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02-ハンドクリームに感謝を載せて

 魔法によるテクノロジーの最先端を行く魔法少女学園だけれど、家事については意外とローテクなところもある。

「カナデ、窓拭き終わったよ」

「ええ、お疲れ。こっちもあと少しでお風呂掃除が終わるわ」

 魔法少女である私たちだけど、それでも人間の範疇から完全に逸脱しているわけじゃない。だからこそ普通に生きているだけでいろいろと汚してしまうわけで、日々の掃除は欠かせないものだった。

 床材や壁材はかなり汚れにくいものを使っている一方、完全に汚れとは無縁というわけじゃない。ましてや私の同居人であるカナデはきれい好きということもあって、休日はほぼ確実に掃除をしていた。

 対する私はもうちょっとのんびり休みたい…けれど、汚いのが好きというわけもなく、むしろ尻を叩いてくれるカナデの存在はありがたいと言えるかもしれない。

 この日も部屋の拭き掃除やお風呂掃除といった雑務をこなしていて、幸いなことに昼食までかかることはなさそうだった。

(一人のときもこまめに掃除していたつもりだけど、どれくらい時間をかけていたっけ?)

 窓拭きに使った掃除用具を片しつつ、カナデが来る以前の一人暮らしを思い出す。寮長が定期的に巡回するから散らかすことはなかったにせよ、掃除に割く時間はさほどでもなかった気がする。二人でやればもっと早く終わると思いきや、明らかに家事全般に割く時間は増えていた。

 それは自由時間の減少を意味していて、なかなかに苦痛…ではない。そもそも魔法少女になってからの私は学業と任務をつつがなくこなすことを優先していたから、自由時間はゴロゴロすることが多かったような気もする。そう考えると、家事に打ち込むほうが有意義であるように思えた。

(…うん、まあ。カナデには感謝してもいい、かな?)

 掃除用具を洗面所に戻すついでに風呂掃除を行うカナデを見る。その横顔は真剣でありながら、どこかのびのびとしたリラックスも感じさせる。ちょっと目つきは鋭いかもだけど、年齢相応の幼さもきちんと残っていて、同時に…普通に美人だと表現できる程度には整っている気がした。

 もうちょっと成長するときれいになりそうだけど、今は可愛いといった表現がしっくりくるくらいには愛らしさが強い。時折独り言で「そろそろスポンジも交換かしら…」なんてつぶやく様子は少し残念そうで、もったいないと考えているのが一目でわかった。カナデ、実家でも無駄遣いとかしていなかったんだろうなぁ。

 私も贅沢をしていたわけじゃないけれど、カナデほど節制をしていたかと聞かれたら自信がない。いや、その様子を見てきたわけじゃないけれど…これで無駄遣いをしていたとしたら、いわゆる『解釈違い』として無意味に不服になりそうだった。

「…なによ? 心配しなくても、もうすぐ終わるわよ」

「あ、いや…ごめん、ちょっと考え事してただけ。お昼までに時間があるし、お茶でも用意しておくよ」

「…ん。あ、ありがとう」

 私はあまり他人に対して関心が強いほうじゃない…というか確実に無関心に分類されるタイプだけど、長時間一緒にいる同居人に対してはやっぱり思うところがあるというか、意識して考える時間も長い気がする。

 そんな意識に引っ張られるようにカナデを見ていたら、チラリと目線を向けてきた彼女と視線が交差した。不愉快そうではないけれど、もちろん嬉しそうでもない。少しだけ頬が赤いようにも見えるけど、掃除で疲れてしまったのだろう。

 なのでお茶でも用意しようと申し出たら、無意味な反発はせずに受け入れてもらえた。それどころかお礼──かなり言いづらそうだけど──も伝えられて、面食らう前に浴室を出た。

 …カナデ、ああいう気持ちを伝えるのが下手に見えるけど。私と一緒に暮らすようになってから、少しだけ素直になったのかな?

