「射ち方やめえええ——っ!!」
銃声が止んだ。
噎せ返るほどの硝煙が漂う中、樹海の奥の闇に目を凝らす。
あの竜がどこかに潜んだままこっちを見ているのではないかという気がして、拳銃の照準を樹海から離せないでいる。
去ったか……?
のどかな波の音が聞こえる。
俺はようやっと、拳銃を下ろした。
「……被害を報告せよ」
続々と無線が入る。
『第二小隊被害なし』
『車輌被害なし』
『パトロール隊被害確認中』
『けが人一名あり、肩に傷、止血済み、行動に支障なし』
俺は戦闘態勢を解除することを無線で伝えた。
俺は駆け寄って、
「怪我は?」
チトセは怯えたような眼を俺に向け、
「トカゲが、トカゲが銃を……」
チトセが手にしていた国防軍制式拳銃は、マガジンとスライドが分解された状態だった。
「これが?」
「分解したんです、トカゲが、あたしの眼の前で……」
「銃を取られたのか?」
「はい……」
チトセの声が震えている。
手のひらから9mm弾が一個落ちた。
分解されたときに薬室から飛び出したものだろうか。
「隊長、あのトカゲってなんなんですか? 普通じゃないです。なんか、なんなんですかこのミッションって、いったい……」
少し混乱しているようだった。
俺は落ちた弾丸を拾い、チトセの手からバラバラの銃を取り上げ、組み立てた。
スライドを引いて薬室が空になっていることを確認してから、グリップを彼女に向けた。
チトセは拳銃を受け取って、ホルスターに戻した。
「あの竜は俺たちで殺す」
「そのために島に来たんですか? トカゲのために? あれは? なんで?」
「大丈夫だから、心配いらないから」
抱きしめようとした俺の手を、チトセは払った。
「あのトカゲ、あたしの……あたしの……」
俺のことなんて視界に入っていないかのように、眼が泳いでいる。
「どうした?」
「名前を……」
「え?」
「あたしの名前知ってたんです……あのトカゲ……」
「名前か……」
「あたしの名前を呼んでた」
「聞き間違いじゃないのか」
「はっきり言ってました。あたしの名前を知られてる。なんでトカゲが? 隊長は知ってるんですか? どうしてですか? もしかして着ぐるみ? 中に人入ってたりします?」
南波チトセのこの取り乱しようは〝俺〟と遭遇したからだろうが、だとしたら厄介だ。
人間ほどの大きさのトカゲが日本語で話しかけてきたとき、いったいどう扱えばいいのだろう。
例えば交渉を持ちかけてきたとき。
あるいは降伏して投降してきたとき……。
竜の〝俺〟が隊員たちとコミュニケーションを取る前に——その前に
「隊長! トカゲの死体を回収しました!」
車輌隊が装甲車にロープを架け、トカゲの死体を牽引してきた。
でかい。
頭が〝ない〟のはヘリの機関砲でも食らったか。
かろうじて下顎だけ首根っこにくっついている。
こうして見るとやはり異世界の生物だ。
死体の周りに、隊員たちが集まってきた。
彼らはしばらく絶句していた。
「……」
「……」
「……こんなでかい爬虫類、いるんですね……」
誰かが口を開くと、堰を切ったように、
「トカゲってよりワニっぽくないですか」
「ワニでこのくらいのいるの映像では見たけど、こいつ、二足歩行だったですよね」
「尻尾長っ」
「手足も長くない?」
「長いってかでかい、バランスがおかしい」
口々に感想を述べ始めた。
ここに来る前に全員にレクチャーを済ませていた。
島には大型のトカゲが存在する可能性があり、遭遇した場合は駆除しなければならないことを伝えてあった。
しかし画像があったわけでもなく、各自勝手に想像を膨らませていたに違いない。
いざ本物を眼の前にすると思うところもあるのだろう。
「でも……これって恐竜ですよね? てことは、絶滅危惧種の可能性が……」
鈴木の、質問とも呟きともとれるような、微妙な言い方だった。
「違う。島の現住生物の一種で、ただのでかいトカゲだ」
「しかし隊長、もし恐竜だとしたら」
「ただのトカゲだ」
「勝手に殺しちゃっていいんですか……?」
これを恐れていた。
遭遇した生き物に新種の可能性を考慮しなければいけなくなった場合だ。
我々には、希少生物、新種、自然は、保護すべき対象であるという教育が行き届きすぎている。
これが上に伝わって『殺すな捕獲しろ』の流れになるとまずい。
「我々の任務は、調査隊を守ることだ。調査隊に危険を及ぼす可能性のあるものは全力でこれを駆除する」
「さすがに司令部に報告すべきです。状況が、我々の判断の範囲を越えてると思います」
鈴木も食い下がった。
「我々は自然保護団体ではない。国民を守ることを最優先とする、軍隊だ。国民を脅かす脅威は排除する。引き続き警戒を怠るな。後ほど報告書作成のため聞き取りを行うので、各自待機。以上。分かれ!」
隊員たちはそれ以上とどまることもなく、それぞれの持ち場へ戻っていった。
鈴木は納得がいかないといった様子で、一度首をかしげてから踵を返した。
眼で追うと、少し離れたところに立っていた南波チトセと言葉を交わし、二人で場を去った。
「死体は調査隊に送ってやってくれ」
俺は装甲車の隊員に指示し、自分の天幕に戻ろうとしたところで、無線が鳴った。
『指揮所より山本隊長へ』
「はい山本どうぞ」
『調査隊の御田寺さんより連絡、至急状況を報告されたしとのことです』
御田寺モエミ、か。
まさか彼女が18歳で国防軍に入隊して2年目の今年、調査隊のオブザーバーとして桜田リノンと一緒になって島に、しかも俺より先に上陸していたなんて。
「了解した。これから状況を各小隊と付き合わせる。御田寺さんに、テントに来てもらってくれ」
島に来て最初に調査隊へ挨拶に出向いたときの、モエミの勝ち誇ったような笑顔が眼に焼き付いて離れなかった。