「姉様! アイスティーをお持ちしました!」
「ありがとう、マナミ」
学生寮、それは魔法少女たちにとって数少ない憩いの場である。
魔法少女たちは学園側から高度に管理されているものの、そうであっても最低限のプライバシーは──センチネルに関しては──確保されており、中でも学生寮は監視の目が極端に緩い場所として知られていた。
学園側からマークされるようなことがなければ基本的に自由に過ごせる上、持ち物検査を通過できれば私物も持ち込める。よって学生寮はそこで暮らす少女たちのパーソナルな一面が出やすく、それは現体制派の魔法少女…ハルカとマナミも同じであった。
「ふう、冷たいお茶は心身が引き締まるようですわね…」
「本当ですね。私も熱いものよりも冷たいものが好きです」
ハルカとマナミの部屋は現体制派らしく無駄が少ない…ものの、お互いのベッドの上には毛糸で作られた編みぐるみがいくつか置かれており、クローゼットの中にも手編みのマフラーや帽子が収納されていた。
それらを作っているのはハルカであり、現在も彼女はクッションに腰を下ろしつつ、白い毛糸を使って新しい編みぐるみを作っていた。
その合間にマナミが入れたお茶を一口含み、清涼感のある味わいに吐息を漏らす。このときの様子は普段の厳しい面持ちからかけ離れ、穏やかな『姉』そのものに見えた。
「姉様が編むぬいぐるみや服、とても丁寧で可愛らしいです。次の冬になったらマフラーを巻いて、一緒にケーキを食べに行きましょうね!」
「わたくしたちの制服は全気候型ですから、防寒具はなくとも大丈夫でしょうが…首元は冷えますからね。風邪を引かぬよう気をつけるのですよ」
「はい!」
魔法少女たちが着用している制服は戦闘にも対応する優れもの…というだけでなく、魔力という不可思議なテクノロジーをしっかり盛り込み、結果として着用者を気候の変化からも守る優れものとなっていた。
一方でハルカが口にしたように露出している部分まで守るとはいかず、そうした部位に関してはローテクノロジーに頼ることになる。よって彼女が編んだ何の変哲もない毛糸のマフラーは、魔法が裏側から支える世界においても有用であった。
「姉様、本当に編み物が好きですね」
「ええ、編み物は落ち着くのに最適なんです。編んだものは日常生活で役に立ちますし、無駄のない趣味だと思っています」
現体制派でも有数の功績を挙げるハルカについて深く知る人間は、決して多くない。よって彼女にこうした一般的な趣味があることも多くの人間は知らず、同時に恐れ近づくこともなかった。
それはハルカにとっては当然のことで、そんな人生が今後も続いていくと信じていたのだ…この遊んで欲しそうに眺めてくる子犬のような相棒ができるまでは、だが。
「マナミ、あなたもせっかくの休日なのですから好きなことをなさいな。わたくしの編み物をする姿ばかり見ていてはつまらないでしょう?」
「とんでもないです! 姉様が編み物をしている姿、いくらでも眺めていたくなります!」
「…変な子。ふふっ」
ハルカとマナミは、いつも一緒だった。
組み始めてからというもののマナミはハルカを姉と慕い、ハルカもまたこの妹分を拒絶することはなかった。
それは仕事の場において顕著であるものの、その他の場面においても…こうした休日という自由な時間においてもそれは変わらない。
今もハルカが編み物を続ける様子をじいっと見ていて、その言葉通り飽きてどこかへ行く様子もない。ハルカは決してじろじろ見られるのが好きではないものの、普段の様子からはかけ離れている無邪気な少女そのものの視線を向けられては、どうしてもいやな気分にはなれなかった。
「ねえ、マナミ。今のわたくしの姿、どんなふうに見えますの?」
「はい! とても美しく、そして優しく見えます!」
「…優しく、ですか」
編み物をしている自分の姿、それを鏡に映してまで確認するほどハルカはナルシストではなかった。そもそも自分がどんな様子なのか、それを気にすることすらない。
しかしマナミがこうも飽きずに眺め続けている以上、もしかしたら何らかの力でもあるのだろうか…そんな自分らしくない疑問を、とくに考えず聞いていた。
