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第44話

 人間、タバコも吸いたいし酒も飲みたい。

 陸上軍の任務中は禁煙が建前なので、喫煙所などという贅沢設備は当然無い。

 しかし誰にも見つからないところで隠れて吸うぶんには「見つけようがないので不問とする」のが暗黙の了解だった。

 ただ吸い殻をその辺りに捨てるなどという昭和的行為は「厳に慎め」と上から個人的にお達しがあった。

 アルコール類も持ち込み禁止なのだがそこもお目溢しがあって、それぞれの荷物に紛れ込ませることは可能だった。

 ここでは個々の嗜好にかかわらずミリリットルあたりのアルコール量を重視し、ウォッカやジンなどの蒸留酒が好まれる。

 水は貴重なので基本ストレートで、中にはそこらで採ってきた柑橘類を絞って飲む粋な隊員もいた。

 俺の場合、その日の任務を終えて一服つけるのが早々に日課化し、タバコを吸う時間も場所もだいたい決まっていた。

 つまり、その時間、その場所で待っていれば、〝俺〟がやってくるのだ。

 俺は人間に姿を見られないよう宿営地を迂回し、砂浜にほど近い林に潜み、待った。

 ……待った。

 そして、時間が来た。

 〝俺〟はいつものとおり、テントから出てきた。


 ——ああ、たしかに俺だ……。あれは、人間だったときの俺……。


 〝俺〟はタバコとスマホを持ち、体中に虫除けスプレーを浴びて、テントから離れた海辺の岩に腰掛ける。

 海風に当たりながらタバコに火を点け、最初の煙を深々と肺に吸い込むと、全身の血管が収縮するのを感じるのだ。

 夜空には狂ったように撒き散らされた無数の星々。

 あの中のどこかに俺が最初に生を受けた異世界の星があって、そこで魔法使いだった俺が死んで、魂だけが何光年も離れたこの地球まで飛んできて俺になったんだろうか——なんていう中二っぽい想像をしたものだ。

 俺は〝俺〟が見ているスマホの青白い光を目印にして、音を立てずに近寄っていった。

 いくら転生した自分自身とはいえ、いきなり人間サイズの爬虫類が暗闇から現れて、日本語で喋りかけられたら心臓飛び出る。

 俺は岩の陰から、なるべく刺激しないように小さく声をかけた。


「山本アキヲ……」


 〝俺〟はノーリアクションでのんびりと煙を吐き出すと、タバコを携帯灰皿の中に押し込んだ。

 たぶん波の音が被ってしまったせいで、俺の呼びかけは届かなかったのだ、と思った。


「山本アキヲ」


 もう一度呼びかけた。

 今度はさすがに気づくであろう大きめの声で。

 〝俺〟はスマホから視線を上げて、キョロキョロとあたりを見回した。


「……誰?」

「俺だ」

「はい?」


 〝俺〟は振り向いて、樹々の間に眼を凝らした。


「驚かないでくれ。危害を加えるつもりはない」

「なんだ?」

「話をしたい」

「なんの話」

「俺は人間じゃない、でも話ができる。話したいんだ、あんたと」


 〝俺〟は腰のホルスターの金具を外して、拳銃を抜いた。


「出てこい。ゆっくり歩け。ゆっくりだぞ」


 驚かせてはいけない。

 ゆっくり近づくのだ。

 ゆっくり……。

 宿営地から漏れる淡い光が、俺の姿を闇に浮かび上がらせた。

 〝俺〟は眼を見開き、息を呑んだ。

 それはそうだろう、こんな大きな爬虫類が二足歩行で、しかも日本語を喋って呼びかけたのだから、腰を抜かしたっておかしくない。


「ああ……」


 〝俺〟は、俺の姿を認めると、ゆっくりと銃をホルスターに戻した。


「きみが俺か。ほんとに来るとはなあ」


 〝俺〟は言った。

 淡々と、二、三日ぶりに会うような気さくさで。

 これには俺が驚いた。

 俺のことを知っている……? どうして?

 狼狽えた俺に対して、〝俺〟はあくまでも冷静だった。

 薄く笑みを浮かべてすらいた。

 なんなんだその余裕。

 いや余裕ありすぎでは……。


「話は聞いてる。俺が死んで、転生して、トカゲになるんだってな」

「なんで知ってんのそれ」


 〝俺〟は知っていた。

 誰が言ったか知らないが、自分が爬虫類に転生するということを、知っていた。


「もう少し近くに寄って、どんなんだか見せてくれないか」

「え?」


 行くより先に、〝俺〟の方から寄ってきた。

 〝俺〟はスマホのライトを照らしながら近づいてきて、俺を見てため息をついた。


「こんなんなっちゃうのかよ……」

「そんな言いかたないだろう」

「火吹くんだって?」

「誰が言ったの」

「やってみてくれないか」

「吹かないよ」

「ちょっと一緒に」


 〝俺〟は俺と並んで、スマホのインカメで自撮りした。


「おーよく撮れてる。最近のスマホカメラすごいね。これSNSにあげていいかな? 日本語でコミュニケーション可能な爬虫類なんて、世紀の大発見だろ」


 言いながら答えも聞かずにスマホを操作し出した。


「俺を見世物にする気かよ」

「いいじゃないか遅かれ早かれわかることなんだから」

「いいわけないだろ作戦中だろ情報漏洩だろ」

「そんな軍人みたいなこと言うなよ」

「軍人だったんだよ俺も、てかお前だったんだよ知ってんだろ」

「この島にはお前みたいのが他にもいるのか?」

「俺は俺一匹だけど、俺くらいの大きいトカゲはいる。あと鳥とか蜘蛛とかでかいのがいっぱい——」


 気づけばペースは完全にあっちのものだった。


「蜘蛛とか? あとは?」

「今その話いいだろ。そんなことより転生の話、いったい誰から聞いたんだ?」

「転生の話、か。誰っていったっけかな、名前。御田寺みたでらさん、っていったかな」

「誰だその御田寺っての」

「その御田寺さんって人がね……。ドラゴンの棲む島が見つかるって。そう予言したもんだから、大変だよ」


 御田寺というのは、転生したリノンで間違いない。


「それで?」

赤竜レッドドラゴンってのはお前なんだろ?」

「それは……どうかな」

「巨大化するってさ。こんなもんじゃなくて、ちょっとした高層ビルくらいな、見上げるほどの」


 御田寺リノンはレッドドラゴンのことを、すべて〝俺〟に話してしまったらしい。

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