目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報
第39話

 リノンは崖の淵に立ち、ヘリが近づくのを待っていた。

 俺は少し離れた藪に隠れて見守っていたのだが、それにすっかり気を取られていて異変に気づくのが遅れた。

 敵は風向きとヘリの音を巧みに利用し俺たちに近づいていた。

 セゲア、キイラ、兄弟トカゲたち。もはや臭いでわかる。

 とっくに包囲を完了していると見ていいだろう。

 巣穴に戻るべきか、戦うか……あるいはリノンを抱えて崖から飛び降り、俺の翼が飛べる方に賭けるか。

 トカゲたちの気配が、周囲をぐるぐると回っている。

 ヘリが上空に差し掛かっている。

 ローター音が大きくなって、辺りの音が聞き取りにくい。

 しかし耳には感じ取れない敵意が樹々のあいだに充満していて、今にもはち切れそうだ。

 もう迷っている時間はなかった。


「リノン」


 ——ロープを伝っていったん巣穴に戻れ……。


 振り向いた彼女に手ぶりで伝えた。

 が、遅かった。


「マミイ上っ!」


 リノンが叫んだ。

 俺の頭上からトカゲが一匹降ってきた。

 反射的に背びれを立てる。

 俺に噛みつこうと牙をむき出しにして樹から飛び降りてきたところにヒレの棘が喉に突き刺さって、グエエ、と鳴き声を上げトカゲは地面に転がり、藪の中に這っていった。

 セゲアはどこだ?

 キイラは?

 奴らは姿を潜めたまま隙をついて断続的に攻撃してくるつもりだ。

 今の攻撃だってリノンに向かっていたらと思うと鱗が逆立つ。


 ——一か八か飛べる方に賭けるか。俺とリノンの命を。


 俺がリノンに向かってダッシュしようと踏み出したところで、彼女の身体が宙にふわりと浮いた。


「リノンっ!!」


 彼女の首に尻尾を巻き付け、持ち上げたのはセゲアだった。


「アキヲ」


 セゲアはリノンの首から胸から腹、腰から足に至るまで尻尾で締め付けた。

 あとほんの少し捻じれば殺せる、ギリギリの加減で。


「お前にとってはこの人間が、どうも大事らしいな」

「はあ? ふざけたこと言ってんじゃねえよ、食べようと思って飼ってたんだよ」

「そんなハッタリが通るわけねえだろ」

「なんだったら今ここで俺と勝負して、勝ったほうが活きたまま食ったっていいんだぜ?」


 追い詰められた俺の提案をセゲアは笑った。


「お前、俺を馬鹿だと思ってるだろ」


 ——思ってるよ。


「思ってないよ」


 片目が潰れ下顎も半分砕けて舌と歯がむき出しの、醜いトカゲ。

 やったのは俺だ。

 奴の俺に対する憎しみはピークだろう。

 とても口先三寸でこの場を乗り切れるとは思えない。


「お前の命だけじゃ足りねえ。お前の眼の前で、お前の大事なものをぶっ壊す。お前を殺すのはその後だ」


 傷だらけのかおで吐くセリフには凄みがあった。

 思わず気圧されて半歩後ずさる。

 引くな。

 ここで引いてはいけない、少しでも引けば終わる。


「俺と勝負しろセゲア。一対一だ。ギャラリーの前で、正々堂々と」


 囲まれていた。

 トカゲたちは藪中、樹上、其処此処に潜んで俺とセゲアの睨み合いを見守っている。


「正々堂々か。さすがドラゴン様はいいこと言うぜ。殺し合いに正とか堂とかルールとかな、そんな素敵なもんはいらねえんだよッ」


 セゲアがリノンに爪を突き立てた。

 その瞬間俺は——。


 ——タックルして奴の体勢を崩し、尻尾を噛みちぎってリノンを救い出すっ……!


 そして飛びかかろうと地面を蹴ったとき。


「ぅあああああああああああああ……」


 リノンが悲鳴を上げた。

 遅かった。

 セゲア——がリノンの腹に爪を突き刺した。

 奴の手が彼女の体内を貫通して背中から飛び出した。


「ぁぁ……」


 鮮血が玉になって散った。

 リノンの身体が大きく痙攣して、顔から生気が消えた。


「ま、まみぃ……」


 リノンは最早悲鳴を上げる力なく口を動かした。


「だいじょうぶ……、あたしは……、もう……、いる」


 満足げな笑みを浮かべたのが最後、リノンの真っ白な素肌の裂け目からセゲアが手を引き抜き内臓がぶち撒かれた。

 その光景が網膜に映った瞬間——俺は自分を失った。

 これが竜の本能なのだろうか、あたかも心の中の檻に入れていたどす黒いけものが鍵を破り、俺の人間の部分を体の外に追い出してしまったかのごとく。

 俺の眼は俺の体を放れて、少し上からまるでTPSのゲームをプレイしているような視点で——気づけばセゲアに突進していた。

 互角に組み合ったが身体の大きさはすでに俺のほうが上回っている。

 セゲアは骸となったリノンを放り投げ、尻尾を俺の首に巻きつけてギュウギュウ締めた。

 俺は奴の尻尾を両手で掴んで持ち上げ雑巾のように絞り、ねじ切った。

 尻尾が使えなくなったセゲアは鋭い爪を左右交互に突き出し、攻撃を繰り返した。

 避けきれず腹に直撃を食らったが、俺の鱗は脱皮を経て相当硬くなっていて、トカゲの爪では貫通できなかった。

 奴が怯んだ隙に両顎を掴んで口をこじ開け、喉の奥へ手を突っ込んでやった。

 喉を手で潰し、さらに奥へとその手を捻じ込み、爪を立て、体内の塊を掴み、引っこ抜くときもはらわたが繋がってずるずると吐き出すように出てきた。


「……ガキの頃に殺しておくんだった……」


 セゲアは動いている心臓が口から飛び出したまま、言った。

 直後、口からすべての臓器を抜き出したので、奴は沈黙した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?