するとマナミは思考する時間を感じさせないほど即答し、ハルカは思わず編み物の手を止めて面食らいそうになる。
(…優しい、か。なんともわたくしには似合わない言葉…)
ハルカは常に両親からこう教わってきた。
『大衆はあまりにも愚かだ。だからこそ力のある我々が正しくあり、そして導かねばならん』
ハルカはこの考え方に対して傲慢さを意識できる程度の良識はある一方、否定できるほど間違っているとも思えないくらい賢い少女だった。
愚かだからこそ自由と無秩序をはき違え、義務を果たさず権利を主張する人間のなんとも多いことか。幼くしてそれに気づいてしまったハルカは自分が優しさとは無縁だと思い込み、それでも大衆を導く存在になろうとした。
そのための力が自分にはある、そして優しさなんていうのは目的の邪魔にしかならない…そう思っていたのに。
「…あなたはわたくしのこと、優しいとお思いなのですか?」
「当然です! 姉様ほど公平で誠実で、強く優しい人間を私は知りません! 姉様は…私に舞い降りた天の御使いそのものなんです」
この子はわたくしを慕っている。だからこそ、聞き心地のいい言葉でわたくしを褒めてくれるのだろう。
そうは予想していたハルカであったが…まさか天の御使いとまで言われるとは思ってもおらず、しかもそう話すマナミは神に祈るシスターのように両手を組んで輝く瞳を向けてくるものだから、ハルカは千里眼を使うまでもなく彼女が心の底からそう言っていると理解して。
「…もうっ。マナミ、あなたがわたくしを尊敬しているのは知っていましたが…それは盲信というものです。盲目的に他人を信じると、いつかは足下をすくわれますわよ?」
「姉様は他人ではありません! だって私の『姉様』なのですから! 姉様が信じられないというのなら、私に信じられるものはなくなってしまいます!」
「それを盲目というのですよ…まったく。ふふっ」
ハルカは笑った。失笑から苦笑へ、やがて微笑みへ。
そして笑顔は自然と声を漏らさせ、自分もこんなふうに笑えるのだと再確認した。
(…そう。せめてこの子の前では、少しでも優しいハルカであらねば)
わたくしは優しくなんてない、その必要もない。
それでも目の前の決して嘘をつかない少女がそう言ってくれるのなら、せめてこの自室…狭い世界の中でだけ、そうあってもいいだろう。
ハルカは目の前の少女の『姉』として、自分らしく振る舞おうと決意した。
「…ところでマナミ、このアイスティーの氷…あなたの魔法で作ったものではありませんか?」
「うっ!?…そ、それは…」
「やっぱり…氷のストックが切れているはずなのでおかしいと思ったのです。必要なとき以外はなるべく魔法を使わないと教えたの、忘れたとは言わせませんわよ?」
「う、うぅ…だって、少しでも早く姉様にお茶を…」
姉であればきちんと叱らないといけない、ハルカはそう考えて気になっていたことを指摘する。本当なら怒るほどのことではないにしても、大切なことだと信じてじとりと責めるような目を向けた。
ケープなしで魔法を使うのは負担が大きく、こんな些細な用途でも疲れる可能性がある。あの女狐…カオルは涼しい顔をしてそれを隠しているものの、この姉思いな妹分にも同じことはして欲しくなかった。
マナミはハルカの怒気を含まない視線にすらしゅんと落ち込んで、その言い訳は吐息に押し殺されそうなほど小さくしぼむ。
「…仕方のない妹です。後で一緒に氷を取りに行って、そのついでにお菓子でも買ってきましょう。せっかくですし、あなたもなにか暇つぶしになるものを入手してはどうですか?」
「本当ですか姉様! 是非ご一緒します!…それと、私も毛糸と編み棒が欲しいです。今度は私が姉様にマフラーを編みたいですから!」
「あら、そういうのは黙っておいたほうが相手を喜ばせられますのに…本当に、仕方のない子」
この落ち着きの足りない子が編み物をできるのだろうか?
いいや、だからこそ編み物をさせれば落ち着くかもしれない…そんなことを考えたハルカの顔は、ここ最近で一番穏やかだった。