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第37話

 俺の胴にロープをひと回りさせて結び、残りを崖下に垂らす。

 崖下までは目測で15メートル。

 ロープはせいぜい10mというところだ。

 崖の下の方はゆるい斜面になっていてところどころ樹が生えている。

 そこまで行けばあとは自力で降りられるという判断か。

 なんにせよ大した勇気だと思うが、確かに川との行き来ができないと水の確保は厳しい。

 リノンがロープを掴んで巣穴の淵から出たとき、俺の横をムラサキがすり抜けた。


「あっ!」


 という間にムラサキはリノンの肩に乗った。

 雛鳥とはいえちょっとした犬くらいの大きさで10kg前後はあると思う。

 バタバタと羽ばたいているのはリノンに少しでも体重を載せないためか。ときどき浮いたりしているのでもしかするとそろそろ飛べるのかも。

 二人が河原に降りたのを見届けて、俺も崖伝いに降りてみた。


「結構きれいじゃん水」


 リノンは手で水を掬って飲んだ。

 真水をそのまま飲むのはおすすめできないが言っていられる状況でもなかった。

 ムラサキは早速川に飛び込み、水面にゆうゆうと浮かんだ。


「二人とも、そこそこ流れ早いから気を付けてね……」


 俺の言葉も聞かず、リノンは靴も服も全部脱いで全裸になると、


「冷てえ!」


 キャッキャしながら肩まで水に浸かった。

 ヘアゴムを取って髪の毛をバラし、頭の天辺まで水に沈んだりしている。

 ムラサキも彼女の傍でバシャバシャと水を弾き飛ばしたり、潜ったりしてはしゃいでいて、ときどき羽ばたいているのは飛ぶ練習か。

 俺はそんな二人をあたたかく見守る、まるで姉妹を川遊びに連れてきたお父さんみたいな気分だった。

 なんとなくこのまま、鳥と人間とドラゴン、三人で擬似家族として生きていくのもありかな、なんて考えてしまう。

 リノンを人間たちの元へ返せば、彼女はこれから上陸するであろう防衛軍と共に全力で俺を殺しに来るだろう。

 ここでどんなにほのぼのアットホームな暮らしをしても、お構いなく殺意MAXで俺を追い込んでくるはずだ。

 そのとき俺はどう立ち回ればいい?

 戦うのか。

 死ぬか。

 逃げるのか。

 逃げるとしてもここは島で周りはすべて海、軍が気合い入れて攻めてきたら最悪島が吹き飛ぶ。

 俺が繁殖さえしなければ赤竜レッドドラゴンは俺一匹で終わり、人類は災厄を回避できる。

 だとしたら、そう、繁殖しなければいい。

 人を食わない。繁殖しない。

 それを約束し、人間にはこの島から撤退してもらう——それが互いにとって一番いいことなのではないか。

 いくら本能があるとはいえ俺は人間だ、理性で行動を抑制できる。

 自分をコントロールできる、それが人間なのだ。


「俺は、人間だ……」


 つぶやいた。


「え、なんか言った?」


 リノンが振り向いた。


「リノン」

「ん?」

「聞こえるか?」

「なに? なんか音?」


 リノンは耳を澄ませる。


「ヘリの音だ」


 俺は首を伸ばし、両耳を立てて音の方に向けた。

 左の聴力は完全に回復していなかったが聞こえないわけではない。


「聞こえないかも……」


 リノンは首を傾げた。

 川の流れや樹のざわめきで音はまだ遠い。


「人間には聞こえないかもしれないけど、ヘリコプターのローターの音がする」

「こっちに来るのかな?」

「まだわからん。でもきみを捜索するための出動だと思う」

「マジか」


 リノンはそれまで川の水でばちゃばちゃ洗っていた服を絞り、濡れたまま着た。

 ムラサキが俺の足元に寄ってきて心配そうに、


「どうしたの? なんかあったの?」

「ヘリが来る」

「あの空からバタバタするやつか! なんで?」

「リノンを迎えに来る。人間のところへ帰るんだ」

「えー、ゆっくりしていけばいいのに……」


 リノンを見るムラサキの眼が寂しそうだ。

 巣穴に戻ると微かにヘリの音が大きくなったがそれは見通しがよくなったからで、近づいてきているわけではなかった。

 どこを飛んでいるかもわからないし姿も見えない。

 川べりよりも巣穴のほうがヘリから見つけやすいと思ったのだが、崖上から張り出している樹木に遮られて、上空からはかえって見にくいかもしれなかった。


「崖の上に登ろう」


 崖の上ならここよりさらに開けてるし、樹が邪魔なら倒してしまえばいい。

 とにかくリノンがいることをヘリに知らせるのだ。


「どうやって上がるの? トンネルはまだなんでしょ?」

「俺が崖を登って、ロープを下ろすから」

「大丈夫なの?」

「帰りたいだろ?」

「……うん」


 自分が帰るとどうなるか、覚悟した表情だった。


「あたしは? あたしも上に登りたい」


 ムラサキが足の周りでバタバタ騒ぎ出した。


「さすがにムラサキは留守番だろ」

「なんで! なんで!」

「危ないからだ!」

「くそ! いつもそうだ! あたしを一羽ぼっちにして!」


 ぷりぷりしているムラサキをリノンがあやしている間に、俺は絶壁を頂上へ到達すべく登り始めた。

 ロープを首にかけ、岩のくぼみに爪を立て、壁を這うように一手ずつゆっくりと……。

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