武闘派の拠点、アヤカの部屋。古めかしい平屋の一室が彼女の居場所であり、任務がないときはここで読書をするのが密かな楽しみであった。
(…本はいい。私を知らない世界に連れて行ってくれる。こんなクソみたいな世界を忘れさせてくれて、素敵なものを見せてくれるから…)
魔法少女システムへの復讐を夢見るアヤカの部屋は殺風景で、最低限の寝具にちゃぶ台、そして座椅子という元々あったもの以外に追加された私物はほとんどない。
そんな中、集落にあった棚を寄せ集めてDIYした本棚は強い存在感を放っており、色違いの木材が混ざり合いながら様々なジャンルの本を収納している姿は、ちぐはぐながらもセンスの良さすら放っていた。
(…ふう、面白かった。私は『そういうの』じゃないけど、百合小説も悪くはない…次は何を読もうかな)
アヤカは女子学園に通う姉妹──ただし学園内でのみの特殊な関係だ──の物語を読み切り、その余韻を味わいつつ本棚に戻す。そしてそのまま指先を本棚の背表紙へ走らせ、次に読むべき本の品定めをする。
(…次は、これでいいかな)
つつっと移動していた指は『私たちの食事を豊かにするカビの力』という本の前で止まり、それをすっと棚から引き出す。その両隣には『マルシャとベル-二人ぼっちの冒険記-』と『The Never-Ending Waltz』という本があり、ジャンルはバラバラでほとんど無造作に収納されていることがわかった。
武闘派はその立場上、あらゆる物資調達に制限がある。とくに本のような生きるために必須ではない娯楽であれば、その入手機会や方法も限られていたのだ。
アヤカの本も廃棄されていたものを調達してきただけであり、自分で選べたわけではない。一方、彼女は本であればどんなものにも興味が持てたことから、無造作に入手してきただけの書籍でも十分楽しめた。
(…ふふ。今日はやることもないから、一日中本を読もう…そして、読書ノートをもっと充実させて)
「おーい、アヤカー! 一緒に買い物行こうぜー!」
新しい本を手に取って座椅子に座り、さてこの本はどんな学びを与えてくれるのだろうか…と思っていたとき。
いつもこちらの都合なんてお構いなしの声が、ノックもせずに部屋へと乱入してきた。それに対してアヤカは露骨に舌打ちをし、本から視線を外してじろりと睨む。
無論、睨まれた相手…ルミはにっこりと笑い飛ばすだけだった。
「…行かない。今、忙しい」
「ええー、本を読むだけだろ? じゃあ買い物が終わってからでいいじゃん」
「…よくない。今日中にもっと読みたいし、私は今手持ちがないから出る意味がない。あと、勝手に出ると先生にまた怒られる」
武闘派は非合法な存在であり、安易に外に出ることは言うまでもなく好ましくない。その一方、年頃の少女の集まりである以上、この集落のみが世界のすべてというのはあまりにも窮屈だ。
よってその機会はシビアに管理されているものの外出が完全にできないわけではなく、事前に許可を得ることで外には出られた。ただし、魔法少女学園のように安定した報酬が支給されているわけでもないため、できることは限られていたが。
「へへへ、先生にはもう許可をもらってる。しかもついでに届け物をすればお小遣いももらえるから、それで好きなものを買ってきてもいいって言われたんだ!」
「…ちっ…じゃあ、古本屋に寄って。なら付き合う…」
「決まりだな! んじゃ、私服に着替えて変装しろよー?」
「ん…」
ルミとアヤカの『先生』はここにいる魔法少女たちの責任者で、そのOKが出たのであれば問題はクリアされている。何より…アヤカは自分が気遣われたことを察して、露骨に不快感をあらわにした。
ルミは、もちろんそんな様子にも笑っていた。
(…どうせ『こもりっぱなしもよくないからお前はもっと任務以外で外に出ろ』とでも思ってるんだろうな…余計なお世話)
アヤカにとって、ルミと先生は苦手な存在でしかなかった。
勝手に自分の命を救って、勝手にここへ連れてきて、勝手に仲間にして…勝手に気を使ってくる。
(…私は自分勝手な人間だ。だから、そんな気遣いをする価値なんてないのに…)
アヤカの戦い、それはすべて自分の都合でしかなかった。なのに、ここにいる連中はそんな自分を許容している。
こんな日々の中では、自分の胸の奥に生ぬるい、知りたくなかった感情が生まれてしまいそうで。
アヤカは渋々立ち上がってカラーボックスを漁り、言われたとおり乏しい私服の中から変装用の衣類を見繕っていた。
*
ルミとアヤカに託された届け物、それは『密かに武闘派へ協力する相手への返礼や連絡事項』であった。言うなれば二人は密使とも言える仕事を任された形であって、アヤカはせっかくの休日をいいように利用されたようにも感じ、届け物も残り一つとなるまで終始不機嫌だった。
「ほらほら、そんな顔すんなよ。せっかく古本屋にも寄って、好きな本を買えたってのに」
「…うるさい。ルミが隣でうろうろするせいで、ゆっくり選べなかった…」
「あたし、本屋の雰囲気って苦手なんだよなー。文字に囲まれると緊張しない?」
「…この脳筋…」
赤と緑のボーダーカラーのパーカーとカーキ色のハーフパンツを着たルミはアヤカの機嫌なんて考慮せず、お出かけ開始直後から話しかけ続けていた。無論アヤカはそれを迷惑がる様子を前面に押し出していたものの、望んだ結果になるはずもなく。
このお出かけ唯一の楽しみであった古本屋での本選びですら邪魔されたと感じ、気に入った本をいくつか購入できたものの、やはり来るんじゃなかったという気持ちが膨れ上がっていた。
ちなみにアヤカはメガネとマスクを装備し、白のTシャツに紺色のオーバーオールを着ていた。
(…なんで私、ルミと行動してるの? おかしい…)
瀕死のアヤカを拾ったのはルミであったものの、その後も行動を共にしたいと願ったことはなく、気づいたら自然と組まされているような格好になっていた。
魔法少女どもに復讐できるのなら何でもいい、そうは思っていたものの…アヤカにとってのルミは、あまりにも無遠慮であった。
(…私は自分勝手。コミュ障だし、態度も悪いし、命令違反をしたこともある…なんでルミは、私に近づいてくる…?)