 それが嬉しいことかどうかはさておき、私は掃除による疲れを感じない程度には軽やかな気持ちでお茶を入れておく。なんだかんだで使う機会が増えたローテーブルとクッションは、わずかに使用感が主張し始めていた。

「終わったわよ」

「うん、お疲れ」

 掃除を終えたカナデはとことこと歩いてきて、私の向かい側に腰を下ろす。顔は笑っていないけど余計な力を感じさせなくて、いつかは笑顔も見られるようになるのかな?なんてさほど大きくない期待をしつつ、今度はじろじろ見ないためにローテーブルへ視線を移動させた。

 テーブルの上には私とカナデのコップが載っていて、いつも通りのお茶で満たされている。それに対してカナデも手を伸ばし、私はなんとなしにその手を見ていた。

「カナデ、少し手が痛んでない?」

「え? 別に、そうでもないけど」

 視界に収まるカナデの手は、ほんの少しだけ痛みが目立っていた。といってもボロボロになっているほどではなくて、私に比べると乾燥が目立つような…つまり、水仕事に精を出している人の手に見えたのだ。

 そういえば…カナデ、水に濡れる掃除は自分が優先的にやっていたような気がする。今日だってお風呂掃除については自分から率先していて、「私がやるほうがきれいになるから」なんて言ってたっけ。

 …私の考えが正しければ、だけど。カナデって、想像以上に不器用で、それでも優しい人なのかもしれない。

「…まだ昼食まで時間はあるし、私が手の手入れをしようか? ハンドクリームもあるし」

「べっ、別にいいわよ。痛いわけじゃないし、自分でできるから…」

 まあカナデならそう言うよね、うん。至極当たり前の結論を前にして、私は早くも納得しかける。

 というか、手の手入れを他人に任せるというケースのほうが割と珍しいというか、特殊な気もする。妹にはそういうことも普通にしてきたけれど、家族でもない同居人に対してやるにはやや過剰なスキンシップじゃないか、そう思うくらいの距離感はあった。

「まあまあ、今日はお試しってことで。カナデには何度も怪我を治してもらったし、そのお礼だと思って」

「あっ、ちょっと…」

 カナデの固有能力は自然治癒能力も加速させることができて、それを使って私の怪我をちょくちょく治してくれていた。大怪我をすれば医務室に行くべきだけど、幸いなことにそこまでのダメージは負っていなくて、カナデも学園の施設というだけであまりいい印象は持っていないのか、頼りたがる様子もない。

 なのでカナデは私にとっての衛生兵みたいにもなっていて、それに対する感謝はあった。同時に私ばかり治してもらったことに対する負い目…というほどじゃないにしても、恩返しをしたいという気持ちくらい持っている。

 そう、これは助け合いだ。それなら手に触るくらいは普通で、カナデも変には思わないだろう。だけど彼女が素直に受け取るようなタイプではないと知っているため、私は返事を待たずにハンドクリームを取りに行く。本気で嫌がるようならやめるけど、カナデは怒鳴ることも逃げることもしなかった。

「お待たせ、じゃあ片手を出して」

「…ほ、本当にするの? 別に、クリームだけ渡してもらえれば」

「まあそれでもいいけど…カナデ、自分の体のことは適当にしそうだから。私がしたほうが安心できるというか」

「よ、余計なお世話よ…でも、アンタって言い出したら聞かないところがありそうだし、きょ、今日だけは…任せてあげても、いいけど」

「承りました、お嬢様。では、左手から整えさせていただきます」

「なによそのノリ…んっ」

 さて、クリームをすくったらいよいよカナデの手をきれいにする…のだけど、その手を取ってみたらなぜかほんのりと羞恥心が刺激され、つい茶化すように恭しく接してしまう。

 もちろんカナデはそれを冷ややかに見ていた…けど、私がクリームを塗りつけた瞬間にはくすぐったそうな声を出して、次の瞬間には「い、今のは違うから!」と顔を真っ赤にして声をあげた。なにが違うというのか。

