の肩を掴んだまま顔を近づけてくる。その行動が意味すること、それはさすがにわかる。経験がないけど。
私とヒナは、もしかしたら、迷惑かもしれないけれど…そろそろ友達と言ってもいいくらいには仲良くなれたのかもしれない。だから手を握られるくらいなら普通だろうし、ハグも、まあ、友達の範疇に入れてもいい。
でも、『それ』は。多分、友達ではいられなくなる行為。
今では唯一友達と呼べそうなこの子との関係を手放す行為であって、それは私にとって恐ろしさを伴う判断のはずだった。
けれど、私も目を閉じて。顔を逸らすことなく、近づいてくるヒナの温度と匂いを待つ。
たとえヒナと友達ではいられなくなったとしても、それを拒絶する理由なんてなかった──。
*
「カナデ、大丈夫? 今日は学校あるけど、休む?」
「……大丈夫よ」
あれは夢。そう、夢だった。それは理解していたはずなのに。
ヒナと『重なる』直前に私はベッドの上で目を覚まし、たまらず悲鳴を上げてしまった。すると下で眠っていたヒナも飛び起きて「どうしたのカナデ!?」なんて声をかけてきて、枕に顔を埋めて悶絶する私は保健室に担ぎ込まれそうになったのだ。
なんとかそれを押しとどめて深呼吸を繰り返し、今はお互いが制服に着替えている。姿見で確認した自分の顔は大変げっそりとしており、あの夢での穏やかに見えたやりとりは相当に私を消耗させていた。
「…カナデ、無理はしないで。あなたはこういうの我慢しそうだけど、それで怪我でもしたらって思うと心配になるよ。その、気持ちの問題っていうのなら話くらいなら聞くけど」
「……ねえ」
話せるわけないでしょ、あんなこと。
この子と出会った直後の私であれば、すげなくそんな返事をしていた。そして突き放されたヒナは心配しつつも一歩引いた場所から見守ってくれるようになって、本当に私に何かあれば有無を言わさず助けてくれるのだろう。
それをわかっている、わからされた私は…ヒナ相手だと、強がれない機会が増えた。弱い自分を見せることでこの子にどう思われるのか、そんな心配はもう消えた。
だって、ヒナは。一度も私を馬鹿にしなかったのだから。
だから、こんな質問もできてしまった。
「……アンタ、き、キス……したこと、あるの?」
「…へ?」
なんでこんな質問をしたんだろう、自分でもそう思う。というよりも、悩み相談をするならもうちょっと言うべきことがあるだろう。
でも、あの夢を見た私が一番聞きたかったこと…それは、ヒナの『経験の有無』だった。
どちらであっても私には関係ない、それはそうなのだけど。それでも、私の望んでいるほうの答えだったのなら…多分、少しは元気になってやっても…いい。
「…えっと、セクハラって同性相手でも成立するって聞いたんだけど」
「セク…ち、違うわよ! こ、これは、そういう意図があったわけじゃなくて…!」
「ごめんごめん、冗談だから…まあ質問の意図はさっぱりだけど」
そうか、同性相手でもセクハラは成立するのね…と一瞬だけ頷きそうになって、慌てて否定する。もっとも、そういう意図があったと思われても仕方のない質問であって、一瞬だけ「アンタが夢の中で変なことをしてきたからでしょ!」と逆ギレしそうになった。
…今日の私、いつも以上に最低ね…。
そんな自己嫌悪によって心を曇らせ、せっかくの朝日を台無しにしていたときだった。
「私、そういうのはしたことないよ。というか誰かと付き合ったこともないし…あ、妹とおままごとでしたことはあったような…」
「……そう」
ヒナはキスをしたことがない。そもそも誰かと付き合ったことすらない。つまり、この子はきれいなままだった。
その勉強にも任務にも役立たないであろう情報を、私は自分の記憶の奥底に刻み込む。たとえ魔法少女としての記憶が失われたとしても消えないように、強く、強く、普段使っているナイフで書き込むように刻んだ。
…別に、私には関係のないことだ。ただ、まあ。
どちらかといえば、ほんのわずかに、望んだ答えかもしれなかった。
「…カナデ、嬉しいの? なんか急に表情が明るくなったけど」
「そ、そんなことないしっ。ま、まあ、アンタみたいに顔がめちゃくちゃいい子が意外だなとは思ったけど、それだけよっ」
「いや、私は別に美人とかじゃないし…でも、全然モテなかったことを喜ばれるのって微妙な気分になるな…」
間抜けな私はやっぱり少しだけ顔に出てしまったようで、改めて今日の自分はいろんなものがダダ漏れなのだと反省する。
同時に、私の意図なんて知っちゃこっちゃないヒナの落ち込むほどではないにしても微妙そうな表情に、今度こそ目覚めを迎えた気がした。
「…でも、私は…そんなアンタ、嫌いじゃないけどね」
「へ? どういう意味?」
「なんでもないわよ」
ヒナがきれいなままであること、それが私にどんなメリットを与えるのかはわからない。
それでも精神衛生上の観点からはそれに越したことがない気がして、私はんべっと舌を出してから小さく微笑んだ。ヒナはずっと首をかしげていたけれど、部屋を出る直前には「カナデが元気になれたならよかったよ」と言ってくれた。
…こいつはこういうことを当たり前に言うからこそ、私にあんな夢を見せたのかもしれなかった。