アヤカは自分が嫌いだった。ただし、それ以上に周囲が嫌いだった。
そんな自分が身勝手であることを自覚しているのに、変わることを望めない。ただ望むのは周囲の破壊であり、その先に何もないことを理解していても立ち止まりたくなかった。
自分の行く先には、ルミがいない。でもルミは踏み込んできて、私の行き先を勝手に変えようとしている。
…気に食わない。
「…なんで私と一緒にいるの?」
「へ? なんでって、そりゃあ…仲間だからじゃないのか?」
「…私は、そうは思っていない。成り行きで武闘派にいるけど、それだけ…生きてるから、戦うだけ。ルミのためでも、先生のためでもない。なのに、なんで」
自分にすら見放されている私にいつまでもつきまとう、ルミが気に食わない。
だから私なんて放っておいて、さっさと行きたいところへ行けばいい…そう思っていた。
「? あたしだってお前のために戦ってるわけじゃないぞ? あたしにはあたしのやりたいことがあって、アヤカにはアヤカの戦う理由がある。んで、お互い同じ場所にいるから一緒に戦う、それじゃあダメなのか?」
「…理解不能。じゃあ、なんで…戦いのときも、一緒にいる?」
「え、一緒にいるのもダメなのか? あたし、アヤカのこと結構気に入ってるんだけど」
「……え」
理解不能、理解不能、理解…不能…。
気に入られる要素、どこにあった?
私は、ずっとこんなので。嫌われはしても好かれることなんて、あり得ないのに。
あり得ないってことは嘘をついているってことで、それはもっとルミを嫌いになる原因なのに。
…なんで私は、ルミが本当のことを言ってるって、それが嬉し…もとい、悪くないって、思ってる?
…この顔の熱は、なんだ。
「アヤカってさぁ、なんつーか…おとなしいわりにけんかっ早いし文句ばっかり言うんだけど、その分だけ自分に正直なんだよな。あたし、そういう生き方って好きなんだよね…あたしがそうありたいって思ってるからな」
「…私、ルミと同じ…?」
アヤカにとってのルミはまっすぐすぎて、曲がりくねった迷路に自ら引きこもる自分とは一生相容れないと思っていた。
けれど、ルミはそんな迷路でも道順を無視し、強引に突破して自分に手を伸ばしてくる。
それは、面倒な人間の証拠だ。そんな人間と同じだなんて、腹立たしいはずなのに。
どうして私の胸のあたりは、使い捨てカイロみたいな熱を訴えているんだろう。
「それと、ヒナも結構気に入っているぞ! あいつ、物わかりがよさそうに見えて頑固で、自分を全然曲げないからな…ああいうタイプに正面からぶつかって、その上で勝って、あたしの方が強いって認めさせるのがサイコーに気持ちいいんだ!」
すんっ、アヤカの中の使い捨てカイロはそんな音とともに熱を失った。
(…わかってた。ルミは、こういう奴だ…)
どんな相手とも正面からぶつかって、全力で戦って、その上で認め合うことを求めていた。
そんな人間にとっては自分もライバルの一人みたいなもので、アヤカはそんなルミの性格を把握していたはずだった。
ただ、今日だけは。敵の魔法少女の名前を楽しげに口にするルミが、とことんまで…気に入らない。
元々あいつ…ヒナは気に食わない奴だと思っていたものの、この日アヤカの中で明確な敵認定が為された。
「…ヒナは私の敵。だから…次に会ったときは、絶対にボコボコにする。それで、二度とル…私たちに近づかなくなるように、たっぷり後悔させてやる…」
「おお、やる気だな! でも、あいつはあたしの獲物だかんな? 決着は絶対にこの手でつけてやるんだ!」
「…違う、あいつは私が倒す…じゃないと、気が済まなくなった…」
気づいたらアヤカはまた物騒な笑みを口元に浮かべ、それを見たルミも楽しそうに応じていた。
まもなく郊外のコンビニ、日本でも5件ほどしかないようなマイナーな店…届け物を待つ協力者がいる場所へと到着する。
しかしルミもアヤカもそんなことは意識せず、ずっと『ヒナを倒すのはどっちか』という会話に終始していた。