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第50話

 次第に、眼が慣れてきた。

 歩いているうち、前を往くトカゲたちの姿と周囲のトンネルの様子が薄ぼんやりと見えてきた。

 壁面や天井に張り巡らされた樹の根に、光を放つ苔がまとわりついている。

 寄生する植物から水分をもらい、光る胞子を実らせる天然の照明だった。

 その、ごくごくわずかな光を頼りに、周りを観察した。

 トンネルは、四角いブロック状の石を積み上げて造られている、どう見ても人工のもの。

 眼を凝らすと、ところどころに模様が彫ってある。

 描かれていたのは、前前世の俺が見たことのある意匠だ。

 これはやはり……。


 ——この地下通路ダンジョンは異世界の、しかも人間のためのものなんだ……。


「このトンネルの先に、キイラがいるのか?」

「ええ、まだもう少し先になりますが」


 罠じゃないか? と警戒したが、トカゲはなんの他意もない様子で、先を急いでいる。

 トカゲたちもキイラと一緒に皆殺しにするつもりだったが、彼らによって命を助けられた今となっては、その決意も挫けた。

 しかしトカゲたちはともかく、キイラだけはなんとしても見つけ出し、殺さなければならない——。


「あ、ボス?」


 さしかかったT字路の横から、不意に気の抜けたトカゲの声がした。


「いかがですか、捕れたてのネズミですよ、どうぞお召し上がりください」


 彼の手にはまだ生き生きと動いている新鮮なネズミ。


「俺のことさっきからボスって呼ぶけど、ボスってキイラじゃないの?」

「いいえ、あなたがボスですよ」

「なった覚えがないが」

「とにかく、ボスなんですよ」


 状況をよく飲み込めないまま、さらに前進すると通路が突然終わった。


「奥に、姐さんがいらっしゃいます」


 トカゲが示した先は、ただの壁に見えた。

 よく見れば、細い樹の根が天井からカーテンのように降りているのだ。

 そのカーテンをくぐった奥に、キイラの寝室はあった。

 中には光る苔がびっしりと植えられている。

 光はキイラの滑らかな鱗を、虹色に浮かび上がらせた。

 彼女は柔らかい苔の上に身体を横たえていた。

 キイラ。

 すまない。

 レッドドラゴンをこの世に生み出すのを防ぐためだ、人間の未来のために死んでくれ……。

 キイラは俺に気づくと、気だるそうに顔を上げた。


「アキヲ?」

「探したよ、キイラ……」

「見ない間に、ずいぶんと立派なドラゴンになったじゃないの」

「はは、そうかな?」


 照れ笑いが固まったのは、彼女の傍に卵が並べてあったからだ。

 一個一個向きを揃えて整然と、七つの卵が守られていた。

 キイラは卵に愛おしそうな視線を流した。


「もうすぐ孵るの」

「……俺の子、か?」

「さあ、どうかな」

「それがもし俺の子なら……」

「どうすんの?」


 キイラを殺し、もし卵を見つけたら迷わずその場で踏み潰す。そう決めていた。

 しかしいざとなると——。


「もし俺の子だったら……」

「殺す?」

「さあ……どうかな……」


 コツッ……。


「!?」


 一個の卵に、三角のひびが入った。

 罅は連鎖するように広がっていき、その真ん中に小さな穴が空いた。

 穴の内側から、ぬめぬめとした鼻先が覗く。

 鼻で殻をつついて穴を押し広げ、幼体が顔を出した。

 孵ったのは普通のトカゲの子だった。

 いかにも生まれたばかりの小動物の、愛らしい顔。

 キイラをまんま小さくしたような、美しいトカゲだ。


「かわいいあたしのベイビィ」


 キイラは幼生にまとわりついた膜を舌で丁寧に舐め取っている。


「キイラ……この子が……」


 これが、俺の子か。

 皆殺しにするつもりだった。

 トカゲだろうがレッドドラゴンだろうが幼生は殺す。

 しかし……。

 これが雄の本能なのか。

 これが親子の情なのか。

 雌トカゲキイラとの間に授かった小さな命を目の当たりにすると、俺の中の父性とでもいうのか、隠れていた血縁に対する愛情のようなものが芽生えたのだ。

 ドラゴンになってしまった自分には心が揺さぶられることなど金輪際ないと思っていたから、自分にもこういうことに感動する心が残っていたのだと思うと——。


「え?」


 キイラは幼生の頭を咥えると、ちゅるっと口の中に吸い込み、飲み込んだ。


「ああ、食べちゃうのね……」


 まあ……、食うのはまあ……、よくあるっちゃあるからな……でも今それやらんでも……。


「孵ったのこれで二個目だけど、一個目もフツーにトカゲだったから食べちゃったわ」


 キイラは悪びれる様子もなく、むしろ誇るように卵を見せつけた。


「残りあと六個……そのうち一個でもドラゴンが孵ってくれるといいんだけど」

「そういうわけにはいかないんだよキイラ」

「どうするの? 卵をつぶす? それともあたしを殺す?」

「そこまでは……すぐってわけでは……」

「あんたを倒せるヤツはもういない。誰も力では対抗できない。兄弟たちはセゲアを倒したあんたを次のボスだと思ってる」

「実質的なボスはキイラ、きみだろう」

「そう思う? 試しに命令してみれば? 兄弟たちに。あたしを殺せって」

「は?」

「みんなアキヲに従う。好きにしていいのよ。顎でこき使っても、イライラしたらぶん殴っても、なんだったら殺して食べたっていい。誰も抵抗しない。あたしもね。見なさいよ、兄弟たちを。みんな従順だから」


 カーテンの向こうに控えている兄弟たちは、みんな頭を低くして服従のポーズだった。

 俺の命令を待っているように。


「……卵は、これだけなのか」

「……当然でしょ」

「他に隠したりしてないか」


 キイラは開き直ったみたいにごろんと地面に転がり、孵ったばかりの卵の殻を食べ始めた。

 食べながら卵を一個片手で掴み、握りつぶした。

 中から、トカゲになりかけのドロドロとした粘液がこぼれた。


「残りの卵、全部食べたっていいのよ?」


 ふと感じた違和感。

 何だろう、彼女のこの余裕は。

 あれだけドラゴンの子を生むことに固執していたキイラが冷静なのは、どこかに卵を隠しているからではないか……。

 だとしたら、どこに……?

 また卵が動いた。

 キイラは卵を守るようにして身構える。


「……心配しなくていいよ。トカゲなら、殺さない」


 生まれたのはまたしてもトカゲだった。

 子トカゲが、俺にすり寄ってきた。

 俺は、幼生のまだ柔らかい鱗を舐めた。

 トカゲだが、山本アキヲの子なのだ。

 爪の形が俺に似てないこともない。

 ふと見ると、キイラがぺろりと舌を出した。

 まるで、


オトコってちょろ」


 とでも言っているかのようだった。

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