 けれども私以上に恥じらっていると思わしきカナデを見ていると、少しだけ落ち着けたのも事実だ。羞恥心の転嫁をするように私はすいすいっと手入れを始め、カナデはブツブツと恨み言をつぶやきつつも逃げなかった。

「…言っておくけど、見返りは期待しないでよ。私、別にお願いしたわけじゃないから」

「え…私、見返りを求めているように見えたの? 微妙に心外なんだけど」

「…そうね、アンタってお人好しだもの。今の発言は撤回するわ」

「ついでに謝罪は」

「しない」

「ですよね…ははっ」

 言うまでもなく、私は見返りなんて求めていなかった。そもそもこんな場所にいたら見返りを渡せるほどの物資調達もなかなかに難しくて、同じ魔法少女なら最初からそういうのはわかってくれていると思ったのだけど。

 けれども私のほんの少しだけ咎めるような声音はカナデに伝わったのか、小さく目を伏せて発言は撤回してくれた。でも謝罪がセットになっていないあたりが実にカナデらしくて、私はつい笑ってしまう。

「なによ、ニヤニヤして…そんなに楽しいの?」

「んー…楽しいっていうか、なんていうか。こういう時間も悪くないなって思っただけ。ほら、私ってお姉ちゃんだし。普段はカナデにお世話されている感じだけど、こうしていると妹と接しているような気分になれるかも」

「ふーん…ま、いいけど。ほら、右手もするんでしょ? ならひと思いにやりなさい」

「言い方がなぁ…別にいいけど」

 そうだ、カナデとの時間は…家族とのひとときを思い出せる。

 世話を焼いて、焼かれて、そして些細なふれあいをする。その相手がこの扱いにくい少女というのは今さらながらに驚きだけど、それに突っ込むのは本当に今さらだ。

 そんなわけで言われるがまま、私はカナデの右手を取る。そしてクリームを塗ってみたところ、先ほどのようないい反応はなかった。微妙に残念…でもないか。

「…一応、感謝しておくわ。本当に一応。あくまでも一応よ。勘違いしないで」

「なんで三度も強調したの…わかってるって。カナデは口が悪いけど、そういうのは義理堅いってなんとなくわかるから」

「…そうやって私を見透かそうとするの、やめて。その、普段から見られているようで…少し、落ち着かないわ」

「ん? いや、実際にお互い見てるでしょ? 同じ部屋で暮らしていて、毎日顔を合わせて…そして戦っているんだから。あと、見透かすっていうのは大げさじゃない?」

「だ、だから、そういう意味じゃ…もういいわよ。終わったなら離して」

「ん、あとちょっと…」

 少しのあいだは無言でクリームを塗り込んでいたら、ふとカナデがうつむきつつ感謝の言葉を述べてきた…これ、感謝として受け取っていいのだろうか。

 でも、カナデはすぐにまた文句を…それもわけのわからないことを指摘してきて、これまた返答に困ってしまう。カナデを見るのなんて当たり前で、見透かすとかしているつもりもない。

 …カナデ、コミュニケーションが下手だな。そういう人、嫌いじゃないけど。

「はい、これで終わり。もしも触られるのが不快だったらごめん」

 そしてようやく手入れが終わり、私は言われたとおりカナデの手を離そうとした…けど。

「あっ…な、なんでもないっ!」

 離そうとした瞬間、離れそうになった刹那。

 カナデは私の手を自分から握ってきて、そこからは名残惜しさが伝わってきた気がした。

 え、なんで? カナデ、離せって言ったのに。

 でもそんな疑問をぶつける前に、カナデは自分からぱっと離して立ち上がる。そのまま足早に洗面所へ向かう後ろ姿はいつも通り…だけど、耳だけは真っ赤になっていた。

(…今になって恥ずかしくなったとか?)

 まるで国語のテストのようにカナデの気持ちを考えてみたけれど、思いつくのはそれくらいで。

 カナデはしばらく洗面所に立てこもり、私は一人でお茶をすすっていた。

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