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第38話

 崖を登りきった俺は早速、樹の幹にロープを縛り付け崖下へ垂らした。

 巣穴まで届くか不安だったが、下からロープを何度か引くような動きがあったので、ああ余裕だったなあ、と安心したところで——。


「おまたせ」


 速攻リノンが上がってきて崖の淵に手をかけた。


「早」

「急がないと、ヘリが行っちゃうかもしれないでしょ」


 俺は彼女の手を掴み、引き上げた。

 崖上に立ったリノンはあたりを見回して、


「え……ここで、ヘリを待つの?」


 信じられない、といった顔で俺を見る。


「そうだよ」

「ここで……?」


 崖の上は樹木が枝を張りめぐらせ、鬱蒼としていて空も見えないほどだった。

 地面はというと人の背丈もある草藪がみっしりと埋め尽くし、ただ歩くのにも支障をきたした。

 とてもヘリからリノンを見つけられるような場所ではないのだ。


「まだヘリは遠い。時間はある」

「まさかこれを?」

「リノンは崖に近いところの草をナイフで切ってくれ。俺は樹に登って枝を落とす。なんだその面倒くさそうな顔は」

「ここまでとは思わなくて……」


 リノンの吐いた溜息は深かった。


「もっと開けた場所があればいいんだけどな。探しに歩き回るくらいなら、ここの樹や草を切っちゃったほうが早い」

「そうかもね。しょうがない、やるか」


 リノンはポーチからナイフを取り出し、草を根元から切り始めた。

 ヘリが見つけやすいように、なるべく崖の淵に近いところの草を切っていく。


「落ちるなよ」

「わかってる」

「なにか異変を感じたらすぐに言ってくれ。敵はトカゲだけじゃなくて、他にも人間を捕食しようとする生き物はいっぱいいるから——」


 言いながら、自分が人間を食う生き物であることを思い出し、その先を継げず口ごもった。

 リノンはそれに気づいたのか笑顔を見せながら、


「マミイのこと?」


 冗談ぽく言った。

 何度もリノンを食べたいと思ってしまった俺には笑えない冗談だ。

 沈黙してさらに微妙な空気になるくらいならと、


「俺は、人間は食べないよ。繁殖もしない。ムラサキと暮らして、ムラサキが飛べるようになったら、俺は一匹で島のどこかに消える。そこでひっそりと暮らして、ひっそりと死ぬよ」


 つとめて明るいトーンで言ったつもりだった。

 リノンは俺を見つめ、少ししてから首を横に振った。


「……マミイ、赤竜が何年生きるかわかる?」

「寿命か。まだ俺も生まれたばっかだからな。もしかして、100年くらい?」

「300年だって」

「は?」

「細胞検査の寿命予測が300年なんだって」

「そんなに生きるの俺?」

「条件が良ければたぶんもっと」

「えー……。300年かよ……」


 竜として、絶対に人間を食べないなんて言い切れるだろうか……?

 そんなに長い時間、俺は人間を保っていられるだろうか?


「いや、食べない。300年、俺は食べない。人間を食べるくらいなら……」


 その先を言い淀んでしまったのだが、リノンもそれ以上問い詰めようとはしなかった。

 ヘリコプターのローター音が、さっきより大きく聞こえてきた。


「近くなってきたぞ……」

「見えるかな?」

「んー……あそこだ」


 俺は指を差した。

 遠くでヘリが浮いている。

 川の支流を下流に向かって飛んでいるようだ。

 もし川に沿って捜索してるとしたら、ここに来るのも時間の問題だろう。

 俺は枝を折るのを急いだ。

 少しでも視界を遮るものはバキバキ折って崖下に落とす。

 リノンも身長よりも高い草を、片っ端から切っていった。

 大方の作業が終わると、崖の頂に僅かの開けた空間を確保できた。

 さすがに着陸は無理だが、ホバリングした状態で救助できる程度には障害物を撤去できたと思う。

 川沿いに眼を向けると、ヘリは支流の合流地点で大きく旋回しているところだった。


「こっちに来る……」


 二人で、祈るような気持ちでヘリを見守る。

 ヘリのローター音が一際大きくなった。

 やがて機種がわかるほどに距離が近くなってきた。

 向こうからはまだ視認はできてないと思うが、もっと近づいて来ればここに人間がいるのがわかるはずだ。


「窓に人が見えたら、大きく手を振って、こう、ね」


 俺は両手を伸ばし、リノンに振ってみせる。

 リノンは頷いて、空に向かってぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振った。

 こういうとこムラサキに似てるな、なんて思ったりもする。


「元気でな。……て俺がいうのも変か」

「変じゃないよ。あたしがマミイに言ったら変だけど」


 リノンの顔も見納めだ。次に会うときには……。


 ——敵だ。


 俺は樹の陰に隠れるようにして見守る。

 リノンは空を見上げてヘリを待つ。

 異変に気づいたのは、風向きが変わったからだった。

 川の方から吹いていた風が、急に樹海側からになった。

 俺が潜む藪の隙間から流れてくる一筋の空気の流れに、樹木とは別の臭いが挟まっていた。

 気づかなかった、こんなに接近するまで。


「リノン……!」


 小声の呼びかけにリノンが振り向く。


「なに?」

「敵がいる……!」


 臭いがする。

 爬虫類の臭いだ。

 セゲアたちが追ってきたのだ。

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