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第40話

 ずたずたになったセゲアの死骸の横で、俺はリノン——すでに魂は別の人間の中へと転じてしまったあとの——空っぽになった身体を呆然と見つめていた。


 ——守れなかった……。


 リノンの心臓はまだぴくぴくと痙攣するように動いていた。

 俺はなんの、何の躊躇もせず心臓を掴み取り、一口に飲み込んだ。

 鼓動が食道から胃に落ちていくのを感じる。

 リノンが、まだ俺の身体の中で動いている……。


「ごめん、リノン。すまない……」


 リノンに詫びながら、リノンを食う。

 止められなかった。


 ——俺はずっと、リノンを食べたかったんだ……。


 角の立つような新鮮な肝臓を咀嚼もせずに飲み込んで喉を通っていったとき、ずっと耐えてきた彼女に対する食欲が満たされ、これまでにない満足感を得た。

 熱い。全身からエネルギーが湧き立つようだ。

 これが竜の一族の本能なのか。

 だとしたら……最悪だ。


「最悪だ」


 何度も繰り返した。


「俺は最悪だッ……!」


 繰り返しても、竜は食べるのをやめない。

 最早俺の意思では止められなかった。

 軟骨の一片も残さず食いつくす、それが彼女に対するリスペクトであり供養なのだ、と自分に言い聞かせる。

 トカゲたちは遠巻きに見ていたが、もう襲っては来なかった。

 俺はひたすら、リノンを食べ、食べ尽くした。

 残ったのは真っ白な死に顔、首から尾てい骨へと連なる脊椎、両側に開かれた肋骨、それくらいだった。

 俺は彼女を抱き上げた。

 顔が綺麗なまま、どこかに埋めようと思った。

 誰にも掘り返されない場所に。

 その様子を、樹の上からずっと観察していたトカゲがいた。


「……これでわかったでしょ。あんたはトカゲじゃない、ドラゴンなの。解放しなよ、己の力を」


 キイラ。

 彼女の周りには兄弟たちがいたが、今やリーダーは死んで彼らはキイラに従っているようだった。

 俺はリノンを胸に抱いたまま、全身の鱗を波打たせ、背鰭を立てて、翼を広げた。

 そして叫んだ。

 咆哮は空気を、樹々を、トカゲたちを震わせた。

 俺は竜だった。

 この思考も、人間の記憶も、いざとなれば竜としての本能によって簡単に吹き飛んでしまう程度のことだったのか。

 俺は、いとも簡単に俺ではなくなって、ただの爬虫類になる。

 理性とか? 正とか堂とか?

 そんなものぜんっぜん当てにならない。

 現に俺は当たり前のようにリノンを食った。

 そして今、当然のようにキイラに対して欲情していた。

 キイラもそうだった。

 彼女は樹上から一歩一歩、俺の意志を確認していくかのように、一歩一歩と幹を伝って降りてくる。


「うぃぃぃぃ……ぅぃぃ」


 キイラから発せられる声を聞いていると催眠がかかったように頭がぼーっとなった。

 俺は俺でこれに答えるような、これまで発したことのないような鳴き声が。


「くしゅぅぅ……しゅぅぅ……」


 俺は——つまり人間の転生した意識体であるところの山本アキヲは——レッドドラゴンの制御を失っていた。

 キイラは枝の上から飛びかかってきた。

 俺は抱いていたリノンを地面に落とし、彼女を受け止めた。


 ——なにをやってる! なにをする気だ! 俺!


 キイラは俺の尻尾の付け根に脚を伸ばした。

 脚をくすぐるように動かしながら、身体をこすりつけてくる。

 本能とは恐ろしいもので、俺の身体は迅速に反応しており、見れば股間からニョキッと生えてきたものが二本ある。

 どう見ても生殖器だった。

 二本の生殖器はまるで行き先を探しているかのようにうねうねと脈動していて、キイラもそれに答えるように尻尾を艶かしく動かしていた。

 彼女の首筋から沸き立つ匂い、そして恍惚とした表情に惑わされ、わけがわからなくなった。

 気づけば無我夢中でキイラにむしゃぶりついていた。

 俺の下でゲコゲコ喘ぐキイラを背中から押さえつけ、うなじに噛みつき、尻尾同士を絡み合わせる。

 一連の流れるような動作はまったくの不可抗力であり身体が自動的に反応したもので、俺の意志とは無関係であることを確認しておきたい。

 やめるべきだった。

 速攻キイラを噛み殺すべきだったのだ。

 しかし本能にプログラムされているその行為は、前世の人間が意志だけの力で抗うことなど不可能だった。

 二匹の爬虫類は、生き物の自然な営みという根源的な何かによってそうさせられていた。

 やがて行為は終盤となった。

 人間だったときの、南波チトセとのセックスなど児戯の地平線に霞むほどの激烈な絶頂が襲ってきて、俺の脳は快感に焼かれた。

 ……。

 事は済んだ。

 済んでしまった。

 ほんの数秒、おそらく意識を失っていた。

 俺は賢者となった。


 ——交尾をした……。


 やらかしに気づいたのは、さらに数秒後。


 ——キイラと、交尾をしてしまった……!


 恐ろしい結末へと考えが及んだのはそのさらに数秒後。


 ——キイラからレッドドラゴンの卵が生まれるかもしれない……!! 


 どこに行った?

 キイラは?

 周囲に気配はなかった。

 交尾が済んだらさっさと雄から離れるのだろうか。

 どうやら絶頂を迎えたあと、俺が恍惚の余韻で呆けている間に、彼女は兄弟たちを引き連れてどこかへ去っていったらしい。

 爬虫類のメスは一匹で産卵、子育てをする。


 ——キイラを、殺さなければ。


 自分の、人間ヒトとしての意志が、竜の身体をコントロールできていることを確認する。

 俺は雌の臭いをたどって、キイラを追った。

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